魔王になった女性(レクスチェール視点) 〜前編〜
ナイミル殿下に婚約破棄された翌日。
私の目の前に現れたのは悪魔だった。
何故、こんなものが居るのか理解出来ない。
見た事もないその悪魔に、私は恐怖を覚えた。
姿の無い、ただの影だったそれは私の側に来ると囁くように言った。
「可哀想に。
お前が復讐を望むなら力を貸してやろう。
全ての物に復讐したくはないか?」
甘い響きを含んだ声に、胸がゾワリとする。
復讐?私が?
私は慌ててその影から距離を取ると、首を左右に振った。
「わ、私は復讐なんてしたくないです。
...ただ...幸せになりたかっただけ...」
そう言った私の脳裏に、昨日のナイミルが思い出された。
聖女と婚約すると言ったナイミルを思い出すと、また涙が溢れそうになる。
私は涙が溢れないように目に力を入れた。
そんな私に影はスルリと距離を詰める。
「聖女が来なければお前が捨てられなかった、ナイミルが勇者でなければお前の婚約者のままだったのにと。
聖女が憎くはないか?
勇者など居なくなればいいとは思わないか?」
再び耳元で囁かれる言葉にビクリとした。
聖女がこの世界に来なければ...。
一瞬でもそう思ってしまった事に罪悪感を感じる。
違う、私はそんな事を思っていない。
「素直になればいい。
聖女が邪魔なんだろ?
聖女が来たから、お前は幸せになれなかった。
聖女を選んだ婚約者など、アイツらだけが幸せになる事が許せるのか?」
そう言いながら、影は私の心の弱い所に入りこんで来る。
違う、そんな事ないと思っているのにいつに間にか悪魔の囁きに同調している自分が居る。
聖女が憎い、私を捨てた者達に復讐を。
いつしか負の感情が心を支配する。
私は悪魔の手を借りる事を選んでしまった。
「大丈夫だ、俺が手伝ってやろう。
お前は聖剣から、石を盗むだけでいい。」
「でも聖剣から石を取るなんて出来るの?
聖剣は持つ事さえ出来ないのに...」
「心配するな。
俺には大した力は無いが、聖剣に少し悪戯する位は出来る。
その隙にお前は石を盗めばいいだけだ。」
悪魔の言葉に頷き、私はナイミルの部屋に忍び込んだ。
ナイミルは今、聖女の魔法の練習に付き合っている。
その事にズキンと胸に痛みが走るが、私は静かに扉を閉めると聖剣の前に立った。
悪魔の影が聖剣を見定めるように周囲をウロウロすると、赤い石を突くように動く。
「ほら、今なら盗める。」
悪魔がそう言ったのを聞くと、私は聖剣に手を伸ばした。
赤い石に触れると、石は簡単に外れた。
その石を拾い上げると、私の中を黒い感情が埋め尽くす。
「やった、やったぞ!」
悪魔はそう言って喜んだが、私はそれどころでは無い。
黒い感情が、私の中にあった憎しみや悲しみを増幅させる。
聖女が憎い、私を捨てた殿下が許せない。
私が石を手にした事で、部屋が荒れて行く。
風が吹き荒れ窓を割り、振動が起きると壁が軋んだ。
「レクス...チェール...?」
ナイミルの声が聞こえて、扉の方へ振り向いた。
「殿...下...」
私を捨てた男が目の前にいる。
さっきまで聖女と共にいた男だ。
次々に湧き上がる感情に、私の正気がかき消されると私の姿は魔物へと変わった。
自分の体の大きさに耐えきれず、城が崩れて行く。
ガラガラと崩れる城の残骸で、ナイミルは私に剣を向けた。
ナイミルの僅かに怯えた瞳が私を捕らえる。
そんな目で...私を見ないで。
悪いのは貴方なのに。
「ナイミル様、ご無事ですか!?」
そう言ってナイミルに駆け寄ろうとする聖女に、一気に怒りが湧き上がる。
コイツがいなければ、私は幸せになれたのに。
私のナイミルに近づくな!
怒りに任せて振り上げた爪は、聖女を捕らえた。
簡単に死んでしまった聖女に、私の怒りは収まらない。
私は羽を広げて飛び立つと空を舞った。
眼下に広がる王都に、無性に苛立ちを覚える。
私はこんなに不幸なのに...。
ー コンナ街ハ滅ンデシマエバイインダ ー
怒りのままに炎を吹き、王都を焼き尽くす。
こんなに、こんなに簡単に壊せてしまうのだ。
私は燃え盛る王都を見下ろしながら虚しさを覚えた。
再びナイミルの前に降り立った私にナイミルは憎しみの篭った視線を向ける。
「貴様...許さんぞ...」
ああ、そうか。
憎しみは憎しみしか生まないのだ。
聖女を殺し、ウラカルドの王都を滅ぼした私をナイミルは許さないだろう。
今更ながらに後悔が押し寄せる。
私はこんな事がしたかったのかと。
違う、こんな事がしたかった訳じゃ無い。
私はただ、ナイミルと幸せになりたかっただけなのだ。
剣を持って私に向かって来るナイミルをただジッと見ていた。
もう、私は何もする気になれない。
このままナイミルに殺されれば、私の罪は消えるだろうか?
深々と胸に刺さる聖剣に激痛が走る。
苦しい。
もう息もまともに出来ない。
ドサリと倒れた私をナイミルが見下ろしている。
その顔には後悔が見えた。
何故そんな顔をしているのですか?
私を憎んでいたのではないんですか。
貴方は私を捨てた人。
私は...もう何も考えられない...。




