#3 妹なんてこわくない(3)
「よかった、駕木くんなら、わかってくれると思ったの」
憂いを秘めた満足気な笑みをもって、香坂は迎えた。
「これは……なに?」
駕木も自分でわかっていたことを、訊いてしまう。
「それこそ、龍の本質よ」
「これが龍?」
「龍というより、『流れ』そのものって感じかしら? ほら、『流れる』って漢字も『りゅう』って読むでしょ?」
「そんな駄洒落みたいな――」
「あら、日本語はひらがなで捉えるべきよ」
「ひらがなも漢字も、おなじ日本語でしょ」
「漢字というのは、意味を限定して、伝えやすくしているの。本来はひとつの言葉に、いくつも意味があるのが、日本語よ」
「じゃあ――龍は、流れでもあるってこと?」
「駕木くんは、どう感じてる?」
質問を質問で返される。
しかし香坂の真剣なまなざしに――
駕木も、いまいちど確かめてみた。
「あ――」
「なぁに?」
「川に手を入れたときの感覚に似てる」
あれはいつだっただろう、どこでだっただろう。
澄み切った清流に手を浸して、水の心地よさを知ったのは。
それはずっと前、家族旅行をしたときだったか――
それとも友だちと、キャンプに行ったときだったか――
詳しくは思い出せないが……けれど確実に、それは経験として、自分の身体に溶け込んでいた。
「水の流れ、空気の流れ、電気や磁気の流れ……エネルギーの流れ。『流れ』そのものが龍であるから、流れに関係する場所に、龍が祀ってあるの」
エネルギーの流れ――
そういわれて駕木は、より繊細に、感触を探ってみた。
「これ……ただ流れてるっているより、うねってる気がする」
すると香坂はちょっと驚いてから、心底幸福そうに微笑んだ。
「そこまでわかるのね!」
「えっと――そんな気がするっていうか……」
「その通りよ。龍の流れは、螺旋なの」
「螺旋? って、あの渦巻きみたいな」
「そうそれ!」
香坂は人差し指人を突きだして、空中にぐるぐると渦を描いた。
それは上向きの円と、下向きの円であった。
「龍には、上昇する螺旋と下降する螺旋の2つがあるの。神社では上昇する螺旋のことを高龗神、下降する螺旋のことを闇龗神と言っているわ。どちらも龍神さまのことよ」
「おかみ……」
「駕木くんは、この龍の螺旋を、どちらに感じる?」
「そうだなぁ」
駕木は目をつぶると、さらに深く意識を傾けた。
――手と、流れとの境界が、曖昧になっていく。
ゆったりと溶け合い、緩んでいく。
最後はくすぐったいほど、心地よい印象を受けた。
「んー、どちらとも取れるような、優しい感覚」
またどっちつかずな返答をしてしまう。
けれども香坂は、和やかな態度を崩さなかった。
「上昇螺旋と下降螺旋のエネルギーの循環は、やがて解けあい二重螺旋となるの」
「それって、DNA構造みたいなやつ?」
「水の循環も生命の循環も、大局的に見れば同じかも。わたしたちは、この調和のとれた龍のことを、海神級と呼んでいるわ。高龗神が山、闇龗神が谷と繋がっているとすると――海神級は大陸や惑星と繋がっているタイプね。人間にはどうしようもない存在よ」
香坂の苦笑に、駕木もつられてしまう。
「この姿をみて、どうこうしようなんて思わないよ」
それはもう、地震や台風といった、自然災害と同じに思えた。
「欲がないのね。じゃあ――手をゆっくり閉じてみて?」
「だ、ダメですぅ!」
ここで口を開いたのは、家込だった。
雪花を胸に抱いたまま、困ったような顔をしている。
「なあに、家込さん」
「それは……あの、えっと、ダメです――」
長年の付き合いがある駕木には、家込の焦りが、ありありと感じられた。
「アイス、どうかしたの?」
そんな駕木の言葉を遮るように、香坂は言葉の切っ先で、家込を制した。
「家込さんも、覚悟はできてたはずよ」
「…………」
すると家込はうつむいて、黙ってしまった。
「どうぞ、駕木くん。やってみて」
「う、うん――」
哀しそうな家込が気に掛かるも。
駕木はつき動かされるように、手を軽く閉じた。
と――ガクンと大きくマカバが揺れた。
「きゃあっ!」
またしても雪花の悲鳴があがる。
しかし、ここに来てから衝撃を受けたのは、これが初めてであった。
水晶の輝きを放つ龍の巨体が、突然目の前に現れた。
駕木の拳に、押しとどめられているように、苦しそうにもがいている。
驚いた駕木が手を離すと、龍は青の涯てへと逃げ去ってしまった。
「な、なにこれ?」
「わたしはね――駕木くん」
香坂は。もはや瞳を潤ませながら、駕木をじいっと見つめていた。
「え?」
「龍を視ることはできないの」
「え、でもいま――」
「それは変換器のお蔭。龍とは流れそのものだから、視ることも、触れることも、ましてや捕まえることなんてできない――できないはずなのよ」
「…………」
「わたしには、そんな力はないの。でも駕木くんには、それができた」
「――偶然タイミングが合ったとか」
「マカバが揺れるほどの衝撃よ? これはただのヴィジョンで、わたしたちはまだ学校の地下にいるの、ありえない」
「いやいやいやいや――」
駕木はかぶりを振って、香坂を否定した。
「龍なんて視たこともないし――気にしたこともないよ」
「それはそうよ」
香坂は寂しげに視線を逸らした。
「ずっと駕木くんのそばにいて、駕木くんから龍を隠してきた人がいるから」
「ふへ?」
駕木が頓狂な声をあげるのも構わず、香坂は続けた。
「上昇螺旋を符号化すると、上向きの△。これは山。下降螺旋を符号化すると、下向きの▽。これは谷よ。そしてこれを組み合わせると、六芒星になるわ。ちょうどこの、マカバを平面化したような形ね。つまり六芒星とは、龍の力をわたしたちの物質界に取り出す象徴図形なの。でもそれって、逆に言えば龍を次元下降して、力を奪うということでもあるのよね。龍の力を、籠に押し籠めてしまうのよ。だから日本では、その図形のことを『籠目』というの。押し籠められた龍が、向こうから覗いているの」
「籠目……。え、かごめって――」
香坂がいっていた、日本語はひらがなでとらえるべき。
その言葉に従うならば、それはつまり……
「家込さん、尊敬するわ。あなたがそうやって、駕木くんを守ってきたこと」
香坂は、家込に向き直っていた。
「……全部ばらしちゃうんですね」
「恋敵に、手を抜いちゃ失礼でしょ? こうでもしないと、あなたたちの間に割って入ることもできなさそうだから」
「香坂さんは無人の力が欲しい?」
「能力……もちろん魅力よ。でもね、望まれない力というのもあるわ」
「じゃあ、無人をどうするつもり?」
「わからない――でも信じて家込さん、卑俗な真似はしない。それはわたしたちの流儀よ」
「信じてっていわれてもぉ……無人とホテル――」
「あ、あのう……」
雪花がそろりと手を挙げた。
これまでじっと黙って聴いていたが、さすがにもう限界だった。
「――おトイレに行きたいです……」
恥じらいながら香坂に伝える雪花。
肉体の生理現象にはだれも抗えない。
これには香坂も、すまなさそうに目を丸くした。
「大変、ミズハノメが生まれちゃう」
それは古事記によると、母神イザナミのお小水から生まれた水神である。
しかしそんな神話ジョークを――わかる者などこの場にはいなかった。