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いつか神を殺すまで  作者: 宮浦 玖
第六章 「三者三様の三日間」
142/173

幕間【●●】 三日目→三日後

 かつて、宮下栞里という少女がいた。

 宮下灯里は彼女をこう形容する。


――お姉ちゃんは天才だった。だけど……――


 ◆


 その日、日付も変わった後の夜更けに灯里はなんとなく目が覚めた。


「……寝付けない」


 明日も朝から学校がある。

 早く寝るべきなのだが目が完全に冴えてしまっているらしく、もぞもぞとベッドの上で寝がえりを打ってもイマイチおさまりが悪い。

 しかたなく、気分転換でもと思って自室から抜け出すと、向かい側にある栞里の部屋のドアが少しだけ開いていて、そこから光とカタカタという微かな音が漏れ出ていた。


「お姉ちゃん?」


 こんな夜更けになにをしているんだろう。

 そんな興味にかられた灯里は不躾だとわかったうえで、半開きのドアをコンコンと優しくノックする。

 しかし反応はない。

 もしかしたら、ただの電気の消し忘れかもと思った灯里は、申し訳程度の配慮として声をかけながら扉を開けた。


「お姉ちゃん。入るよー」


 そして、電子ピアノに繋がったヘッドホンを付けた姉と目が合った。


「ゴメン灯里ちゃん! 音漏れてた?」

「ううん。大丈夫、たまたま目が覚めただけで」


 慌ててヘッドホンを外し、音漏れを確認する栞里にその心配はないと告げる。

 ピアノの音漏れどころか、打鍵音も廊下に出るまでは気づかなかったくらいだ。


「こんな遅くまで練習?」

「……うわっ! もう日付変わってる!」


 どうやらかなり没頭していたらしく、灯里に指摘されてはじめて栞里は現在時刻にきづいたようだ。


「ねえ、灯里ちゃん。ちょっと気分転換にお話し付き合ってよ」

「……いいけど」


 どうせ灯里も寝付けなかったから、ちょうどいい。

 ついでとばかりに姉妹揃ってキッチンを物色すると、都合よくノンカフェインのハーブティーとクッキーがみつかり、二人はマグカップと小皿を持ち帰って真夜中のお茶会を開催することにした。


「東京のコンクール……今週末だっけ」

「うん。もう目の前なのに、練習してもしたりない気分なんだよねぇ」

「お姉ちゃんも流石に大舞台だと緊張するんだ」


 灯里の記憶している限りでは、こんなに根を詰めて練習する姉の姿ははじめてだった。

 家で自主練習をすること自体は珍しくないが、なんというか普段はもっと肩の力を抜いて、気軽にしていたような気がする。


「今回は特別。カッコ悪いところ見せたくない人が聞きに来てくれるから」

「ふーん……恋人?」

「ごほっ! げほげほっ。いきなり変なこと言わないでよ灯里ちゃん!」

「しー! お母さん達起きちゃうよ」


 ハーブティーが変なところに入ったのか、咳き込む姉の背中をさすりつつ声を潜めるように注意する。


「それで、恋人?」

「……違うよ。友達」


 栞里は『友達』という言葉で妹からのの詰問を否定するが、その声にはどこか憎らしさと悔しさのような感情も多分にめられていた。


「じゃあ、去年のバレンタインでチョコクッキー渡した人かな」

「なんでわかるの!? ……うん、あたし一回も灯里ちゃんに言ってないよ」


 栞里はわざわざ過去の記憶全てを思い起こして確認したらしいが、たとえ言葉にしていなくともわかる理由が灯里にはあった。


「流石に、バレンタイン前日に泣きながらクッキー作ってるの見たら察するよ」


 何度も失敗したのだろう。大量の焦げたり割れたクッキーを伴い、灯里に「手伝って」と泣きついて来たのは灯里にとって前代未聞の衝撃だったのだ。


「お姉ちゃんの好きな人か……それってどんな人?」

「灯里ちゃん、楽しんでる?」

「うん、すっごく」


 少女漫画趣味の灯里にとって、他人の恋愛話などどれだけ聞いても飽きない最高の娯楽だ。

 ましてや、神童とまでもてはやされた姉のお眼鏡に叶った人間とくれば、気にならないはずがない。


「どんな人か……普段はのんびりしてて眠そうな顔が可愛い」

「可愛い系の人なんだ」

「でも、目がすっごく綺麗で、寝起きとか目を細めてる時がすっごくカッコいい」

「うーん……一気にイメージが曖昧になった……」


 どんな個性的な特徴が出てくるのかと期待していた灯里だったが、少し拍子抜けしてしまった。

 なんというか、同年代の友達の惚気とそれほど大差がない気がする。


「そうだなぁ……犬っぽいかも。ぐでーっとソファで寝てるような雪国出身の大型犬」

「犬系男子……だめだ、ぜんぜんわかんない。お姉ちゃん、スマホに写真とかないの?」

「ダメ、あるけど見せない! 見せたら灯里ちゃんに盗られるもん」

「お姉ちゃんベタ惚れじゃん……」


 スマホを隠すように抱き、実の妹を警戒する姉の姿に灯里は呆れた声を出してしまう。

 恋とは天才からすらも冷静な判断力を奪っていくのか。


「お姉ちゃんより私を選ぶようなら、その人は本気で見る目ないと思うよ」

「…………」


 だが、当の栞里は灯里の主張が納得できないらしく、無言で睨みつけてくる。


「……っていうか、そういう灯里ちゃんにはいないの?」

「なにが?」

「好きな人とか、気になる人」

「んー、いないかな」


 恋バナは好きだが今の灯里はもっぱら聞く専門。

 友達の彼氏自慢を「いいなぁ」と思うことはあっても、それが灯里の好みに直結しているというわけでもない。


「じゃあ予言する。灯里ちゃんも好きな人出来たら私と同じようになるから」

「えぇ……」


 恐ろしい予言だ。

 だけど、本当に自分もいずれは泣き言を漏らしたり、顔を真っ赤にして支離滅裂なことを言うようになるのだろうか。


「その時はちゃんと教えてね。灯里ちゃんに相応しいかお姉ちゃんが見極めてあげるから」


 ◆


 けれど結局、姉妹の恋バナはその日が最初で最後になった。

 栞里はその翌年の冬、生まれつきの心臓病が悪化し永久の眠りについた。


 病状の悪化、再度の入院、そして通夜、葬儀。

 全てがあっという間すぎて、灯里は心の整理をつける暇すら与えられず。姉の葬儀から毎日、学校もサボって朝から日が暮れるまで姉の墓の前に座り込むようになった。


「……宮下……さん?」


 そんな日々を一週間ほど過ごした日のこと。

 はじめて、家族以外の人物が栞里の墓を訪れた。

 誰かに声をかけられるとは思っていなかった灯里は、ノロノロと重い頭を持ち上げその声の主に目を向ける。


「神崎……くん?」


 灯里のクラスメイトである彼がなぜここに、とは考えつかず、灯里の心に一つの確信が宿った。


「……神崎くんがお姉ちゃんの恋人?」


 その問いかけを受けて少年は奥歯を噛み締めた。ように見えた。


「違うよ。友達」

「……そっか」


 灯里はそれだけ言うと、気だるそうに体を動かして深夜に墓前を譲る。

 深夜もまた、何も言わずに屈んで手を合わせる。


「……神崎くん、聞いてもいい?」

「なにを?」

「お姉ちゃんのこと」

「宮下……さんのほうが詳しいと思うけど」


 その頼みが深夜を傷つけることになるかもしれない、灯里はそれを十分理解していた。

 だけど、今この瞬間を逃したら二度と次の機会は訪れない。そんな気がしたのだ。


「どんなことをして過ごしたのかとか、どんな話をしたのかとか、そういうことを教えて欲しいの」

「……わかった。けど、その代わり俺にも教えて。家族と一緒にいる時の栞里のことを」


 深夜の語る『栞里』は落ち着きのある大人びた性格で、小説や過去の偉人の言葉をよく引用し、サンドイッチが好物だったらしい。


 それは、笑ってしまいそうになるほど、灯里の知っている姉と違っていた。


 灯里の知る『お姉ちゃん』は中学生になるまで一人で眠れないほど寂しがり屋で、読書家ではあったけど漫画も同じくらい読んでて、野菜嫌いの偏食家だった。


「なんだよそれ……嫌いならちゃんと嫌いって言えばよかったのに……」

「お姉ちゃん、神崎くんの前では格好つけたかったんだね」


 一応、姉の名誉のためにも、ホラー映画を見て帰って来た日に『一緒に寝て』と灯里に泣きついてきたエピソードは胸に秘めておくことにした。


「わかってたら。もっと別のことしたし、別のもの食べに行ったのにさ」


 深夜は思い出を噛み締めるように、言葉を漏らす。


「……神崎くんは、お姉ちゃんのこと好きだった?」


 深夜は空を見上げ、しばらく無言で考え込んだ末に「わからない」と答えた。


「尊敬してた。恩もあった。一緒にいて楽しかったし、今だって後悔がたくさんある……けど、それが女の子への好きなのか。わからないんだよね」

「……お姉ちゃんは、神崎くんのこと、男の子として好きだった……と思うよ」

「うん……最後に会った時にそう言われた」

「そうなんだ」


 姉は最後の最後で思いを言葉にできたらしい。

 その良し悪しも姉の心情も灯里にはわからないが、灯里はどこかほっとしている自分がいることを自覚していた。


「さて……と。じゃあ俺は帰るよ」


 そう言って深夜は立ち上がり、軽く伸びをした。


「あ、そうそう。さっき話した俺の眼のこと、他の人には内緒にしてくれると助かる」


 深夜はそういって、自らの左眼を指し示す。

 栞里の話を聞く流れで、灯里は結果的に彼の持つ異能についても聞かされていたからだ。


「そういえば、左眼の眼帯、外したんだ?」

「あー、うん。栞里に無いほうがいいって言われたから」


 まだ慣れないのか深夜は前髪をいじって左眼を覆い隠そうとする。

 そんな前髪の隙間から、栞里が「綺麗」だと言っていた瞳が微かにかいま見えた。


「私も、そのほうがいいと思うな」

「姉妹揃ってそういうなら……まあ、そのうち慣れるか」


 深夜は短く息を吐き、前髪から手を離す。

 どうやら諦めがついたらしい。


「じゃあね、宮下……さん。学校あんまり休み過ぎると後で大変だよ」

「あ、あと!」


 最後にこれも今言わなければ一生言えないと思い、灯里は自分でも驚くくらい大きな声で去ろうとする深夜を呼び止めた。


「まだなにかあるの?」

「その……無理して「さん」付けで呼ばなくてもいいよ」


 深夜が「宮下」と呼ぶ後に毎度毎度、思い出したようにあとから「さん」付けにしていたのが灯里はずっと気になっていた。

 なにしろ、栞里も灯里も同じ『宮下』なのだ。

 ずっと栞里を呼び捨てにしていた深夜からすれば「宮下さん」という呼び方自体にどこか違和感があるのだろう。


「お姉ちゃんと同じように呼んでくれていいよ」

「……本当に?」

「うん。全然気にしないから」


 深夜は困惑と少しばかりの羞恥を表情に出しつつ、コホンと咳払いで一呼吸置き。


「わかったよ。……じゃあね、灯里」


 灯里の名を、言われた通り『栞里と同じように』呼び捨てにした。


「…………」


――あ、そっか。この言い方だとそうなるじゃん。バカ。バカバカバカバカ――


 深夜はその言葉を最後に今度こそその場を立ち去り、幸いにも灯里の呆けた間抜け面を見られることはなかった。


「バカバカバカバカ。私のバカ」


 灯里は自らの顔を両手で覆い隠す。

 手のひらが火傷しそうなほど熱いのはきっと、冬の外気との温度差のせいだ。

 灯里はそう自分に言い聞かせる。


「……深夜……くん」


 試しに口に出してみて、手のひらに伝わる熱がさらに高まったのも寒さのせいだ。


 ◆


 かつて、宮下栞里という少女がいた。

 宮下灯里は彼女をこう形容する。


――お姉ちゃんは天才だった。

 だけど、本当のところは甘えん坊で、不器用なただの恋する少女で……



 私の、最大の恋敵だ――





  幕間 【恋敵】 三日目→三日後

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