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日向 菜花

日向 菜花は16番目の聖女としてこの世界に召喚された。

当時はまだ、定期的な聖女召喚を行っていた時期だ。

菜花も琴美同様、各国を回り同行者を集めて魔王の封印を行った。

その後、エルフ族の同行者であった男性エルフと結婚しユルフェクトの地にやって来た。

同行者の男性エルフは王族では無かった為、菜花がユルフェクトの女王になる事も無かった。

それに、エルフにとって菜花の寿命はあまりにも短い物だった。

ハイントにとってもそれは同様で、母である菜花と過ごせた時間は僅かだった。

人族で有れば十分な時間だっただろう。

しかしエルフ族にとっては菜花がこの地で過ごした時間は、一瞬の事のように短い。

ハイントも出来る事ならもっと長い時間を菜花と過ごしたかったであろう。

それ程までに菜花と過ごした時間は幸せな物だった。


そんな菜花がハイントに時折聞かせていた、元の世界での友人の名がコウだ。

コウの話をしている時の菜花の顔は、とても楽しそうだった。

この世界とは違う、他の世界の話はハイントの興味を刺激するには十分だ。

そしてその世界で出てくる名前がいつもコウなのだ。

ハイントはコウに興味を持ったのは必然だったのかも知れない。


「これは母上の形見の品です。

 ぼくはお守りとして持っていますが、元々はあっちの世界の物らしいですよ。」


そう言ったハイントは、首に掛けていた鎖を引っ張り出して見せてくれた。

そこには日本では珍しくもないアニメキャラが描かれたアクリルキーホルダーがぶら下がっていた。

そのアクキーを目にした途端、ドクンと心臓が強く脈打つ。


『コウ、お揃いで一緒に買おう!』


アクキーを手にして私に笑い掛ける一人の少女が頭に浮かんだ。


「な...のは...」


そうだ、あれと同じアクキーが私の通学鞄にも付いている。

菜花とお揃いで買ったそれは私にとっても大切な物だった。

私は菜花を知っている。


菜花は私の...親友だった。


何故、今まで忘れてしまっていたのだろう。

忘れてしまっただけではない。

菜花の記憶がない事に、何の疑問も覚えなかった。

記憶がねじ曲げられていても、何の違和感もなかったという事だ。

孤独だったと思っていた学校生活の筈なのに、今思い出すと私の隣には菜花がいる。

菜花は学校だけではなく、一緒にコスプレもしていた。

だから私を『コウ』と呼んでいたのだ。


「コウ?大丈夫?」


エマが心配そうに声を掛けた。


『何かあったか?』


琴美も心配してくれたのだろう。

私の異変を察知したように、そう言った。


「私、菜花の事を知っていたみたいなんだよね。」


真っ青な顔でそう言った私にアルは眉を顰める。

自分の事なのに曖昧な言い方をしたのが、気になったのだろう。

私は今思い出した事を、皆に伝えた。




『なるほどな。

 確かに召喚の誓約にそのような事が書いてあったな。』


琴美はそう言って、少し考えるように黙った。


『召喚されると、元の世界から召喚された者の記憶が消える。』


召喚の誓約として書かれていた一文を思い出す。

私はそれを身を持って体験していたという事だ。


親友だったのに、今の今まで私は菜花の事を忘れていた。

その事に罪悪感が湧き上がる。

人が一人居なくなっていたのに、何の疑問も持たなかったなんて怖すぎる。

きっとこれまでの聖女達は、こうやって元の世界の者に忘れ去られていったのだ。

何故、私は親友の事を忘れてしまったんだ。

後悔の念が私の胸を締め付ける。


『...コウ、気を病むな。

 抗えない事もある。

 抗えないからこそ、我らもこの世界に召喚されたのではないか。』


私の考えていた事がわかったのだろう。

琴美は私を気遣うようにそう言った。


「うん...」


琴美の心遣いがありがたい。

少しだけ軽くなった心に、私は王都にへの道を急いだ。








「まさかこんな早くに連れて帰るとは驚いたな。」


ハイントと共にユルフェクト女王の元へ行くと、本当に驚いたように目を丸くした。


「ハイント様は無事戻られました。

 ですのでザイドとイリーゼの同行を認めて頂きたい。」


私は真っ直ぐにユルフェクト女王を見つめそう言った。

ユルフェクト女王は暫し考えるように黙った後、重い口を開く。


「...わかった、許可しよう。

 聖女降臨式は予定通り二日後だ。」


そう言ってユルフェクト女王は立ち上がり、去ってしまった。

ユルフェクト女王としては、まだ納得出来ない部分もあるのだろう。

ザイドとイリーゼの同行が許可されただけでも前進だ。


私達はイリーゼに案内され、城の客間に通された。

聖女降臨式まではここで過ごす事になる。

私はソファに座ると、ぼんやりと菜花の事を考えた。


菜花とは親友であり幼馴染みだった。

小さい時から一緒にいるのが当たり前で、私が王子と呼ばれるようになってからも気にせずそばにいてくれたのは菜花だけだった。

そういえばコスプレを始めたきっかけも菜花だ。

菜花がどハマりしたアニメのキャラクターに似ているなんて理由で、私はその衣装を着せられたのを思い出す。

そこから二人でコスプレ自体が楽しくなり、何度も一緒にイベントへ行った。

そうしてるうちに学校外でもコスプレ仲間が増え、私達はいつも三人で合わせてイベントに参加していたんだ。

菜花は明るく一緒にいるといつも楽しかった。


なのに...何故忘れてしまったのだろう。

親友をあっさりと忘れてしまった自分に嫌気が差す。

菜花がこの世界で懸命に生きていたのに、親友の私は忘れてしまうなんて...。


コンコンコンというノックに現実に引き戻される。

私は立ち上がると扉を開けた。


「何度も言ってるが、相手を確認してから扉を開けろ。」


アルは何も疑わずに扉を開けた私に、呆れ顔を向ける。


「うん...そうだったね。」


自分でも元気の無い事がわかる声に、アルは心配そうに眉を下げた。


「中に入っていいか?」


「どうぞ。」


体を横にずらし、道を開けるとアルは部屋に入った。

先程まで一人で座っていたソファに、アルと並んで座る。


「...菜花様の事か?」


アルの静かな声にコクンと頷く。


「琴美も言っていたが、コウが悪い訳じゃない。」


「うん...わかってはいるんだけど、なんか自分が情けなくて。」


琴美が言った通り抗えない事は存在する。

だがだからといって、親友を忘れてしまっていた事を仕方がないの一言で済ませられはしない。


「聖女達を召喚している世界の俺が言っても、お前が言うなって思われるかも知れないが、菜花様はこの世界で幸せに暮らせたんじゃないか?」


「え?」


「ハイント様をみればわかる。

 あんなに明るくて真っ直ぐな人なんだ。

 親が幸せであった事は容易に想像出来る。」


そう言ってアルは笑って見せた。

そうか、菜花は幸せだったのか。


「それに...俺はコウを忘れない。」


アルが優しい声でそう言った。

それだけで心が満たされ温かくなる。

私は知らず知らずのウチに恐れていたんだ。

菜花のように自分が忘れられる事を。

それをアルの一言が、私に安心を与えた。


「アル...」


アルの胸に寄り掛かるように顔を埋めると、アルは私を抱きしめてくれた。

明日、ハイントに頼んで菜花のお墓に行こう。

アルの優しい心音を聞きながら、私はそんな事を考えていた。

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