第十二話 教えて雪代先生
「つまり、黒陽高校の誰かが魔導書のUSBメモリをばら撒いて、生徒を悪魔憑きにしている、と」
「その可能性が一番高いでしょうね」
朝の準備を終え、今日も朝食作りには失敗した深夜。
彼は学校への道すがら、彼女が新たに手に入れたという情報を整理していた。
「現代じゃ、黒魔術の魔導書まで電子書籍になるんだね」
魔導書といえば、皮の装丁で両手に持つほどの大きな羊皮紙造りの本、というイメージが強い。
オカルトに興味がない深夜でも流石に、市販品のUSBメモリで複製された魔導書、というのはロマンが有るんだか無いんだかわからない複雑な気分になる。
「そのデータをネットで拾った、って可能性はないの?」
「そう簡単に一般人の目に入らないよう、インターネットは表も裏も協会が目を行き届かせています。それに万が一取りこぼしていたとしたら、事態は霧泉市、黒陽高校だけでは済んでいるはずがありません」
「それもそうか」
インターネットはその気になれば、誰でも情報を手に入れられる。
それは大きな利点だが、同時にコソコソと秘密のやり取りをするには適していないという意味でもある。
技術が発展すればするほど、アナログな手段の方が機密保持には有用だ。などと、情報系の授業で教師が熱弁していたことを深夜は思い出す。
「……ところでさ」
「はい。なんでしょう」
雪代は無邪気な表情で首を傾げる。
「隣に並んで歩くの、やめてくれない?」
「どうしてですか。離れて歩いたら話しづらいじゃないですか」
「目立つからだよ……」
昨日に引き続き、雪代は深夜のピッタリ真横に陣取っていた。
学校に近づくほど、深夜達の周りには黒陽の制服を着た学生達の姿が増えていき、それに比例するように、深夜と雪代を遠巻きに見る視線も現在進行形で増え続けていた。
「せめて、その季節外れのコートはどうにかならない?」
「そう言われても困りますね。この服装はそもそも、わざと目立つためのものですから」
「なにそれ、俺への嫌がらせ?」
「違いますよ! 悪魔憑きを探すために必要なんです」
雪代は自らが着ている黒いロングコートを指さして弁明を始める。
「悪魔憑きと言っても、そのほとんどは偶発的に悪魔について知っただけの一般人です。そんな彼らが私のような不審者を見かければ、当然警戒するでしょう?」
「まあ、確かに。悪魔憑きだってバレたくないなら尚更だろうね」
事情はどうあれ、後ろめたいことをしている。という自覚があるのなら、見るからに怪しい相手にはできれば近づきたくない、という気持ちはよくわかる。
「その表情の変化や態度、それらは悪魔憑きを探す時の大きなヒントになります。だから、私達悪魔祓いは統一された服装をしているんですよ」
「なるほどね」
つまり雪代の着ている黒コートは悪魔祓いとしての制服であると同時に、隠れている悪魔憑きに対する威圧でもある、ということか。
「でもさ、それって相手が悪魔祓いの存在を知らなかったら意味ないよね?」
なにも知らなければ驚きもせず、警戒もしない。
「気休め程度でもないよりはマシです。私達人間が悪魔憑きを探すのは、それだけ困難なことですから。
悪魔憑き同士……というか、悪魔は他の悪魔の魔力を感知して、一般人か悪魔憑きかを見分けられるらしいですが……」
「へぇ……なんていうか思った以上に大変そうだね、悪魔祓いってやつも」
「自分で選んだ仕事なので、泣き言は言ってられませんがね」
とにもかくにも、雪代が目立つのは意図的なものだと言われてしまえば、深夜には反論の余地がない。
ならばいっそとばかりに、深夜は学校に着くまでの時間を使い、雪代について詳しく話を聞くことにした。
「そういえば、雪代はなんでそんな変な仕事をしてるの?」
「変ですか? 悪魔祓いって」
「変だよ」
そもそも職業として成立しているのかどうかも怪しい。
「理由はつまらない話です。両親が悪魔に殺されて、身寄りがなくなった私は協会に保護され命を助けられた。それだけですよ」
「つまり、復讐が動機ってこと?」
「いいえ、復讐というのは少し語弊がありますね。私の両親は悪魔憑きに殺されたわけではないので」
雪代は自身の身の上話だというのに、あっけからんとした態度で話を続ける。
「悪魔と契約して異能を手に入れた人間が悪魔憑きなんでしょ? それなのに悪魔に殺されたってどういう意味?」
「そういえば、この話はまだしていませんでしたね。一口に悪魔憑きと言っても種類……と言うより段階があるんです」
「段階?」
「悪魔との契約は儀式の精度や、悪魔と契約者の相性によって四つの召喚深度に分類されます。
その場限り、一度だけ力を借りて儀式が終われば悪魔は地獄へと還るフェイズ1『交信』
悪魔の魔力を無機物に注ぎ込み、異能だけを一時的に使えるようになるフェイズ2『貸与』といった感じですね」
「魔力を無機物に?」
「異能が使える道具を生み出すんです。いわゆる魔道具、マジックアイテムとも呼ばれる代物ですね」
「惚れ薬、とか?」
特別な力を持つ道具として、ぱっと思いついたものを口に出してみると、雪代は出来のよい生徒を褒めるように満足そうな表情を浮かべる。
「それは、実際に悪魔犯罪で使われる代表的なものですね。空を飛ぶ絨毯とか、刺されるだけで死ぬ呪いの針とか。道具の種類や異能の内容は、契約する悪魔によって千差万別ですが」
「さらっと物騒なことを……」
どれも内容だけなら童話に出てきそうな内容だが、現実で針に刺された程度で死ぬなど、想像するだけでも恐ろしい。
「でも、相模はなんか道具とかを使っているようには見えなかったけど」
「そうですね。相模さんはそのさらに上位、次に説明するフェイズ3に当たる悪魔憑きだったのでしょう」
「フェイズ3ってのは?」
「フェイズ3は『憑依』。読んで字の通り、悪魔の魂をそのまま自らの体内に宿すこと。この状態の悪魔憑きは、その身一つで自由に異能を使えるようになります。
私達悪魔祓いが追うのは、だいたいフェイズ2かフェイズ3です。割合としては八対二と言ったところでしょうか。そして、フェイズ4は――」
雪代は一瞬の溜めを置いて、その言葉を吐き出す。
「『実体化』質量を持つほどの超高密度の魔力によって作られた疑似肉体を持って、悪魔がこの世界に一個人として現界すること。それが悪魔召喚の第四段階です」
「実体化……」
「といっても、実体化した悪魔が現れるということは、まずありえないんですけどね」
「なんで?」
「単純な理由です。召喚できないんですよ」
「召喚できない? でも、わざわざ四段階っていうくらいなんだし、存在はするんじゃないの?」
説明を聞いている限り、協会は実体化した悪魔とやらを自分達が規定した分類に組み込んでいる。
彼女の言う通り、本当に誰にも召喚できないのなら、そんな分類はそれこそ最初から作る必要がない。
「それはあくまでも、魔術結社と呼ばれる黒魔術師達の大規模な組織が存在した時代の話です。組織的に悪魔召喚をするための大掛かりな儀式を行い、その代償を何百人もの人間で分割してようやく、一体の悪魔を召喚できたそうです」
「代償の割り勘払い、って感じか」
「現代風に言うとそうなりますかね」
雪代は深夜の俗な例えが気に入ったのか、口元を押さえて笑う。
「悪魔の求める代償は悪魔ごとに異なります。血液、肉、視力や聴力、あるいは記憶など形の有無も問いません。
ただ、人間を構成する何らかの要素、という共通点があると言われています」
「人間を構成している要素……か」
「悪魔をこちらの世界に召喚する際には、膨大な代償が必要となります。第三段階である魂だけの召喚ですら、代償を奪われすぎて命を落としてしまう人間がいるくらいです。
それが実体化ともなれば、人ひとりが持っている分では到底足りないでしょうね。まず命を落とすか、廃人行きです」
例えば、血液を代償に奪う悪魔がいたとして。
単純に人間一人が体内に持ち得る総量以上、いや全体の三割でも『代償』として奪われれば、当然その時点でその召喚者は死ぬ。
雪代の言う召喚できない、というのはつまりそういうことなのだろう。
「悪魔一体の肉体を形作るに足る魔力。そんなものは人間一人や二人の命でも足りないんですよ。そういうわけなので、私自身も実体化した悪魔を見たことがない……というか聞いたことすらありません」
昨日のやりとりと合わせて何となくわかってきたことだが、雪代はどうもおしゃべりが好きらしい。
それも深夜に何かを説明している時は、ひと際自信に満ちた楽しそうな表情になる。
おそらく深夜に出会うまで、こんなふうに自分の専門分野について話ができる相手など一人もいなかったのだろう。
「なるほどね。で、悪魔についてはだいぶわかったけど。それが雪代の家族の話とどう関係するの?」
「ああ……そういえば、そういう話でしたね。私の両親はその『悪魔召喚の代償』で命を落としたんです」
また、さらりと何でもないことのように雪代はそう言った。