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いつか神を殺すまで  作者: 宮浦 玖
第六章 「三者三様の三日間」
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第十三話 二日目 灯里⑤


「マズいな……異能の暴走がはじまったか」


 突如として周囲にまで影響を及ぼし始めた猫の異能。

 その有様を前にして、フェネクスだけがそれが何かを知っているかのように呟いた。


「暴走って、どういう意味よ?」

「言葉通りの意味だ。今、あの猫は自らの許容上限を超えた魔力によって、異能を制御できなくなっている」

「シャァアア!」


 フェネクスが説明する間にも異能猫がバタバタと身をよじり、唸り声をあげてその場で転がりまわる。

 その姿は苦しんでいるようでもあり、見えない敵と戦っているかのようでもあった。


「この街に来た時から、その可能性は感じていた……故に早急に捕獲したかったのだが」

「はぁ? なんで霧泉市に来たら異能が暴走するのよ?」

「…………どうもおかしいと思っていたが。ラウム、貴様、本当に気づいていなかったのか」

「気づいてないって、なにを?」

「この街に揺蕩たゆたっている異常なほどの量の魔力の残滓ざんしに、だ」


 同じ悪魔であるラウムが認識していなかったことに驚き、フェネクスはまくし立てるような早口で異能猫とそれを取り巻く霧泉市の状況を告げた。


「答えろラウム。いったい何体の悪魔がこの街でばれて、消えた?」

「え? ええと、八体くらい」

「悪魔が退去したとて、その魔力が完全に消滅するわけではない。いやむしろ力づくで地獄に追い返せば、魔力の残りかすが現界に置き去りにされるのは必定。あの猫はその魔力のよどみを取り込み、感応してしまった。いわば『魔力酔い』とでもいう状況だ」

「にゃぁ!」


 ようやく自らの足で立ち上がった猫がひと際大きな咆哮をあげる。

 すると、近くに転がっていた握り拳ほどの石が弾き飛ばされるように浮き上がり、弾丸のような鋭さをもってフェネクスの身体に突き刺さった。


「フェネクスさん!」

「私に構うな、所詮しょせんはぬいぐるみの体だ。それよりも猫を追え! 『重力操作』の異能が本人だけでなく周囲にまで影響を及ぼしはじめている。人間を巻き込まめばそれこそ取り返しがつかぬ!」


 立ち上がった異能猫は再び灯里達から逃げるように公園から飛び出した。


「……ラウム、行こう!」

「そうだね。フェネクス、アンタはここでじっとしてなさいよ!」


 そして、灯里とラウムもまた自らの足で猫の後を追って走り出す。


「と、威勢よく言ったけど。さっきから失敗しまくってるのに、急いで捕まえるなんていったいどうすりゃいいんだか」

「……ねえラウム」

「どったん灯里? 名案あり?」

「動物って、悪魔と人間を見分けられたりする?」


 猫を追いかける道中、灯里はそんな質問をラウムに投げかける。

 これまでの捕獲作戦の失敗の中、灯里の中に一つの疑問が浮かび上がっていた。


「動物が何考えてるかなんてラウムちゃんにもわからないから、何とも言えないけど……どうして?」

「さっき、あの猫ちゃん。フェネクスさんを攻撃したでしょ。でも、それって変じゃない?」

「そんなに変かな? アイツも私達と同じく捕まえようとしてる側だよ」

「私やラウムを警戒するのはわかるの。人間の姿だし、自分より大きい生き物なわけだし。だけど、フェネクスさんって見た目はただのぬいぐるみだよ?」


 それが灯里の感じた違和感。灯里達は悪魔という存在を知っている。

 だが、猫がそんな言葉を正しく理解しているはずがない。


「私達よりうんと小さくて、生き物の匂いとかもしてないはずなのに、あの猫ちゃんはフェネクスさんを『脅威』だと感じた」

「言われてみれば……それに思い返せばあの猫、相手が灯里一人の時は逃げるどころか追いかけてきた。アイツがずっと警戒してたのは、私とフェネクス。つまり悪魔!」


 それならば、背後からの奇襲に気づかれたのも納得がいく。

 あの猫が最も敏感に反応していたのは姿や音ではなく匂い、それも普通の生き物には決して気づけない『魔力の匂い』だったのだ。


「いままで失敗してきたのは、捕まえる役をラウムに任せっきりにしちゃってたからだと思うの。だから……次は私が捕まえる」

「大丈夫なの? あの猫、今は異能が暴走して近づくだけで何が起こるかわからないよ」

「確かに、ちょっと怖いけど……」


 うまくやれる自信なんてない。

 だがきっと、姉なら「それが一番簡単な方法なんだから」と言うだろう。

 きっと、深夜なら「他に方法がないから」と言うだろう。


 宮下灯里は二人のように強くはない。

 だけど、あの猫が取り返しのつかない事態を引き起こすのを見て見ぬふりをするのは嫌だし、ラウムやフェネクスに任せきりにして後で自己嫌悪に陥るのも嫌だ。

 故に彼女はこう口にする。


「でも、どうせやるなら一番勇気が要る方法をやろう」

「おっけ、オッケー!」


 ◇


「来た……」


 ラウムと別れ、準備を終えた灯里はぐるりと猫の進行方向に先回りし、その到着を待った。


「にゃう」

「灯里、任せたよ」


 猫を後ろからつかず離れずの距離で追いかけ続け、この場に誘導してきたラウム。彼女もまた、予定通りの場所に立っていた灯里の姿を見つけると、今度は逆走して猫から離れる。

 これで猫に魔力の匂いを警戒される心配はない。しかし同時に、灯里と猫の間に割っていることもできなくなった。


「すぅー……はぁー……」


 灯里は一度、深く深呼吸をする。

 直前に上城から聞いた猫の習性を思い出し、その場に屈んだ。


――目線は低く、上から見下ろさないように。見つめ合うのはダメ、目が合ったらこっちから逸らす。声は高めに、小さな声で、ゆっくりと――


「ねえ、私と仲良くしてくれないかな」


 マタタビ粉末で匂いをつけたブランケットを両手で広げ、あとは猫の判断に委ねる。


「なーーーう」


 猫は灯里を全身の毛を逆立てて灯里を睨み付ける。

 もしかしたら、魔力酔いによる不調や苦しみも「この人間のせいだ」と思っているのかもしれない。そんな予想が灯里の胸中に浮かぶ。


「にゃ!」


 そして、猫はフェネクスにやったように足元の小石を浮かせ、灯里に向けて打ち出した。


「灯里!」

「大丈夫だから」


 ラウムが叫んで駆けだそうとするのを、灯里は小さくも力強い声で制する。

 猫の射出した小石は灯里に直撃することはなく、その耳元を通り過ぎた。


「なう」


 牽制攻撃を受けてなお、灯里が身じろがなかったからか、ピンと立ち上がっていた猫の尻尾が少しだけ下がった。


 十分、ニ十分、三十分と時間が経過していった。


 十分につき、猫の歩幅一歩。ほんの数センチのペースで灯里と猫の距離が近づき、そしてようやく、その時が来た。


「にゃー」


 灯里がずっと広げていたブランケットをキジトラ猫は右前足でちょんちょんと突っつき、それが安全だと認識すると、一気に頭や背中を擦り付けはじめた。


「やった!」


 しばらく猫の思うように遊ばせてやった後、灯里はほっと胸を撫でおろしながらマタタビ臭のするブランケットで包むように猫を抱きかかえた。


「にゃ! にゃう!」


 流石にある程度の警戒心は解かれていたとしても、急に抱きかかえられれば猫としても不快らしくもぞもぞと脱出しようと足掻き始める。


「ご、ごめんね! 嫌かもしれないけど、ちょっとだけ我慢して……」



 その直後、灯里の世界が、ひっくり返った。


「…………え?」


 下だったはず地面と上だったはずの横になり、前だったはずの壁が上空に変わる。

 そして、五十メートル先の丁字路の壁に向かって、猫を抱いた灯里は真横に向かって落下した。


 自分にかかる重力の向きが変わったのだと気づいたときには、灯里の体はふわりと浮き、自由落下の空気抵抗が突風のように彼女の髪をたなびかせていた。


――たしか、パリの凱旋門と十五階建てのマンションがちょうど同じ五十メートルくらい……なんだっけ――


 少し前に世界史の授業でそんな豆知識を聞いたことを灯里は思い出す。

 その時はいまいちピンとこなかったが、まさかこんな形で五十メートルの高さを実感することになるとは思っていなかった。


 だが、一つだけ、確実にわかったことがある。



――ああ……これ、助からないな――


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