The Dark Side of The Moon 11
麻里奈たちが通う北高のライバルである南沢学園高等学校通称南校の一室。
そこでは今、机に足を乗せた三十代半ばと思われる男が彼より一回りほど年長の部下からある報告を受けていた。
「また来たのか」
「はい、博通様」
「要件は毎年恒例のあれか」
「はい」
「まったく懲りない奴らだ。こちらは意図してやっているものをホイホイと変更するはずがないだろうが。そもそも何かを頼みに来るときは茶菓子のひとつでも持ってくるのが礼儀というものだろう。まったく気の利かない田舎教師だ」
「それはそうですが、北高の財政難はかなりのものらしく、最近校庭の一部を東京の業者に貸し出すことを決めたようです。そのような状況では博道様のお口に合うような高級茶菓子の購入などできるはずはないと思われます。ケチな公務員が自腹で買ってくるはずもありませんし」
「たしかにそうだな。それにしても、うちに泣きついてくれば敷地全体を安く買い叩けたのに惜しいことをしたな。だが、そうであれば理事長の計画が完遂するのも時間の問題だな」
「まったくです」
「……それで、どうした?」
「断りました。キッパリと」
「当然だな……いや……これは使えるかも」
「何でしょうか?」
「北高の教頭を呼び戻せ。条件によってはそちらの要求を聞いてやってもよいと言えば飛んでくるだろう」
「はあ?しかし、いいのですか?お父上、いや理事長の了承を取らないでことを進めるわけにはいかないのでは?」
「それは俺がやる」
「それはそうですが、北高と同じ日に文化祭をやることは理事長の発案であることをお忘れなく」
「心配するな。俺の頼みを親父が断るはずがない。とにかく、おまえは北高に連絡しろ」
「それで、その条件とは我々にとってどのような得があるものなのでしょうか?」
「松本まみだ。松本まみを我が校に転校させることを条件にする。これで入学試験での田崎の失敗を帳消しにできる。そして、松本まみが俺の嫁になるための準備が進む。どうだ、いいアイデアだろう」
「……ですが……」
「何だ」
「その……現在高校一年生である松本まみは今年の誕生日を迎えて十六歳になります」
「そんなことはわかっている。まみが卒業するまで待てばいいのだろう?まあ、その間に毎週五回は既成事実をつくる。そこで松本まみが孕めばこれ幸い。きっちり責任を取ってやる。アハハ」
「それもそうですが……申し上げにくいことではありますが、その時に博通様は三十六歳になります」
「ふん。愛があれば年の差など関係ないというのが世間の常識だろう」
「……」
「ついでに、こちらの条件を飲まずに交渉が決裂したときには、今年の文化祭は昨年以上に閑古鳥が鳴くことになるぞと言ってやる」
「……承知いたしました」
……それからしばらく経った北高の一室。
期待と不安の混ざった妙な空気が充満するそこに出かける前とは天と地ほどの差がある浮かない顔で南高から帰ってきた教頭を校長をはじめとした学校幹部が取り囲む。
……大騒ぎの最中のことであり、気に留める者はいなかったのだが、先ほどまでその場にいなかったひとりの男性教師がそこに紛れ込んでいた。
「教頭先生、どうでしたか?」
「困りました」
「どうされましたか。南校が文化祭の日程を調整してくれるという話だったのではなかったのですか?」
「たしかにそうだったのですが……」
「条件次第ということでしたが。……ということは、その条件が問題だったのですね。また理不尽な要求でもされたのですか?」
「……簡単に飲めるものではなかった」
「お金ですか?まったくあの拝金主義者どもめ」
「いや……そうであればどれだけよかったことか」
「えっ……それ以上に悪いという条件とは、どのようなものだったのですか?」
「松本まみの転校。というか南校に転入させろと」
「そういえば、南校は松本まみに桁外れの特典を用意していたにもかかわらず、入学を拒否されたという噂がありましたよね」
「しかし、それは厳しいですね」
「そのとおり。文化祭の日程変更のために松本まみを南校に譲り渡したなどということが生徒にわかればどうなるか目に浮かぶ」
「まちがいなく翌日には私たち教師全員校門に晒し首でしょう」
「そうだな」
「というか、松本まみ本人が南校に行きたくないと言っているのに、学校側の都合で転校などさせられないでしょう。それで教頭先生は何と言ってきたのですか?」
「私の一存では決められないので持ち帰ると言ってきました」
「そこまで南校にコケにされて黙っているのは納得できない。ここは一戦交えましょう」
「まったくです」
「……ただ」
「何ですか?」
「交渉決裂の時は、昨年以上に文化祭は悲惨なことになると言われました。南校は昨年の倍の予算を用意しているそうです」
「なんと酷い」
「とりあえずは南校に転校してくれるかを松本まみに確認してみますか?校長先生」
「必要ない。というよりも、やるべきではない。……少なくても、あの約束の実現しないうちは転校など認めない」
「そうですね」
「まったくです。せっかく手に入れたあの約束をふいにするなど思いも寄らぬことです」
「約束?」
「いや、何でもない。とにかく、簡単には絶対にできないでしょう」
「なぜですか?」
「新井先生、松本まみはどこのクラブに所属しているか知っていますか?」
「たしか創作料理研究会……ああ」
「何か問題があるのですか?」
「わかりませんか、森本先生。創作料理研究会の部長は誰であるかを」
「いいえ、知りませんが。誰ですか?」
「小野寺麻里奈です」
「しかも、副部長はあの立花博子。もし、そのようなことになれば次回の定期試験で教師全員が公開処刑されます。あのメガネに」
「森本先生。ニヤニヤしていますが、今の話のどこかおもしろいところがありましたか?というか、なぜあなたがここにいるのですか?」
「すいません。勢いでついてきてしまいました。それよりも、どうするのですか?」
「そ、そうだな。どうする?」
「とにかく、松本まみを南校に渡すなどありえない話だ」
「そして、この話を創作料理研究会関係者に知られるわけにはいかない。小野寺麻里奈に聞かれでもしたら、この話をネタにまた我々を脅すに決まっているからな」
「まったくです」
「小野寺麻里奈の手先である上村先生にも知らせるな。この話は極秘事項だ。森本先生もお願いしますよ」
「もちろんです。上村先生には絶対に伝えません」
「それで、南校に対してどう回答しますか?」
「決まっている。文化祭で閑古鳥が鳴くことと教師全員晒し首になること。究極の選択ではありますけれども、それでもどちらを選ぶかなど自明の理というものです」
「それに、それこそ松本まみを使って宣伝すれば昨年より来場者数が上向くことだってありえます」
「そうだな。では、拒否でいいですね」
「異議なし」
「異議なし」
……ふん。「上村先生には話をするな」か。そういう時には、「誰にも口外するな」ですよ。
「……もしもし、森本です。至急お知らせしたい情報が……」
……それとほぼ同時刻。
「お嬢様」
本屋で今晩のお供になる小説を物色していたエセ文学少女に近づいてきた男がそう囁いた。
用心深く周りには誰もいないことを確認してから話す男の仕草は間違いなく訓練されたものであり声も小さかったのだが、お嬢様と呼ばれたその少女の声はさらに小さかった。
「こういうところではその呼び方はしないでください。それでわざわざ外で話しかける用とは何ですか?誰が見ているかわかりませんので手短にお願いします」
「失礼いたしました。では、手短にお伝えいたします。南校がお嬢様のご学友を転校させようと企てております。北高の教頭を呼びつけて要求したとのことです」
「ん?それは確かに一大事です。ちなみに誰を所望しているのですか?もしかして、まりんさんですか?」
「いいえ。松本まみです」
「まみたん?理由はわかりますか?」
「以前理事長の息子が恥ずかしげもなく松本まみに懸想しているという噂もありました。おそらくはそれが理由ではないかと」
「そういえば、そのような話がありました。たしか理事長の息子は両方とも三十歳を超えているはずですが、そのロリコン君は長男、次男のどちらですか?」
「次男の博通です」
「そうですか?それで、それに対しての北高側の対応はわかっていますか?」
「要求を応じないことで決まったようです」
「賢明な判断です。学校のアイドルであるまみたんを南校に譲渡するようなことがあれば翌日は暴動になりますから」
「ただし、南校は要求に応じないときには報復するようです。北高の文化祭で閑古鳥を鳴かせると脅しているとのことです」
「……そうですか」
「では、報告が終わりましたので、我々は今から南校に乗り込んで無礼な輩を排除してまいります」
「その必要ないです。北高の対応がそういうことであれば、その件は私が直接対応します。ただし、まみたんの護衛だけはしっかりお願いします。そうですね、尾上。あなたのグループがまみたんを護衛してください。そうすれば安心です」
「……承知いたしました」
……それにしても初手から難関です。入口はある。問題はどうやってまりんさんをそこまで連れていくかですね。




