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小野寺麻里奈は全校男子の敵である  作者: 田丸 彬禰
第七章 その恐ろしき料理の名は
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その恐ろしき料理の名は

 そして、この日ついに地獄の門が開かれて悪魔の宴が始まる。


「今日が記念すべき『第一回ヒロリンとまみたんの料理対決』だね。それでは、みんな拍手~」


 創作料理研究会が部室としている第二調理実習室で、誕生してわずかの間に関係各所に多大な迷惑をかけているこの悪の組織の頭目であり、とりあえずは創作料理研究会の部長でもある麻里奈がこのような大そうな宣言をしたわけなのだが、通常の部活動である。


 これでも。


「今日はパスタ対決。お題はカルボナーラだよ」


 現在は放課後であり、少々小腹は空いているものの、今そのようなものを食べてしまったら夕食に影響するのは確実である。


 しかし、このクラブ自体が「自分が食べたいものを食べたいときに、自分以外の誰かにつくらせて食べる」という麻里奈の不埒なコンセプトに基づいて生み出されているようなものなのだから、それがお題になった理由など火を見るより明らかにである。


「今日はカルボナーラが食べたい気分なの」


 当然こうなるわけだが、今日は幸か不幸かすぐに賛同者は現れる。


 言わずと知れた創作料理研究会の「悪のツートップ」を「悪のスリートップ」に進化、いや退化させたあの人物である。


「いいわね。パスタ。ここでお腹いっぱい食べれば夕食代が一回分浮くから経費節減ができるよね。それにしても、ようやく買っておいたワインが飲めるチャンスが来たのはうれしいよ。今日はワインに合うおいしいパスタをお願いするね」


 その人物は嬉しそうにそう語ったわけなのだが、発言者はまったく気がつかなかったものの、このとき本人以外のこの場にいる全員が「ほら来た」といわんばかりに、申し合わせていたかのように黒い笑みを浮かべていた。


 もちろん、それには十分すぎる理由がある。


 実は、この発言者であるこの学校の教師で創作料理研究会の顧問上村恵理子は例の騒動のドサクサ紛れにこっそりとリストアップして手に入れた高校の部活動にはまったく必要のない黒い高級ワインセラーにスーパーで買い込んできた安物のワインを大量に保管し、さらに冷蔵庫にも発泡酒を詰め込んでいた。


 すでに一部では「強欲守銭奴教師」として有名なりつつあったケチな恵理子がそのようなものを購入したのだから、当然のことともいえるのだが、それからというもの彼女はそれまでの日課のようになっていた居酒屋通いをやめ、学校内でこっそりと飲酒を始めていた。


 教師が校内で飲酒を始めるなど聖職者にあるまじき言語道断な所業ではあることは間違いないのだが、ここが悪の組織創作料理研究会であることから、ここまではとりあえずはよしとしよう。


 だが、このあとはさらにいけない。


 その「ひとり宴会」に供される肴のすべてが直接経費の節減のためにはどんな手間をも惜しまない恵理子本人の手作りだったのだが、いうまでもなく使用されている材料はすべて創作料理研究会の倉庫や冷蔵庫から無断で調達したものだった。


 もちろん、その後に完璧な証拠隠滅をおこなったその犯人上村恵理子は完全犯罪の成功を確信していたのだが、ここに彼女ひとりだけが知らないおそろしい事実が存在する。


 あの日恵理子が大量の備品に紛れ込ませてこっそりと手に入れたワインセラーを目ざとく発見し、恵理子の目的を看破した「ひとり宴会」の命名者であるエセ文学少女ヒロリンこと立花博子の提案を受けた麻里奈は、秘密裏に第二調理実習室と準備室に闇の組織と通じていたとその人物を通して取り寄せた高額の高性能小型防犯カメラを取り付けていた。


 これによって、校内での飲酒、物品窃盗、備品無断使用、証拠隠滅その他諸々名門千葉県立北総高等学校教師上村恵理子二十四歳が第二調理実習室内でおこなった凶悪犯罪のすべては撮影され、その後プロによる各種編集がされたその画像を確認することによってそれは部員全員の知るところとなっていたのである。


 そういうことで、恵理子の「初めての飲酒」発言は、本来ならツッコミどころ満載の案件であり、事実春香は口を開きかけたのだが、それよりも一瞬早くその程度ではまったく動じることはないこの悪の組織を率いる頭目が、自称お嬢様の舌打ちと小さくない独り言を無視して何事もなかったかのように宴のルールについて簡素な説明を始める。


「それでは、まみたんは私たち五人分を、ヒロリンは恭平の分をつくってね」


「わかりました」


「了解です。私は頑張りますよ~」


 彼女に憧れる男子ならば、その姿を見ただけで卒倒しそうな北高の制服である紺色のセーラー服にヒヨコのアップリケをあしらった薄いピンク色のかわいいエプロン姿のまみはかなりの緊張感を漂わせて、もう一方の「なぜ今それなのか」と誰かにツッコミを入れてもらうためではないかと疑いたくなる体育の授業で着用するあまりきれいとはいえない上下赤いジャージでの登場という、これから料理をつくる女子高校生として必要なものすべてをどこかに忘れてきたらしい地味顔のメガネ女子高校生は緊張感の欠片もなく両手を上げて元気に麻里奈の指示を快諾した。


 だが、それについて全然納得していない人物がいた。


 恭平である。


「ちょっと待て、麻里奈。こいつもまみがつくったものを食べるというのは、どう考えてもおかしいだろう。こいつは自分がつくったカルボナーラを俺と一緒に食えばいいのではないか?」


 恭平の言葉を待つまでもなく、料理対決をおこなっている博子が自らがつくった料理ではなく、対戦相手であるまみがつくった料理を食べるというのはたしかに妙な話ではある。


 百歩譲って、たとえそれが相手の料理の出来栄えを確かめる目的であったとしても、そうであればお互いに相手がつくったものを食べることになるはずで、まみがつくった料理を博子を含む恭平以外の全員が食べるというこの状況は小心者で疑い深い恭平が「麻里奈がまた俺だけによからぬことが起きる悪巧みを思いついたのではないか」と不安がるのも当然といえば当然である。


 実は、この恭平の不安はこの後に見事に的中することになるので、もしかしたら、これこそが天啓か、それとも世に言う虫の知らせというものなのかもしれない。


 だが、この直後に彼のもとに飛んできた麻里奈が彼女の計画にとっては邪魔でしかないその見えない虫を追い払うように恭平を自分のほうに強引に引き寄せこう囁いた。


「あんたはどこまで愚かなの?ヒロリンはあんたが食べる分だけの料理をつくるのよ。これからずっと。それを見せられたまみたんはどう思う?どぅゆーあんだーすたんど?」


「おう、そういうことだった。そこで俺はヒロリンがつくったパスタを食って『うまい、うまい』と言えばいいわけだったな」


「そういうこと。……もちろん完食することも忘れずにね」


「まあ、腹は減ってきたし、ちょうどいい。空腹が最高の調味料とも言うからな。任せろ。完食はもちろんおかわりだってするからよく見ておけよ」


「わかった。たしか有言実行だったね」


「そのとおり。有言実行。そして、どんな約束でも絶対果たす安心と信頼の男橘恭平だ。それよりもおまえこそ約束は守れよ。麻里奈、あの時の契約は忘れていないだろうな」


 あっさりと麻里奈の言葉に乗せられ、高性能追尾式ミサイルでカモを撃ち落とす猟師役の麻里奈のアフターフォローに対して、愚かな自慢まで披露したネギどころかすべての具材と各種調味料、はては調理器具まで背負ったカモ役である男子高校生だったが、彼が最後に付け加えた「あの時の契約」とは、もちろん最初の部内会議後の帰り道でふたりが交わした二件目の契約のことであり、彼はこれが麻里奈を縛る道具になると考えていた。


 だが、実はそれは逆であり、それによって彼はこれから麻里奈の下僕以下の存在にまでなり下がるのだが、この時点でそれを知る唯一の人物である麻里奈はそれまでよりさらに数段階パワーアップした太陽のような笑顔をつくって幼馴染の問いかけにこう答えた。


「もちろん、よく覚えているよ。厳しいお仕置きを避けるためにも契約はどんなことがあっても守ろうね。お互いに」


 こうして猟師との最終打ち合わせが無事完了し、撃ち落とされるための完璧な準備が整えた愚かなカモは、次にこれまで調理器具というものを手にしたことがあるのかと疑いたくなるような怪しげな手つきでもたもたと準備をしている赤ジャージ姿の自分の専属料理人に近づき、先ほどの重要案件についての確認作業をおこなうことにした。


「ヒロリンよ、忙しいところを済まんが確認しておく。まみの特製パスタを食いたいばかりに途中で作業を放棄して、俺だけが何も食えないなどという事態にはならないだろうな」


 もちろん返ってくる言葉など決まっている。


「失礼なことを言いますね。私は料理をつくるのが大好きですからそういうことはありません。ちゃんと恭平君が泣いて喜ぶ自家製生パスタをつくりますから心配しないでください」


「それならいい」


 日頃から彼女のことをまったく信用していない恭平も、この時は「こいつならその程度のことは平気でやるかもしれないので、とりあえずクギを刺しておこうか」程度にしか考えておらず、一方言われた方は心の底から自分の料理に自信が持っていたため当然のようにきっぱりとそれを否定してこの話はすぐに決着が着いたわけなのだが、これから一時間も経たぬうちに恭平はそちらのほうが百万倍よかったと泣きながら後悔することになる。


 さて、その恭平だが、博子の言葉に納得しかかったところで、彼女の言葉に怪しげな単語が含まれていることに気がついた。


「ん。ちょっと待て。自家製生パスタ?何だ、それは」


 彼の素朴な質問に博子は両手を腰にあて、「北高一の巨乳」「現在進行形でどこまでも増量中」と同級生の男子の間でのみコッソリと噂される大きな胸を張って自信満々にこう答えた。


「だから、麺がなんと私の手作りなのです。まみたんは乾麺などという邪道な品を使っていますから、それだけで私のほうが一歩、ではなく十歩くらいはリードしています」


「ほう、期待してもいいのか」


「もちろんです。いっぱい期待してください。いや、いっぱい、いっぱい期待してください。恭平君が土下座して感謝するようなアイデア満載のおいしいパスタができあがることを、この天才料理人立花博子が保証します」


「わかった。では、期待しているぞ」


 自家製生パスタ。


 それはたいそう立派な名前であり、また日頃から博子が自分の料理の腕前を自慢する話を聞かされていたため、人間としての器が小さく小心者で疑い深い性格ではあるが、基本的にはきわめて単純な生き物である恭平がそれなりの期待をするのは当然のことである。

 

 だが……。


「そうは見えないけど、あの子はそんなに料理が上手なの?」


 対決するふたりがよく見えるテーブルに陣取り、すでにワインを飲み始めながら自称天才料理人と恭平の会話を聞いていた事情を知らない顧問の恵理子が博子の料理の腕前をおそらく博子本人よりも知っている部長の麻里奈に訊ねたことで、遂にその恐ろしい真実が明らかになる。


「ヒロリンの料理は一言で言えば、創作料理研究会にふさわしいものかな。だいたいヒロリンはいつも自分を料理上手などと自慢しているけれども、ヒロリンが自宅で料理をしたのは小学五年の時の一回だけのはずだよ。その時にヒロリンがつくった卵焼きを食べたヒロリンのお父さんはその後一週間くらい寝込んだそうだよ。一緒に食べて二週間寝込んだヒロリンのお母さんは今でもヒロリンの料理を凶器と呼んでいる」


「凶器?ただの卵焼きでしょう。もしかして熟成卵と称して腐った卵でも使ったの?」


「腐った卵?いやいや材料の問題じゃなくて、純粋にヒロリンの料理がまずいということ。それもまずいという言葉に申し訳ないほどまずいってヒロリンのお母さんは言っていた。ちゃんとレシピを教えたはずなのに、何を入れてどうつくったのかはわからないけれども、出来上がったものは卵焼きとは似ても似つかぬグロテスクな代物だったらしいよ」


「……グロテスクな卵焼き」


「……それでも、『見た目は少しだけ悪いけど絶対美味しいから』と言うヒロリンの言葉を信じて恐る恐るそれを口に入れたら、まず驚くほどの甘さが津波のようにやってきて、その後に何かはわからないものの、とりあえず絶対食べてはいけなかったことだけはわかる得体の知れない妙な食感と変な味がジワジワと体に染み込んできたところまではなんとか覚えているのとか。……その時に、はっきりと死ぬほどまずいと言えばよかったものを、恐怖のあまり父さんが『すごく美味しかった』なんてゴマすりをしてしまったものだから、ヒロリンは今でも自分が料理上手だと勘違いしているみたいだよ。その後、あのような恐ろしい思いは二度としたくないお父さんが『おまえのおいしい料理は将来結婚した時までとっておきなさい。お父さんはお母さんの料理で我慢するから』とごまかしてなんとか今に至っているらしいよ」


「……」


「……」




 そして、三人の会話は佳境に入り、いよいよ恭平が一番聞いてはいけない自分が創作料理研究会に入ることになった経緯が麻里奈の口から明かされる。


「……その話を中学校の入学直前に聞かされた私は方々に手をまわしたうえで、高校に入ったら料理研をつくって好きなだけ料理をさせるからとヒロリンを宥めすかして調理実習の授業で彼女が調理にかかわらないようにすることになんとか成功し三年間を無事過ごすことができたわけだけど……」


「チョット待った。ということは、まりんのその涙ぐましい努力の結晶がこの創作料理研究会ということ?」


「まあ、そういうことになるね。……それで続きだけど、でも、ここでヒロリンがつくった料理を食べることになってしまっては今までの苦労も水の泡になってしまう。そうならないようになんとかヒロリンの料理を食べなくて済む方法はないものかと色々考えた末に辿り着いたのがヒロリン専任の試食係として恭平を入部させるということだったの。これならヒロリンの凶器とやらがどれだけ恐ろしいものであっても被害者がひとりで済むわけだし、なによりも私がヒロリンのつくった凶器を食べなくても済む」


「アハハ」


「ソレハ ヒドイデス。サスガニ タチバナクンガ カワイソウデス」


「いやいや、それはナイスな人選だ。私はてっきりまりんが橘を好きだから創作料理研に引き入れたのかと思っていたよ。力いっぱい殴っているのは、橘への愛情表現の一種なのかと思っていた」


「私が恭平を?まさか。というか、私が男どもを見下し始めたのはもともと恭平があまりにもヘタレだったのが原因だよ。ただ、恭平ってバカで単純だし器の小さい小心者で世界一のヘタレだけども、見た目以上に頑丈だからこの役にはピッタリだと思うよ」


 ここまで聞けばおわかりであろう。


 実は、この創作料理研究会をつくるうえでの最大の難関とは、資金提供者を見つけることではなく、自称天才料理人がつくる料理を食する者をどうするかということだったのだ。


 そして、麻里奈に選ばれて、クラブを、いやこの世界を代表としてその大役を仰せつかったのが恭平だったというわけである。


「まあ、それほどのものなら、橘がヒロリンの料理を食べてどのような感想を漏らすのか楽しみになってきたな」


「アハハ、まったくそのとおりだね。でも、ヒロリンがつくったものを食べても橘君が死ぬことはないよね。困るよ。本当に死んじゃったら」


「それは、なんとも言えない。私も実物を見たことがないから」


 麻里奈が語ったその恐ろしい話は、手際の悪い博子を見かねて打ち合わせに続いて自主的に手伝いを始めた恭平の耳には偶然届かなかったのだが、それが彼にとってよかったのか悪かったのか、それは誰にもわからない。


 ……いや。やはり悪かったようである。




 それからしばらく時間が過ぎた同じ場所。


「おまえは俺を殺す気だっただろう」


 自称天才料理人本人が言うところの「傑作」らしいそれを口にしてからの空白の時間が過ぎ、やっと意識を取り戻した恭平による恐怖と怒りと悔しさが入り混じった涙ながらの第一声がこれだった。




 彼は自称天才料理人がつくりだした異臭を放つカルボナーラとは似ても似つかぬそれを恐る恐る口に入れた瞬間に、これが本当に食材から生み出されたものなのかと本気で疑ったことは鮮明に覚えている。


 ……ま、まずい。いや、もう、これはそういうレベルの話ではないぞ。食わずに逃げたら麻里奈のバカに何を言われるかわからないから、とりあえず一口食ったが……いったいこれは何だ?……うっ、何か来た。


 だが、恭平の記憶はなぜかここで途切れていた。




 気がついた時に彼は床に転がり痙攣していた。


 ……いったい俺の身に何が起こったのだ?それに俺がこのようなことになっているのに、麻里奈たちは何をしていたのか?それよりも、麻里奈たちの視線が妙に冷たいのはどういうことだ。色々疑問はある。だが、まずは言わなければいけないことを言わなければならない。こいつに。


 ふらつきながらやっと立ち上がった恭平は自分をこのようなひどい目に遭わせた自称天才料理人を睨みつけ口を開いた。


 最初の一言を発してから数分後。


 恭平の抗議はまだ続いていた。


「……おい、ヒロリン。もう一度言うぞ。まずい。まずすぎる。いや、それどころか、もうこれは食べ物という範疇を超えている。おまえはわざとこれをつくっただろう。というか本気で俺を殺そうとしただろう。これは殺人未遂だぞ。訴えてやる」


 人一倍疑い深く小心者の恭平が体に悪そうな見た目と実際食した結果は見た目以上に自分の心身に悪影響を及ぼしたそれが実は自称天才料理人がおいしいものをつくろうと努力した結果偶然生み出されたものだったという悲しい真実に辿り着けるはずはなく、彼は自分は殺されそうになったと心の底から信じていた。


「……おい、俺の話を聞いているのか。少しは反省の言葉を口にしたらどうなのだ」


「はぁ~」


 一方、そう言われた方だが、そろそろ彼女にとっては不当な抗議にあたるそれを聞き流すことが飽きたらしく、普段と変わらぬヘラヘラとしか表現できない気持ちの悪い笑顔のままでこう応じた。


「何が反省ですか。恭平君こそ失礼千万です。さっき恭平君は私の料理のあまりのおいしさに恍惚の表情で涙が出るくらい面白い感謝の踊りを披露してくれたではないですか。しかも、異世界語で『おいしい、おいしい』と連呼までして。それなのに、今になって一生懸命料理をつくったこのかわいい女子高校生に対してそういうことを言うなんてひどいです。最低です。前からわかっていましたが、恭平君は本当に悪い人ですね」


「何が失礼千万だ。自分をかわいい女の子だとか異世界語がどうのとか、今のおまえの発言にはツッコミどころは山ほどあったが、まず何だ。その感謝の踊りというのは。俺はそのようなものを踊った覚えもないし、今後も踊る予定はないぞ。もちろん恍惚の表情にもなっていない。ついでに、バカなおまえにこれだけははっきり言ってやる。何が悪い人だ。悪いのは俺ではなく、おまえの料理の腕とセンス。そして頭だ。だが……」


 まみがつくったおいしいカルボナーラも食べ終わり、良質な油で口がなめらかになったらしい地味顔の自称天才料理人の軽やかなその言葉に、さらに頭に血が上がり、血圧その他上がってはいけない様々なものが急上昇した恭平は自分を殺しかけたこの世のものとも思えぬ異次元物質とそれを製造した自称天才料理人に対してありたっけの毒をまき散らし、ついで間違いなくこの惨事の首謀者で諸悪の根源である自分の幼なじみを指さし最後の力を振り絞ってこう弾劾した。


「……だが、このバカの頭よりも悪いのは麻里奈、おまえだ。おまえのねじ曲がった性格が一番悪い。おまえはこのバカメガネがもはや料理とは呼べない人間が食えない代物しかつくれないということを知っていただろう。それなのに……」


 たしかに、恭平のこの指摘は正しい。


 たしかに正しいのだが、だからと言って指摘が正しければ状況が常に好転するとは限らない。


 むしろ悪くなることだってある。


 この場合がその例である。


 顔を真っ赤にして怒り狂う恭平を軽くいなすように、黒い笑みを浮かべた麻里奈はその言葉を待っていましたと言わんばかりにこう言い放った。


「みんなの前で自分がヒロリンの専属試食係をやるって胸を張って宣言したくせに随分無責任なことを言うよね。とにかくまだ一口しか食べていないのだから他人に責任を押し付ける暇があったら早く残りを食べなさいよ。完食する約束でしょう」


「……しまった」


「ふん。気がつくのが遅いよ、恭平」


 麻里奈相手に口論をして勝てるわけがないことくらいとうの昔に承知していたはずだったのに、麻里奈が準備万端整えて待ち構える土俵、しかも彼女がもっとも得意とする土俵に自ら上がってしまったことに、ここでようやく気づき恭平は心の底から後悔した。


 だが、すべてが手遅れだった。


「ねえ、先生。それから、春香。恭平はさっきそう言っていたよね」


「うん、そのようなことを大声で言っていた。ヒロリンの料理を完食して何千杯でもおかわりするとか」


「そうそう。それから約束を守れなかった場合は、すぐに腹を切るとか立派なことも言っていた」


 この日のために数々の証拠を用意して待ち構えていた麻里奈だけでなく、すぐさま到着したこちらも栄養補給が完了し準備万端整えていた彼女の援軍まで加わり、恭平はあっというまに窮地に追いやられてしまった。


「どうした橘。早く食っておまえの得意技である『悶絶パフォーマンス』をもう一度やってみせろ。それにしてもあんな恥ずかし姿を晒しておまえはよく生きていられるな」


「本当だよね。あれは人前でやってはいけないものだよね。まみたんもそう思うでしょう」


「……はい」


「見ているこっちが恥ずかしくなるよ」


「まったくだ」


 ちなみに春香が命名し、これから博子自慢の創作料理を口にするたびに恭平が披露することになるその「悶絶パフォーマンス」であるが、博子の創作料理を口に入れた直後に意識がなくなった恭平が異界のものと思われる怪しげな言語を叫びながら体全体を使ってウツボに噛みつかれた未知の海洋性軟体動物の断末魔のような気持ちの悪い動きで博子の料理のまずさを無意識に表現したものである。




 ……何をしたのか。いや、何をさせられたのかはわからないが、とにかくこのままでは絶対に終われない。とりあえず、面倒な麻里奈は後回しだ。まずはメガネバカに正義の鉄槌を下し……そうだ。あいつに自分がつくったものを食わせ……。


 悔しさのあまりこぼれ落ちた涙をそっと拭った恭平がこの辱めを自分に与えた実行犯に科す罰を思いついた瞬間に、その声は割り込んできた。


「脳みそにお届いていなかったみたいだから、もう一度言ってあげる。恭平のやるべき仕事はヒロリンがつくったこの料理をすべて食べることだからね」


「何だと……」


 振りむいた恭平が見たものはすでに勝利を確信した麻里奈の顔だった。


「そして……」


 ついに繰り出す。


 隠し持っていたあの最終兵器を。


「……前に恭平と契約を交わしたよね。しかも、絶対に不履行にならないように書面で。あの契約では恭平がやり遂げると豪語したその仕事を完遂できなかったり放り出して逃げたりしたらどうなるかが書いてあったのだけど、私はちょっと忘れた。でも、自分からそれを言い出した恭平なら何と書いてあったか覚えているはずだがら、何と書いてあったのかをみんなにも聞こえるように大きな声で言ってくれる?」


「し、しまった」


 めったにお目にかかれない素敵な笑顔を披露する麻里奈はわざとらしく忘れたふりをして恭平にこう訊ねたが、目の前にいる自分の幼馴染はこういうことを絶対忘れるはずのないことは恭平も十分承知している。


 ……そうか。面倒なことが嫌いな麻里奈があの契約をわざわざ書面にすると言ったのはこの時のためだったのか。


 ……ということは、麻里奈はこうなることまであの時にはすでにわかっていたということなのか。


 ……くそっ。 


 ここに来てようやく恭平も麻里奈の挑発に乗った自分の愚かさを気づくのだが、それは後の祭りというものである。


 ……たしかに、あれを言い出したのは俺だ。


 ……だが、あんな恥ずかしいことなどできるものか。


 ……しかし、相手が麻里奈であることを考えれば、絶対にそれは許されない。


 ……絶対にやらされる。


 ……もちろん、今からでもそれをやらなくても済む方法はある。


 ……だが、それはあれを完食することだ。


 ……無理だ。絶対に。


 ……つまり、これから待っているのは……。


 ……終わりだ。


 これから毎日全校生徒の嘲笑に晒される自分の哀れな姿を思い浮かべて崩れ落ちた恭平を遥か高みから見下ろした麻里奈の言葉が続く。


「恭平。今日は特別に土下座して泣いて許しを請えば、あれはしなくてもいいことにしてあげる。どうする?する?それともしない?土・下・座」


 うつろな目で麻里奈の勝ち誇った顔を見上げた恭平は悔しさや後悔等々今まで耐え忍んできた多くの感情までが一気にこみ上げ再び涙が溢れてきた。


 ……憧れのまみの前でぶざまな姿を晒した挙句に理不尽な土下座をさせられるなど名門北高男子である俺のプライドが許さない。


 ……だが、それ以上の屈辱であるあれを回避するためには……。




「……それでお願いします」


「土下座がしたいの?」


「……はい」


「今後は私のどのような命令でも黙って従うことを誓える?」


「……はい。誓います」


「じゃあ、許してあげる。では、心を込めてやってちょうだい」


 命じられるままに恭平は腕組みして仁王立ちする麻里奈の前に正座した。


 そして、嘲笑に包まれながらそれはおこなわれたのであった。


 恭平のむせび泣く声とともに。




 恭平にとっては忘れることができない屈辱に満ちたあの日から数日経った放課後。


「……だいたい何が極上トマトソースだ。トマトの味はまったくしなかったぞ。隠し味にさえなっていなかった」


「おかしいですね。ケチャップを三周もさせたのに。やっぱり、もう一周させたほうがよかったのでしょうか」


「そういうレベルではないだろう。そもそも極上トマトソースと名乗りながらケチャップを使うところがすでにおかしいだろう」


「何を言っているのですか。ケチャップを使わずにトマトソースができるわけがないじゃないですか。まったく恭平君の無知ぶりには困ったものです……」


 あの日と同じ場所で、それはおこなわれていた。


 ちなみに、自称天才料理人はあの日紆余曲折のすえカルボナーラという当初のお題とは無縁の存在である「気品漂う漆黒の自家製生パスタ❤こだわりの極上ピリ辛トマトソースとともに」なるものをつくり上げてしまったのだが、どちらにしても、この自称天才料理人の手にかかってしまえば、たとえどのような食材が用意されていたたとしてもカルボナーラの範疇に入るものは出来上がらないことを知っていた麻里奈は笑ってこれを許していた。


 さて、先ほどの続きである。


「恭平君。まずは、あの無礼な名前を取り消して、それから土下座して泣いて謝罪してもらいましょうか」


 だが、両手を腰に当てておこなった自称天才料理人のその要求を、相手はこう言ってきっぱりと撥ねつけた。


「何を言う。あれこそおまえがつくったあのゴミにふさわしい名前だろうが。言っておくが、あれでも俺の言いたいことの百分の一にも達していない。今ほど自分の語彙の貧困さを呪ったことはないぞ」


 自称天才料理人は自分が「気品漂う絶品!漆黒の自家製生パスタ❤こだわりの極上ピリ辛トマトソースとともに」と命名した自慢の創作パスタを恭平が勝手に怪しげな名前に変えたと頬を膨らませて怒っていたのだが、恭平が改名したその新しい名がこれである。


「黒い汚水に浸かったドブ川の腐った匂いと奇怪な見た目が自慢らしい実に気持ちの悪い食感が永遠に記憶にこびりつく人間であれば絶対に口に入れてはいけないコーヒーかすと激辛唐辛子まみれの人類の味覚の限界をはるかに超えた宇宙一まずいこの世に存在してはいけない最悪生煮えうどんもどき風猛毒違法化合物」


 自称天才料理人の料理に対する無知と無理解が生んだ様々な誤解と勘違いに、失敗という調味料を大量に振りかけて出来上がったそれには、どちらの名前がふさわしいのかは言うまでもないことではあるが、のちに「創作料理研究会の最終兵器」と呼ばれることになる博子作の創作料理群の最初の一品はこのようにして誕生し、この後も進化、正しくは退化しながら続々と開発されていくそれらは、試食する恭平から味覚や記憶だけでなく、彼が清く正しい男子高校生として生きていくことにとって大切ないろいろなものまで奪っていくことになる。




 ……ヒロリンは本物の天才。すべてのことでパーフェクト。唯一の例外が彼女が大好きな料理づくりだったことが、創作料理研究会というか恭平にとっての悲劇ということになるのかもしれない。私にとってそれはすばらしいショータイムではあるのだが。


 ……ヒロリンが料理上手になるようなことになれば、不平等すぎるこの世界をつくった神を私は一生恨むよ。


 これらは、博子の料理スキルについては語られたものであり、前者は小野寺麻里奈、後者は六月に起きたある事件後に呟いた馬場春香のものとされている。




 さらに、同一人物と思われる別の関係者の言葉も残されている。


 ……あのバカは極彩色の料理をつくろうとしていたに違いない。俺を使った人体実験で。そうであれば絵具かクレヨンを塩で煮ろ。それの方がまだあのバカが製造しているものよりもずっと食えるものになるだろう。


 ……試食は自分でしろ。というか、製造過程を確認するのは製造者の責任というものだろうが。


 ……化学の実験は他でやれ。ここは調理実習室だ。


 ……製造物責任法違反だろう。いや、これは殺人未遂か。


 ……これぞ、本当の飯テロだ。




 こちらについては、その内容からおそらく創作料理研究会関係者で唯一自称天才料理人がつくった料理を口にしたあの人物のものであろうことは想像できるものである。


 また、最後のコメントについては、この年の北高文化祭でおこなわれた某クラブのイベントに参加した多くの男性たちが病院への搬送中に同様の発言をしていることが確認されている。

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