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いつか神を殺すまで  作者: 宮浦 玖
第一章 「15秒と破壊者」
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幕間 二 姉と妹


『今日、一足先に一輪だけムギワラギクが開花してた。随分とあわてんぼうな子みたい。もう少ししたら、他の子達も咲くだろうし、綺麗に咲いたら彼くんと一緒にみたいかも。その時はお弁当を作ってあげたり、なんて』


「灯里ー、何やってんの?」

「ひゃあぁあ!!」


 習慣化しているSNSへの妄想書き込み。その最中に背後から声を掛けられた灯里は絶叫しながら、スマホを勉強机の上に伏せてその画面を隠す。

 両親は今晩も帰りが遅く、今は不在なので大きな声を挙げても文句を言われる心配はない。


「ら、ラウムさん! いきなり声かけないでくださいよ!」


 走ったわけでもないのにバクバクと暴れる心臓の音を全身で感じながら、真後ろ数センチから声をかけてきた自称悪魔に抗議の声をぶつける。

 しかし、彼女は一切悪びれた様子を見せず、むしろウェーブのかかった毛先をクルクルと弄びながら、不服そうに頬を膨らませている。


「えー。ラウムちゃん、何回か声かけたけど、灯里ってば死んだ魚みたいな目でずっとスマホ見てるんだもん。あ、この漫画の十三巻が見つからないんだけど、どこにあるの?」

「その漫画は十二巻が最新で、十三巻は今週末に発売です。……っていうか、私、そんな目をしてました?」

「目は死んでるのに口はフヘヘヘって感じで笑ってて、割とホラーだったよ」


 今までは人前でSNS更新をしてこなかったので気がつかなかったが、妄想中の自分はどうやらかなり酷い顔をしているらしい。


「んー、無いなら仕方ないか。次はどれ読もうかなぁ」


 少女漫画が収まった棚の前で腕を組んで唸って考えているラウムは、とても昨夜から匿われている身とは思えないほど、この部屋に馴染み切っている。


「ラウムさん、もうすっかり元気そうですね」


 昨日のボロボロのサマーセーターから、若干丈が足りていない灯里のパジャマに着替えた彼女は、もはやゴミ捨て場での弱々しさが嘘のようにシャキッとしている。

 唯一の負傷の名残は顔の左半分を覆い隠すように巻かれた包帯くらい。

 肢に細かく刻まれていた裂傷は全て消え去り、ショートパンツから見える素足は傷一つない白い肌を晒していた。


「ま、ラウムちゃんは悪魔だからね。言ったでしょ? 放っておいても大丈夫だって」

「悪魔……」

「おやおや? もしかして信じてない?」


 彼女は昨夜も自らをそう名乗っていたし、傷の治り方から見ても普通の人間ではないことはわかる。

 だが同時に、どう見ても同年代の少女の姿をした彼女と、今まで灯里が抱いていた恐ろしげな悪魔のイメージがどうしても繋がらなかった。


「なんていうか、ラウムさん、悪い人には見えませんから」

「クッククク。灯里ってば人を見る目ないなぁ。悪い男に騙されちゃいそうでラウムちゃん心配だよ」


 ラウムは笑って答えながら、スッと本棚から次の一冊を引き抜く。

 どうやら次に読む漫画は、ファンタジー要素のある恋愛ものに決まったらしい。


「じゃあ。ラウムさんは悪い人なんですか?」

「ん? ラウムちゃんは正義の悪魔だよ! きゃるん☆」


 『正義の悪魔』とは随分と矛盾を孕んだ言葉だが、のんきに決めポーズを取っているラウムは、やはりイメージしていたような『人間を地獄に引きずり込む極悪な存在』とは一致しない。


「とはいっても、私達はただの道具みたいなものだからね。善いとか悪いとかは、その時々の契約者次第だけど」

「道具って……ラウムさんは動いて、しゃべってますよね」

「動いたり、喋ったりする道具ならこの家にもあるじゃん? ほら、あのフリスビーみたいなヤツ」


 ラウムが言っているのが、この家にあるロボット掃除機のことだというのはすぐにわかったが、やはり灯里には彼女とハイテク家電を一緒にすることは受け入れられない。


「代償さえくれるなら、善い願いも、悪い願いも関係なく叶えるための道具。それが悪魔なの」

「願いを叶える道具……」


 ラウムの言葉をオウム返しで呟き、灯里は自らの胸の内から仄暗ほのぐらい感情が湧き上がってくるのを感じる。


「あーでも。昨日私を殺そうとしてきたのは私と違って悪い悪魔だから、灯里も気を付けて……」

「じゃあ……」


――ダメだ。それは……――


 頭の中で理性が叫ぶ。それを口にしてはいけない、と。

 しかし、灯里の胸の内にずっと潜んでいたその願いは、ゴポゴポと泥が沸き立つように吹き出し続け、その理性すらどす黒い汚泥の中に絡めとって沈めていった。


「死んだ人を生き返らせたりも……できるんですか?」


 灯里は自らの瞳が見開かれていることに気づかないまま、ぐっと、膝の上に置いていた手を強く握りしめる。


「ごめん。ラウムちゃんはそういうの無理なんだよね」

「…………そうですか……」


 落胆と安堵、どちらともいえない息が灯里の口かられる。


「他の悪魔ならそういうことができるヤツもいるかもだけど……私の得意分野はモノを壊すことと……恋愛相談くらいだね」


 そんな灯里の様子を知ってか知らずか、ラウムは先ほどまでとまったく変わらない様子で手元の少女漫画の表紙を見せ、あっけからんとした態度で答える。


「れ、恋愛相談、ですか?」


 いきなり年頃の女の子のような話題を振られ、灯里は呆気に取られて困惑の声を上げる。

 その表情に先ほどまでの陰はもう残っていない。


「うん! 灯里、彼氏くんにお弁当作るんでしょう?」

「ちょ、ちょっと待って! なんでそれを!」


 もちろんそんな予定はない。アレはあくまで妄想であり、その妄想も声には出していなかったはずだ。

 それをなぜ、ラウムが知っているのか。


「ラウムちゃん、お目目がすっごくいいんだよね。きらりん」


 ラウムは包帯で隠されていない右目を得意げに指さす。つまり、先ほどスマホで書き込んでいた妄言はバッチリ見られていたということだ。


「いやぁ、いいねぇ! 青春だねぇ! ラウムちゃんそういうの大好き!」

「あ、あのアレは、そういうのではなくて! 色々と事情が!」

「ラウムちゃん的にも、灯里にはおっきい恩があるわけだし。契約主義な悪魔としてはきっちり恩返しをしておかないとね。この恋のキューピッドのラウムちゃんにお任せなさい!」


 にししっと笑って弓矢を引くジェスチャーをするラウム。


 悪魔がキューピットを名乗るのか、とツッコミを入れる精神的余裕すらなく、灯里は顔が青ざめたり、羞恥で真っ赤に染めたりしている。

 今日は両親の帰りが遅い日でよかったという思いだけが、彼女の胸中を占めていた。


 ◇


「本当に、作ってしまった……」


 キッチンに立つ灯里の目の前には、二人分のお弁当。

 それも一目で「時間をかけました」とわかるほどに品目も多く、手の込んだ料理が詰め込まれている。

 結論から言うと、灯里には自分に都合のいい妄想をネットに書き連ねる趣味があることを暴露する勇気はなかった。


 あれよあれよとあおられ、押され、気が付いた時にはお弁当は完成していた。

 唯一できた抵抗といえば、桜でんぶでハートも作ろう、というラウムの提案を全力で退けることくらいだった。


「どうしよう、コレ……」


 試しに、深夜にこのお弁当を手渡す自分を想像しようとしてみるが、浮かんでくるのは妄想の世界にだけ存在する理想の自分。

 彼女が愛嬌あいきょうたっぷりに深夜を昼食に誘っている姿。


「そう簡単にいったら何の苦労もないんだよ!」


 自分の妄想に文句を言うことほど虚しいことはない。

 ちなみにラウムは弁当の完成を見届けると、さっさと漫画の続きを読みに灯里の寝室に戻っていった。

 なので、灯里の叫びは虚しくリビングに響き、それを聞いているのは充電中のロボット掃除機だけだ。


「とりあえず、巾着袋か何かに入れないと……」


 ウジウジしていても仕方がないし、何より作ったからには食べ物を無駄にするのは性格的にできない。

 弁当箱は父が以前使っていた古いものを使ったが、キッチンの戸棚を探してもこのお弁当を入れられるような袋は見つからなかった。

 とりあえず、渡すか渡さないかは一旦置いておくとしても、ここまでやってスーパーのビニール袋で梱包するのは片手落ちが過ぎる。


「あそこにある、かな……」


 灯里は一瞬だけリビングの仏壇を一瞥いちべつしてから、流れるように視線を廊下の奥、自身の部屋の向かいにある扉に向けた。


 キッチンから廊下に移動し、『栞里の部屋』と書かれたプレートの掛かった扉を静かに開けて、そっと自らの身を滑り込ませる。

 音が立たないように気を付けて扉を閉めた理由は、自分でもよくわからなかった。


――確か、お姉ちゃんが使っていたやつが……――


 かつて姉が使っていたその部屋は、ベッドや机、本棚などの家具は基本的にそのままにして保たれている一方、日用品などの細々した遺品の多くは段ボールに詰められ、部屋の中央にまとめて積み上げられている。


 部屋の照明はわざとつけず、『雑貨品』とマジックペンで書かれた段ボールの一つを開けてその中を探ると、目的の品はあっさりと見つかった。

 『ラムペンくん』というモコモコの羊毛を纏った、デフォルメ調のペンギンのようなキャラクターがプリントされた緑色の巾着袋。

 今、灯里が愛用しているものの色違いだ。


「あっ……」


 そして、その巾着袋を取り出したことで、段ボールの奥から大量の楽譜が挟まれたクリアファイルがその顔を覗かせた。

 灯里はそれをゆっくりと持ち上げて胸に抱き、この部屋に入ってからずっと俯いていた視線をゆっくりと上に向けた。


――やっぱり、この部屋に入るのはキツイな……――


 そうすることで、壁面のいたるところに飾られた賞状の入った額縁や、棚の上に乱立するトロフィー達が嫌でも灯里の目に入ってくる。

 そして、それらは再び灯里の胸中に貯まっている汚泥を膨らませた。


「お姉ちゃん……」


 灯里の三歳年上の姉、宮下栞里という少女は一種の天才と呼ぶべき存在だった。

 灯里は、彼女が生前に一度だけ言っていた『一度見聞きしたこと忘れる方がおかしい』という言葉を今も鮮明に覚えている。

 勉学は当然として様々な分野において、他の追随を許さない絵にかいたような神童。

 そんな姉が特に関心を寄せたのがピアノだった。

 この部屋に飾られているのも全て、ピアノコンクールで残した結果であり、それらは灯里の部屋には一つたりとも存在しない、華々しい才能の証明でもあった。


「…………」


 典型的な『優秀な姉』と『不出来な妹』

 それが宮下姉妹の関係性だった。

 とはいっても、姉妹仲が悪かったわけでは決してなく。むしろ灯里はそんな姉を素直に尊敬していたし、姉も灯里の前で偉ぶったりすることもなく甘えていた。

 だが、そんな姉は生まれ持った心臓の病によって、昨年、齢十七にしてこの世を去った。


――慣れたと、思ってたんだけどな……――


 灯里はその場にへたり込むように膝をつき、ゾワゾワと怖気が走る胸を抑え込む。


「どうして……」


 今すぐこの胸を掻きむしって、その中に詰まっているであろう汚い感情を掻き出してしまいたい。

 だが、現実にはそんなことはできず、かつて無理やり抑え込んだ一つの言葉が、無意識に灯里の口をつく。


「どうして、お姉ちゃんの方だったんだろう」


 両親は決して「そんなこと」を口に出していない。それどころか、考えてすらいないだろう。

 誰も言っていない、思ってもいない。だからこそ、その言葉は他でもない、宮下灯里が自らに投げつけてしまった。



 私よりも、お姉ちゃんが生きていた方がよかったんじゃないか。



 それはたとえば、学校のテストで赤点を取った時。

 それはたとえば、事故に巻き込まれた友人になんと言葉をかければいいのか、わからなくなった時。

 それはたとえば、自分が意中の少年の隣を並んで歩く未来を想像した時に、心の奥のうみから泡のように浮き上がって弾けるのだ。


 ここにいるのが、自分ではなく姉だったら、と。


 照明のついていない薄暗い部屋の中で、灯里は全身が金縛りにでもあったかのように、ペタリと座り込んで俯き続ける。


 そんな彼女の思考を現実に引き戻すかのように、スカートのポケットに入れていたスマホが鳴った。

 現代の若者の性という奴だろうか、ほとんど条件反射のように体が勝手にポケットからスマホを取り出し、通話を始める。


「……はい。もしもし」

「ああ、灯里? ゴメン、今日はちょっと泊まり込みで仕事になりそう。戸締りちゃんとしておいてね」

「うん、わかった」


 電話の相手は母で、会話の内容自体は特段珍しいものではない。

 姉の死後、両親はその欠落を見て見ぬふりをするように、仕事の時間を多くとるようになった。

 つまるところ、宮下家は誰一人として一年経った今でも、家族の死を受け入れきれていないのだ。


 最低限の会話を終えて、また体が勝手に動いてスマホをポケットに押し込もうとした時、ポケットの中にあった何かにスマホが引っかかった。

 その引っかかりを確認するため、灯里の意識は自己嫌悪の汚泥の底から浮上した。

 ポケットから出てきたのは小さな消しゴムサイズの電子機器。


「コレ……先輩に貰った」


 今は意識不明の重体となり、入院しているらしい園芸部の先輩。

 ソレは彼女が連続襲撃事件に巻き込まれる直前に、温室棟で手渡されたものだった。


『これがあれば灯里ちゃんの願いも叶うって、絶対』


 彼女は酷く興奮した様子でそう言っていたことを今更になって思い出す。


「あっ……」


 どうして今まで彼女の言葉を忘れていたのだろうか、と灯里は自分の頭の出来の悪さが嫌になる。


『これはね……』


 灯里はポケットから取り出したUSBメモリをじっと見つめ、先輩から聞かされた言葉を復唱する。


「悪魔を呼ぶ、魔導書……」


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