第十二話 『天』之御『使』
「ザド……キエル?」
「悪魔どもはまとめて仕留めたつもりだったが……まあ良い」
ラウムがザドキエルと呼んだソレは害虫を見下ろすかのような視線を深夜へと向けて悠然と宙に浮かび続けている。
「悪魔ども……まさか!」
ソレの言葉を受け、深夜は思い出したように周囲を見渡す。
そして、彼の懸念は最悪の形で的中した。
「和道! 雪代! セエレ!」
崩壊した屋敷の残骸の中、瓦礫に埋もれるように横たわる三人の姿が深夜の視界に入る。
「あぁ…………」
その瞬間、深夜の脳裏に湧き上がったのは三か月前、トンネル事故に巻き込まれた人々の姿。
「テメェぇええ!」
グラシャラボラスとの戦いで受けた傷の痛みすら思考から消し飛び、深夜は爆発するような跳躍で頭上数メートル先に浮かぶ天使に向けて斬りかかる。
「うるさい。耳障りだ」
ザドキエルは吐き捨てるように呟き、右手を開く。
すると、その手に光を固形化したかのような二メートルほどの青白く発光する槍が形成され、深夜の渾身の一撃を身じろぎ一つせずに空中で受け止めた。
「この魔力……そうか、貴様がラウムの新たな寄生先か」
「はあぁぁ!」
激情に駆られ言葉にならない叫びをあげてザドキエルとの鍔迫り合いに押し勝とうとするが地に足着かぬ空中では力を乗せることはできない。
「人間風情が身の程を知れ」
一方のザドキエルは純白の翼をはためかせて身体を捻り、光の槍を叩きつける形で深夜を地面へと叩き落した。
「ぐあぁあ!」
『深夜!』
硬い瓦礫の上に叩き落されてもなお深夜は執念深く上空のザドキエルを睨み上げ続ける。
「もう一度……」
そして再度ザドキエルに斬りかかろうと足に力を込める。
「神崎……さん」
自らの体を全く顧みない深夜を引き留めようするか細い呻き声交じりの声が瓦礫の隙間から発せられた。
『紗々! 無事だったんだ』
「私はあの光の槍の狙いから外れていましたから……和道さんもセエレも、傷は酷いですが息はあります……」
雪代は立ち上がることすらできないのか、横たわったまま銃を握る右腕だけで這うように深夜に近づく。
「だから……一旦、冷静になってください……でないと、私達より先に神崎さんが死んでしまう」
「はぁはぁ……ああ、そう……だね……」
雪代の言葉を受けて深夜は視界が狭まっていたことを自覚する。
「それでラウム。彼……彼女でしょうか? あの白い羽根の持ち主も実体化した悪魔なのですか? ラウムのことを知っている様子ですが」
雪代の問いかけをラウムは言葉を絞り出すように答える。
『確かにアイツは私達と同じ、魔力が実体化した存在。だけど、アイツは悪魔じゃない』
「悪魔でないなら……いったい?」
『アレは正真正銘の神の御使い。天使ってやつだよ』
「あれが天使……」
深夜と雪代は改めてザドキエルを見上げる。
「同じ? 不敬にも程があるぞ」
対するザドキエルは臨戦態勢を崩さずに深夜の手に握られた大剣、ラウムへと恩讐のこもった視線を向けていた。
「我々天使は大いなる主より賜った霊核により、自ら魔力を生み出すことができる完璧なる存在。脆弱な人間に寄生しなければ現界に存在を保つこともできない貴様ら悪魔と同じなどと」
『なるほど、そういうこと。半死半生で逃げ延びて、魔力が回復するまでコソコソ隠れてたってわけね』
「屈辱だったぞ……あのような姿では主の御前に立つことは許されぬ」
ラウムとザドキエルのやり取りには、明らかに深夜達が知らない過去の因縁のようなものが見え隠れしている。
「ラウム。あの時って、何の話?」
『あ……えっと……それは……』
しかし、ラウムはその問いかけから逃げるように口を濁す。
「今度は私が貴様の四肢を引き裂いてやろう、ラウム!」
「神崎さん、話はあとに。来ます!」
ザドキエルは翼をはためかせて急降下し、光の槍を構え深夜目掛けて突撃する。
「ぐっ、重っ……」
深夜は大剣で槍を受け止め、その一撃を抑え込もうとする。
――暴走状態の炭村と同等かそれ以上の力。これが天使か……――
力比べは不利と判断し、深夜は剣先をずらしてザドキエルの持つ光の槍を外側に受け流す。
「これならどうだ!」
そしてザドキエルの側面に回り込んだ深夜はその無防備な背中に向けて大剣を振り下ろす。しかし。
「小癪な真似を」
深夜の振り下ろした大剣はザドキエルの翼によって受け止められた。
ザドキエルは振り払うように羽を伸ばして深夜を弾き飛ばすと槍を持たない左手をそのまま吹き飛ばした深夜へとかざす。
「天の火よ」
ザドキエルの左手に槍と同じ青い光が収束していく。
【ザドキエルの左手から無数の小型の光の矢が深夜目掛けて放たれる】
『深夜、まずい! 防いで!』
「あぁ!」
「放て」
ザドキエルの左手に集まった光は小さく分裂し、小型の矢となり深夜へと飛翔する。
深夜は吹き飛ばされつつも強引に大剣を体の前に構え、その攻撃を防ぐが空中故に衝撃までは殺しきれず瓦礫の上を転がる。
「ラウム……天使の……ザドキエルの異能は何?」
光の槍と矢、その正体さえわかれば戦いようはある。そう思った深夜であったがラウムが告げる真実は想像を超えるものだった。
『アレは異能じゃない。ううん、そもそも天使は異能を持ってないんだよ』
「異能がない? だったらあの武器は」
『あの槍も矢も全部、圧縮された魔力の塊』
「魔力の塊……」
魔力は通常状態では人間の目には映らない不可視のエネルギーだ。
しかし、その密度が高まれば煙や火花、放電のような形となり、更に高密度に圧縮された魔力は実体を持って固形化される。
そのこと自体は深夜も知っていた。現にラウムの肉体やこの手に握られた剣もその実体化した高密度の魔力。だが、それがわかっているからこそザドキエルの異常さも理解できた。
「そういうことかよ」
天使には異能などという小細工は必要ない。
ただ、自身が持ち得る圧倒的な魔力総量で外敵を圧し潰す。それが天使の戦いなのだ。
「だったらこっちが小細工をするまでだ」
深夜は剣先で地面に転がる瓦礫を叩き、ザドキエルに向けて打ち上げると同時に駆け出した。
「この程度の小石で何のつもりだ?」
ザドキエルが槍を払うと打ち上げられた瓦礫片は粉々に破砕される。
だが、その一瞬の合間に深夜はザドキエルの視界から消えていた。
「……どこに逃げた?」
「ここだよ!」
深夜の声はザドキエルの背後から迫っていた。
何ら特別なことはない。瓦礫で視界を塞いだ一瞬の隙にザドキエルの頭上を飛び越えて背後に回っただけ。しかし、その奇襲は完璧に成功していた。
深夜は大剣を深く腰だめに構え、両翼の隙間を縫って天使の背中に切っ先を突き立てる。たとえ天使が人の形をしていようと、友人を傷つけた相手を刺し貫くことに深夜は何のためらいも持たない。
「おらぁ!」
「…………哀れだな」
「な……うそ、だろ?」
深夜の目が驚愕に見開かれ、一ミリの傷も負わせることなく天使の背中でピタリと固まった剣先を見つめる。
「所詮は人間と悪魔。防ぐことも、避けることも最初から無意味だったようだ」
「ぐっ! くそっ!」
ダンッと地面を踏み締めザドキエルの肉体を貫こうとする深夜だが、その刃は肌を傷つけるどころか彼の纏う白い衣服すら貫けてはいない。
――直撃しても無傷だって? ふざけるな。だったら!――
「ラウム、コイツをお前の異能で……!」
「言ったはずだ、耳障りだぞ人間」
「なっ、うわっ!」
ザドキエルの翼がはためき、巨大な掌が振るわれたかのごとく深夜の体が弾かれ上空高くに打ち上げられる。
そして天使は空中で身動きが取れない深夜に狙いを定めて光の槍を投擲する構えに入る。
「その宿主を殺せばまたいい声で鳴くのか? ラウム」
『っ! ザドキエ――ッ!』
「お前だけは楽には殺さん。悪魔らしく自らの罪を悔いるがいい」
ねじり引き絞られたザドキエルの全身、その力が右腕に収束し光の槍は見る者を魅了しそうなほどに完璧なフォームで天空へと投げ放たれた。
深夜は自由落下の最中故に回避は不可能。
槍に込められた魔力はラウムの持つ魔力総量を超越しており防御は無意味。
死を目前に一秒が無限にも引き延ばされる感覚が深夜を襲う。だからだろうか、その声が僅かに遅れて聞こえてきたのは。
「間に合ってくださいよ!」
言葉と同時に響く銃声、そして光の槍は深夜の肉体を貫く直前で棒状から球体に急激に膨張し爆弾のような音と光、そして衝撃を伴って弾けた。
「うわっ!」
深夜はその爆風に煽られ地面に落ちる。しかし、そのおかげでまだ生きていた。
「今のは貴様か……何をした?」
ザドキエルの視線が地面に横たわる雪代に向けられる。彼女が握る白銀の自動拳銃の銃口は先ほどまで深夜と光の槍が存在した空中に向けている。
「たとえ天使でも……魔力で作られたのなら、打ち消せるようですね……」
『そうか、退魔銀!』
「どうであれ不愉快だ。邪魔をするのなら……」
「まずい……」
【深夜の左眼に最悪の未来が映る。】
「死ね」
新たに作られた光の槍が今度は雪代に向けて投擲される。
気付けば深夜の体は考えるよりも先に走り出していた。
『深夜!』
その行動に一番驚いていたのは他でもない深夜自身だった。
――なにやってんだろ。俺――
出会った時は雪代のことは邪魔だと思っていたはずなのに。
騙して、利用して、さっさといなくなって欲しいと思っていたのに。
気がつけば後先を考えず、彼女を守るようにザドキエルとの間に割って入っていた。
「雪代!」
大剣と槍が交差し、青白い光が深夜の眼前で爆発する。
視界がその閃光に染め上げられ現在も未来も何もわからないまま深夜の体は爆風にのって吹き飛ばされる。
「ぐぁああああ!」
何度も瓦礫に身体をぶつけ、転がり、遥か十数メートル先にまで飛ばされた先でようやく止まった深夜の体はもうボロボロだった。
「順序は変わったがまず一人、貴様のせいで死んだぞ。ラウム」
「神崎……さん……」
それでも剣を手放さなかったのは奇跡だろうか。
否、その黒鉄の大剣から黒い靄が伸び、深夜の左手首に絡みつき始めていることにその場に誰一人として、気づいてはいなかった。
◇
そこは無人の劇場だった。
正確には無人ではないのだが、深夜にとってはそう形容するのが最も適切だった。
なにしろ座席には深夜以外の観客は誰もいないのだから、彼の主観にからすると無人と同義なのだから。
「…………」
深夜は中心の座席でひじ掛けに頬杖をつきながらスクリーンを眺める。
ここは深夜の心象世界。
スクリーンに映るのは彼の記憶と彼が見た現実の世界。
そのはずなのに、スクリーンに投影されたその映像は深夜の知らないものだった。
燃え盛る炎、立ち上がる黒煙、積み上げられた瓦礫と土砂の山。
白い羽根と青白い光の槍を持つ天使と、顔が黒く塗りつぶされた黒鉄の大剣を握る少年。
「ああ、そうか……これは、ラウムの記憶」




