第四話 永久の命を得るために
ラウムはティーカップを一旦ソーサーに戻し、眉根を寄せ怪訝な顔をする。
「生命の実……また随分と昔の話を掘り出すじゃない」
「やはり、存在は知っているのだね」
蓬莱の眼光がさらに鋭くなる。それはもはやか弱い老人となどではなく、獰猛な野獣か熟練の狩人のそれだ。そこに来てラウムは理解する。この老人は間違いなく、自分達、バケモノ側の人間だということを。
「神の作りし楽園には二つの禁断の果実の木が存在した。しかし、原初の人は蛇にそそのかされて禁断の果実の一つ『知恵の実』を食べ、その罪により楽園を追放された。君の言う通り有名な昔話だ」
蓬莱は静かに古い神話を語る。
「『智慧の実』はそれを食べた者に神の智慧を与え……『生命の実』は神の命を与えると聞く。私の目的はそれだよ。神の命……つまり、永遠の命だ」
「……それ、本気で言ってる?」
ラウムは冷やかすことすら忘れて唇をひくつかせる。
「悪魔である君達には老い、というものは無いのだろう?」
「……まあね」
そもそもこの肉体は魔力で作った紛い物、生きていないのだから老いるも何もない。魔力さえ提供されるのであれば、百年経とうと千年経とうと変わることはないだろう。
「実に羨ましい」
蓬莱は皮肉も悪意もなく、純粋な憧憬を込めてそう言った。
「自慢ではないがね、私は今まで色々な事をしてきた。経営だけではない。スポーツ、芸術、旅。それが年齢を重ねるごとに一つずつできなくなってくる……遂には数年前にアルツハイマー型認知症だと医者に言われたよ」
そう言って老人は皺が刻まれた自らの手を見る。
「老いとは不可逆の変化だ。人の知恵では止められない……まさに神の領分。私の願いを叶えるにはそれが必要なのだよ」
「…………」
「おかしいかね? この歳になってみっともなく、今更死ぬのが怖いなどと吠える老人は」
蓬莱は自嘲気味に笑い震える手つきでティーカップを口につける。
そのあまりにも原始的な希求に対してラウムは何も言えず、質問の方向性を変える事にした。
「生命の実を手に入れるのが目的だっていうなら……あんた達が魔導書をこの街にばら撒いた理由はなに?」
「理由は二つ。一つは情報収集のためだ。魔導書をばら撒けば欲に釣られた人間によって悪魔達が呼ばれる。悪魔が増えれば、それを狙い他の悪魔憑きや協会の悪魔祓いもこの街に来る。そういう意味では君達には感謝しているよ。連続襲撃事件などという形でこの街を騒動の中心に仕立て上げてくれた」
そして、その結果、協会の悪魔祓いである雪代や『蒐集家』在原がこの街にやって来た。
「そうか。あんた達、紗々を尾行して協会の場所を……」
「その通り。地道な活動が実を結んだといったところか。おかげで二冊目の魔導書まで手に入ったよ」
そう言って蓬莱はサイドボードに置かれた古い洋書を一瞥する。
「……二つ目の理由ってのは?」
「二つめの理由も本質的には一つ目とは変わらんがね……敢えて言うなら。君達悪魔は撒き餌だよ」
「私達が撒き餌……?」
魔導書の話題性で悪魔憑きや悪魔祓いをおびき寄せたように、悪魔の存在そのものがエサなのだと蓬莱は告げる。
しかし、そうなるとラウムには一つわからないことがある。
「私達をエサにして、あんたは何を誘き出そうとしてるわけ?」
悪魔憑きや悪魔祓いとは別の何か。
「伝承の通りならば、生命の実は神の楽園にある……ならば、神の御使いに在りかを聞くのが最も手っ取り早だろう?」
「あんた……まさか」
「君達悪魔をエサに私がこの街に呼ぼうとするもの、それは君のかつての同胞……天使だ」
◇
蓬莱との対話を終え、再びロノヴェの誘導の元、客間へと戻ってきたラウムは重々しい口調でロノヴェへと問いかける。
「あんた達本気で天使を誘き出そうとしてるわけ?」
「ええ、もちろん。一つの街に何体もの悪魔が存在するこの状況。天使が介入してくるには十分な理由になると思っておりますわ」
「確かに、ソロモン王の時以来の大暴挙ね」
しかし、彼らの目的とその計画の全容を聞いたラウムは自らが害されず、軟禁されている現状に得心がいった。
彼らの目的が天使を霧泉市に呼び寄せることだとすれば、悪魔は一体でも多いに越したことはない。
むしろ実体化まで至っているラウムは良質なエサというべき存在だ。
「だけど、ラウムちゃん。本当に生命の実については何も知らないんですか?」
「私が天使だったの何千年前の話だったと思ってんのよ。それに天使ってのはあんた達が思ってるより融通聞かないわよ」
「融通が利かない、とはどういう意味ですの?」
ロノヴェはわざとらしく指先を顎に当てて首を捻る。そのぶりっ子ぶった態度は腹立たしいが、極力気にしないように努める。
「言葉通りよ。天使ってのはね、神のお人形、都合のいい道具でしかないの」
その言葉にはどこか自虐のような感情が混じっていた。
「道具はただ命令に従うだけ、『理由』とか『目的』とかはどうでもいい。だから、アイツらを捕まえても生命の実を知ってる保証はないわよ」
ラウムとしては本気の忠告のつもりだったのだが、ロノヴェはこともなげに言ってのける。
「なら、知っている天使が来るまで何度でも繰り返すだけですわ」
「あんた、正気じゃないわね」
「当然ですわ、悪魔ですもの」
そして、ロノヴェは「大人しくしててくださいねー」と手を振ってその部屋から出ていった。
部屋には最初と同じくラウムとグラシャラボラスの二人だけが残される。
「アンタもロノヴェもそこまでして生命の実が欲しいわけ?」
「ロノヴェとあの人間はそうらしいな」
「アンタは違うっての?」
「ああ。永遠の命など、俺達には不要だ」
グラシャラボラスはあっさりと同胞の悲願を自分は要らないと吐き捨てる。では、彼はいったいなぜ蓬莱達に手を貸しているのだろうか。
「じゃあ、改めて聞きましょうか。あんたは何が目的なの?」
「暇つぶしだ」
「真面目に聞いた私が馬鹿だったわよ」
ラウムはもういいとばかりにベッドに飛び込み、ふて寝を始める。悪魔である彼女に睡眠は全く必要ないのだが。
一方で捨て置かれたグラシャラボラスは少しだけ、本当に少しだけ困ったような表情を浮かべ。
「ふむ。俺も真面目に答えたんだがな」
と肉体の内に沈んだ契約者に向けて呟いたのだった。




