#2 幼馴染なんてこわくない(2)
*
先週のことである。
家込逢澄はいつものように、屋上の給水タンク塔に登って、風に当たっていた。
ここは家込の特等席である。
校内のだれもこんなとこまで登ってこない。
静かで、日差しもよく、風も抜けるので、低血圧の家込は、朝からよろよろとよじ登ると、朝課外や1限目を、日光浴して過ごすのだった。
駕木は、そんな家込の様子を休憩時間毎に見に来るのが日課であった。
「アイス、HR終わったぞ」
「う~ん……まだだるい」
「じゃあ1限目も欠席にしとくか」
「ねえ無人ぉ」
「あん?」
家込は、いつになく間怠い声を投げた。
「すごい力とかないかな?」
「なにそれ」
「空飛んだり、ビル壊したり」
「アイス、運動できないよね? 走るのだってビリじゃん」
「そこをなんとか」
「阿寒湖のマリモには、勝てるんじゃない? んー、水中戦じゃ厳しいか」
「じゃあ、大食い選手権にする。どう?」
「これなんの話し?」
「ここで太陽の力をもらっているのだー、とか言いたいのかも」
そういって空に手をかざす家込。
駕木は悠然とそれを眺めて、
「アイスにも取り柄はあるよ」
と励ました。
「おぉ、どんな?」
「ここで眠れるのも、能力っちゃ能力だ」
「わたしすでに能力者だったか」
「いやホントそう思うよ」
それは確かにそのとおりで、家込がここで朝の時間を日光浴に費やしても、成績は常に上位なので、教員たちも何も言えないのであった。
「じゃあ、戻るね」
「無人だったらどんな力がいい?」
「ぼく? 通信簿、見せたよね?」
年度末の通信簿の評価は、すべての項目が5段階評価中の「3」だった。
延々と3が並ぶ通信簿をみて、妹の雪花は「人間アベレージ」と罵った。
「ミスタースリーだったか! バンバン!」
家込は寝ころびながら、指鉄砲を殺し屋のように構えていた。
「普通、っていうんだよ」
悪足掻きする気もない駕木は、成績を受け入れていた。
べつに困りはしない。
叱られるわけでも、褒められるわけでもない。
普通であることで、平穏が得られるのなら、駕木にとっては十分だった。
*
「わたし駕木くんと付き合うことにしたの。そのほうが都合よさそうだから」
「はい、意味がわかりません」
田所は他の教員を呼びに行ったので、部屋には当事者だけが残されていた。
この状況で席を外す教育者に疑問は残るが、駕木はなんとか応戦していた。
「無人には、まだ早いんです」
眉根を寄せて困ったような顔をした家込が言った。
「アイス、それってぼくが人と付き合うのが早いって言ってる?」
「あら、駕木くんは知らないあいだに、大人になってるかも」
「香坂さん、誤解を生む言い方しないでくれる?」
「無人のは、まだ未熟で――」
「おおっと!? アイスまで!? ぼくたち、ただの幼馴染だから」
「わたしは、駕木くんの持つモノがどれくらいのものか、測りたいの」
「も、モノを測るっ!? ちょっとなに言って――」
「測らなくても、わたしは知ってます……」
「あっれー、ぼくとアイスってそんな関係だっけ!?」
穏やかな香坂と家込のあいだで、ひとり忙しない駕木。
しかしいくら駕木が騒ごうとも、ふたりはふたりだけで話を続けていく。
「家込さんは、昨日駕木くんになにがあったか知ってる?」
「いやいや、ぼくは約束通り、誰にも話してないから――」
「はい、知ってます!」
「え、なに見てたの!? いや、ホテルに入ったのは入ったけど、本当になにもなかったんだ!」
「じゃあ、駕木くんが置かれている状況もわかっているのね」
「とても苦しい状況ですよ、ぼくは!」
「無人とは、ずっと一緒に居たから」
「そりゃ幼馴染だからねっ!」
「家込ちゃんが、駕木くんの保護者だったのね?」
「むしろぼくが、アイスの面倒をみてたっていうか――」
何故だか気まずくなってくる駕木。
これではまるで、正妻と愛人のあいだで揺れるダメ男である。
そもそも誰とも付き合っていないのだから、前提が成り立っていない。
となるとこれは、タラし男の修羅場?
いやいやそんなことあるわけ――
などと駕木は慣れない思考を巡らせてクラクラしていた。
「駕木くんはどこまでできるの? 触ったり、撫でたりもするの?」
「ちょっ、香坂何言ってんだよ、アイスとはそんなんじゃ」
「撫でるだけじゃなくて、チューだってできるもん」
「はあっ!? あ、それあれだろ? 小さいときにしたとかっていう。そんなのカウントすのは、どうかと思うぞ!」
「チューまで!? 信じられない!」
「え、そんなに驚くこと? 子供のチューくらい!」
「無人はすごいんです」
「また誤解を生むようなこと」
「駕木くんって、そんなに愛されてるの? 想像以上だわ」
「そうなんです」
「そうだったの!?」
思いがけず家込から愛の告白を受けた気がして、血がのぼる駕木。
それでも家込と香坂は、構わず続けた。
「無人は渡しません、わたしたちで何とかします」
「いつまでも隠し通せることじゃないでしょ?」
「なんとかしてみせます」
「駕木くんに自由はないの? かれにも人生を選ばせてあげるべきじゃない?」
「それはぁ……」
形勢が押されたのか、家込が気まずそうに視線を逸らした。
香坂は、まっすぐに家込を見つめていた。
「家込さんが、駕木くんの幸福に自信があるんだったら、全部告白すべきよ。 じゃないと――わたしが奪っちゃうから」
「だ、ダメです!」
「じゃあ逆に訊くけど、家込ちゃんはわたしのこと、どれだけ知ってる?」
「…………」
「それを知ってからでも、遅くはないよね?」
「無人に、すべて捧げられるんですかぁ」
「わたしこれで結構、尽くすタイプなの。零か百。はっきりしてるでしょ?」
「むうん……」
家込が煮詰まってしまった。
駕木もふたりの女性から告白を受けている現状は、まるでドラマか冗談のようだが、なにをどう言ったらいいのかわからず、まごついていた。
すると、生徒指導室の外から「くっくっく」と忍び笑いが響いてきた。
3人がいぶかしげに振り返ると、扉が開いて生徒会長の東郷湊があらわれた。
「色男だね、駕木くん」
東郷湊は聡明なる女傑として、この高校に君臨する3年生である。
駕木と家込が萎縮するなか、
「聞きつけるのが早いのね」
香坂が悪態をついた。
東郷は有閑な素振りで机に近づくと、片肘をついて香坂を威嚇した。
悦に入ったその態度は、宝塚の男役を思わせた。
「見てごらん、駕木くんがすっかり混乱している」
駕木にはもう思考力がほとんど残っていないかった。
けれども東郷は、駕木を救うどころが、追い打ちをかけることを言うのだった。
「彼女たちが、いったい何について話していたか、教えてあげよう?」
「ふへ?」
「彼女たちは――ドラゴンの話をしていたんだよ」
「……ドラゴン――」
駕木の目は点になり、残されていた思考力も底をついた。