迷いの森
太陽が頭上にある頃。一行は大草原を歩き続け今日で5日目。隣町が肉眼で遠くに小さく見えた所で。
機都・エントヴィッケルンと森とを繋ぐ川を見付け、黒紫をしたみるからに怪しげな、川を流れる液体が何故か気になった貴紀は。
おそるおそる川へ顔を近付けて臭いを嗅ぐと、吐き気を催す程にキツい異臭に嫌悪感で顔はひきつり、一口、勇気を出して口に含んでみた。
「ブホォッ!? うっ、おえぇ……」
「どうした。そんなに不味いのか?」
水を飲み込む直前。驚きの余り吹き出し、四つん這いになりつつ、口内に残った水を吐き出そうと何度も咳き込む。
相当酷い味だったのか、毒を摂取して苦しんでいる様な苦しんだ表情。質問をしても返事は返って来ず。
心配したサクヤは鞄から透明な飲み水が入ったペットボトルを咳き込む貴紀へ渡し、口の中をゆすぎ吐かせた後、飲ませる。
「不味いなんてモンじゃない! 洗濯用にも出来ない、下水道以上に酷いレベルだ」
「この臭い。水じゃないわ」
「魔力は魔力だが、酷く穢れた魔力だ」
色は余りにも毒々しく、禍々しい液体。生活用には向かず、料理や洗濯物にも使えそうにない。
先ずまともな味覚や嗅覚、身体を持つ生命体が摂取するには、毒以外の何でもない。二人も川を流れる液体へ顔を近付け、臭いを嗅ぐ。
魔法や奇跡が使える二人曰く、川の液体は汚染された魔力そのもの。液体と言っても水の様にサラサラではなく、砂利を含んだ泥水的なモノ。
「エントヴィッケルンから流れてるのか?」
「もしくは、森の中で変質しているか、ね。調べる?」
問い掛けに対し貴紀は無言で頷き、真剣な眼差しと表情を黒い霧が漂う森へ向け、歩き出す。
エントヴィッケルンへ向かうならば、森を避ける様に迂回すれば良い。されど、敢えて森へ入って行くその後ろ姿は。
暗闇の中、灯りに近付いて行く虫の本能のよう。もしくは、見えない何かに招き入れられているとも見える。
「昼過ぎ頃なのに、この森は薄暗くてさ……さささっ、寒いのな……」
「多分、森を覆う魔力の霧があるからでしょうね」
「光を遮断する霧……面倒だな。森ごと焼き払うか?」
薄暗い森の中。漂う黒い霧は雰囲気も暗く、鳥や虫の鳴き声一つ無く、風に揺れる葉の音しか聞こえない。
太陽光を遮っている為に気温も低く、身震いをする貴紀と4匹。しかしサクヤと終焉は平気な様子。
「俺達は耐低温魔法や奇跡で平気だが、気温が氷点下だとお前達は……」
「だっ、だだだだ……駄目っ、さ、さささ寒い!」
魔法や奇跡が使えない。ただそれだけで荷物の量や身動き、必須となる物が増減する為。
料理関係の荷物が多い貴紀は、苦手な低温に体力の多くを奪われ、寒さの余りガチガチと歯を打ち鳴らす。
「外で待つ? 私と終焉で原因を探ってくるけど」
二人の事は心配だが、戦力外の自身が動向しても邪魔になる。それは自身が望む事ではない。
二人を困らせたくは無い為、問い掛けに対し、手で腕を擦りながら短く頷き、外で待つ事へ肯定。
「決まりだな。お前一人なら、耐低温対策を掛けてやれるんだが……」
「五回分になると、私達の精神力が厳しくて」
魔法の回数制限は、二人合わせて八回。今は自身に低温対策用魔法・奇跡を使っている為、残り六回。
三人と4匹で行く場合、七回も魔法を使う。そうなると、もしもの事態に対処出来ず、苦戦は確実。
全滅のリスクを少しでも回避すべく、貴紀達は二人と一時的に離れ、森の入口手前まで戻って行く。
「とは言ったものの。アイツ、小鬼とのタイマンですら苦戦するレベルだしなぁ」
「争いを好まないものね。その所為で、喧嘩をした経験も余り無いし」
「今後の課題だな。さて、と……どう攻略したものか」
「えぇ。この森が遮断しているのは、どうやら太陽光だけじゃないみたいだし」
見送る貴紀の背中が見えなくなった頃、ポツリと話し始めた。一緒に連れて行く、不安の一つを。
二人の悩みは殺生を好まず、必要最小限の抵抗しかしない、平和ボケした緊張感もなく情けない義弟へ向くも。
それは後に回し、今現在。様々な何かを遮断しているこの不気味な森、その奥地へと進む。
「そうだ。聞き忘れていたんだが」
「何? あぁ、スリーサイズや体重とかは秘密よ?」
薄暗い森の中を、入って来た道から真っ直ぐ進んでいると。ふと何かを思い出し、話し掛ければ。
冗談か本気かは兎も角、軽くふざけた言葉と共にニコッと笑顔を見せその後に「で、聞き忘れた事って何?」と聞き返す。
「家の方、連絡しなくても大丈夫なのか?」
「それはお互い様でしょ。私は巫女の家系、終焉は」
「はぁ……俺は帝国軍、軍隊長の一人息子。お互い、魔物や魔族退治の家系だもんな」
「貴紀は私達とは別に、義姉と呼ぶ人と一時的に住んでたらしいわ。今は仕事へと出て行ったきり、帰って来ないみたいよ」
片や巫女、片や軍隊長の一人息子。中学校中退は事情を話せば、親は理解してくれる……かは不明。
だが、実家に帰らず、事情も話さずと言うのは、大抵心配される。
両者共に、実家へ連絡を入れぬまま出て来たらしく、親は何日も帰って来ない息子・娘に大層心配しているだろう。
話し合いながら進んでいると、次第に森の黒い霧は濃さを増して行き……遂に視界は真っ暗に。
「終焉、何処~? うっ……!」
視界が真っ暗闇へなろうとも、真っ直ぐ進み続けた先は――眩しくも暖かい光が差し込み、思わず顔をそむけてしまう。
改めて前を見渡すと。その建物や風景に目を大きく開き、驚き戸惑う。
「此処は……私の――実家?」
其処は、青空や街の景色がよく見える山の上に在り、赤い鳥居が目立つ木造仕立ての神社。周りが木々に囲まれ、木造の井戸や加工した石を使った狐の石像も在る。
視覚、聴覚、触覚。その全てが此処を実家と認め、幾ら疑問に思い疑い調べる程、住み慣れた空気や匂いが。
幼き頃、境内にある狐の石像に付けた小さな傷が、冷たい風がこの場所を実家だと、間違いないと脳が訴える。
「どう言う事? 匂いのある幻覚かしら」
「サクヤ。何をそんな所で突っ立ってるの。風邪を引くから、入って来なさい」
「お母さん……」
神社の裏側からやって来ては、話し掛けて来たのは、背中程まで伸ばした黒髪の巫女。話し掛けられた途端。
サクヤは実家へ何も言わず、帰らない自分に罪悪感と迷いが浮かぶ。するとどうか。幼き姿の自身が現れ、言われるままに神社に在る小さな木造住宅へと入る。
何が起きているのか確かめるべく、母と幼い頃の自分を追い掛ける様に、懐かしき自宅へと入った。
「これは、私達一族に伝わる予言。魔神王なる災厄、千年後に再び目覚めん。光の使者、災厄を倒す為、再び現れん」
畳が敷き詰められた居間で、一族に伝わる予言を聞かされる。それを当たり前の様に、途中で文句も言わずただひたすら無言で聞き続ける。
「私達一族の使命。それは光の使者と共に、魔神王を倒す事」
「おかあさん。わたし、まじんおうをたおしたら、じゆうにいきたい!」
「えぇ。私達の代で、魔神王は目覚める。もしも魔神を倒せたら、自由に生きましょう」
「そう。私は……自由に生きたかった。でも……っ!」
自分達の一族へ、生まれながらに与えられた使命、宿命。他の誰にも代わりは務まらない、先祖代々引き継がれてきた言わば呪い。
幼き頃の自分を見る程、その重圧と意味を全く理解しておらず、無邪気な自分自身へ怒りを覚え、握り拳を作る。
笑顔を母親へ向ける幼き自身を叩こうと、右手を大きく振り上げた直後。
母親が座っている右側から、壁や畳諸共母親を家の外へ吹き飛ばす衝撃が、視界に飛び込んだ。
「あ、貴方は……サ……っ。来なさい、私が相手よ!」
「い……いや、嫌ぁぁぁ!!」
壊した家を土足で入って来る者の足音は、決して人間ではあり得ない足音。蛇の様な引きずる音でもなく、鳥が力強く羽ばたく音でもない。
まるで、石ころを水面に投げ入れる様な……ポトン。そんな音が歩く度に聞こえ、それは徐々に近付いてくる。
幼き自分と一緒に見たソイツは―――人の形をした紫色の存在。此方へは見向きもせず、自身へ注意を向けた母へと一直線に飛び込み、圧倒的な実力で襲った。
自身の前へ落ちてくる母の左腕と右脚、顔や体に浴びた血を見て、絶叫の果てに気を失い倒れた。
「愚かな女よ。この森に自ら入って来る位だから、余程対策をしてると思ったが」
灰色のローブを被り、顔を隠す人物は気を失ったサクヤを見て落胆し、老婆の声で愚痴を言いながら近付く。
周りの景色は元々の薄暗い森の中へ戻り、倒れたサクヤの腕を掴み、森の奥地へと引きずって行った。
「さっきまで、森を歩いていたんだがなぁ……」
真っ暗闇の霧に包まれながらも、真っ直ぐ歩き続けた結果。サクヤとは途中ではぐれ。
大きな円形の特訓部屋に終焉はたった一人、いつの間にか辿り着いていた。部屋は中世のコロシアムその物。
その中央では、幼少期の終焉自身が木刀を手に、一生懸命素振りをしている。
「五歳頃の俺か。確かこん頃は、おやっさんに少しでも認めて貰おうと、気張ってたっけか」
コロシアムの観客席へ座り、昔をしみじみと思い返す。今以上に未熟だった自分自身、認めて欲しい一心で頑張った修行。
大人達に混じって受けた特訓は、いつも大人達が最後の最後まで見届けてくれた。懐かしんでいると、二つある出入口から人が出て来た。
「あっ。おとーさん!」
「おぉ、終焉。今日も特訓とは、頑張ってるな」
「うん。ぼくね、おおきくなったら、おとーさんを楽させたいんだ」
「そうかそうか。それは嬉しいなぁ」
幼い頃はまだ眼鏡をしておらず、無邪気な笑顔で父親と呼ぶ人物へ話し掛けては、特訓の頑張りと継続を褒められ、碧色の髪が生える頭を撫でられて喜ぶ。
親孝行を思わせる言葉に、鎖帷子と鉄兜を被る中年の男性は思わず頬が緩み、子供の手を優しく包み喜んだ。
「父さん。俺は……今からでも、実家へ戻るべきなんだろうか」
「おとーさん。どーして、きょーもおしごとをしにいっちゃうの?」
「あぁ。父さん達が行く事で、魔族や魔物から人々の生活が守られるんだ」
本当に嬉しそうだった父の顔を見て、苦悩する表情のまま俯き、自らの選択は正しかったのかと迷う。
幼き頃の自身は、仕事へ向かう父へ何故、毎日仕事へ行くのか。子供らしい疑問を問い。
答えを言われるも、子供故か、余り理解出来ず眉をひそめる。
判った事は、魔物を倒している事だけ。父はいつものように「大きくなったら、その内分かるときが来る」と言い、普段通り仕事へと出掛けて行った。
「だが……おやっさんは、この日っ」
まるで時計の針を弄ったかの如く時間は過ぎ去り、もう夜も深まった時間帯……実家へ一本の連絡が入った。
父が人の姿をした、謎の多い紫色の存在によって、瀕死の重症を負った報告が。
「なんでもあの大隊長率いる面子が全員、強い敵に瀕死まで追い込まれたそうだ」
「滅茶苦茶な動きで魔法を使い、接近戦もべらぼうに強いんだとか」
「見舞いに行った奴等から訊いた話じゃ、魔物や魔族でもないってよ」
「大隊長、もう生きてる間に最前線へは立てないって、医者が言ってた。治癒魔法や奇跡でも完治は難しいって」
軍事基地に居ると、嫌でも聞こえてくる数々の情報。突如現れた未知の敵、その滅茶苦茶な強さ。
実家では父の重症と言う報告に、家族は大パニック。誰一人として気持ちが落ち着かず、誰も彼も気持ちだけが焦り、ピリピリした険悪な空気が漂う。
だから軍事基地へ逃げて来た。此方では兵士の大半は大隊長を父と尊敬していた為、重症の報告に空気は重い。
「かならず……ぐずっ。ぼくが、とーさんのかたきを討つんだ!」
廊下に設置された長椅子へ座り、思う事は勿論一つ。
幼いながらも、姿を一切見た事もない相手に復讐心を燃やして握り拳を作り、強くなる決意を固める。
「終焉、それだけは止めとけ」
「でも!」
「お前さんまで重症を負ったり、命を失ってもみろ。大隊長、もう……耐えられねぇよ」
が……幼き復讐心は別の兵士によって直ぐに水を掛けられ、大好きな父の事を話に出されてしまい、無言で俯いてしまう。
復讐をするのは、父の無念を晴らす為。されど復讐心が燃える時程、敗北や失敗した時の事は考えない。
如何なる手段を用いても倒す。追い詰められた窮鼠の如く、一矢報いようとする。
しかし、言われ改めて気付く。残された側の辛い気持ちを。これ以上、辛い思いをして欲しくないと。
「あぁ。まだ、復讐の焔は消えてはいないさ。だけど、おやっさんを放って置くのも……」
募る不安と迷い。正しい、間違っている。の問題ではなく、本当は何をしたいのか、自分は何をすべきなのか?
不安が疑問を生み、迷いは心の中で増殖し続ける。復讐を果たす道か、義妹弟と歩む気ままな旅か。
はたまた、父と慕う者の傍に居る道か。他にも進める道は数多くある為、答えが出せずに一人で迷い、苦しむ。
「何が正しくて間違ってるかなんて。人間程度の寿命と考えじゃ、一生掛かっても答えは出んさ」
「違う。違うんだ、おやっさん、みんな! 俺は……おれ、は……」
今度は此方側に現れ、隣の席に勢い良く座り話し掛けるも……終焉は全く気付いていない。
それどころか。自らの行動に悩み、迷い頭を抱え、前屈みで俯いている。
時間が経つにつれ、表情は次第に酸欠状態さながら悪くなり、遂には意識を失い、頭から床へ倒れ込んでしまった。
「真の勇無き者に、この森を攻略する事は出来ん。そう、超古代文明から幾度も現れる、光の使者でもない限りは」
座っていた席から立ち上がれば。景色や物は森にある物へ景色や物が戻り、今度は終焉の両腕を引きずって、奥へと連れて行く。
「さぁ~ってと。最後は~……あの男か」
暗闇の中へ連れ去った後、懐から透明な水晶玉を取り出すと、凍えながらも森の中を歩き回る男が水晶に映し出された。