第十三話 戦う理由
「私の両親はその『悪魔召喚の代償』で命を落としたんです」
「それって……つまり……」
雪代の両親は『悪魔憑きになろうとした』ということだろうか。
「あの人達が何を求めて悪魔に手を出そうとしたのか、正直言ってわかりません。私が知っている限りは愛情深い母と穏やかな父でしたし、少なくとも私にとっては幸せな家族のつもりでした」
被っていたキャスケットを外して、この髪はロシア系だった母の遺伝なんですよ。と思い出したように付け足され、やっぱりハーフだったのか、と深夜は心の中でようやく納得する。
「まあ、そういうわけでして。悪魔憑きを恨むというよりも、悪魔から人々を守ることの方が私にとっては大切なことなんです。既に悪魔と契約してしまった人も含めて」
雪代はキャスケットを被りなおしながら、少し恥ずかしそうにははにかむ。
彼女にとって両親の話は悲劇では終わっておらず、むしろ自分の意思の原点に過ぎないのだろう。だから、こうも死者の話をあっさりとできるのかもしれない。
「ですので。これ以上、悪魔と契約してしまう人が増える前に、生徒達に魔導書を与えている黒幕の正体を突き止めなければなりません」
強い決意を込めた、ある種の宣誓のように雪代が告げる。
その言葉を正面から受け止めた深夜はまた少しだけ、雪代紗々という人間のことがわかったような気がした。
「他にどんな悪魔祓いがいるのか俺は知らないけど、この街に来たのが雪代でよかったって思うよ」
「そうですか? 確かに、何人かは問答無用で容疑者を気絶させて回るような過激な人もいますが、みんないい人達ですよ?」
「……来たのがあんたで本当によかったよ」
自分が最初は容疑者として疑われていたことを思い出し、深夜は心の底からそう思った。
◇
昨日の放課後、相模によって荒らされたはずの教室は綺麗に元通りになっており。クラスメイト達はここで命がけの戦いが繰り広げられていたなど露とも知らず、昨日までと同じような朝を過ごしていた。
深夜は朝から協会という組織の恐ろしさを痛感しながらも、雪代の言っていた黒幕探しに邁進するのだが。
――被害者のクラスメイトには、一通り話を聞いてみたけど、ろくな情報が手に入らなかった――
昼休み直前の四限目。
教科書の練習問題をひたすら解く、という三木島の手抜き授業をさくっと終わらせた深夜は、余った残り時間を使って今後の捜査の方向について頭を悩ませていた。
今日はこれまで、授業間の休み時間を利用し、被害者達のクラスに聞き込みに行っていたのだが、返ってきた答えといえば。
「クラス替えをしてすぐだったから、あんまり親しくなかった」とか。
「事件については先生から聞いただけで、実際のところはよく知らない」とか。まともに情報とはよべないものばかり。
それどころか、一部の生徒にいたっては神崎深夜という名前を出した瞬間
「もしかして君、トンネル事故に巻き込まれた人?」
と逆に腫物扱いを受ける始末。
ここにきて、今更ながら深夜は自分の人脈のなさに気づかされることとなっていた。
適材適所ならぬ、不適材不適所、とはまさにこのことだ。
今後の行動方針もまとまらないまま、午前の授業の終わりを告げるチャイムが鳴り、深夜の思考は一時中断させられることとなった。
「じゃあ、答え合わせは来週に……板書は残しておくから、後は日直さんよろしく」
一分たりとも授業を延長せず、三木島は教室から気だるげに出て行き、それを合図に教室は一気に昼休みの喧騒と解放感に包まれる。
「ま、とりあえず昼飯を食ってから考え……」
「あ、あの、神崎……くん」
「宮下?」
兎にも角にも腹ごしらえからだ、と購買に向かうために椅子から腰を上げようとした深夜の出鼻は、いつにもまして覇気のない灯里の声によって挫かれた。
「もしかして園芸部の仕事? 悪いんだけど、今日はちょっと手伝えそうになくて……」
強制下校の決まりのせいもあり、放課後の聞き込みが難しい現状。
昼休みは事件について調べる貴重な時間だ。
心苦しくも灯里の頼みを断ろうとした深夜だったが、彼女は慌てて彼の早とちりを否定する。
「ううん、違うの! 今日はそういうのじゃなくて……」
「違うの? なら、何の用?」
だが、何か頼みごとというわけでないのなら、昼休みに灯里が声を掛けてくる理由はあまり思いつかず、深夜は首を捻ってしまう。
「えっと、その……神崎サンってお昼ご飯は買って来てませんよね?」
「…………なんで敬語?」
深夜の今までの経験上、灯里がわざと敬語になる状況は二択だった。
極端に緊張している時か、不機嫌な時。
「……俺、何か怒らせるようなことした、かな?」
「え? いや! これは、その……神崎くんは悪くないです。ハイ、そこは間違いありません!」
灯里の声色は上擦ってしどろもどろ。となると、消去法的に緊張していることになるのだが、そっちの方はもっと心当たりがない。
なので、深夜もおもわず言葉を慎重に選んでしまう。
「怒ってないならいいけど……その、昼飯の話だっけ?」
コクコクコクと、灯里は赤べこの置物のように上下に首を振る。
「それなら今から買いに行くつもりだったんだけど……」
自炊もできない深夜がお弁当を用意できるはずもなく。
それに加えて、可能な限り遅刻ギリギリまで寝ていたい、という個人的な理由から登校時にも何も買って来ていない。
故に高校生活が始まってからは毎日、深夜の昼食は学校の購買部で調達されていた。
「実はその……そう! んーっと。ウチのお父さんが急にお弁当いらなくなって! 神崎くん、ご両親入院中で大変だろうし……ええと……お母さんがもったいないから持ってけって! あ、でも。迷惑だったら全然気にしなくてよくて、私が二つとも食べちゃうから。私こう見えて結構いっぱい食べるタイプでね! だけどこれは神崎くんにはどうでもいい話で、ええと、あの、その……」
まくしたてるような早口と、ジェスチャーとして成立していないハチャメチャな手の動き。それに連動して振り回される明るい柔らかそうな髪。
見るからに灯里は慌てており、彼女が何かを伝えようとしている。ということだけは伝わってきたのだが、その内容はまったく深夜の頭に入ってこない。
「ゴメン。よくわからなかったんだけど。つまり、どういうこと?」
「つまり……その……」
勢いが殺された結果、しゅんと俯きがちになり蚊の鳴くような声で灯里は答えた。
「……お弁当がもう一個あるので、よかったら食べませんか?」
「ああ、なるほど」
深夜はさっきの言葉を軽く脳内で復唱して、改めて整理する。
父親の分の弁当が余ったから、それを無駄にしないように自分に分けてくれる、ということだろう。
「……本当にいいの?」
以前から灯里のお弁当は見た目もきれいで美味しそうだな、とこっそり思っていいた深夜にとってその申し出は非常に嬉しい。
だが、流石に深夜もそれが「昼食を一緒に食べよう」という誘いの言葉も含んでいることに気づかないほど鈍感ではない。
「あ……ええと……悪いんだけど……」
今は魔導書の黒幕探しのために一分一秒が惜しい。
一日の遅れが黒幕を取り逃がすことに繋がるかもしれず。そしてそれは、まわりまわって灯里と和道の身に危険が迫る可能の増大にも直結している。
灯里のお弁当に後ろ髪引かれる思いはあるが、今日はその誘いを断ろうとした深夜だったのだが。
【深夜の断りを聞くと、灯里の瞳から光が消えうせ、俯きながらも精一杯取り繕った笑みを浮かべた彼女はゆっくりと身を翻して深夜の元を去っていった】
そんな未来が視えてしまい、口に出かかった言葉は咽喉でつっかえて止まった。
ではどんな言葉を選ぶべきなのか、と脳内で模索していると、突然、深夜の肩に大きな手が置かれた。
「いいから行って来いよ。例の件は俺が代わりにやっといてやるからさ」
「わ、和道?」
視界の外から聞こえた声に振り向くと、和道はやれやれといった様子を隠そうともせずにそこにいた。
「例の件? もしかして、神崎くん忙しかったのかな?」
もちろん、灯里も突然現れた和道の言葉を疑問に思ったらしく、確認するように問いかける。
だが、そもそも深夜は和道には魔導書のことも捜査のことも伝えていない。
「ああ、ちょっと調べものがあってな。だけど俺一人でも十分だから気にすんな」
「あ、ちょっと、和道!」
だというのに、和道は口から出まかせでその場をまとめると、トンと深夜の背中を押して最後に深夜に耳打ちするような声で
「適材適所ってヤツだよ」
とだけ残して深夜の反論も許さずに教室から去っていった。
――何のつもりだよ、アイツ……――
深夜は和道の出ていった扉をしばらく見つめて彼の真意を色々と考えてみたが、さっぱり思い当たるところがない。
それどころか、どう足掻いても灯里の誘いを断れない流れになった現状に短く息を漏らし。
「ええと、その……悪いんだけど。お弁当、ご馳走になってもいいかな?」
左眼を手で覆い隠し、少し恥ずかしそうにその流れに身を任せることにした。