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お龗(おかみ)なんて怖くない  作者: 八兼信彦
5/19

#1 同級生なんてこわくない(2)

  *


 間接照明に浮かび上がる、味気のないロビー。

 外が明るいせいか、室内は白んでみえた。


 空室状況が表示されたパネルの前に香坂が立った。

 こんな時間のせいだろう、空いている部屋のほうが多い。

 しかし駕木には、こんな時間から数部屋埋まっていることのほうが衝撃だった。

 香坂が部屋のボタンを押すと、受取口に鍵が落ちてきた。

 香坂は鍵をさっと拾い上げて、エレベーターのボタンを押す。

 動作があまりに自然で、ここには何度も来ているのかと勘ぐってしまう。


 芸能界のお嬢様ともなれば、裏家業というものがあるのかもしれない。

 もしかすると、目撃してしまったのは、業界関係者?

 まさか海外からきた要人の接待に――

 などとめくるめく妄想が、浮かんでは消えていく。


 室内は狭く、ほとんどダブルベッドが占めていた。

 ベッドの向かいにはテレビが壁に掛けられている。

 あとは化粧台と、荷物置き用の椅子があるくらいだった。

 ビジネスホテルとあまり変わらないなと、駕木は思った。


「お風呂も観てみる?」


 物珍しそうにしている駕木に興が乗ったのか、香坂は浴室扉を開けた。


「わぁ」


 うっかり声が漏れる。

 浴室は広く、浴槽もふたりで入ることができる設計になっていた。

 床面は石造りで、淡い照明に凹凸が映えていた。

 これはビジネスホテルと全然違った。


 コトン、と音が聞こえたので、寝室へ顔を向ける。

 香坂が荷物を降ろして、化粧台にサングラスを置いたところだった。


 まごうことなき、香坂である。

 学校中の男子が、一挙手一投足に注目している香坂。

 その香坂が、ふたりきりの空間にいて、こちらに視線を向けている。

 そしてこの部屋には、ベッドがひとつしかない。


 幾多の人々が、褥を絡ませてきただろうベッドである……

 ごくり、と生唾を呑む駕木。

 あり得ないことだとわかっていても、心臓が脈打つのは抑えようがなかった。


 そんな駕木をみて、香坂はふうとため息をついた。

 そして――

 おもむろにブラウスのボタンを外しはじめた。


「ちょ、香坂さん、何やって――」


 軽い悲鳴をあげる駕木に、香坂は動きを止めると、


「あら、駕木くんはこっちは嫌い? じゃあこっち?」


 というと、バッグから財布を取り出してみせた。


「いやいやいやいや、どっちでもないから――」


 切羽詰まった駕木だったが、それでもきっぱりと断りを入れる。

 香坂は飽き飽きした素振りで、


「高校生って面倒ね。変に正義感があるから」


 と財布を投げると、駕木に詰め寄った。

 愛くるしい香坂の瞳にみつめられて、駕木も動けなかった。


「さあて、駕木くん。ナニしましょうか?」


 冗談とも本気ともつかぬの物言いで、駕木の頬に手を掛ける香坂。


「こ、ここに来たら、話してくれるんじゃなかったの?」

「そんなの口実に決まってるじゃない」

「おーっと、そうきたか……」


 にじり寄られて、もう身体が触れそうになっている。


「わたしとここに来て、なにもしないで帰る気?」

「もちろんそのつもりだけど……」

「ここにくるまで、エッチな想像もしなかった?」

「いや、その……」


 すっかり香坂のペースになっていた。

 またしても香坂は、妖艶に微笑んでいる。

 このままではいけない、そう思った駕木は、なんとか話を切り出した。


「さっきの人、香坂の彼氏?」


 そういうと香坂はすこしムッとして、


「言ったら、黙っててもらえる?」

「いや――言いたくないんだったら無理にいわなくても」

「わたしの片思い」


 香坂は口早に言い切ると、すこし寂しそうな顔をした。


「片思いなのに、ここに来たってことは……身体の関係とか、不倫とか――」

「独身よ」

「そうなんだ……」


 ショックを受けている自分が居ることに、駕木は驚いた。

 学園のアイドルとはいえ、清純そうに見えていた香坂が、年上の外国人とそうゆう関係にあったというのは、なんだか自分の世界がとても遅れているような、置いていかれるような、劣等感にさらされるのだった。


「駕木くんはどうしたら黙っていてくれるの?」


 と香坂はまたブラウスに手をかけて、服を脱ぎだした。


「ええっ」


 駕木は二度目の悲鳴をあげて、手をジタバタさせている。

 止めたいのは山々だが、香坂の腕に触れるのも気が引けた。


「まだるっこしいのは、嫌いなの」


 香坂はブラウスを脱ぐと、今度はスカートのチャックを解いて、振り落とした。

 下着姿になった香坂の、なまめかしく健康そうな白い肌が露わになる。

 透き通るような肌と、淡いブルーの下着が相俟って、むしろ神々しく見えた。

 駕木はもう気が動転して、泡を吹きそうだった。

 すると香坂は、身体をピタリと駕木にくっつけて、駕木の頭を抱いた。


「こ、こ、こ、こ……」


 香坂さん、と言いたかったが、緊張と硬直から言葉にならない。

 全身が熱に包まれ、燃えているような錯覚さえ起きる。

 だがここで、香坂がきゅっと力を入れた。

 それは愛情を演出しようとしたのかもしれないが――


 このとき駕木の身体に、震えが伝わった。

 一瞬のことだったが、それは香坂の震えであった。


 駕木はまたたくまに冷静になった。

 香坂の腕をぐっと掴むと、頭を引き抜いた。

 そして身体を離して、叱るようにこう言ったのだった。


「香坂、それはダメだよ」

「えっ」


 香坂はきょとんとしていた。

 自分がなにを言われたのか、理解できていないようだった。


「香坂はすっごくかわいいけど、これは違うよ。こんなこと、無理にすることじゃない」

「それって……わたしを断ってる?」

「香坂がなにを思って、なにを隠しているのか知らないけど、嫌なことはやるもんじゃないよ」

「嫌? 当然よ、だって交換条件だもん。でも、それで駕木くんが黙っていてくれるんだったら、わたしの身体なんて安いものよ」

「ダメだよ。それ間違ってる」

「間違ってない! わたしはね、駕木くんなんかにはわからないくらい、重要なことのためにこうしているの! そのためだったら、わたし死ぬことだってできるの!」

「そうかもしれない。けどそれは、今じゃなくていい。少なくとも、ぼくにはそんなことしなくていいよ」

「なにそれ、信用できない」

「じゃあ誓うよ、宣誓する」

「なにを、だれに誓うの?」

「香坂に誓う。今日見たことは誰にも言わない」

「あなた、ばかなの?」

「香坂こそ」


 ふたりは睨みあった。

 それはもう、意地の張り合いであった。

 ふたりのあいだに、沈黙が流れる。

 どちらも譲らない時間は、とても長く感じられた。


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