#4 隣人なんてこわくない(3)
「オ、バ、サンっ!!」
手足をばたつかせて詰め寄るミュシャ。
「どうやったらそういう話になるのよ! わたしが、こいつを使ってるの! 主従が逆! いや逆っていうか、主人ですらないわ! こいつは機械みたいなもので、わたしはそれを操っているだけ! これはただのモノなの!一緒にしないで!」
「そ、そうでしたか」
ミュシャは鼻を膨らませて、目を怒らせている。
無邪気なまでのこの変容に、麻氣穂も気が緩んだ。
ミュシャの怒りは、敵愾心からではなく――
欲しいものを買ってくれないときに、子ども親に対してみせる駄々のように。
純粋な怒りだった。
麻氣穂も親であるからこそ、それがわかった。
「ガーデンズにも、あなたのような方がいらっしゃるんですね?」
「なにそれ、バカにしてる?」
麻氣穂が微笑んだので、ミュシャも調子が狂ってしまう。
「いえ、失礼しました」
「ガーデンズなんて偏屈の掃きだめみたいなとこだから。まあいいわ――」
そういうと、ミュシャももう怒りを忘れてしまった。
「わたしは、ミュシャ・マッポ・イエスティ・シッディ・エム・アミュレイホープ。長いからミュシャでいいわ」
「ミュシャ様でございますね」
「ガーデンズにパイプを持ってるわけでもなさそうね」
「駕木家を護るうえで、最低限の知識でございますから」
「そう、駕木無人――」
尻尾をつかんだ、とミュシャは思った。
家込の秘匿が、駕木に関わるという言質を得たのである。
懐疑だった駕木と龍との関係が、これで確信に変わった。
「わたしはここへ来たのは、駕木無人の」
ここでミュシャの視界が、一瞬フラッシュした。
いや意識が一時的に飛んでいたのかもしれない。
「なき……と」
麻氣穂も言葉を詰まらせたのは、同じよう目に遭遇したからだ。
その一瞬の後に――
ふたりの前の薬缶のうえに、ニワトリがあらわれていた。
「え」
虚を突かれたミュシャと麻氣穂は、ともに呆けてしまう。
ニワトリは――いやそれはよく見ると、ニワトリとも違っていた。
白い羽毛に紛れて、黒い鱗の肌が見えていた。
胸から足、そして尾にかけては、蜥蜴のようであった。
始祖鳥よりも、はるかに爬虫類に近い恐竜のようでもあった。
「コカトリス!?」
それは、世界中でこう呼ばれている龍であった。
大口をあけたエリスが、コカトリスに襲いかかる。
驚いたコカトリスは、2枚の翼――それは本当にニワトリと変わらない――を広げて天井近くまで舞い上がる。
エリスは一歩踏み出して、手を伸ばす。
しかし長く正座していたせいか、足がもつれて倒れてしまった。
と、ミュシャには倒れ行くエリスが、一瞬静止して視えた。
「――!?」
またもフラッシュが起こる。
眩む暇さえない強烈な光が去ると、エリスは畳に倒れ、茶器をひっくり返した。
ミュシャはたじろいで、仰け反っている。
一瞬のうちに、コカトリスは消えていた。
いや消えたのではない。
おそらく『停滞』させられたのである。
基本的に、ミュシャやエリスに『停滞』の影響が出ることはない――
それは家込家の当主であるという麻氣穂にも同じことだろう。
その彼女らに、耐性を超えてまで『停滞』の影響を与えるというのは。
コカトリスの権能が、彼女らの許容を上回ったからだろう。
そしてその油断が――
今度は麻氣穂に、悟られる結果になっていた。
怒気を孕んで、ミュシャを睨みつける麻氣穂。
ミュシャは悔し気に下唇を噛んだ。
麻希穂はわかったのだった。
この『停滞』がミュシャたちガーデンズによって引き起こされたものではなく、ミュシャたちもまた被害者であり――おそらくこれを追ってここまでやってきた、ただの運び屋にすぎないということに。
しかもその無知な小娘に、べらべら喋ってしまったこともまた、許されざることであった。
麻氣穂は柄杓をつかむと、目前に倒れるエリスに振り下ろした。
柄杓の先が当たったエリスの右腕が、肩から弾け飛ぶ。
血が噴き出すかにみえたが――しかしあがったのは血潮ではなく。
粉々に砕けた緑色の鉱石であった。
エリスが表情も変えずに肩を押さえると、麻氣穂は柄杓をさらに打ちつけた。
エリスの右足が、付け根からはじけ飛ぶ。
宝石があたりに散らばった。
麻氣穂は幽鬼へと化していた。
万事休す。
ミュシャもこれ以上、後手に回るわけにはいかなかった。
「脚をもう一本、あんたにあげる」
「帰すわけには参りません」
「あんたとじゃ相性が悪いけど、このまま殺されるよりマシ」
ミュシャは覚悟した。
それは死の覚悟ではなく。
死ぬほど痛い思いをしなければここを切り抜けられない現状を――
その責め苦に、これから数十秒は耐えなければならない現状を――
それから、お気に入りのこの服を手放さなければならない現状を――
覚悟したのだった。
「最後にひとつ――あ、これは別にわたしの最後じゃなくて、あなたとはもう2度と会いたくないという願いを込めての最後なんだけど」
「……?」
ミュシャは口をすぼめると、小さなシャボン玉をひとつ吐いた。
「これはあなたの夢のひとつ。〈盲執〉よ」
真意がつかめず、麻氣穂が顔を歪めると――
「パ」という間の抜けた音とともにシャボンが割れた。
その小さな響きが、波紋となって、うねりとなって麻氣穂の心に押し寄せた。
ミュシャは、エリスに抱き着くと、くぐり戸へと駆けた。
麻氣穂は柄杓を振るうも――
シャボンが音叉のように身体に響くため、コンマ数秒ほど遅れた。
すると予告通り、エリスの左足だけが砕かれた。
ミュシャはその破砕も推進力へと変えて、戸を抜けていった。
小さいミュシャと、砕けて小さくなったエリスは、難なく戸を潜ることができた。
その身体能力は、およそ10歳にしか見えない少女の力を超えていた。
だが、戸を抜けただけで終わりではない。
『停滞』のなかでも、動くことのできるカゴメ一族の猛者たちが――
小さな女の子と、砕けた大男に襲いかかるのだった。