#4 隣人なんてこわくない(2)
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畳にあぐらをかくミュシャの前に、茶菓子と抹茶が据えられた。
ミュシャは四白眼をギロリと見開いて、相手をうかがった。
点前は、正座するエリスにも披露される。
エリスはいつもと同じく表情もないのだが、どこか悦んでみえた。
茶室にはもうひとり。
茶を点てた壮麗の婦人が、質素な無地の着物姿で恭しく頭を下げている。
「改めまして、家込麻氣穂と申します」
きっと実年齢より若く見えるのだろう。
短く整えられた髪には、まだ艶も腰もあった。
きめ細やかな肌も白く、くすみなども見当たらない。
「かったるい挨拶はいいから」
ミュシャは茶椀を小さな手で持ち上げ、グビリと飲み干した。
毒など恐れる気配もないし、作法を守るつもりもない。
「にがっ……」
今度は菓子器の羊羹をつまんで、口に放る。
5口ほどもごつかせてから、
「あまっ……」
と嘆息した。
「お口に合いませんか?」
「咽喉が乾いているときに呑むもんじゃないでしょ?」
「失礼いたしました」
麻氣穂も、頭を下げなかった。
背筋を引き締め、肝の据わった女将の態である。
エリスは両手を茶碗に添えて、ゆっくりと飲み下していた。
街は、ほとんどの住人が、生命が、機械が――
無機物も有機物も隔てなく時間を止められていた。
すべてが停止する街なかに、悠々とあらわれたこのご婦人は、
家込家の当主と名乗ってから、ふたりを茶室に案内した。
麻氣穂の腹積もりは読めないが、ミュシャとしても話し合う気がないわけではない。
いまは、状況を把握したかった。
「では率直に申し上げます。このまま、お引き取り願えませんでしょうか?」
冷厳な麻氣穂の、生温い視線が茶室を漂った。
ミュシャもすでに、肚は決まっている。
「わたしを閉じ込めたのは、あなたよね? いまさら出て行け?」
「わたくしたちは争いを好みません。このまま引いていただけるのであれば、手出しいたしません」
「ふーん。でもわたしは、散歩してただけなんだけど?」
はったりをかますミュシャ。
これも半分は事実である。
目的は〈調査〉だったので、なにもなければ帰投するはずだった。
「このような住宅街を、フォース・ガーデンの方が、ですか?」
「へぇ、ガーデンってことも割れてるのね」
「わたくしたちは、あれを渡すつもりはございません」
目の細い麻氣穂は、瞳から動向を探らせてくれない。
けれども、こうして当主みずから姿をあらわしたという事実こそ――
麻氣穂らも追い込まれている、ということなのだろう。
籠目の呪が破れたのも、それに由来するはずだ。
ミュシャは、はやくも賭けに出た。
「この『停滞』を、わたしたちに解除してほしいってこと?」
「はい」
麻氣穂は即答した。
これがミュシャには確証となった。
麻氣穂らは、騒ぎを起こしているのはガーデンだ、と思い込んでいるようである。
であれば、利用しない手はない。
「解除してあげてもいいけど――」
優位に立っているという自信から、ミュシャは高慢になる。
切羽詰まった麻氣穂らは、強気に見えても後はないのだ。
「タダで見逃してくれ、って虫が良すぎない?」
チンピラの強請りのごとく、ベットを吊り上げた。
すると麻氣穂は、興味を失したように肩の力を抜くと――
虚しさを身にまとった。
「ですから――無傷で帰すと言っているのです」
言葉の端から敬意が消えた。
これにはミュシャもすこし戦慄した。
敵と対峙したとき――
もっとも恐ろしいものは、怒りや憎しみという感情ではなく、無心である。
戦場の兵士たちの噂話に、こんなものがある。
敵陣に拿捕され、拷問にかけられるとき――
刑吏が男ならば、まだ易しいという。
おそろしいのは淑女の刑吏があらわれたときだ。
淑女らは、妄執的に職務をまっとうするため、慈悲も快楽もないという。
死ぬほどの苦痛を与え続け、情報を引き出すこと以外に関心がない。
ミュシャと相対する麻氣穂からは、そんな鉄にも似た冷たさが感じられた。
しかし、ここで怖気づいてしまえば、もはやミュシャに退路も血路もない。
『人質』とはいえ、大人しく『盾』になるつもりもない。
「じゃあわたしが、勝手に帰ったら、あなたはどうする?」
茶室に緊張がみなぎった。
衝突も辞さない、という布告だった。
この煽りに――
「玉砕覚悟で、阻止しましょう」
麻氣穂もこたえた。
一触即発である。
が、実際に抗戦がはじまれば、分が悪いのはミュシャであった。
麻氣穂たちはまだ、数の優位をわかっていない。
ガーデンズという多勢をイメージしているからこその、会談である。
「数の脅威」に、麻氣穂らはひるんでいるのだ。
しかし実際には、ガーデンズから人員が割かれる希望は限りなく薄い。
世界的規模の団体ではあるが、騒がれることを極度に嫌う。
『停滞』という騒ぎに、飛びこむ危険は冒さないだろう。
それにガーデンズの人間とはいえ万能ではない。
『停滞』のなか、どれだけの人間が動けるだろうか。
対して、麻氣穂らの優位は、間違いなさそうであった。
街に巨大な籠目の呪を掛けるために要する人員、土地、費用を鑑みるに。
籠目一族が、太古より一帯を治めていたのだろう。
家込、籠、下後馬、加護など、あたりはカゴメ族の表札に埋め尽くされていた。
とはいえ、ミュシャも漕ぎ出した舟である。
ここで黙って引き下がれば、ミュシャの魂が廃る。
「ガーデンズは知っているみたいだけど――わたしのことは知らないようね」
ミュシャは全霊をもって威嚇した。
こうなればミュシャも、刺し違えてでもカゴメを滅ぼしてやろうかと思った。
すると――
「運び屋のエリス様と――その従者様ですよね?」
激しくずっこけるミュシャ。
「じゅ、従者ぁ!?」
「あ、あれ? 違いました?」
ミュシャのこけっぷりに、麻氣穂も動揺する。