#1 同級生なんてこわくない(2)
*
間接照明に浮かび上がる、味気のないロビー。
外が明るいせいか、室内は白んでみえた。
空室状況が表示されたパネルの前に香坂が立った。
こんな時間のせいだろう、空いている部屋のほうが多い。
しかし駕木には、こんな時間から数部屋埋まっていることのほうが衝撃だった。
香坂が部屋のボタンを押すと、受取口に鍵が落ちてきた。
香坂は鍵をさっと拾い上げて、エレベーターのボタンを押す。
動作があまりに自然で、ここには何度も来ているのかと勘ぐってしまう。
芸能界のお嬢様ともなれば、裏家業というものがあるのかもしれない。
もしかすると、目撃してしまったのは、業界関係者?
まさか海外からきた要人の接待に――
などとめくるめく妄想が、浮かんでは消えていく。
室内は狭く、ほとんどダブルベッドが占めていた。
ベッドの向かいにはテレビが壁に掛けられている。
あとは化粧台と、荷物置き用の椅子があるくらいだった。
ビジネスホテルとあまり変わらないなと、駕木は思った。
「お風呂も観てみる?」
物珍しそうにしている駕木に興が乗ったのか、香坂は浴室扉を開けた。
「わぁ」
うっかり声が漏れる。
浴室は広く、浴槽もふたりで入ることができる設計になっていた。
床面は石造りで、淡い照明に凹凸が映えていた。
これはビジネスホテルと全然違った。
コトン、と音が聞こえたので、寝室へ顔を向ける。
香坂が荷物を降ろして、化粧台にサングラスを置いたところだった。
まごうことなき、香坂である。
学校中の男子が、一挙手一投足に注目している香坂。
その香坂が、ふたりきりの空間にいて、こちらに視線を向けている。
そしてこの部屋には、ベッドがひとつしかない。
幾多の人々が、褥を絡ませてきただろうベッドである……
ごくり、と生唾を呑む駕木。
あり得ないことだとわかっていても、心臓が脈打つのは抑えようがなかった。
そんな駕木をみて、香坂はふうとため息をついた。
そして――
おもむろにブラウスのボタンを外しはじめた。
「ちょ、香坂さん、何やって――」
軽い悲鳴をあげる駕木に、香坂は動きを止めると、
「あら、駕木くんはこっちは嫌い? じゃあこっち?」
というと、バッグから財布を取り出してみせた。
「いやいやいやいや、どっちでもないから――」
切羽詰まった駕木だったが、それでもきっぱりと断りを入れる。
香坂は飽き飽きした素振りで、
「高校生って面倒ね。変に正義感があるから」
と財布を投げると、駕木に詰め寄った。
愛くるしい香坂の瞳にみつめられて、駕木も動けなかった。
「さあて、駕木くん。ナニしましょうか?」
冗談とも本気ともつかぬの物言いで、駕木の頬に手を掛ける香坂。
「こ、ここに来たら、話してくれるんじゃなかったの?」
「そんなの口実に決まってるじゃない」
「おーっと、そうきたか……」
にじり寄られて、もう身体が触れそうになっている。
「わたしとここに来て、なにもしないで帰る気?」
「もちろんそのつもりだけど……」
「ここにくるまで、エッチな想像もしなかった?」
「いや、その……」
すっかり香坂のペースになっていた。
またしても香坂は、妖艶に微笑んでいる。
このままではいけない、そう思った駕木は、なんとか話を切り出した。
「さっきの人、香坂の彼氏?」
そういうと香坂はすこしムッとして、
「言ったら、黙っててもらえる?」
「いや――言いたくないんだったら無理にいわなくても」
「わたしの片思い」
香坂は口早に言い切ると、すこし寂しそうな顔をした。
「片思いなのに、ここに来たってことは……身体の関係とか、不倫とか――」
「独身よ」
「そうなんだ……」
ショックを受けている自分が居ることに、駕木は驚いた。
学園のアイドルとはいえ、清純そうに見えていた香坂が、年上の外国人とそうゆう関係にあったというのは、なんだか自分の世界がとても遅れているような、置いていかれるような、劣等感にさらされるのだった。
「駕木くんはどうしたら黙っていてくれるの?」
と香坂はまたブラウスに手をかけて、服を脱ぎだした。
「ええっ」
駕木は二度目の悲鳴をあげて、手をジタバタさせている。
止めたいのは山々だが、香坂の腕に触れるのも気が引けた。
「まだるっこしいのは、嫌いなの」
香坂はブラウスを脱ぐと、今度はスカートのチャックを解いて、振り落とした。
下着姿になった香坂の、なまめかしく健康そうな白い肌が露わになる。
透き通るような肌と、淡いブルーの下着が相俟って、むしろ神々しく見えた。
駕木はもう気が動転して、泡を吹きそうだった。
すると香坂は、身体をピタリと駕木にくっつけて、駕木の頭を抱いた。
「こ、こ、こ、こ……」
香坂さん、と言いたかったが、緊張と硬直から言葉にならない。
全身が熱に包まれ、燃えているような錯覚さえ起きる。
だがここで、香坂がきゅっと力を入れた。
それは愛情を演出しようとしたのかもしれないが――
このとき駕木の身体に、震えが伝わった。
一瞬のことだったが、それは香坂の震えであった。
駕木はまたたくまに冷静になった。
香坂の腕をぐっと掴むと、頭を引き抜いた。
そして身体を離して、叱るようにこう言ったのだった。
「香坂、それはダメだよ」
「えっ」
香坂はきょとんとしていた。
自分がなにを言われたのか、理解できていないようだった。
「香坂はすっごくかわいいけど、これは違うよ。こんなこと、無理にすることじゃない」
「それって……わたしを断ってる?」
「香坂がなにを思って、なにを隠しているのか知らないけど、嫌なことはやるもんじゃないよ」
「嫌? 当然よ、だって交換条件だもん。でも、それで駕木くんが黙っていてくれるんだったら、わたしの身体なんて安いものよ」
「ダメだよ。それ間違ってる」
「間違ってない! わたしはね、駕木くんなんかにはわからないくらい、重要なことのためにこうしているの! そのためだったら、わたし死ぬことだってできるの!」
「そうかもしれない。けどそれは、今じゃなくていい。少なくとも、ぼくにはそんなことしなくていいよ」
「なにそれ、信用できない」
「じゃあ誓うよ、宣誓する」
「なにを、だれに誓うの?」
「香坂に誓う。今日見たことは誰にも言わない」
「あなた、ばかなの?」
「香坂こそ」
ふたりは睨みあった。
それはもう、意地の張り合いであった。
ふたりのあいだに、沈黙が流れる。
どちらも譲らない時間は、とても長く感じられた。