The Dark Side of The Moon 15
それは雨の降る夜のことだった。
麻里奈たち北高生の多くが利用する駅周辺一帯が原因不明の停電に見舞われた。
その直後事件が起こった。
のちに「伯山企画襲撃事件」と呼ばれることになるあの未解決事件が。
その四時間前。
警察に一本の電話が入っていた。
それは夜になると通行する車がなくなり、この世とあの世を繋ぐトンネルのような独特の雰囲気を醸し出すためトンネルではないにもかかわらず、周辺では「おばけトンネル」と呼ばれていたとある場所で複数の暴力団と外国人商人による大掛かりな取引があるという密告だった。
たしかに、それは信用できる情報屋からのもので内容も非常に具体的なものだったのだが、問題はそれを聞いた警察の対応だった。
普段は何事にも慎重すぎると現場からの評判が悪かった署長の村田真はこのときに限って人が変わったかのように積極的だったのだ。
その情報を聞いた村田署長はほぼ全署員に召集をかけ、大包囲線を敷いて待ち構えるように指示を出したのだが、多くの部下たちは署長の突然の変貌を訝しがりこのような陰口を叩いていた。
「署長の張り切り様が逆に不安になる。しかも、場所があの『おばけトンネル』ときている」
「まったくだ。何か悪いことが起こる予兆ではないのか。それとも署長は俺たち全員をあの世に送るつもりではないだろうか」
「それよりも、これが空振りだったらどうするのだ」
「どういうことだ?」
「たとえば、これが何かの陽動だったらどうする。根こそぎ動員してしまっては中心部で何かあっても初動の遅れは免れない」
「もしかして署長の狙いはそれだったりして……」
「まさかな」
彼らの不安と疑念。
実は、それは正しかった。
遡ること四日。
その日、村田の姿は東京にある高級ホテルのバーにあった。
そこで彼はひとりの警察庁幹部と会っていた。
貸し切りにしたこの店に彼を呼びつけたその相手である黒崎は村田にあるファイルを渡してこう告げた。
「……ということで、この組織にはテロリストが複数紛れていることがわかりました。ご存じですよね。ここ」
「……伯山企画ですか?これはたしかに地元にある暴力団ではありますが、そのような大それたことを企む組織ではないかと……」
「だが、これが我々の調査の結果です。すなわち、あなたは無能にもテロリストを放置し、彼らはあなたが昼寝をしていた間にテロ実行犯の育成とネットワークの構築を着々とおこなっていたということになります。これは大きな問題です。当然無能なあなたにはそれなりの処分があることは覚悟してください。場合によってはテロリストの共犯として処罰されます」
「……そんな」
「だが、今後の働きによってはこれまでのあなたの失態をもみ消すということも可能です。非公式ながら私にはそれだけの権限があります」
「あ、ありがとうございます。では、戻りましたら早速適当な理由で当事者を検挙します」
「いや、それはこちらでおこないます。専門部隊が極秘に。あなたにやってもらいたいことは我々の指示に従ってあなたの部下たちを現場から引き離してもらうことです。あなたの部下に我々の仕事の邪魔をされたくないということが第一なのですが、私たちとしても警察同士の銃撃戦などは避けたいですから」
「承知いたしました。ですが、ご指示どおり根こそぎ動員するとして、ぼんやりと山の中で時間を過ごしただけでは批判は免れないのではないかと……」
「その辺はご心配なく。大規模な態勢を敷いたあなたが空振りの批判を受けないようにそれなりのエサは用意します」
「はあ……」
「それから、これは調査の過程で判明したことなのですが、伯山企画とやらと親密な関係のある者が多いようですね。あなたのところは。それについては、あなたも身に覚えがあるでしょう。ねえ、村田さん」
「それは……」
「顔色が変わりましたね。こちらについても絶対に表ざたにならないように措置しますので、あなたはここに指示されたとおりに行動してください。失敗は許されない。失敗はあなたとあなたの家族の破滅を意味することを忘れないように。それから当然ですが家族にもこのことは話さないように」
「は、はい」
部下にも、そして家族にも知られていなかったはずの暴力団との癒着まで指摘され魂を抜かれたような表情で村田が出て行くのを確認すると、黒崎と名乗った男はスマートフォンを取り出した。
「ご指示通り手配は完了しました。もちろんです。尾行はつけてあります。……はい。場合によっては彼を処理をいたします」
一方、電話一本で警察庁幹部らしき男を動かす彼の電話の相手は電話を切ると目の前にいるもうひとりの人物に話しかけた。
「親父。田舎の木っ端ヤクザごときを始末するのにこれほど手の込んだ細工が必要なのか?しかも、被害者が博子の知り合いとはいえ、たかが女子高校生の盗撮写真の売買を仲介しただけで関わったチンピラどもだけでなく女子供まで手にかけるとはちとやりすぎだと思うのだが」
「まあな。だが、我々がこういう世界に住んでいる以上これは必要なことなのだ。博子の護衛をしている者にとっては貴重な実戦経験ではある。あの者たちは必要とあればそのようなことを躊躇なく実行しなければならないのだからこのような経験を積むことも必要であろう。ただし、それはその子と母親がその場にいればの話だ。いなければ、わざわざ探し回る必要はないだろう」
「なるほど。それではそうさせてもらう。それで肝心の博子本人はどうする?」
「もちろん抜かりはない。東京に呼び寄せる手はずが整えてある」
「それがいい。博子が今回の一件を知ったら……」
「……反対するか?」
「いや、襲撃に参加するだろう。しかも間違いなく先頭だろうな。博子の性格上。そこで流れ弾を食らったりしたら目も当てられない」
「そういうことだ。誰に似たのかは知らないがまったく困ったものだな」
「それで指揮は誰に任せるのだ?やはり村崎か」
「いや。せっかく近くにいるのだ。由紀子にやらせるつもりだ。異論はあるか」
「ない。というより最高の人選だ。この時点ですでに完璧な成功が約束されたようなものだ」
「そういうことだ。由紀子をこのような場面で使うのは『牛刀をもって鶏を割く』のようではあるが」
事件から三日後。
惨劇があった現場に下校途中らしい北高の制服である野暮ったいセーラー服を着た地味顔のメガネ少女の姿があった。
彼女の隣に立っているのはいつも彼女の傍らにいる長身の美人女子高校生ではなく、彼女が通う北高に赴任してきてからまだ日が浅い女性体育教師だった。
「完全武装した彼らの仕事ぶりはいかがでしたか?」
「さすがに博子様の護衛を仰せつかっている者たちです。相手は数が多いだけの雑魚だったのでかなり遊んでいましたが、それでも全員自分の仕事を完璧に遂行していました。あの手際を見たら彼らを欲しがる組織も多いことでしょう」
「そうですか。しかし、そうなった場合にはどこの国のスカウトも真っ先に声をかけるのはあなたでしょうね。それにしても、まさかあなたがかの有名なナイフ使いの『クイック・キル』だったとは驚きです。一目見た時から優秀なスタッフだとは思ってはいましたが」
「恐れ入ります。芸術的なナイフ使いとして名高い博子様に褒めていただけるとは光栄のきわみです」
「せっかく近くにいるのですから、今度近接戦で敵なしだというあなたにナイフ戦の指導をしてもらいたいものです」
「もちろん喜んで。いつでもおっしゃってください」
「そういえば、ふたりの子供と母親は外出中だったそうですね」
「そのようです。博子様がお望みなら私がすぐに狩って参りますが」
「……いいえ。その必要はありません」
「それで概要はお聞きになっていると思いますがいかがいたしますか?博子様のご指示があれば、私が本丸を落として……」
「それについては私に考えがありますので結構です」
「承知いたしました」
最後にあの夜伯山企画で何が起こったのかを述べておこう。
現場にいた伯山企画関係者に生存者がひとりもいないうえに、建物は爆破炎上し周辺の防犯カメラが広範囲にわたって人為的に使用不能になっていたために確かな証拠といえるものはわずかだった。
だが、事実ははっきりしている。
地元暴力団伯山企画の事務所兼住居を何者かが襲撃し、その場にいた組長をはじめとした組関係者はすべて殺害し、最終的には何らかの時限式の爆薬を使用して建物は爆破炎上させた。
そして周辺住人が聞いた発砲音から犯人たちが使用した武器はヤクザの抗争などで使われる拳銃などではなくマシンガンの類のようであった。
さらに断片的な情報から突入時のスタングレネードらしきものを使用し逃走時には大量のスモークグレネードまで使用していたことから犯人は対立する暴力団などではないと思われたのだが、そこから先の捜査は遅々と進まなかった。
結局多くの憶測を呼んだこの事件はお蔵入りになるわけなのだが、偽情報に踊らされて大山鳴動して鼠一匹と地元紙が評した大失態を演じ結果として初動捜査が大幅に遅れたことから始まり、それ以降も熱心さに欠ける捜査に終始した結果多くの批判の矢面に立たされたにもかかわらず、捜査本部の看板が下ろされたその日、事件が無事解決したかのような安堵の表情を浮かべていた署長を多くの署員が目撃している。




