それは憑依ですね
「結局、今でもその黒い物体が何なのか分からず終いだ。」
そう言った琴美の霊はとても残念そうだ。
この世界にある資料では答えに辿り付けなかったらしい。
「ところでコウよ、其方、召喚された時の日本での記憶はあるか?」
「ええあります。
突然足元に魔法陣が現れて、強く光ったと思ったらこの世界にいました。」
琴美の霊は一番最初の聖女を召喚した際の、制約の事を言っているのかも知れない。
ヴェルアリーグ教にあった聖女の資料を読んでいれば、琴美も目にしただろう。
「ふむ。
その前はどうだ?召喚される直前、何か変わった事はなかったか?」
「いえ、特には...。
普段と変わらない生活をしていましたよ。」
「そうか...忘れているのか、それとも経験してないか。」
琴美の霊が何を言いたいのかわからない。
その言い方では私が何かを忘れているように感じる。
「妾は日本で巫女をしておってな。
それだけが理由では無いだろうが昔から霊感は強かった。」
なるほど、確かに琴美の霊は巫女姿をしている。
その事が気にはなっていたが、時間がないと言われている以上、無駄な事は気にし無い事にするしかなかった。
「そのせいかは知らぬが、妾は覚えておるのだ。
一度滅んだ日本を。
急に辺りが火の海になり、地震で地は割れ日本が沈むかの様に水が押し寄せた。
周りにいた者達は皆、パニックになりあちこちから悲鳴が聞こえた。」
ドクンと心臓が嫌な音を立てる。
琴美の霊が言っている情景が頭に浮かぶ。
...いや、違う。
これは...私が見た情景だ。
琴美の霊が言った情景と同じ物を私は見ている。
いつ?
私は騎士の衣装合わせをしていた時に召喚されたのだ。
そんな情景をみる機会などない筈だ。
ない筈なのに...何故、私はその情景を知っている?
「その中で妾は見たのだよ。
魔王を。
その瞬間に時間が巻き戻されたかのように、全てが消えそこには日常しか無かった。
一瞬の出来事だった。
その後だ、妾がこの世界に召喚されたのは。」
琴美の霊の言葉に冷や汗が伝う。
額に浮いた汗は頬を伝い、ポタリと床に落ちた。
そうだ。
何故今まで忘れていたんだ。
私は琴美と同じ経験をしている。
魔王の姿は覚えていないが、他は琴美が言っているのと同じ経験をしている。
自分の生活していた場所が、火に包まれる様を知っている。
何もする事が出来ない自分に絶望したのを覚えている。
時間が巻き戻り、体に強い重力を感じた感覚を。
急に日常に放り戻され、足元に魔法陣が現れた瞬間を。
「その様子だと、思い出したようだな。」
琴美の霊の言葉は耳に入っている筈なのに、何も考えられない。
頭がクラクラする。
琴美の霊は何に反応もしない私にため息を吐き、話を続けた。
「つまりは魔王はこの世界と日本を行き来しているという事だ。
それと妾は研究でもう一つわかった事がある。」
皆が静かに琴美の霊の言葉の続きを待っている。
私は未だに声を発する事が出来ない。
「あの黒い物体と勇者は何か関係かあるぞ。」
「何だって?」
琴美の霊の言葉に反応したのはアルだった。
自分も勇者である為、琴美の霊の言葉は聞き流す事が出来なかったのだろう。
琴美の霊はアルを一瞥すると言葉を続ける。
「人には皆、霊気が存在する。
それは指紋や声紋のように誰一人として同じ者はいない。
この世界で言う魔力もその一部だ。
妾はそれを見る事が出来る。
あの黒い物体からは勇者の霊気を感じたのだ。」
琴美の霊が言った事が、いまいち理解出来なかったのだろう。
アルは黙ったまま、琴美の霊が引き続き話すのを待った。
「妾は研究で各国を回った。
その際に、勇者達の遺品も見て来た。
霊気は匂いと同じように物にも残る。
まして遺品として展示される位の物だ。
勇者達の思い入れのある物に霊気はしっかりと残っていた。
その全てがあの黒い物体から霊気として感じられたのだ。
妾は一度覚えた霊気は忘れない。」
琴美の霊は一気に話終えた。
皆はシンと静まり返り、それぞれが頭の中で想像している。
その黒い物体と魔王、そして勇者の関係を。
私もいつまでも感傷に浸っている場合ではない。
だが情報量が多すぎる。
魔王を封印する際に現れる黒い物体。
日本とこの世界を行き来する魔王。
一度滅んで、時間が巻き戻った日本。
黒い物体と勇者。
正直、ここへ来るまでは琴美の小屋で、何かヒントを得られればと思っていた。
しかし今はわからない事ばかりが増えてしまった。
「勇者は呪い...か。」
アルは思い出したようにポツリと呟いた。
静まり返った部屋の中で、アルの声はいつもより大きく響く。
「アル?どうしたの?
誰にそんな事言われたの?」
少し怒ったようにエマが聞く。
勇者のアルにそんな事を言う者が居たとは。
エマだけでなく、私も少しイラっとした。
「えっと、あれは...ん?
どこだったかな?
でも確かに誰かに...いや、言われたか?」
「ほう、勇者も記憶を欠いておるか。
実に興味深い。」
あやふやな答えしか出来ないアルを見ると、琴美の霊は目を細めた。
「興味深いだけに残念だ。
妾にはもう、時間がない。」
「先程から時間が無いと言っているが、何故だ?」
これまで黙っていたヨルトは琴美の霊にそう言った。
琴美の霊はさっきからずっと時間が無いと言い続けている。
ヨルトの疑問は皆が思っている事だった。
「妾は言ったであろう。
結界で魂を閉じ込めたと。
その結界が今はもう無い。
つまり妾は、もうここに残る事が出来ぬのだ。」
琴美の霊が悲しげに笑う。
そうか、私が結界を解いたせいで琴美は成仏してしまうのだ。
「あの、ごめんなさい。
私、知らなくて...」
「良いのだ。
結界が壊されなければ妾は、退屈なまま成仏さえ出来なかったであろう。
それに其方達に会う事さえ叶わなかった。
最後に充実した時を過ごす事が出来た、感謝するぞ。」
そう言った琴美の霊の顔は儚げだ。
本当は未練があるのだろう。
いや、未練が出来てしまったと言った方がいいのかもしれない。
「妾の研究は妾が言った事が全てだ。
もうここにいる必要も無いだろう。」
琴美の霊はそう言って私達へ帰るように促す。
成仏する瞬間を見送ってあげたい気持ちはあるが、琴美がそれを望まないのであればそれも不要となる。
後ろ髪を引かれる思いで玄関の扉を開けた。
傾いた小屋から出ると、やはり少しだけ違和感を感じてしまう。
私は馬達と共に待ってて貰ったアミーを撫でると、琴美の霊を見た。
琴美の霊が驚いたように目を丸くさせている。
「ま、待て。
それは聖獣ではないか?」
そういえばアミーを紹介していなかった。
「そうです、聖獣の...」
「聖獣がいるのなら話は別だ。
聖獣殿、其方の精神を少しばかり間借りするぞ。」
琴美の霊は言うが早いか、スーッとアミーに吸い込まれた。
「え?琴美様?!アミー?!」
「今、アミーに琴美様が吸収されなかった?!」
「消えたぞ、琴美様がいなくなった!」
何が起こったのかわからない私達は、慌てふためいた。
急に目の前から居なくなってしまった琴美が成仏したとも思えない。
アミーに吸い込まれたように見えたが、アミーに別段変わった所は無いように見える。
『いや、まさか聖獣に会えるとは運がいい。』
「琴美様!?」
アミーから琴美の声が聞こえる。
『普通の動物では憑依しても精神が持たず、すぐに死んでしまうのでな。
無駄な殺生は避けたい。
その点、聖獣は魔力も精神も憑依に耐えられる。』
ぽかーんとしてしまい、何も言う事が出来ない。
それは私だけではなく、皆同じだったようだ。
『聖獣殿、精神に少し間借りしてもよろしいか?
...そうか、助かる。
これで妾も研究を続ける事が出来るからの。』
どうやらアミーと琴美の間で話はついてしまったようだ。
アミーがいいのであれば、私が何か言う事はない。
「またコウは...」
そう言ってため息を吐くエマを見る。
「いや、今回は私じゃないでしょ。」
普段の私の行いは、皆の目にこう映るのかと実感した。




