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いつか神を殺すまで  作者: 宮浦 玖
第六章 「三者三様の三日間」
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幕間 【恩人】 二日目→三日目


 かつて、宮下栞里という少女がいた。

 神崎深夜は彼女をこう形容する。


「宮下栞里は大切な恩人である」と。


 深夜は物心がついた時から未来が視えた。

 だから、彼にとってはそれが当たり前のことで。


――どうして、みんなは失敗するってわかっていることをやるんだろう――


 はじめて公園で同年代の子供と遊んだ時、【怪我をする】のに「大丈夫だ」と言いながら、遊具で危ない遊び方をする彼らが不思議でしかたなかった。


 幼稚園で運動会が開かれた時、どうして両親が【大差で負ける】のに走る自分を「がんばれ」と応援するのかわからなかった。


 深夜が小学生になる少し前に、彼の両親は深夜の左眼が「普通ではない」ことに気づき、苦心の末にその左眼を眼帯で蓋をすることを決めた。

 そうすれば、みんなとみんなと同じ世界を見ることができるようになると、そう願って。


 だが、結論から言って両親のその些細な配慮は何の意味もなかった。

 だって、深夜はもう「未来」を知ってしまったのだから。


――どうして、みんなは何が起こるかわからないのに、笑っていられるんだろう――


 あらゆる悲劇、不都合、その可能性が一寸先にある世界。

 そんな世界を何の疑いもなく生きていける人々が、深夜には恐ろしく思えてしかたなかった。


――ああ、そうか。俺はみんなと同じ世界を生きていないんだ――


 幼い深夜はそんな結論を導き出した。

 『自分』と『それ以外』は同じ世界に生きているようで、全く別の世界を見ているのだと。


 そんな彼が生まれて初めて出会った『同類』が彼女、宮下栞里だった。



 霧泉市立図書館には『音楽室』がある。

 なぜ市の図書館に『音楽室』なんてものがあるのかというと、そのいわれは諸説ある。

 図書館改装に関わった市議会議員が部類の音楽好きだったから、とか。

 地元の学校の吹奏楽部が署名を集めて練習場所が欲しいと嘆願書を出したから、とか。


 もっとも深夜達にとって重要なのは「この音楽室は申請さえしてしまえば、誰でも貸し切りにできる」というところだったので、その真相については二人とも興味を向けたことすらない。


「深夜は、もっと友達を作るべきね」


 ピアノ用の椅子に座る宮下栞里は、少し遅れてやってきた深夜に向けていきなりこんなことを言った。


「またいきなり妙なことを……」


 その日はちょうど深夜は中学生に、三つ年上の栞里は高校生になって一月が経過した頃だった。

 深夜はピアノから少し離れた読書用の椅子に腰を下ろしながら、栞里の不躾な言葉に眉をひそめる。


「だって深夜ももう中学生になったっていうのに、私以外に友達いないでしょう?」

「そうだけど、別にいいじゃん」

「ダメ」


 小学校時代から教師に似たようなことを散々言われた深夜にとって、それはもはや食傷気味な忠告だ。


「なんで今更になって急に友達を作れなんて……」


 だが、今回は深夜の左眼の事情を知っている栞里がそんなことを言ってきたものだから、深夜は不思議半分、不機嫌半分で彼女の真意を問いただしたくなった。


「友達がいる方が何かと便利なのよ。困った時に助けてくれたり、寂しい時に話し相手になってくれたり」

「友達って、便利だからって作るものじゃないと思うけど……」


 友達の定義はコレと一口に言えるものではないが、少なくとも大なり小なりの好意があって初めて成立するものではないか、というのが深夜の考えだ。


「っていうか、そういう栞里こそ、俺以外に友達いるの?」


 栞里と出会ってからはや六年。深夜は彼女が自分以外の人間と遊んでいるところを見たことが一度もない。

 もっとも、彼女に友達がいないのもおおよそ深夜と同じような理由だ。

 深夜の『未来視の魔眼』のように、宮下栞里も特別な力が生まれつき備わっていた。

 彼女のそれは世間的には『瞬間記憶能力』と呼ばれるような代物で、栞里自身はその力を深夜の左眼になぞらえて『過去をいつでも見られる能力』と呼んでいた。


「私には深夜がいればそれでいいの」

「なんだよそれ、都合いいな……」


 深夜と栞里は同類だ。人とは違う能力を持ち、それ故に人のコミュニティに馴染めなかった存在。

 深夜には未来が視えない人の気持ちが理解できず。

 栞里には物事を忘れてしまう人の気持ちが理解できなかった。


「ねえ深夜。学校にはいないの? 友達になれそうな子とか、可愛い女の子とか」

「いないよ」

「ふーん。気になる子はいないんだ」


 栞里がこんな風に深夜の学校生活の話を聞き出そうとするのは珍しいことではなかった。だが、今日は妙にしつこいというか、落ち着きがない。

 今だって、自分から友達候補がいないのかと聞いておきながら、深夜に心当たりがないとわかると何故か安堵したような声を出している。


「じゃあ、深夜に一つ宿題を出します」

「宿題……?」


 栞里の妙に演技っぽい声色に、深夜は嫌な予感を感じずにはいられなかった。

 彼女がこういう言い回しをする時はいつも、妙な思いつきで深夜を振り回す時だったのだ。


「そう、中学校を卒業するまでに友達を作ること。それが私から深夜に出す宿題です」


 結局にそこに帰結するのか、と深夜は大きなため息を漏らす。


「いやだよ。面倒くさい」

「人数は……そうね、目標は三人」

「勝手に話を進めないでくれ……」


 即断即決で栞里の言葉を切り捨てるが、肝心の栞里は深夜の言葉に聞く耳を持ってくれない。


「じゃあ、卒業までにちゃんと友達を三人作ったら栞里お姉さんが深夜のお願いを何でも聞いてあげる」

「別にいいよ。叶えて欲しい願いとか特に思いつかないし」


 栞里はしなをつくって深夜に提案するが、深夜も深夜で意見を曲げる気がないのを理解すると、つまらないとばかりにぷいと視線を逸らした。


「まったく……わかった。じゃあ、深夜には代わりに私のお願いを叶えてもらおうかな」

「じゃあって、何も繋がってないから。なんでそうなるのさ……」

「嫌?」


 会話の脈絡が滅茶苦茶だ、と文句を言おうとした深夜だが栞里のねだるような上目遣いを受けて、今度は短いため息を漏らした。


「……聞くだけ聞いてあげる」


 深夜とて、別に栞里を困らせたいわけでも嫌がらせをしたいわけでもない。


「深夜ってば素直じゃないんだから」

「やっぱり聞くのやめようかな」


 ただ、実際に年下でもこんな風に子ども扱いされるから素直になれないだけだ。


「ゴメンゴメン! ええと……その……」

「?」

「来週の日曜日にね、ピアノのコンクールがあるの。それを深夜に聴きに来て欲しいんだ」

「そんなこと? いいよ」


 栞里が大人びた態度から一転して口ごもったものだから、いったいどんな無茶を言われるのかと身構えていた深夜だったが、彼女の『お願い』は非常にささやかなものだった。


「本当に! 今更やっぱりなしってダメだからね!」

「言わないよ。どうせ暇だし……けど、俺はピアノのことは何もわからないよ? それでもいいの?」

「うん、大丈夫」


 拍子抜けしてしまった深夜とは裏腹に、栞里はまるで一世一代の約束とばかりに息巻いて深夜の言質を取る。

 だが、深夜は先ほど本人が言ったようにピアノのイロハは何もわからない。そんな自分がピアノのコンクールに行っていいのか、という不安だけは微かに感じた。


「じゃあ、約束。破ったら、深夜のこと嫌いになっちゃうからね」


 だが、栞里の嬉しそうな顔を見ていると、そんな不安もあっさり霧散した。

 栞里が喜ぶなら、それでいいか。と。


 ◆


 そして、約束の日曜日はすぐにやってきた。

 会場が東京だとあとで聞かされた時は少し驚いたが、栞里の母の運転する車に乗せられ会場にたどり着いた。


「それじゃあ、行ってくるね深夜」

「うん、頑張って」


 会場に着いてすぐ、受付や衣装替えなどの準備があるらしい栞里と別れ、深夜は栞里の母と二人で観客席へと移動する。


「ええと……こういう場って、ルールとかマナーとかあるんですか?」


 観客席への道中、どこかおかしいところはないか自分の身だしなみを確認しつつ深夜は栞里の母に問いかける。

 彼女の見せた、顎に手を当て少し考えるそぶりは栞里によく似ていた。きっと、彼女は母親似なのだろう。


「そうね。スマホが鳴らないようにする、とか演奏中は静かに、とかそれくらいで大丈夫よ」

「わかりました」


 当たり前すぎるくらい当たり前のアドバイスを受け、深夜はコンサートホールに入っていった。

 栞里の出番が来るまでに何人かの演奏を先に聴いたが、聞き覚えがあるようなないようなとか、心地よいメロディだな、程度の浅い感想しか浮かばず、上手い下手はさっぱりだった。

 改めて、場違いなところに来てしまったなという思いが込み上げてくる。

 そして、ようやく栞里の出番がやってきた。


 黒いドレスに身を包んだ彼女が観客に向けて深く一礼すると、会場の空気が変わったような感じがした。

 元から静かだった会場が更にもう一段階深い静寂に包まれる中、ゆっくりと顔をあげた栞里と目が合ったような気がした。

 今まで深夜が見ていたものとは全く違う凛とした顔つき、優雅な所作で椅子に座り、ピアノと向き合う栞里。


 そして、彼女の指が鍵盤に触れ、演奏がはじまった。


 それはやっぱり「どこかで聞いたような気がする」曲で「聞いていて心地の良いメロディ」で、だけどなぜか今日これまで聞いていた演奏とは何かが違っていた。

 その違いがなんなのか言葉にできないまま、栞里の演奏は終わりを告げた。

 しかし、会場はまるで演奏が終わったことに気づいていないかのように、無音の時間が過ぎていき、栞里が演奏をはじめた時と同じように深く頭を下げてようやくまばらな拍手が起こった。


「……凄いんだな、栞里」


 きっと、ピアノの知識を持つ者ならわかる妙技や工夫があったのだろう。だが、深夜が言語化できたのは何とも浅はかなそんな感想だけ。

 その後も何人かの演奏を聴き、全ての演目が終わった。


 最後に告げられた結果では栞里は選外となってしまい、最優秀賞には栞里の一つ前に演奏していた人が選ばれていた。

 栞里が選ばれるものだとばかり思っていた深夜は、素人の自分にはやはりピアノの上手い下手はさっぱりわからないな、と思うしかなかった。


「残念だったね、栞里」

「そうだねー、負けちゃった」


 ホールのエントランスでドレス姿のままベンチに座る栞里は全く残念そうな雰囲気を見せずに結果を受け入れていた。


「それより、ねえ深夜。私の演奏、どうだった?」

「やっぱり、俺にはピアノのことはよくわからないよ。栞里が弾いていた曲の名前もわからなかったし」


 何も理解していない自分がアレコレ批評するのも失礼と思い、素直な胸の内を吐き出す。けれども栞里はそんな深夜に対して、くすりと口に手を当て笑いかけた。


「それでいいんだよ」

「それでいいって、なにが?」

「だって私はね、ピアノの技法とか、誰が作曲したとかそういう余計な理屈を褒めて欲しかったんじゃなくて、ただ、私の演奏を好きになってもらいたかっただけだから」

「……え?」


 深夜の言葉が詰まる。

 栞里の演奏を聴いていた時に、どうしても言葉にできなかった答えがそこにあった。


「どうしたの。深夜?」

「そっか……別にわからなくてもいいんんだ」


 あの演奏のどこが素晴らしかったのかとか、最優秀賞の人と何が違ったのかとか、深夜には何一つ理解できなかった。

 だが、それでも今日一番深夜の心に残ったのは、一番好きだったのは間違いなく栞里の弾いた一曲だった。


「『理解』できなくても『好き』にはなれるんだ」


 その言葉を呟いた瞬間、深夜の視界が一気に晴れ渡ったような感覚がした。

 彼の周囲に広がる「自分」と「それ以外」しかなかった世界が再構築されていく。


「……うん。今日聞いた中で栞里の演奏が一番好きだった」


 深夜は自分の中で遂に形になった言葉をまっすぐに伝える。

 栞里は一瞬息を詰まらせたように黙って俯き、噛みしめるような数秒の沈黙の後顔を勢いよく上げて笑顔を見せた。


「それなら、よかった」


『好きなもの』『大切なもの』


 自らの世界の中に新しく生まれたそんな名前の区切りの中に、深夜はこの瞬間の思い出を大切にしまいこむ。


 きっとこの日の出来事がなければ深夜は独りだっただろう。

 だから、神崎深夜にとって宮下栞里は大切な恩人なのだ。


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