語られなかったこと
松本まみ。
数々ある彼女のモテモテ伝説のなかでも有名なのはやはりバレンタインデーのチョコレートに関するものであろう。
そして、そのなかでも特に有名な逸話として知られているものが、当時中学一年だったまみがつくった義理チョコを偶然手に入れた男子生徒が嫉妬と羨望が混在した多くの眼差しを浴びたことから始まる英雄譚と、昨年起こったいつもは金を無心している不良連中が金などいらないから松本まみの手作りチョコをなんとしてでも持って来いと恐喝し、そう脅されたもののそのようなものを入手できるすべなどあるはずもなく困り果てた被害者が自ら偽物をつくって渡したそれを不良たちは後生大事にしていたという実際に起こったことであるものの、もはや創作喜劇のひとつとして扱われてもおかしくないような珍事件のふたつである。
だが、今年北高に入学したまみと同じ中学校出身の某クラブの関係者よれば、今年あらたにその列に加わった教師が関わったふたつの逸話もそれに匹敵するくらいの傑作だという。
そのひとつが過去二年間の失敗を糧に年が明けてから毎日欠かさずご機嫌伺いを続けた涙ぐましい努力が実り、バレンタインデーに義理チョコであるもののとりあえずは彼女の手作りチョコを手に入れた若い体育教師勝又が同僚教師たちにそれを自慢しただけでは飽き足らず、「このチョコを家宝として一生大事にする」などと実に恥ずかしい宣言を堂々とおこない、女子生徒たちから大量の嘲笑と最大級の軽蔑をありがたく頂戴した話である。
本当に恥ずかしい話であるがこの話には続きがある。
それがもう一つの話となる。
そのふたつ目の話とは、その恥ずかしい体育教師勝又から聞かされた、まみからチョコをもらったというその自慢話にショックを受けた三年間まみとの接点がなく遂にチョコをもらえなかった生徒指導のベテラン教師大塚が翌二月十五日に「私の今年は終了しました」という謎の一言を残し五日間にわたって家に引き籠った後に何かに目覚めたかのように秋葉原のメイドカフェに通い始め、愛想をつかした妻に三行半を突きつけられた悲しい出来事を綴った物語である。
「まあ、彼らの見上げた努力と根性。そして、その情熱はたしかに賞賛に値するものといえるものなのですが、それが本当に報われたかどうかは甚だ疑問です。なにしろ、まみたんの本命チョコは常に彼らの天敵のもとに届けられていたのですから」
ふたつの話を面白おかしく語るとき、その人物は必ずこの言葉でそれを締めくくっている。




