続 がーるずとーく Ⅵ
千葉県の田舎にある千葉県立北総高等学校通称北高。
その敷地の端にポツンと建つ古い木造校舎の一室では、この部屋を部室として占拠している関係者たちが肉体的な苦痛を受けることが最高の悦びだという唯一の男子部員が泣いて喜ぶ厳しいお仕置きに勤しみながらとりとめのない会話を楽しんでいた。
それはまったく中身のないものである。
しかし、彼女たちのことをよく知るすべての北高関係者は口を揃えてこう言う。
「部活動がおしゃべりをしているだけ?結構なことではないか。彼女たちがお菓子を食べて雑談しているだけで済むなら我々にとってこれほど幸せなことはない」
彼女たちが属する組織。
その組織こそ悪名高き創作料理研究会であり、それを統べるのが小野寺麻里奈なのである。
さて、今回はこの話である。
「おい、橘」
彼女、自称お嬢様で創作料理研究会の歩く銀行と評される馬場春香が話しかけたのは、このクラブ唯一の男子高校生で普段は事あるごとに春香から「ご褒美」と称する云われなき暴力を受ける立場にある橘恭平である。
このふたり、言ってしまえば食うものと食われるくらいに上下関係がはっきりしていた。
当然食われる立場である恭平は春香の言葉に身構える。
「言っておくが、俺には今おまえに殴られる理由はない」
「なるほど。今日は蹴り飛ばされることが御所望か。この変態」
「ふざけるな。俺は蹴られることだって望んでいない」
「そうか。では、おまえの大好きな鞭打ちか。それとも今日三回目の悶絶パフォーマンスが熱望か。それほど悶絶パフォーマンスをやりたいのなら見てやってもいいが、まずは『どうか悶絶パフォーマンスをやらせてください』と土下座して泣いてお願いしろ」
「ふざけるな。悶絶パフォーマンスなんてやる気はないし、鞭で打たれることだって好きではない」
「まだ、そのような戯言を言っているのか。まあ、拒否権のない貴様が何と言おうともショータイムはやってくるわけだが、私が今、貴様に聞きたいのは別件だ」
「何だ」
「いつか聞こうと思っていたのだが、おまえはあの光景を見てどう思っているのだ」
自称お嬢様が顎で示す先には、恭平のというか全北高男子の憧れの的であるこの創作料理研究会のマドンナである松本まみがいた。
そして、今ではすっかり見慣れたその光景をジットリとした目で眺め、忌々しそうに、または羨ましそうと言える表情を浮かべながら恭平は口を開いた。
「それはもちろん……」
「もちろん?」
「けしからん光景だ」
恭平の言うけしからん光景。
それは顔を紅潮させ恍惚の表情で自分がつくったお菓子を食べる麻里奈の背中に体を密着させて悶えるように、普段の彼女からはまったく想像できない実にいかがわしい声を上げながら麻里奈に自分の匂いを必死に擦り付けているまみの姿のことである。
「それだけか?あれも貴様がいつもやっているものとは違う意味でのかなりの変態行為だと私は思うのだが貴様にどう見える?というより、毎日あれを見せられても貴様はまだまみたんを恋愛の対象にできるのか?」
性的な嗜好はごくノーマルな春香にとっては当然の感想なのだが、それに対しての恭平の答えはこれである。
「俺が変態であるかのような前段部分については訂正を求めるが、とりあえず、たしかにあれは実にけしからん。だが、その原因はすべて麻里奈にある。だから、俺のまみを愛する気持ちはいささかも揺るぐことはないし、麻里奈の呪縛からまみを一刻も早く解放してやりたいとも思っている。そして、そのために俺はこうして日々努力しているのだ」
こうしてと言われても、毎日ただお仕置きされているだけの彼がどこをどう努力しているのかはまったくの不明なのだが、とりあえずは恭平がまったくブレていないことだけはわかった春香が重々しく頷く。
「なるほど。……ところで、あのようなまみたんの姿を見た男はこの学校中探してもおそらくおまえだけだと思うのだが、おまえは友人たちにまみたんの実像を伝えていないのか?」
「ああ、それか……」
先ほどの明快さとは真逆な実に歯切れの悪い返答であり、面倒なことが嫌いな春香は顔を顰める。
「どうした。もしかして、ひとりで悩みを抱え込んでベッドの中で何やら妄想しながら悶えているのか。やはり貴様はかなりの変態だな」
「……いや、そういうわけではない」
「では、何だ。貴様が毎晩おこなっている変態行為をここでおとなしく白状したほうがいいぞ。それとも、答えるためには厳しいお仕置きが必要なのか?」
「それだけはやめろ。別に隠すつもりではない。ただ……」
「ただ?」
「以前見たままのことを話したのに誰にも信じてもらえなかった。それどころか、クラスの男子全員から嘘つき呼ばわりされ、女子まで加わった軽いお仕置きをされた悲しい思い出もあるのでそれからは言っていないだけだ」
「……なるほど、そういうことか。それはなんというか、災難だったな。ところで、橘」
「何だ」
「貴様の発言がまみたんを崇拝する男子から評判が悪いというのはわかるが、なぜ女子もおまえをお仕置きする側になるのだ?」
「どういうことだ?」
「おまえの発言はまみたんを貶めることになるのだろう」
「……そのようだ」
「ということは、まりんが好きな女子たちにとって最大のライバルであるまみたんの評価が下がるおまえの発言はいいことになるのではないか。感謝されてもお仕置きはされないだろう。もしかして、それはお仕置きではなく、実はおまえの大好きなご褒美だったのではないのか?」
「ご褒美ではなく間違いなくお仕置きだった。というか、何度も言うが俺にはそれをご褒美だと思うそのような奇怪な趣味はない」
「肉体的だけでなく精神的な苦痛にも最大級の悦びを感じるというおまえの変わった体質とおかしな性癖の話は脇に置くとして、なぜおまえは女子にお仕置きされなければならないのだ?」
「俺のお仕置きに加わった女子によれば、まみが麻里奈にそのような行為に及んだ場面を目撃しながら制止しなかったのが悪かったらしい。『まりんさんの靴底を舐めてやっと下僕見習いにしてもらった御恩を忘れ、神聖不可侵の存在であるまりんさんの一大事にあんたは何をしていたの』とか言われた。だいたい俺はそこまでして麻里奈の下僕などにならなければいけない理由はないし、そもそも、麻里奈のバカが神聖不可侵のわけがないだろうが……」
「なるほど」
「何がなるほどなのだ」
「これぞ、かの有名な『重力の法則』ということだ。橘よ。何をやってもどころか、何もしなくても女子からの評価が下がることはあっても上がることはないおまえは本当にすばらしい星のもとに生まれたようだな」




