第一話 帰還、霧泉市
電車を乗り継ぎ、東京から生まれ育った故郷に足を下ろした神崎深夜は駅前のロータリーで「んー」っと伸びをして長旅で硬くなった体をほぐす。
「なんか、今にも降りだしそうな天気だな」
見上げた空は重苦しい灰色の雲に覆われ、空気も心なしか湿度を帯びて粘っこさを感じさせる。
「今年は全然雨降ってなかったけど、季節的にはまだ梅雨だからな」
「そうですね」
続けて深夜の隣に立った少年、和道直樹が呟くと、その隣に控えるように立つ鮮血のように赤い髪が特徴的な幼女の姿をしたセエレが手のひらを上向けて雨が降っていない事を確認しながら彼の言葉に同調した。
「霧泉市は今日、午後から一帯大雨だそうですよ」
深夜達三人から少し遅れて駅前のロータリーに現れた黒コートを着た金髪の美女、雪代が自らのスマホに表示した天気予報の画面を見せる
「敵地は山中の別荘地帯です。雨が降られる前に移動したいところですが……」
「大雨の中で登山なんて、戦う前から自殺行為だしね」
もっとも、ラウムが攫われた協会での一件から既に四日が経っており、雨が降りそうだから延期などと悠長なことは言ってられる状況ではないのだが。
そんな中、和道は深夜と雪代の二人がなぜ悩んでいるのか疑問を抱く。
「セエレの瞬間移動ならサクッと行けるんじゃねぇの?」
「そうしたいのはやまやまだけど、そうすると雪代が退魔銀を持ち込めなくなるんだよ」
「あ、そっか」
深夜の回答に和道はあっさり納得の声を上げた。
「雪代と退魔銀は現状の俺達にとっての最大戦力。敵の数も分からない以上は切り捨てるわけにはいかない」
「じゃあ、どうやってあの山の所まで行くんだ?」
「たしか、山道まではバスが走ってたと思うんだけど……」
深夜は突然言葉を止め、左眼を手で覆って顔をしかめる。
「どうした、神崎? もしかして、まだ傷が痛むとか?」
「ごめん、和道。ちょっと対応任せる!」
「いや任せるって、何の対応だよ!」
そして事情を説明する暇すらないとばかりに駅の方に逆走し、深夜はロータリーから姿を消した。
「どうしたんでしょうか?」
「トイレか?」
あからさまに不審な態度でその場を離れた深夜に対し、雪代と和道が揃って首を捻る。
その直後、一人の少女が和道の背後から声を掛けた。
「あれ? おはよ、和道くん」
「え? 宮下?」
聞き覚えのある声に振り向くと、そこにいたのは深夜と和道の通う黒陽高校の制服に身を包んだサイドアップヘアの小柄な少女、宮下灯里。
「何で宮下がこんな時間に?」
「なんでって、これから学校だし」
灯里は肩をすくめて呆れたような声をあげる。
「あ、そういやそっか」
ここ数日はドタバタしており、学校もサボっていた和道は今が登校時間だという事をすっかり忘れていた。
「そういう和道くんは……私服ってことは今日も学校は休み?」
灯里は呆れたように和道の姿からそんな予測を口にした。
「人助けは良い事だけど、中学の時と違って高校はあんまり休み過ぎると留年しちゃうよ」
「き、気を付ける……」
幸いにも和道の中学時代からの人助けを理由にしたサボりの習慣のおかげか、それ以上は怪しまれずに話が進む。
しかし、灯里は和道と一緒にいた雪代の姿を見ると短く息を呑んだ。
「あの……すいません」
「え? 私ですか?」
雪代は自らを指さして首を傾げる。
そんな彼女に向けて灯里はゆっくり言葉を選ぶようにして問いかけた。
「勘違いかもしれませんけど、以前、どこかでお会いしませんでしたか?」
「ええと……和道さんのご友人の方ですよね。私の記憶する限りではお話するのは初めてだと思いますよ」
「そうですか……うーん」
しかし灯里はその答えを聞いてもまだ釈然としない様子を見せる。
「でもやっぱり、どこかで見かけたような気が……」
「っていうか、宮下。あんまりここに長居すると遅刻するんじゃないか?」
「え? いけない!」
灯里は本人にもよくわからない違和感を拭いきれず、最後まで雪代の顔を観察するように見つめていたが、ロータリーの中心に置かれた電子時計を見て慌てたように踵を返した。
「呼び止めちゃってごめんなさい、それじゃあ私行くね!」
「あ、宮下! 悪いんだけど、リナちゃんには……」
「わかってる! 和道くんとは会わなかったことにしておくから!」
髪を揺らしながら学校に向かって走り去っていく灯里。
そして、彼女の姿が完全に消えたのを確認してから駅の建物の陰に隠れていた深夜が戻って来た。
「……もう行った?」
「なんでお前、宮下の事を避けてるんだよ」
あまりに態度が露骨過ぎて和道も流石に先ほどの不自然な挙動が灯里から隠れるためだということは察する。
けれども分からないのはなぜ深夜が灯里から隠れる必要があったのかというところだ。
「和道と違って俺は一週間以上休んでるし……そんなに親しくもないし、顔を合わせたら面倒くさくなりそうだろ? あとは……」
深夜は一か月前の連続襲撃事件とそれに伴う三木島大地との戦いを思い出す。
「宮下さんには俺がラウムの力を使ってるところを見られたかもしれないから」
彼女は不幸にも三木島に目をつけられ、深夜と三木島の戦いの現場に居合わせてしまっていた。
もっとも、あの時の灯里は意識を失っていたので実際に深夜が悪魔憑きとして戦っている姿を見られてはいないはずだが、用心に越したことはないだろう。
「考えすぎじゃねぇか? 本当に見られてたら流石に宮下も学校で態度に出すだろ」
「そうですね。あの時、同じく現場にいた私の事もはっきりとは覚えていないようでしたから、その心配はないかと思いますが」
「…………それなら、いいんだけどさ」
それでもなぜか、深夜は宮下灯里を前にすると胸がざわつき落ち着かなくなる。
先ほどは色々とそれらしい理由を口にしたが、実際のところはこの「胸のざわつき」が彼女を避ける最大の理由だったりする。
――言い換えると、なんとなく顔を合わせたくない、なんだよな――
これ以上この話題を掘り下げられたくない深夜は、先ほど灯里が見ていた時計を改めて指さして話を進める。
「それより、俺達こそいつまでもここでダラダラ喋ってても仕方ないよ」
「神崎さんの言う通りですね。策を練るにも準備をするにも、動かないことにははじまりません」
「作戦会議は必要だけど……どっか喫茶店で話し込むってわけにはいかねぇよな」
「場所に関しては多分、大丈夫だよ」
「どこかいい隠れ家があるのか?」
「俺の家。この時間ならもう真昼が学校に行ってて、誰もいないはずだから」
深夜の提案に特に反対意見も上がらず、深夜達は一度住宅街にある神崎家へと向かった。
◇
「お帰り、兄さん」
「……あ、あぁ…………」
深夜にとっては久しぶりの帰宅。だが、その感慨に浸る暇も与えず、不機嫌さを隠していない妹、神崎真昼が彼を出迎えた。




