不幸な泥棒 幸運な泥棒
その夜、千葉の田舎にある広大な敷地に建つ古びた洋館にふたりの泥棒が近づいていた。
「このようなボロ屋敷など入るのは楽勝だが、問題は……」
「お宝があるかどうかだろう。それは心配いらない」
「まあ、そういうことに関して勘のいいおまえが言うのだから心配はしていないが、本当に使用人の数だけでお宝があると言えるのか」
「逆にただのボロ屋敷を管理するためだけにあれだけ大勢の使用人が必要だと思うか。それに一昨日見たここの持ち主らしい男の身なりもかなりのものだった」
「ちなみに、おまえは何があると思っているのだ。地下に巨大金庫があるとか……」
「いや。おそらくあるのは現金や貴金属ではなく隠し持った骨董品または絵画のような美術品の類だろう。その辺の目利きには自信があるので任せておけ。それよりも防犯装置は本当にないのか?」
「何度も確認したが驚くべきことに全く見当たらない」
「不用心なことだ。俺たちにはありがたいことだけどな。これだけのハコで防犯装置なし。これまで同業者が仕事をしなかったのが不思議なくらいだ。この辺の同業者はかなりレベルが低いようだな」
「まったくだ。まるで俺たちのために残しておいてくれたようだな。では、ガラスを切るので見張りを……おい」
「どうした」
「見ろ」
「な、何だ。これは」
相棒が指さすものに目をやり、男は思わず大声を出してしまった。
「このガラスは指四本分の厚さはあるぞ。防弾ガラスか?」
「間違いない。これを破るのは簡単ではない。だが、これで防犯装置がないのも頷ける。時間をかければ破れなくはないだろうが、とりあえず別の場所からいくか。もし裏に回って安全な場所が見つからなければ強硬突破する。音が出るので気がつかれるだろうが仕方がない。気は進まんが抵抗すれば殴り倒す。たとえ女でも。いいな」
「ああ」
予定していた窓からの侵入を諦めあらたな侵入場所を求めて歩き出した二人だったが、ここで思わぬ天祐が迷い込む。
玄関の大きな扉が半開きになっていたのだ。
「これぞ神の御導き」
「何の神だ」
「それは泥棒の神だろう」
軽口を叩いたものの、そこはプロ。
用心深く中を覗き込むが、広い廊下が続くだけで人がいる気配なかった。
「入る前にもう一度確認しておくが、もし家人に出会ったら躊躇うことなく口封じをする。それでいいな」
「もちろん。情け容赦なく」
「では、行こう」
こうしてふたりの泥棒は舞い込んだ幸運によりこの館に侵入することに楽々と成功した。
だが、待っていたものは彼らが期待していたものとはまるで違うものだった。
それから、わずか三十分後。
ふたりの泥棒は文字通り身ぐるみ剥がされた後にきつく縛りあげられていた。
突如現れた執事らしき男とメイド服姿の女三人にあっという間にねじ伏せられ、首にかけられたロープを乱暴に引かれ彼らが連れてこられたその部屋で待っていたのは豪華な調度品も霞むほど美しい四十歳前後と思われる女性と執事の姿をした五人の男たちであった。
「順菜様。この者たちの持っていた携帯に残る履歴にはどの組織との関係も見つかりませんでした」
仲間から九条と呼ばれていたふたりを捕らえたグループのリーダーらしき男がそう報告する。
「所持品はどうですか?」
「発信機などもありません。所持品もコソ泥が使う安物の商売道具だけです」
「そうですか」
「この館に来るには百万年早いな」
「いや、腕も道具も来てはいけないレベルだよ。これは」
「それは言える。ここは二流が来る場所ではない」
「そもそも、こいつらは二流でもないだろう」
「まったくだ。笑える」
「なんだとウグっ……」
女性を取り囲む男たちの口から次々と繰り出される嘲りの言葉にそこまで言われる筋合いではないと、声を上げかかったところで首に巻かれていたロープが締まる。
「おまえたちに許されているのは質問に答えることだけです。今度勝手に動かしたらその舌を引き抜きますよ」
冷気が宿っているかのような女性の声だった。
「わ、わかった」
「それくらいにしてあげなさい」
哀れな姿を晒すふたりの男を興味なさそうに眺めていたこの部屋を支配する女性の言葉が室内に響く。
「さて、あなたたちに訊ねます。私の質問に隠し事をせずに正直に答えなさい。そうでないと私が判断した場合は即刻首を撥ねます。よろしいですね」
「わかった」
そう言った瞬間、先ほどよりもさらに強くロープが引かれる。
「下賤で教養のないゴミとはいえ立場をわきまえぬ順菜様に対してのその物言い。今すぐに殺しますよ」
先ほどと同じ声の主はこの館で最初に出会い、そして彼らを捕らえた女性たちのひとりのものだった。
「麗、おやめなさい」
「しかし……」
「そう長いことではないのですから、その程度の非礼は許します。さて、わかったと思いますが、あなたたちの立場は非常悪い。ここにいる者たちは皆今すぐあなたたちを殺したいと思っています。ですから、一秒でも長く生きたいと思うのなら正直に私が欲する情報を提供しなさい。よろしいですか」
「はい」
「はい」
「では、訊ねます。あなたたちはどこのエージェントですか?」
「エージェント?」
「さっさと答えろ。ゴミ」
一つの声と無数の冷たい殺意を帯びた視線が男たちを刺す。
「は、はい。お答えします。そのような者ではありません。しがない盗人です」
「俺も、俺も同じです」
「そうですか。赤井はどう思いますか?」
女主人らしき女性は脇に立つ男に問いかける。
「手際は悪く、装備も安物ばかりでしたから、彼らの言葉は本当でしょう」
「九条と麗もそう思いますか」
女性の問われたふたりも頷く。
「よろしい。では、最後の質問です。あなたたちはなぜこの館を狙ったのですか?あなたたちにここに押し入ることを薦めた者がいるのですか?」
「いいえ。ふたりで相談して決めました」
「一応周辺での情報収集でここが同業者の世話になっていない情報は手にいれましたが、ここを狙えと言われたことはない。いや、ないです」
男たちの話を静かに聞いていたこの部屋を統べる女性が口を開いた。
「よく考えなさい。本当にそれがすべてですか?よく思い出しなさい。他には何もありませんか?」
「……はい」
「……わかりました。これで質問は終わりにします。九条、あなたにこの者たちの処置を任せます。麗、手伝ってあげなさい。神無、鏡祭。あなたたちも」
「承知いたしました」
「では、お願いします」
「無礼極まる下賤な者たちに対しての寛大なご処置。本人たちに成り代わりお礼を申し上げます。ありがとうございました」
深々と頭を下げる九条という男の言葉に見送られながら女性は部屋を出て行った。
「……寛大な処置?これが」
「そうです。愛する館を汚したあなたたちに対する厳しい拷問がなかったのですから、順菜様にしては非常に寛大な処置と言えます。では、行きますか」
「どこに?」
「もちろん、あなたがたが行くべき場所です」
「……聞いてもいいか?いや、いいでしょうか?」
部屋を出て、長い廊下を歩いた先にあった地下への階段を下り始めた時、男のひとりが前を歩く九条と呼ばれていた執事服姿の男に声をかけた。
「何でしょうか?……それから敬語はもう無用です」
「……俺たちはどこに連れていかれるのだ。警察に引き渡すのではないのか?」
「警察?いいえ、違います。私は先ほどあなたがたが行くべき場所だと言ったはずですが……」
「それは聞いたが、それでなぜ地下なのだ」
「なるほど。詳しい話を聞きたいわけですね」
「あ、ああ」
「実はこの館周辺はすべてあるお方の持ちものです。太平洋戦争前にすでに東京が焼け野原になることを予測した三代前の当主様がお持ちになられる膨大なコレクションの疎開先として土地を購入しこの館が建てられ、その地下には多くの空間をつくられました」
「……ということは」
「多くは戦後東京に戻していますが、ここにもまだ多くの美術工芸品があります。さらに言えば、戦中戦後の混乱で行方不明になったものや、世間では戦火で焼けたと思われているようなものもここにはあります。それに世界中で盗難に遭って行方不明になった有名絵画のいくつかもここにあるわけですから泥棒としての腕はともかく、ここに狙いをつけたというあなたたちの眼力は確かだったといえるでしょう」
「……」
「そして、あなたがたがこれから行くところも、その時につくられた地下空間を利用した施設となります。……ちょうど着きました。ここです」
それは中から異臭漂う鉄製の扉が付けられた部屋の前だった。
「な、何だ、ここは」
「通称『濃硫酸のプール』。あなたがたのお仲間もたくさん入っています。皆さんすでに溶けていますが」
「……ということは、もしかして……ここで殺すのか。俺たちを」
「はい」
絞りだすような男の問いに九条はこともなげにそれを肯定する。
「あなたがたは知ってはいけない多くのことを知ってしました。それだけでも、私たちがあなたがたを殺す十分過ぎる理由となります」
「絶対に言わない。約束する」
「俺も言わない。いや、今すぐ忘れる。だから頼む。助けて、助けてください」
「申しわけありませんが、そういうわけには参りません。さて、あなたがたには死んでプールに入るか、生きたままプールに入るかを選ぶことができますが、どうされますか?」
「い、嫌だ。お願いだ。助けてくれ。なんでもする。だから、なんとか、なんとか助けてくれ」
「助けてくれ。お願いだ」
「見苦しいです。潔く死んでください」
「嫌だ」
「お願いだ、助けてくれ」
「どうしますか?九条様」
「仕方がありません。神無、鏡祭。やりなさい」
「承知しました」
「お任せあれ」
「許してくれ……」
「命だけは……」
必死に懇願する男たち。
だが、この場に及んでふたりの命乞いが叶うはずもなく、それはすみやかに実行される。
「まずはあんただ」
「○%×$☆♭♯▲!※」
「次」
「死にたくない、まだ死にたくな○%×$☆♭♯▲!※」
ふたりの盗賊が人知れずこの世から消えたあの夜からしばらく経ったある日。
もうすぐ我が家であるボロアパートに着くというところで、地味顔のメガネ少女は隣に広がる敷地に建つ千葉の田舎であるこの辺りにはまったく不似合いのレンガ造りの洋館をじっと見つめる老人を見つけた。
「……またですか」
一目でその老人がどのような種類の人間かを見抜いた少女は一度小さなため息をつくとその老人に近づき声をかけた。
「こんにちは。この辺では見かけない方ですが、おじいさんはどこから来たのですか?」
「最近近くに引っ越してきた。今は散歩の最中なのだが、あまりにも立派なお屋敷なので眺めていたところだ」
「そうですね。たしかに素敵です。古くて……」
「お嬢ちゃんはこの辺に住んでいるのかい」
「私はあそこに住んでいます」
彼女が指し示したのは古いアパートだった。
老人はみすぼらしいその建物に一瞬だけ目をやったものの、興味なさそうにすぐに目を移動させ、その先にある大きな古い洋館を指さした。
「それで、この立派なお屋敷は誰のものなのか知っているかい。庭はきれいに手入れをされているが」
「この屋敷ですか?よく知りませんが、この辺では幽霊屋敷とも呼ばれています」
「幽霊屋敷?」
「はい」
「なるほど。たしかに雰囲気はある」
「ところで、もうひとつ質問してもいいですか?」
「構わんよ」
「おじいさんは泥棒さんですよね?」
その言葉はその老人の意表をつくものだった。
実は少女の言うとおりこの老人は空き巣を生業としていた。
だが、さすがに「はい、その通りです」と言うわけにもいかない。
「そのようなことは……」
ここは言葉を濁してすぐにこの場を離れることが得策であると考えた老人だったが、ややトーンが下がりそれと同時に周辺の温度も下がったのではないかと思われるような抑揚の乏しい少女の声が老人の退路を断つ。
「仕事の下見をしているようなので忠告します。この館で仕事をするのはやめたほうがいいです」
……しかたがない。
老人の表情が変わった。
「……なぜわかった?」
「おじいさんは普通の人とはオーラが違いますから見破ることなど簡単です」
「ふん、そんなはずはあるまい。先ほどすれ違った警官には職質されなかったぞ。とにかく私がそのような者と知っていて平気でいられるとはおまえも普通ではないということか。せっかくだから聞いておこう。なぜこの館で仕事をしてはならないのか。そのいるかどうかもわからぬ幽霊とやらが出るからか」
「いいえ。あの館には幽霊よりも怖いものがいます。そして、その館に忍び込んで帰ってきた人はひとりもいません」
「完ぺきな防犯装置があり、皆お縄を頂戴したとでも言うのか?」
「それ以上」
「それ以上?」
「はい。いろいろな種類の人間が様々な目的でこの屋敷に忍び込みましたが、誰一人生きて戻って来ていません。おじいさんがその列に加わってここで人生を終わりにしたいというのなら止めませんが、もう少し長く生きたいと思うのなら、ただちにこの場を立ち去り二度とこの場に近づかないことをおすすめします」
「……ほう、ずいぶん詳しいな。もしかして、おまえは……」
チラリと見て固まり、後に続く「この館の者か」という言葉を老人は飲み込んだ。
逃げ出したいが身動きができない老人は、この少女の視線には他人を支配する魔力があるのではないかと恐怖した。
「どうするかをこの場で決めてください」
そう問う少女はいつの間にか先ほどまでかけていた黒縁メガネを外し露わになった熱を感じさせないその眼はとても常人のものとは思えないものであり、それは老人に彼我の力関係を理解させるに十分なものだった。
……ここは引くしかない。この少女にすら勝てない私が館に住むらしい化け物に勝てるはずがないからな。いや、この少女こそ……。
石橋を叩いて渡るが仕事をするうえでの信条であるこの老人が、少女の言葉に従うことに決めるのにそう時間はかからなかった。
「……だが、なぜ私を助ける?」
「おじいさんがむやみに人を殺めるタイプではなさそうですから。それに私はあの洋館のような古いものが大好きなのです。それは物でも人間でも同じです」
「なるほど。それで、ここはいったい……いや、それは聞かぬほうがいいようだな」
「さすがは『亀の甲より年の功』です。教えてあげてもいいのですが、知ってはいけないことを知ったために命を散らした者のなんと多いことか……」
「……そうか。とにかく、ここは感謝しなければならないだろうな。なにしろ、おまえさんのおかげで命拾いをしたのだから。さて、アドバイスに従って私はここからすぐに離れることにする。もちろん、ここで見聞きしたことは絶対に漏らさない。それで許してもらえるのか」
「はい」
「その……本当に見逃してくれるか」
「約束が守られる限りは命は保証されますので、今日の幸運を大切にしてください。さあ、他の者が来ないうちに早く行ってください」
「そうさせてもらう。……さようなら。そして、ありがとう」
少女がこの件について語ることがなかったので、これが何かの意図をもっておこなわれたものなのか、それとも単なる気まぐれだったのかは定かではない。
しかし、この時救われた命はこれから十二年後まで保たれ、あの日にきっぱりと稼業から足を洗って以降健やかな日々を過ごした老人は「真っ当なとは言えないものの、まずまず楽しい人生だった」と満足して生涯を閉じることになる。




