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難攻不落の小野寺麻里奈

 ある日の北高正門前。


 黒髪を靡かせながら腰に手を当て仁王立ちしたた長身の女子高校生の前で涙ぐむ血だらけになった大柄の男子高校生。


 しかも、その姿勢は創作料理研究会関係者にとってはおなじみであるあのポーズ。


「校門前で何をしているのだろうね」


「とりあえず遠くからでもひとりはまりんさんというのはわかるけど、土下座させられているのは誰かしら」


「それはもちろん、いつもの意気地なしの顔だけ男子でしょう」


「あ~まりんさんの下僕見習いをしているF組の橘君」


「そうそう。その橘君がまた恥ずかしい粗相をして、まりんさんにお仕置きされたに違いないよ」


「あり得るよね。それにしても、あれだけ派手にお仕置きされたうえに、正門前で土下座をさせられるなんてあの腰巾着は何をしたのかしら……」


「おい」


 その様子を見ながら、麻里奈の前で土下座するその姿からすぐに思いつくある人物について語り合うふたりの女子生徒の話に不機嫌オーラを纏わせた男子高校生の声が割り込んだ。


「俺はここにいる。ということは、当然北高の正門前で麻里奈に土下座などしている爽やかさの欠片もない名門北高男子の風上どころか風下にも置けない恥ずかしいあいつは橘恭平ではない」


「あなたは……もしかして、まりんさんの下僕のそっくりさん?」


「俺は本物だ」


 振り返った彼女たちが見たものは、声以上に不機嫌な顔をした恭平だった。


「言っておくが、俺は麻里奈の下僕見習いどころか下僕でもない。もちろん腰巾着などになった覚えもないし、なる予定もない。つまり、おまえたちがの発言は名誉棄損にあたる。この場で今の発言に関して謝罪をしたうえ訂正○%×$☆♭♯▲!※」


 彼の言葉が途中で途切れたのには当然理由がある。


 では、その理由を語ってもらおう。


 原因をつくったその人物に。


「橘、朝っぱらから私の目の前でいたいけな女子高校生を脅迫するとはいい度胸だな」


 そう言って起き上がろうとする恭平を力いっぱい踏みつけているのは、セーラー服さえ着ていなければかわいい男の子と言っても通用しそうなショートカットのヘアスタイルがよく似合う快活そうな女子生徒であった。


「おい。無防備な背中をドロップキックで不意打ちするとは卑怯だぞ」


「何を言う。おまえの背中に『ドロップキックのご褒美をお願いします』と書いてあったぞ」


 ということで、いまや彼にとって麻里奈以上の天敵となっている馬場春香である。


「まあ、今回は特別に今のご褒美に対しての感謝の言葉はいらない。それよりも貴様が脅迫したそのふたりと朝から貴様の醜い顔を見せられた私に謝ってもらおうか。それから念のために言っておくが、私は土下座以外を謝罪とは認めない。正門前でまりんに土下座させられているあの男の隣でおまえも泣きながら土下座しろ。得意だろう、土下座。ヤツに見本をみせてやれ」


「ふざけるな。なぜ被害者である俺が土下座をしなければならないのだ。そもそも謝らなければならないのは、おまえの○%×$☆♭♯▲!※」


「やれ」


「……はい」


 こうしてこの日、北高ではふたりの男子生徒が高校の正門前で並び、涙ぐみながら女子生徒に土下座して詫びを入れるという珍妙な光景が見られたのだが、とりあえず恭平の土下座は最近では創作料理研究会だけでなく一般生徒の中でもそう珍しいものではなくなっていた。


 問題は恭平以上に色々な意味で哀れな姿を晒すもうひとりだ。


 いったい彼の身に何が起こったのか?


 それを語るにはこの時より三十分ほど前まで遡らなければならない。




 この日、博子とともに学校に向かっていた麻里奈を呼び止める者がいた。


「前を歩くおまえは一年の小野寺麻里奈だな?」


「誰?」


 横柄に問うその声にふり返ることもなく、麻里奈が逆にその声の主に問いかける。


「俺は柔道部主将、田代弘樹だ」


「あっ、そう」


「それで、柔道部の田代先輩がまりんさんにどのような用事があるのですか?」


 この世で一番嫌いな生き物である男子に呼び止められ、全身に不機嫌オーラを纏った麻里奈の代わりに隣を歩く小柄な少女がふり返って笑顔でそう訊ねた。


「うちの新入部員から聞いたのだが、おまえはかわいい顔をしているが男でなく女が好きなのだそうだな」


 もちろん、それは大きな間違いなのだが、こんなやつの言葉をわざわざ訂正してやる必要もないと麻里奈は無視を決め込んだ。


「そうですね……」


 麻里奈の代わりに口を開いたのは、メガネをかけた地味顔の少女だった。


 親友のそれにも負けないくらいの黒い笑みを浮かべたその少女が答える。


「面食いである私はもちろん、まりんさんだって少なくても田代先輩みたいなゴリラ顔の醜い男子よりは女の子の方がはるかに好きだと思いますよ。それに先輩は下品な匂いもします。はっきり言います。臭いです」


「何だと」


「先輩は醜くいて臭いです」


 エセ文学少女である博子が本人を前にしてこれほど直接的な表現を使用するのは珍しく、彼女の人柄や日頃の言動を知っている者であれば、これは自分を誘う罠であると警戒したことだろう。


 だが、そのような事情など知るはずもない田代は顔を真っ赤にして怒り出す。


「何が醜くいて臭いだ。俺が用事のあるのは小野寺麻里奈だ。おまえは黙っていろ」


 怒鳴りつけられた当事者である博子はそう言われることをわかっていたかのように、いつものヘラヘラとしか表現できない気持ちの悪い笑顔を浮かべただけだったのだが、その代わりというわけではないのだろうが先ほどは無言だったもう一人から田代への強烈な言葉が届く。


「消えろ」


「何だと」


「私たちの視界から消えろと言っている」


「おまえは俺が柔道部の主将だと言ったのを聞いていなかったのか。三年生の先輩に対してのその態度は何だ」


「だから、気を使ってやっている。それとも、後輩たちの前で私たちに叩きのめされて恥を掻きたいのか」


「ふっ、面白いことを言うな。よし、わかった。本来なら素人の、まして女子など柔道部主将であるこの俺が相手にするなどあり得ないことだか、今後生意気な口が聞けないようにこの場でおまえたちふたりを投げ飛ばしてやる。手加減はしてやるがパンツを盛大に見られるくらいは覚悟しろ」


 もちろん田代は実際に麻里奈たちの相手をするつもりなどはなく、軽く脅して終わりにするつもりだった。


 だが、そうはならなかった。


 なぜか?


 それはもちろんふたりが承諾したからである。


 しかも、ただ承諾をしたのではない。


 盛大に熨斗を付けた白い手袋を投げつけたのだ。


「いいでしょう。でも、先輩は泣いて感謝してください。この私に直々に相手をしてもらえるのですから」


「もちろん私も相手をしてやっても構わん。頭の悪い単細胞ゴリラを投げ飛ばすなど造作もないことだ」


 それは明らかな挑発だった。


 ふたりの言葉はなおも続く。


「そうですね。では、私たちが勝ったら先輩には正門前で土下座をしてもらいましょうか」


「いいね、それ。柔道部の主将の土下座。いい晒しものだな」


「いいえ、まりんさん。この場合はいい見世物と言った方がよいでしょう」


「見世物か。確かにこの単細胞ゴリラにはそれの方が相応しい表現と言える。檻がないのが残念だが」


「先輩、逃げるなら今のうちですよ」


「ただし、逃げる前に謝罪することを忘れては困るぞ。単細胞ゴリラ」


 後輩を含む登校中の多くの生徒の視線がある手前、ここまで言われては田代はもう後には引けない。


「ふざけるな。そこまで言うならやってやる。手加減もなしだ。覚悟しろ」


 こうして田代はまんまと引き込まれた。


 勝ち目などまったくない戦いに。


「ところで田代先輩」


 遠くにいる誰かに合図を送るように目配せをすると、博子が自分よりもはるかに背の高い田代を見上げるようにして訊ねた。


「私もまりんさんも柔道の心得がないのですが、私たちの戦い方はどのようなものでもいいでしょうか?」


「構わん」


「ありがとうございます。では、まりんさん。私が先にやります。いわゆる先鋒というものです」


「わかった。だけど、私も戦うことを忘れずにね。それから、いつもどおり『死なない程度』だから」


「はい。……では、これを預かっておいてください」


 そう言った地味顔の小柄な少女は彼女のトレードマークである黒縁メガネをはずし麻里奈に渡した。


「メガネを外した……ということは……なくなった。私の出番」


 麻里奈のこの謎のつぶやきであるが、それが何を意味するのかはこれからわずか数分後に判明することになる。




「……ま、参った。もう、許してくれ」


 そこには、情けない悲鳴をあげて哀願する大柄の男の背中を踏みつけながら後ろ手に右手を力いっぱいねじ上げている小柄な少女の姿があった。


「何を言っているのですか?先輩、これからが本番です。痛覚があることをたっぷりと後悔してください。では、次は右腕をもらいます。いきます」


「ぐわぁ~やめ○%×$☆♭♯▲!※○%×$☆♭♯▲!※」


 相手が素人の女子ということで油断したのがいけなかった。


 もっとも、博子の技術は近接戦と拷問のプロに教わった極めて実践的なものであり、それによって結果が変わることなどなかったのだが。


 とにかく、それは一方的なものだった。


 何が起こったかもわかぬまま右足の激痛とともに小柄な少女に引き倒され、両腕がものすごい力で不快な音を立てながら不自然な方向に折り曲げられた後に、顔面を何度も路面に打ちつけられたところまでが田代の記憶だった。


「ヒロリン、その辺で勘弁してあげなよ。それ以上やったらそいつ死ぬよ」


「久々だったのでもう少し遊びたかったのに。残念ですが仕方がないですね。では、これで終わりです」


「○%×$☆♭♯▲!※○%×$☆♭♯▲!※」


 麻里奈にそう言われ、仕上げだと言わんばかりに返り血で両手を真っ赤に染めながら、路面に強引に擦りつけ半分気絶している田代の顔をすり身にした博子は大きな体を放り出す。


「先輩、次はまりんさんの番です」


 むろん両手と右足の骨を折られた田代が戦えるはずもなかった。


「どうやら白旗のようです」


「では、私たちの勝ちということで、さっそく約束を実行してもらいましょうか。もちろん痛くてできないなどという強くて偉い名門北高柔道部の主将様とは思えないセリフを吐くことはないでしょうね、田代先輩」



 

 ……ヒロリン、もしかして少し本気になった?


 ……はい。一応相手は柔道部ですし、素手で戦わなければならなかったものですから。もっとも、予想していたよりもはるかに弱かったです。この学校の柔道部とはあの程度なのでしょうか。ところで、まりんさん。妙な噂が流れているのを知っていますか?


 ……知っているよ。ヒロリンがあんな大勢の前で大立ち回りをやったのに、なぜ、あいつをやったのが私になっているのよ。どうせ、またヒロリンの取り巻きが情報操作をしたのでしょう。まあ、私もお咎めなしだったのだから構わないけど。


 ……私がついた血を洗い流すために最初に現場を離れたからではないでしょうか。現にハルピも恭平君もまりんさんがやったと思っていましたし。それよりも……。


 ……何?


 ……やったのは実はまみたんだという噂もあります。


 ……あ~なるほど。わかるな、それは。ヒロリンはメガネをはずしていたからね。でも、まみたんが実は強いなどという噂が流れれば、まみたんに対する嫌がらせも減るからそれはいいかもね。ん?もしかして、それも?


 ……さあ、どうでしょう。


 ……それから気になっていたのだけど、ヒロリンは何であのゴリラを叩きのめそうと思ったの?


 ……私の耳に彼の悪評が届いていました。そのうち出向こうと思っていたところに、向こうからわざわざやってきてくれたわけで、手間が省けて助かりました。


 ……悪評って何?


 ……恭平君の言うところの「清く正しい名門北高男子」には相応しくないものです。どこにでもいるものですね。あの手の輩は。


 ……なるほど。それはお掃除ご苦労様。あいつは素人の女子に手を出した上にボロ負けしたので主将をクビになったみたいだよ。今回のことに懲りておとなしくなるのかな。


 ……どうでしょうか。さすがにあれだけ派手にやられたので、私の目の届くところでは悪さをすることはないと思いますが。どっちにしても、何かあればまたやるだけです。


 ……なるほどね。でも、次回は私が先鋒だからね。

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