第十二話 狗と蛇
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大賀という案内役が仲間に加わった深夜達は、屋敷の端から順に部屋の見回りをはじめた。
「ラウム、どう?」
「ここも怪しい匂いはないよー! 次はどこ?」
一つ一つの部屋を詳しく調べるような時間はないので、ラウムの魔力探知を主体にさくさくと進めていく。
しかも、かつてこの家に住んでいたという大賀の協力もあって、その部屋がどう使われているのか、誰のものなのかも逐一教えてもらえるので、捜査は非常にやりやすかった。
「隣の部屋は……皐月お爺様の私室ね」
順番に部屋を見て回る中、大賀の声がワントーン沈んだ。
「ああ、行方不明になったっていう」
元を辿れば、その大賀皐月という人物が行方不明になったのが全ての発端とも言えるえる。
その部屋へと向かう途中、ラウムがふと疑問を口にした。
「お爺様ってことは……お婆ちゃんの旦那さん?」
「ええ、そうよ」
「あれ? こういう古い名家って、代々男の人が当主になるものだよね。ってことは、その皐月お爺ちゃんが本当の当主で、お婆ちゃんは代理みたいな感じ?」
「いいえ、芥子お婆様は正式な大賀家当主よ」
と、大賀はその予想をきっぱりと否定した。
「というか……大賀家ってちょっと特殊で、代々長女が家長になる伝統があるの」
続いて彼女の口から語られたのは、大賀家の少し変わった伝統の話だった。
大賀家では昔から女が家を継ぎ、男は他家に婿入りするという形が古くから続いているのだという。
実際、比奈の祖母と母が『大賀家』の血を引き継いでおり、祖父と父は婿入りしてきた人間だったらしい。
――異能者を産む母体を重視していた名残り……とかかな――
深夜は内心で、その慣習に対する推測を組み立てる。
もっとも、少々下世話な予想なので口には出さなかった。
「皐月お爺様……大丈夫だといいのだけど」
「じゃあ、何かヒントがあるかもしれないし、その部屋はとくに念入りに調べて……」
板張りの廊下を進み、襖扉の目の前といったところで、ラウムのスマホが軽快なメロディを発しだした。
「……あ、ごめん! 二人は先に行ってて!」
画面を見たラウムが一瞬、気まずそうに深夜の顔色を窺ったかと思うと、彼女は手を合わせて謝罪し、有無を言わせぬ勢いでその場から離れようとする。
「あ、ちょっと待て! なんでいきなり!」
「友達から電話! すぐ戻ってくるから!」
そして、深夜に引き留める間すら与えず、ラウムは廊下の奥に走って消えていった。
「悪魔に友達ってどういうことだよ……」
彼女が、深夜のあずかり知らぬところで霧泉市の人達と交流していることは知っていたが、まさか電話番号を交換する仲の相手までいるとは。
――まさか、悪魔だってことまでバラしてない……よね?――
気にしたところで、ラウムが素直に話してくれる気はしないのだが。
「行っちゃったわね……どうするの?」
「とりあえず、入っちゃいましょう。中から変な気配がしていたなら、ラウムもあんな態度はしないでしょうし」
ひとまず、悪魔憑きが隠れ潜んでいるということはないだろう。
そう踏んで襖を開いた深夜の視線が、室内のある一点に吸い寄せられた。
「――え?」
部屋の内装は、深夜達に割り当てられた客間とほぼ同じ間取りの和室。しかし、その部屋には、客間とは違い、一目で私的なものとわかる書棚や桐箪笥が置かれており、確かな生活の痕跡があった。
「……大賀先生、あの絵って」
深夜は敷居も跨がずに立ち尽くし、床の間に飾られた掛け軸を指さす。
そこに描かれていたのは、白い翼の生えた男と、その有翼の男に向かって手を伸ばす女の姿。
さらによく見ると、白い翼の男は生まれたばかりの赤ん坊を抱きかかえている。
「ああ、アレ? 大賀家に代々伝わるものらしいんだけど――」
大賀がその画について説明しようとするのを遮るように、第三者が彼女の隣で言葉を発した。
「天狗が子供攫って、趣味悪い絵やなぁ」
「誰だ!」
大賀を庇うように、その男の間に割って入った深夜は、警戒を隠そうともせずに左眼で声を主を睨み付ける。
周囲の気配に十分気を付けていたはずなのに、いつからそこにいたのか全くわからない。
深夜が絵に気を取られた一瞬の間に、ここまで接近を許したというのか。
確認のため、大賀の方にちらりと視線を向けるが、彼女もこの男に対して面識はないらしい。
――ラウムがいない隙を狙われた? どうする……、マズい――
しかし、深夜の警戒をよそに、声をかけてきた男は両手を上げて敵意が無いことをアピールする。
「驚かしたみたいでゴメンな。けど、ボクは怪しいもんやないさかい、安心して」
左眼の未来視でその男が何もしてこないことを確認し、深夜はひとまず表面上は警戒を解いて肩の力を抜く。
「はじめまして。ボク、大賀操さんの専属運転手してます、水増若葉いいます。仲ようしてな」
水増若葉と名乗ったその男は、まるで蛇のようだった。
すらりとした高身長ながらも、深夜よりやせ細った痩躯。
感情の読めない、顔に貼りついたような笑み。
よく、狡猾な人間が「蛇のようだ」と形容されることがあるが、彼の場合その逆だった。
あまりにも蛇に似ているせいで、ただそこにいるだけなのに胡散臭く感じてしまう。
タイトなジャケット姿からは明らかに浮いている両手の黒い皮手袋も、その胡散臭さに拍車をかけていた。
「操さんの?」
しかも、水増は専属運転手という肩書が与える印象に反して、非常に若く見える。
十人に聞けば、八人が「大学生」と予想し、残りの二人は「高校生」と答えるだろう。
だが、当の水増本人は、深夜と大賀の明らかな不審な態度を気にするそぶりは一切見せなかった。
「そうそう。操さんに今日ここで泊まるんか、それとも帰るんか聞きたくて探しとったんよ。そしたら、ちょうど二人がこの部屋入るん見えたから、あの人がどこにおるか聞こうと思ってん」
「操さんなら、今は離れにある談話室でくつろいでいると思うけれど」
「あー、離れかぁ。そりゃ、この辺探しても見つからんわけや」
大賀の口から目的の情報を聞き出しても、水増は一向にその場を離れる様子はない。
それどころか、彼は躊躇う素振りも見せずに大賀皐月の私室に足を踏み入れ、床の間の掛け軸の前に立った。
「知ってる? 『天狗攫い』やら『神隠し』やらで行方不明になる子って、共通点があるらしいで」
水増が、その掛け軸に描かれた絵のことを話しているのだと気づくのに、深夜は少しの時間を要した。
確かに言われてみれば、その絵は天狗が母親から子供を取り上げ、連れ去っている一部始終のようにも見える。
「共通点って……いきなり言われてもわかんないよ」
「神崎君なら知ってる思ったんやけどな」
水増の声には、言外に「期待外れ」だと言いたげな色が滲んでおり、深夜はムッと顔をしかめる。
「正解は千里眼とか神通力とか、妙な力を持ってる子供や。神様や天狗は、そういう特別な力を持った子供を、自分の仲間にするために連れ去るんやと」
「千里眼や神通力……ねえ、神崎君。それって」
水増の話を聞いて、大賀も深夜と同じ答えに至ったのだろう。
特別な力を持つ子供。それはおそらく、異能者のことだ。
「もしかしたら、昔の大賀の人間も、天狗に子供を連れ去られてたんかもしらんな」
「じゃあ、この絵に描かれてる子供って……!」
大賀は改めて、有翼の男に抱きかかえられた赤子を見つめる。
「まあ、ぜーんぶボクが今考えた話やけど」
だが、最後の最後で水増は自らの手でちゃぶ台をひっくり返した。
こうなってくると、深夜も警戒心より呆れが上回ってしまう。
「あんた……マジでなんなのさ」
「えー、さっき自己紹介したやろ? ボクは水増若葉やって」
深夜達をからかってようやく満足したのか、水増はわざと深夜と大賀の間を押しのけるようにして通り過ぎた。
「ほな、また会おな、神崎深夜君。比奈お嬢様も、操さんの場所教えてくれておおきに」
最後にそれだけ言って、彼は廊下の奥に歩き去っていった。
深夜はその背中をずっと睨み続け、廊下の角を曲がって見えなくなったことでようやく視線を大賀皐月の室内へと戻し、改めて床の間の掛け軸を見つめた。
「あの絵、昔からちょっと怖い絵だとは思っていたけど……ああ言われると、余計に気味悪く見えちゃうわね」
水増は、ここに描かれた有翼の男を『天狗』と表現していた。
日本画であることを考えれば、それが一番まっとうな見方だろう。
だが、深夜にはどうしてもそう思えなかった。
この絵を最初に目にした瞬間から、彼の脳裏に浮かんでいたのは全く別の存在。
「……これ、俺には天使の絵にしか見えないんだよね」
青白い翼を持つその姿は、つい最近、和泉山の別荘地で戦ったあの天の御使いに、あまりにもよく似ていた。
その絵を間近で見るため、深夜はようやく一歩踏み出してその部屋の敷居を跨ぐ。
だが、そのタイミングを見計らったように、今度は深夜のスマホからピアノの旋律が鳴り出した。
ポケットから取り出すと、その画面には和道からの着信を告げる表示。
何か調査に進展があったのだろうか。
「もしもし。どうかした?」
『神崎、セエレと一緒に色々聞いてたら、変なものがあるって教えてもらったんだよ』
「変なもの? なにそれ」
『とにかく変なものなんだよ。そっちが落ち着いたら一回見に来てくれ』
そう言い残し、和道との通話が切れた。
そのあまりに抽象的な説明に、深夜は首を傾げることしかできなかった。
「なにかあったの?」
「和道が変なものを見つけたって言ってるんですけど……大賀先生、心当たりあります?」
通話の内容を説明をするはずが、逆に大賀に質問をすることになってしまう。
だが、流石にこんな曖昧な説明では、大賀も返答に困――
「変なもの……あ、あれかも」
――大賀は返答に困った様子もなく、あっさりとその「変なもの」の存在を認めたのだった。
「あるんだ……」




