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いつか神を殺すまで  作者: 宮浦 玖
第六章 「三者三様の三日間」
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第十四話 二日目 灯里⑥

 自分にかかる重力の向きが変わったのだと気づいたときには、灯里の体はふわりと浮き、自由落下の空気抵抗が突風のように彼女の髪をたなびかせていた。


――たしか、パリの凱旋門と十五階建てのマンションがちょうど同じ五十メートルくらい……なんだっけ――


 少し前に世界史の授業でそんな豆知識を聞いたことを灯里は思い出す。

 その時はいまいちピンとこなかったが、まさかこんな形で五十メートルの高さを実感することになるとは思っていなかった。

 だが、一つだけ、確実にわかったことがある。


――ああ……これ、助からないな――


 人間はこの高さから落下すれば、死ぬ。


「せめて、この子は!」


 そして、いくら猫と言えどもこの高さから落ちて無事着地できるとは思えない。

 灯里は九十度ズレた重力の世界の中、必死に猫をブランケットごと抱きしめる。

 これならば、灯里自身の体がクッションになり少しは激突の衝撃を和らげられるだろう。


「灯里!」


 ぎゅっと目を閉じ、全身をこわばらせてその瞬間が来る恐怖を忘れようとする灯里。

 その体を冷たい両手が受け止めた。


「せーーーふっ!!」


 自由落下途中だった灯里とブロック塀の間に飛び込んだラウムは、灯里の身体をお姫様抱っこの姿勢で受け止めると、両足でブロック塀に着地した。


 人間二人と猫一匹の落下の衝撃を受け止めたブロック塀は、爆発したような音と共に砕ける。

 灯里とラウムにとっては命からがら着地した形だが、傍目には跳び蹴りで壊したようにも見えたのだろうか。

 もっとも、当の本人達はそんなことを考える余裕などないのだが。

 重力の操作は解除され、二人と一匹は再び正常な重力に引かれアスファルトの上にその身を落とす。


「はぁはぁはぁ……焦ったぁ!」

「ラウ……ム……ありがとう」

「なーう」

「え? わ、あぁ!」


 命の危機から間一髪、という状況で感情の整理が追い付かず呆けていた灯里だったが、腕の中の猫が異能を解除したことでラウム共々アスファルトの上に落下することとなった。


「無事捕まえられたようだな、二人とも」

「あ、フェネクスさん」

「私一人ではどうすることもできんかったであろう。心より感謝する」


 そんな二人の元にパタパタとぬいぐるみの体を浮かせてフェネクスが追い付き、労いの言葉をかける。


「ちょ! フェネクス、公園でじっとしてろって言ったじゃん。ぬいぐるみが動き回ってるのを一般人に見られたらどうすんのよ!」

「ことは急を要するとおもったのだ、許せ。後のことは私に任せてもらおう」


 そうして、灯里に抱かれた猫に近づこうとするフェネクス。

 しかし、彼の丸い体が鷲掴みにされそれ以上灯里と猫に近づくことは妨げられた。


「何のつもりだ、ラウム」

「そりゃこっちのセリフ。あんた、まだ私達に説明してないこと、あるよね?」

「なんのことかな?」


 フェネクスの動きを遮ったラウムは脅迫するようにフェネクスの表面の生地に爪を突き立てる。


「しらばっくれんな。あんた、この猫を捕まえた後のこと、なんも説明してないでしょ」

「…………」

「まさか、そのかわいらしーぬいぐるみの姿で猫に首輪とリードを付ける。なんて言わないでしょ?」


 ラウムの脅迫を横で聞き、灯里も今更になっておかしさに気づく。

 ラウムの言う通り、今のフェネクスの姿は手が小さな羽になっているようなデフォルメされたぬいぐるみ。故に、彼は自分一人で猫を捕まえることが出来なかった。


 そんな状態の彼が、いざ灯里達の手を借りて猫を捕まえたところで、その後、どうやってこの異能猫を管理し続けるつもりなのか。


「あんた、この猫を殺す気でしょう?」

「え? 殺すって……」


 ラウムの言葉によって灯里の体がぎゅっとこわばる。

 そんなバカな、という思いでフェネクスを見るが彼はその言葉を否定しなかった。


「世の混乱を避けるため。それが、我が真なる契約者との契約だ」

「あんたの異能は『再生』生き物の肉体を過去の状態に逆行させる異能。そして、その代償は『寿命』。生かすも殺すもアンタの自由。異能を持つ猫の安全装置としては最適ね」


 猫が怪我をしたりすれば、フェネクスの異能でその傷を治すことが出来る。逆に、一般人の目に触れたり、異能を悪用しようとする人間の手に渡りそうになった時、代償を奪うことで猫を死に至らしめる。

 それこそがフェネクスに与えられた真の役割だったのだ。


「一つ訂正しよう、私の代償は寿命ではなく『生命力』魔力と対をなす、あらゆる生きとし生けるものが持つエネルギーだ。故に老い苦しんで死ぬわけではない。安らかに、眠るように肉体が生命活動を停止するだけだ」

「ダメですよ、そんなの!」


 フェネクスとラウムの問答に割っているように、灯里が叫ぶ。


「痛くなくても、苦しくなくても、死ぬなんて誰だって嫌に決まってます! 少なくともこの子は、死にたくなくて逃げ出したはずでしょう!」

「では、どうする? どれだけ言葉を尽くしたところで、人と獣の価値観が通じることはありえぬ。異能を使うな、普通の猫であれと強要することは誰にもできぬ」


 猫を殺すのは嫌だという灯里の主張を、フェネクスは真正面から反証し、その感情論を叩き潰す。


「人なら力を隠すことも理解できよう。仮に知られたとて、倫理がその者を守ることもあるだろう。だが、それは猫だ。人道の倫理、その外にあるものだ。

 断言しよう。大衆の目に触れれば、その猫の末路は実験動物の無惨な死だ。『人類発展の尊い礎』となってな」

「それは……」


 フェネクスの理屈を否定する言葉が灯里の中には見つからない。

 だが、いまはどんな拙い屁理屈でも言葉にしなければいけない。でなければ、この猫の死を肯定してしまう。

 宮下灯里は誰かの死を許容することなど決してできない。

 たとえ、それが猫であったとしてもだ。


「まあ、フェネクスの言い分はだいたい合ってるんだけどね」

「ラウム……」


 しかし、フェネクスを止めていたラウムはそんな彼の理屈に納得の意を示す。


「けどさ、殺すために必死に走り回って捕まえた。なんて後味サイアクだから、ラウムちゃん的には見過ごすわけには行かないのよね」

「感情論か……私の知るラウムは冷徹な合理主義者だったはずだが」

「悪魔も人間も動物も、感情こそが欲望の根源でしょ? だったら、感情を無視した理屈なんて、それこそ非合理的だと思うけど」

「そこまで言うのなら、お前には解決策があるというのかね」

「んー……つまりさ、魔力の影響を受けないようにして、異能に理解のある新しい飼い主を見つければいいんだよね?」


 ラウムはフェネクスの丸い体を鷲掴みにしたたまま自らの顔の前に持っていき、ニヤァと勝ち誇ったように笑う。


「そんな都合のいい方法があると?」

「あるんだなぁ、これが」

「ラウム、それ本当?!」


 灯里は跳ねるように立ち上がってラウムに詰め寄る。


「ただ……若干賭けなのと、灯里の協力は必要不可欠……なんだけどね」

「わ、私? 私にできることなら頑張るけど……何すればいいの?」

「ええと……銃の実弾って触ったことある?」

「そんなの触ったことあるわけないじゃん! 本当に何するの!?」

「だいじょーぶだいじょーぶ! ……多分」

「いま、多分って言ったよね」

「きゃるん☆」

「絶対に『多分』って言ったよね!」


 ◇


「普通さぁ、グーで女の子の殴る? しかも頬っぺたとかじゃなくて、鼻っ柱を」

「こっちはあなたの契約者に一か月も入院させられたんだけど?」

「上城先輩もラウムも、仲良くしてくれると嬉しいな……なんて」


 場所は灯里の先輩、上城の家のリビング。

 互いに睨み合うラウムと上城に挟まれた灯里は縮こまりながら両者の顔色を窺う。


「死んだ猫を生き返らせる。なんて無茶をしようとしてたのを止めてあげたんだから、むしろラウムちゃんは命の恩人だと思うけどなぁ」

「どの口が……なぁにぃ? 撫でて欲しいのぉ?」

「にゃーう」


 まさに一触即発の空気だが、猫にはそんなもの関係ないのか、あるいは空気を読んだのか、件の異能猫が上城の膝の上に飛び乗り撫でるよう催促した。


「あの……それで上城先輩、本当にいいんですか?」

「ん? ああ、正式にウチで飼えるかどうかは親に確認してからになるけど、多分大丈夫。元々猫は飼ってたし、世話をすることに関しては私も信用されてるし。おぉー。お前、元野良なのにモチモチだねぇ、狩り上手だったんだねぇ」


 ラウムが出した手段。それはこの猫を元悪魔憑きに預けるというものだった。

 そして、ラウムと上城の間にひと悶着自体は起こったが、それでも彼女は猫の引き取りを前向きに受け入れてくれた。


「っていうか、悪魔の件については宮下ちゃんにガチで迷惑かけちゃったから、これくらいの罪滅ぼしはしないと」

「迷惑だなんてそんな。っていうか、先輩に魔導書のUSBを貰ってもしばらくは制服に入れっぱなしで忘れてましたし、気にしないでください」

「ほーんと。あの時は舞い上がっちゃってたんだよねぇ」


 上城はそう言って、リビングの戸棚の上に置かれた写真立てを一瞥する。

 そこには小学生ほどの幼い上城が白い長毛種の猫を抱きしめる姿が写っている。


「あの子を生き返らせてあげることは結局できなかったけど……可愛い後輩を三木島先生から助けてくれたのもあなただっていうなら……まあ、差し引きゼロで許してあげるわよ」

「そりゃドーモ」

「それで、この首輪をなくさないようにすればいいんだっけ?」


 猫の首元には鈴の代わりにレジンで固められた白銀色の弾頭がぶら下がった首輪が付けられている。

 猫の飼い主のあてが上城だとすれば、異能の暴走への対抗策こそがその首輪。正確にはその銃弾、退魔銀だった。

 その銃弾の首輪についても、かつての在原恵令奈の一件で紆余曲折を経て由仁の手元に渡ってそのままだった退魔銀の銃弾を回収したり、暴発しないように処理しアクセサリーに加工したりと色々とあったのだが、それはまた別の話。


「まあ、お互いさ悪魔や異能なんて人に言えない秘密に関わっちゃったもの同士。助け合おうと、宮下ちゃん」

「ありがとうございます。上城先輩」

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