成り損ないの
窓の無いこの塔には、光があまり差し込まない。
男は、鏡にぼんやりと写る己の姿を見つめていた。溜め息とともに言葉が零れ落ちる。
「なぜ……」
容姿を確認する度に彼女が脳裏にちらつく。自分より優れた美貌を持つ、太陽の様な少女。
彼は自分自身を呪いたかった。彼女より美しくない容姿も、何故か彼女に抱いてしまう執着心も。
もうすぐ彼女はやって来て、己に思い知らせるのだろう。
何て不完全な君主なのだろうか、と。
彼女に会うまでは、この存在に不安を抱いたことなどなかった。完璧な、全知全能なる者だと信じていたのに。
一瞬で打ち砕かれてしまった。一目で解った。
「彼女には敵わない」
どこまでも虚ろな鏡像が彼を見返していた。
階段を駆け上る足音が彼の耳に届いた。
「あの、最後にお礼がしたくて」
彼は徐に後ろを振り返る。闇に包まれていたはずの部屋は、一気に明るくなっていた。
「聖女さん。礼なんて良かったのに」
「聖女」と呼ばれた少女は真っ直ぐに男を見る。輝く瞳が彼を射抜いた。
「いえ。わたくしを助けてくださって、ありがとうございます」
「私は何も。ただ、貴女は死ぬべき人ではないですから」
彼は彫刻の様な笑みに本心を隠す。
貴女を死なせたくなかった。私に笑顔を見せて欲しかった。然う心が叫んでいるのをどうにか押し込める。
そんな戯れを言えば彼女がどう反応するか、理解していたのだ。
「かなわないお方ですね。わたくしに協力してくださるって聞きました。ひそかに、援助してくださるのでしょう? ……他に知られたら大変でしょうに」
少女は微笑を浮かべた。それは、蕾が綻ぶようで、暖かで麗らかな陽気を孕んでいて。
「昔、とうさまがよく言っていました。あなたは、生まれながらの素晴らしい君主だって」
男は思わず少女から目を逸らす。
「全てを民にささげられる人だって」
あまりにも眩しすぎて、
「だから、あなたにならわたくしを理解していただけると思って」
直視できないほどに、
「本当に、ありがとうございます」
目が痛くて――
「実を言うと、もっとお話ししたかったのですけれど。そろそろ、おいとましないといけませんね」
彼は瞑目した。
「これ以上迷惑はかけられません。あなたも、お忙しいでしょう?」
少女は首を傾げ、絹の髪が艶やかになびく。
「ご心配には及びません。でも、そういたしましょうか。貴女と貴重な時間を過ごせたことに感謝します」
彼は刮目すると、聖女に目を向けた。どんなに目映くとも逸らさないように。
「わたくしも、憧れのお方と出会えてよかったです」
少女の言葉は純粋で、短剣の如く彼の心に突き刺さる。
「最後に一言だけ」
「え?」
意識せず放たれた言葉に、彼自身が驚いていた。
「貴女に幸福が訪れますよう」
けれど、彼は今日初めて心からの笑みを浮かべていた。
囁かれた少女は一瞬、戸惑いを見せる。
「この国に幸福が訪れますように」
男は唇を噛み締めた。
部屋を再び暗闇が支配する。窓の無いはずの部屋に、冷たい隙間風が吹き込んでいた。溜め息が風の音に紛れる。
貴女の為なら総てを捧げられる。この国だって捨てられる。
そう暴露してしまえればよかったのに。
何かがそれを邪魔していた。
「何にも溺れられない私は、何者にも成れない」
取り残された彼は鏡を見据えて呟く。
成り損ないの気持ちを抱えて。