もう届かない
エリルの部屋の前まで来た。
部屋の中にエリルはいるようだ。
ノックしようと握った手を、静かに下ろす。
中からバリバリと嫌な音が聞こえた。
まるで骨を砕くかの様な音に、ゾワっと寒気がする。
「エリル入るよ。」
ノックもせずにそう言うと、私は扉を開けた。
部屋の中の様子に体が硬直する。
部屋の中にいたのはエリルであってエリルではなかった。
バリバリと音を立て、骨ごとそれを食べている。
カモメだろう。
半分以上が食べられてしまったそれが、元々なんだったのか正確にはわからない。
耳まで裂けた口が、血で真っ赤に染まっている。
左右の肩から伸びた緑色の蔦の様な腕は、片方はしっかりと獲物に巻き付き、もう片方はウネウネと触手の様に動いていた。
「あは、見られちゃった。
もう、ノック位してよ。」
だいぶ姿が変わってしまっているが、エリルの面影を残すそれが、悪びれる事なくそう言った。
最後の一口と残りを口に入れると、再びバリバリと噛み砕く。
その様子に吐き気がするが、今はそれを気にしてなどいられない。
「まあ、女のアンタには別に興味がないからいいや。」
そう言いながら蛇の様な舌で唇をペロリ舐めたエリルは、いつもの人の姿に戻った。
「魔物だったのか。」
私はそう言って剣を抜いた。
「何?私を殺す?
あは、そしたら皆んなに掛けた魅了も誘惑も解けなくなっちゃうよ?」
先程までの出来事が嘘かの様に、エリルは綺麗な笑みを浮かべた。
「私を殺してもそれは解けない。
私が魔物だってバレない限り、解けないんだよ。」
あははは、と楽しそうに笑うエリルを睨みつける。
剣を握る手に力が入るが、剣を振るう事が出来ない。
「自分だけ逃げちゃえば?
だって、他の人達はもう助からないもんね。」
「皆んなをどうするつもりなの?」
「言ったじゃん、姉さんの所に連れて行くの。
姉さん、私と違ってあんまり動けないんだよね。
だから私が定期的に、姉さんの所に餌を連れて行くの。」
私は怒りで震える手で、剣を鞘に戻した。
それを見てエリルはニッコリと笑う。
「いや、王子を引っ掛けられたのは良かったよ。
王子が行方不明になったら、捜索の部隊が来るからね。
しばらくは餌に困らない。」
余程ご機嫌な様で、エリルは饒舌に話し続ける。
私は拳を作ると、怒りに任せてそれを扉に叩き付けた。
拳で叩かれた扉がガンッと大きな音を立てると、エリルは笑うのを止め冷たい視線を私へと送る。
「思い通りになんかさせない。」
キッとエリルを睨み、私はそう言った。
「おい、今のは何の音だ!?」
先程の音を聞いてガロを先頭に、皆がここへ集まって来る。
するとエリルは私の横をサッと通り過ぎ、怯えたようにガロに抱き付いた。
「どうしたんだ?エリル。」
ガロが心配そうにエリルを覗き込む。
ガロだけではない。
この場にいる皆がエリルを心配していた。
「皆んな、エリルから離れて。」
ゾワリと悪寒を感じ、私は皆にそう言った。
しかし皆の顔は訝し気に歪められる。
「コウ、どうした?
おかしいぞ。」
そう言ったヨルトの表情は冷たい。
いつもの無表情だが、そこからは軽蔑さえ感じられる。
その表情ズキンと胸が痛んだ。
「エリルは...エリルは魔物だったの。」
そう言った私の言葉に、辺りがシンと静まり返る。
「コウ、止めるんだ。
自分が何を言ってるかわかってるのか?」
アルが眉間に皺を寄せながらそう言った。
「信じられないと思うけど本当なの。
皆んな騙されているんだよ。」
「ひどい...」
エリルが涙を流し、ガロの服をキュッと握る。
ガロはそんなエリル頭を撫でながら、私を睨んだ。
「コウ、もうやめろ。」
アルの声が低くなる。
皆が苛立っているのが空気でわかる。
しかし皆の命が関わっているのだ、やめる訳にはいかない。
「エリルは魔物なの、私見たの。
お願い、私を信じて。」
「やめろ!」
パシンと乾いた音が響く。
衝撃と、ジワジワと痛む左頬に、自分がアルに叩かれたのだとわかった。
「これ以上、ガッカリさせないでくれ。」
そう言ったアルの目からは軽蔑の色が感じられた。
アルだけではない。
皆の冷え切った視線が私に突き刺さる。
「...もう、私の言葉さえ届かないんだね。」
ジンジンと熱を持ち、痛む左頬を押さえる。
私はもう何も出来ないのか。
そう思うと、悔しくて涙が溢れそうだった。
「いくら聖女とは言え許される事ではないぞ。」
ガロの言葉が冷たく降り注ぐ。
「荷物を持ったら船を降りろ。
頭が冷えたら、おれ達が帰る時に拾ってやる。」
ガロの言葉に誰も何も言わない。
皆がそれに賛同したと言う事だ。
帰りでは遅いのだ。
もう帰って来られないかも知れないのだ。
それでも、もう私に言葉を発する事は許されない。
私は荷物をまとめる為に、自分の部屋へと向かった。
ほとんどがアイテムボックスに入っている為、まとめる荷物はとても少ない。
皆から向けられた冷たい視線を思い出すと、ギリギリと胸が痛んだ。
「バカね、何もせずに自分だけ逃げてればそんな思いしなくて済んだのに。」
扉に寄りかかるようにしてそう言ったのはエリルだ。
「無駄な正義感のせいで自分が傷付くなんて本当にバカ。」
一歩ずつ私の元に歩み寄りながら、エリルは魔物の姿になっていく。
長い触手のような蔦の手で、アルに叩かれた私の頬に触れた。
「もっとバカなのは騙されている事に気付かない、あの男共だけどね。」
キャハハと耳まで裂けた口でエリルは笑う。
悔しい、こんな奴の好きにさせるなんて。
ギュッと握った拳に力が入る。
「じゃあね、さよなら聖女さま。」
エリルは人の姿に戻ると、満足そうに部屋から出て行った。
何も出来ない、無力な自分に腹が立つ。
「...悔しい...」
絞り出すようにそう言った私の声は、誰の耳にも届かなかった。




