王子自ら案内する城下町 〜後編〜
オレンジ色に染まった市場を歩く。
もう、城に戻らなくてはいけない。
なんとなく話さずに歩いていると、露店に目が止まった。
髪飾りや指輪などが売られている露店が気になって、私はしゃがみ込んだ。
「何か気になるものでもあったか?」
しゃがみ込んだ私をアルは後ろから覗いた。
「これ、綺麗だなって思って。」
掌に収まる位の小さな手鏡を手に取る。
綺麗な装飾がされた手鏡は夕日を浴びて、キラキラと輝いていた。
「これをもらえるか?」
アルは店の者に声を掛けると、さっさと支払いを済ませてしまう。
「アル、いいよ。
自分で買うから。」
慌ててそう言った私を店のおじさんは笑った。
「せっかくだから買ってもらいな。
男が女に物を買う時は大体下心があるんだ。」
店のおじさんの意地悪な笑いに、アルはうるさいと言って私の手を引いた。
あんな事を言われてしまうと、ますます自分で買わなくてはならない気がする。
「アル、ちゃんとお金払うよ。」
「いい。俺からコウにプレゼントしたいだけだ。
あの親父の言う事は気にするな。」
そう言ったアルに強引に手鏡を渡される。
このまま何度も同じ事を言い合っても、アルは折れないだろう。
「ありがとう、大切にするね。」
私は素直に手鏡をプレゼントとして受け取ると、キュッと握りしめた。
城に戻って来ると、アルにもう少し話さないかと誘われて中庭へ向かった。
既に日は沈み、丁寧に手入れがされた中庭からは月が見える。
ベンチに座ったアルに隣に座るように促され、アルと並んで座った。
アルは何か話があるのだろうか。
何度も膝の上で手を組み替えては力を込める動作を繰り返していた。
こうしてアルの話を待っていると、以前アルに告白された事を思い出してしまう。
アルは私に、自分の好きがどんなものかわかったら教えてくれと言っていた。
そして私はまさに今日、自覚してしまったのだ。
アルを恋愛対象として好きだという事を。
アルが何をいうつもりなのかは、私にはまだわからない。
でも私はそのアルの横で、高鳴る鼓動をなんとか押さえようとしていた。
「コウ。」
突然呼ばれた自分の名前にビクリと肩を揺らす。
「な、何?」
なんとか返事はしたが、声が少し裏返ってしまった。
「今日は楽しかったか?」
「うん、とっても楽しかった。」
思ったよりも普通の話で安心する。
笑顔で返事をする私に、アルはそうかと嬉しそうにした。
「俺はお前に、返事を待つと言った。
だが、俺の気持ちだけは伝えさせてくれないか?」
アルが真っ直ぐに私を見ている。
あまりにも真剣な眼差しに、私は声を出す事が出来ずにコクンと頷いた。
「今日一日、コウと一緒に過ごして、やっぱり俺はコウの事が好きなんだって思った。
広場でコウがあの女達に声を掛けられて困っているのを見て、俺のコウに気安く話しかけるなって思ってしまった。
正直自分でも、こんなに心が狭いと思わなかった。」
アルはそう言って苦笑する。
まさかあの時、アルも同じような事を考えていたとは思いもしなかった。
「最初はコウを男だと思っていたし、まさか聖女だとは思わなかった。
でも俺は、森で見ず知らずの俺を助けてくれた優しいコウが好きだし、それに聖女としての凛としたコウも好きだ。
騎士として一生懸命に鍛錬していたコウも、少し常識に疎くて色々やらかすコウも全部好きだ。」
なんか失礼な事を言われた気もするが、それ以上にアルの言葉は甘く私の心に突き刺さる。
アルはこんなに私を思ってくれている。
さっきから顔が熱い。
きっと私の今の顔は真っ赤だ。
「俺は同行者となる事が決まっていた為、聖女についても学ばされた。
聖女が同行者の中から結婚相手を選ぶ事が多い事も、それを決めるのは神の代弁者である聖女であることも理解していた。
だから俺は、同行者が全て揃うまで自分の気持ちを抑えておくつもりだった。
だが、今はコウに俺を選んで欲しいと望んでしまう。」
私を見るアルの目がユラユラ揺れている。
アルはゆっくりと視線を外すと、ガリガリと頭を掻いた。
「...しまった、言わなければ良かったな。
言葉にしてしまうと、貪欲になってしまう。」
アルはこちらへ苦笑した顔を向けた。
「俺がコウに伝えるだけで良かった筈なのに、コウがどう思っているか知りたくなる。」
アルの言葉に、心臓は更に早くなる。
ドキンドキンとなる心臓の音は大きくて、体の外にまで漏れてしまいそうだ。
「コウは前に俺の事が好きだって言っただろ?
その好きが、どんな好きなのか分からないって。
今でもそうか?俺への好きはわからないままか?」
真剣に思いを伝えてくれたアルに、私も真剣に答えなくてはいけない。
でも上手く声を出す事が出来ない。
アルの刺さるような強い視線は私をその場に縫い止めた。
「もし婚約者が重いのなら、民衆のように恋人でも構わない。
俺はコウにこれからも側にいて欲しい。」
真っ直ぐに見つめられる瞳に心の中を全て見透かされそうで、怖くなって逸らしてしまう。
本当は今すぐ、はいと返事をしてしまいたい。
私もアルの側にいたい。
でもそれを言葉にする事を躊躇ってしまう。
恋愛経験のない私にはどれが正解かわからない。
「それとも、コウは俺をそう言う意味で好きにはなれないか?」
何も言わずにいる私に、アルは不安そうにそう言った。
「ち、違うの、そうじゃなくて...」
慌ててアルを見たが、その顔は悲しそうな笑みを浮かべている。
わかったと言わんばかりのその悲しげな顔に、ズキンと胸に痛みが走る。
「違うの、アル。
私はあの、あのね。
...うん、って言うのが...恥ずかしかっただけ。」
アルの服をギュッと握り、最初はアルと合わせていた目も段々と下を向いてしまう。
少しずつ声が小さくなってしまった自覚はある。
でもやはり、言葉にするのは恥ずかしい。
「それはつまり...俺の側にいたいって事か?」
アルの言葉に、アルの服を掴む手に更に力が籠る。
だが何も言わなければ、アルに私の気持ちは伝わらない。
私は小さく頷いてアルの言葉を肯定した。
途端に私の体はギュッと締め付けられる。
それがアルに抱き締められているのだと気付いたら、息が止まりそうだった。
「コウ...コウ...」
アルの甘い声が耳の側で聞こえて、もうどうしたらいいのかわからない。
顔はずっと熱いままだし、心臓は痛い位に脈打っている。
全身がアルの温かさと匂いに包まれている感じがする。
落ち着こうと深呼吸をするが、鼻から吸った空気は更にアルの匂いを感じさせた。
「コウ、俺を好きって事だよな?
俺と恋人になるって事だよな?」
アルの囁きに似た声が、鼓膜を刺激する。
もう、訳がわからない。
恋愛初心者の私は、頷く事しか出来ない。
力の込められたアルの腕が、少し苦しい。
でもそれ以上に暖かく優しく感じる。
「コウ、一度だけでいい。
俺をどう思っているか、言葉にしてくれないか?」
アルが抱きしめたまま、そう言った。
恋愛経験のない私に無理な事を言ってくれる。
もう今でも既に恥ずかし過ぎて、アルの顔を見る事さえ出来ないのに。
「お願いだ、コウ。」
アルは諦める気は無いようだ。
きっと私が言うまで、このままの状態は続くだろう。
「...き...好き...アルが...好...き。」
観念したように本当に小声でそう言う、この距離にいるアルにさえ聞こえたかわからない。
でも耳元で聞こえるアルの心音が、ドクンと大きな音が聞こえたから私の声はアルに届いたのかも知れない。
「大切にする。
ずっと俺の側にいてくれ。」
心音と共に聞こえるアルの声に落ち着く。
まだ心臓はドキドキと早いままだし、顔も熱いままだ。
でもアルの腕の中は、私にとって落ち着く物へと変わっていった。




