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いつか神を殺すまで  作者: 宮浦 玖
第五章「天使の目覚め」
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第十話 薄氷を踏む



 その戦いに観測者がいたとすれば、その目には奇妙な光景に映ったことだろう。

 ただ一人、大剣を構えた深夜だけが存在する室内。しかし、その壁や床には至る所に斬り傷が刻まれ、調度品は破壊されている。


「三秒後……右から!」


 その呟きに合わせて深夜が大剣を右側に振るう。もちろんそこには誰の姿も無い。

 彼のその姿はパントマイムか、はたまた演舞のよう。だが、その直後室内に金属同士が打ち合う甲高い音が響いた。


「またか……」


 深夜が大剣を振るった先、その空間に幽鬼のごとくグラシャラボラスが姿を現す。

 その手には時代錯誤の西洋細剣レイピアが握られ、深夜の大剣との質量差をものともせずにギチギチと刃を擦り合わせていた。


「これで十合じゅうごう、偶然というわけではないらしい」


 彼の言う通り、深夜は既に十度に渡ってグラシャラボラスの不可視、無音の攻撃を対処していた。


「ラウムの異能ではない。別のなにかが……」

「じろじろ見るなよ、気持ち悪い」


 そのカラクリを見抜こうとグラシャラボラスのめつけるような視線が深夜へと向けられるが、彼は剣を乱暴に振るいその視線ごとグラシャラボラスを払い退けて距離を取る。


『深夜、息上がってるよ。やっぱりまだ傷が……』

「問題ない。ちょっと疲れただけ」

『嘘、絶対に無理してるでしょ!』


 深夜は深く息を吸って強引に呼吸を整えて相棒の声を無視する。しかし、ラウムの指摘はまごうことなき真実だった。


――流石に戦いにもなるとキツイな……――


 先日、グラシャラボラスの奇襲によって切り裂かれた胸部の痛みがぶり返してきている。

 幸い血が服に滲んでいないので傷が開いたというところまではいっていないのだろうが、それでも激しい動きの緩急は深夜を苛む苦痛にも直結していた。


――さっきの鍔迫り合いで俺が限界ギリギリなのがバレてなきゃいいけど――


 熱に浮かされた時のように上気した顔や小刻みに震える腕。それらの予兆は深夜の肉体の限界が近づきつつあることを如実に表している。

 先ほど、力ずくでグラシャラボラスと距離を取ったのもそれに気づかれることを嫌ってのことだった。


「俺の異能を見抜く力か……なら色々と試させてもらおうか」


 グラシャラボラスはその言葉と共に再び異能によって自らの姿を透明化させる。


【ぽたりと深夜の喉を伝って血の雫が床に落ちる。その直後、ぱっくりと切り裂かれた首筋の血管から赤い噴水が噴き出した】


 深夜が持つ未来視の左眼をもってしても透明化したグラシャラボラスの姿を捕らえることはできない。だがそれでも、彼が未来に残す傷は観測できる。


――左の首!――


 深夜はその微かな情報を元に防御態勢を取ることでグラシャラボラスの不可視の攻撃を凌いでいた。

 十一度目の打ち合いが空間に火花を散らす。しかし、今度はそれでは終わらない。


【左足の腿がズボンごと深く切り裂かれた】

【衣服の右脇に血がにじんだ】

【剣を握る腕が切り落とされ宙を舞う】

【視界の端にわずかに、背後から飛んできた血が見えた】


――連続かよ……――


 深夜は心の内で悪態をつきながら正確に未来の攻撃のタイミングを記憶し、それに合わせて体を動かす。

 一撃一撃は軽く、体勢を崩すには至らない。だが、グラシャラボラスの剣撃は恐ろしく迅い。

 大剣の腹で受け流し、刺突を紙一重に躱し、大きく跳んでその場を離れ、壁を背にして正面からの攻撃を剣で受ける。


「ぐっ!」


 それでも全ての攻撃を完璧には防ぎれず一条の傷が深夜の喉に走った。


『大丈夫!?』

「掠っただけ。それより」


 首に手を当てるが出血量から傷は浅い。この程度なら無視しておけばいい。


「まだ来る。気を抜くな!」

『そんなっ!』


 深夜がしているのはあくまで対処でしかない。

 避け、防ぐのみで戦いの主導権は最初から変わらずにグラシャラボラスが握っている。ならば、その攻撃の手が緩まる理由などどこにもない。


――防戦一方じゃ、俺が先に潰れる……なんとかしてヤツの攻勢を止めないと――


 数秒の間の後に再度、不可視の剣閃の雨が深夜へと降り注ぐ。

 絶え間なく鳴り続ける剣と剣がぶつかる金属音。それはまるで雨音のように激しく、一つの壮大な音楽のように奏でられ、深夜はそのリズムに合わせて踊るように室内を跳ねる。


「ラウム……合図をしたらタイミングを合わせて剣に魔力を走らせろ」


 その永遠にも思える応酬の中、深夜は自らの相棒に語りかける。


『異能を使うってこと? だけど私の異能は生き物相手だと……』

「わかってる。異能を使うのは一瞬でいい……できるか?」

『ラウムちゃんにお任せあれ! ぴったり合わせてみせるから!』


 その間もグラシャラボラスの攻撃は四方八方から深夜を襲う。

 致命傷となりえる傷は無いが、それでも防ぎきれなかった浅い傷が四肢に次々と刻まれていく。


 頼りになるのは未来の自分の血痕というわずかな情報と十五秒の猶予のみ。そんな蜘蛛の糸より細い標を頼り戦うことは肉体だけでなく精神にも大きな負担を強いる。

 それでも深夜は痛みで思わず瞑りそうになる目を意思の力でこじ開け、その時まで耐え続けた。


「ラウム……七秒後」

『っ! ……おっけ、オッケー!』


 剣を体に引き寄せ、防御への動きを最小限にとどめる。


「五、四……」


 それは次の一手に全ての力を込めるため。


「三……二……」


 深夜が何かを企んでいる、それを読み取ったグラシャラボラスはタイミングをずらすように一瞬の間を開けてがら空きの背後を狙う。


「一……」


 そんなグラシャラボラスの警戒心を逆手に取った深夜はぐるりと身を翻し、大剣は半円を描いて真後ろへと振り下ろされた。


「今だ、ラウム!」


 もはや聞き馴染むほどに奏でられた深夜の大剣とグラシャラボラスの細剣がかち合う金属音。その音に紫電となった魔力が弾ける雷鳴が重なった。


パキンッ


 深夜の振るう大剣は一瞬の抵抗を突き抜け、床に叩きつけられる。そして、へし折られた細剣の切っ先は高速回転して天井へと突き刺さった。


「しまッ……!」


 グラシャラボラスの異能が緩んだのか、焦燥の声が漏れ聞こえた。

 それは深夜にとってこの上ない嬉しい誤算。


「そこか!」


 持ち手から切り離されて姿を現した細剣の切っ先、そして先ほどの声の方向、二つの情報を元に深夜はグラシャラボラスがそこにいるのだと確信する。

 振り下ろした剣を即座に振りかぶり、そこにいる不可視の敵へと追撃の二の太刀を振るう。だが――


「剣を折られたのは予想外だった。だが――」


 ――大剣を通して伝わる感触はとても人一人の重量があると思えないほどに軽かった。


「――俺の方が一枚上手だったらしい」


 深夜の決死の一閃に打たれたのは折れた細剣の持ち手側。弾き飛ばされたその刀身もまた、天井に突き刺さった切先と同じように壁に刺さり間延びした高音を鳴らした。


「まさか……」


 グラシャラボラスの警戒心は深夜の予想の更に上を行っていた。

 彼は背後から斬りつけるのではなく、深夜が持つ大剣の間合いの外から細剣を投擲していたのだった。


「それといくつかわかった。少なくともお前は『俺』が直接見えているわけではないようだ」


 グラシャラボラスの声が迫る。


『深夜! 逃げて』


 攻撃の気配にラウムが叫ぶ。しかし、深夜の目には左右ともに何も映らない。


「がはっ!」


 そして深夜の腹部を鈍重な衝撃が貫き、そのまま背後の壁に吹き飛ばされる。


「げほっ、ぐ……」


――殴られた? それとも蹴られた? どっちにしろマズい……素手の攻撃は未来視でも傷が見えない――


「やはりそうか。理屈はまだわからんがお前が防げるのは剣の攻撃だけらしい」


 深夜は痛みを堪え地面に手をつき立ち上がろうとするが、それを妨害するように脇腹に衝撃が突き刺さりその体が再び放物線を描いて宙を舞う。


「なら、なぶり殺しといこう」


 グラシャラボラスの姿はなおも見えず、声だけが地面に這いつくばる深夜に届く。

 その声色にもはや気だるげな陰は無く、オモチャを得た子供のように上機嫌に弾んでいた。


――もう、血を頼りに攻撃は避けられない。考えろ、次の手を。考えろ、逆転の秘策を……――


『ねえ……深夜』


 それでもまだ深夜の戦意は途絶えていない。

 血が混じった唾液を吐き捨て、ふらふらになりながらも立ち上がり、剣を両手に握って構える。


――考えろ、コイツに勝つための方法を――


 その姿を最も間近で見続けているラウムは微かに震えた声を漏らす。


『もしかして、笑ってる?』



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