バレンタインデーの悪夢
まみが三年間を過ごした市立稲花野中学校。
この学校にはまみ以外にもうひとりバレンタインデーの伝説を持つ人物がいた。
その人物の名前は小野寺麻里奈。
何のことはない。
麻里奈である。
もっとも、彼女の場合はまみと違いチョコを受け取る側として有名であり、麻里奈が受け取ったバレンタインデーギフトの数は中学生三年間ずっとこの学校でトップだった。
だが、これについては当然のように大きな疑問が浮かぶ。
この日は女性から男性へチョコレートなどが渡されるのが一般的で、様々な問題はあるものの生物学上でいえば女性に分類される麻里奈もとりあえずはチョコレートを受け取る側ではなく渡す側に属するはずである。
その麻里奈がそれほどの数のバレンタインデーギフトをなぜ受け取っていたのか。
そこで思い出されるのは麻里奈の残念すぎる言動と周囲の状況である。
……小学生の時からあからさまに男子を見下す言動とその他諸々のモテ要素とは真逆な諸事情により、麻里奈は見かけが非常によいにもかかわらず男子にはまったく人気がなかった。
だが、それとは逆に自分勝手なうえに超がつくわがままというその最悪な性格だけでなく、時間にルーズ、だらしないうえに飽きっぽくて大雑把等々、挙げだしたらキリがない数々欠点までがどういうわけかまったく反映されず、その頃から高校一年になった現在まで同性からは常にモテモテである麻里奈にとっては……。
つまり、麻里奈は見た目が非常によいにも関わらず、その性格や言動が災いして男子にはまったくモテなかったのだが、上級生を除くと限定条件はつくものの、女子からは異常と思われるくらいに愛されていたのである。
当然そのような状況下で迎えるバレンタインデー当日は麻里奈のもとには彼女を快く思わない男子たちに「麻里奈教徒」と呼ばれていた熱狂的に麻里奈を愛する多くの女子生徒が本命チョコや、女性から女性へ、まして中学生が渡すものとしては少々気合いの入りすぎているといえるようなグッズを持って押し寄せ、結果として彼女にバレンタインデーギフトが集中していたのである。
だが、そこは親からもらうお小遣いしか収入源を持たない中学生。
軍資金の大部分を麻里奈へのプレゼントの購入資金に投入してしまえば必然的にどこかにしわ寄せがやってくる。
そこでトコロテン式にかわいそうな生け贄役に選ばれて本命チョコどころか義理チョコさえも受け取ることができなくなるのが序列下位の男子たちということになるのだが、これが大いなるトラブルの始まりとなる。
たしかに麻里奈のおかしな教義に影響されて男子を小ばかにする女子生徒が大幅に増えたことについては麻里奈にも多少の非はあるものの、バレンタンデーに憧れの女子からチョコが届かなかったのは、やはり自分の魅力が足りなかったことが一番の問題と言わざるをえないだろう。
だが、どこの世界にも自分の非は一切認めず、他人にすべての責任を擦りつける輩は存在するのだが、むろんこの中学校も例外ではなく、自分の魅力が不足していたことを棚上げにしてバレンタインデーでの敗戦はすべて麻里奈の責任であるかのように「女子を惑わす小野寺麻里奈は全校男子の敵である」と声高に主張する者が現れる。
その中で入学早々仲間三人とともにまみにいたずらしようとしたところを偶然通りかかった麻里奈と博子に見つかり腕力による口封じを試みたものの見事なばかりの返り討ちにあった医者の息子で麻里奈の同級生でもある片山恭が、女子の熱い視線を独占する麻里奈に対して不満を持つバレンタインデーの敗残兵たちをまとめ上げつくられた組織が反麻里奈の急先鋒「麻里奈教被害者の会」である。
当初は恭以外は各クラスの序列下位に位置している男子だけで構成されていた「麻里奈教被害者の会」だったが、増え続ける自称被害者を受け入れ瞬く間に一大巨大組織に成長していき、やがてこの組織が掲げる「邪教をまき散らす小野寺麻里奈は全校男子の敵である。暗黒邪神小野寺麻里奈を打ち滅ぼして、松本まみ、そして囚われているすべての女子の魂を魔の手から救い出し清く正しい光に満ちた世界を取り戻そう」というスローガンはこの学校の男子生徒の多くに受け入れられるようになる。
輝かしい未来を想像し胸をときめかせ喜々として自慢のスローガンを合言葉のように口にする「麻里奈教被害者の会」の面々だったが、彼らが知らない悲しい現実が存在する。
実は、彼らが解放を目指す女子たちとって「麻里奈教被害者の会」などジョークのネタでしかなく、彼ら御自慢のあのスローガンも「あれは本当に恥ずかしいよね。絶対にあの病気に感染しているよ。それにしても、あんなどうしようもないものをよくも堂々と口にできるよね。それも毎日だよ。まったく信じられない。やっぱり男子ってアホだね」となり、嘲笑の対象になり果てていたのだ。
まさに知らぬが仏である。
それはさておき、稲花野中学校の多くの男子生徒からもっとも邪悪な存在と名指しされた麻里奈だったが愚かな生き物である男子たちに好きになってもらいたいなどとはこれっぽっちも思っていなかったものの、自分が同年代の女子たちの恋愛対象になっているこの状況も決して喜んでいたわけではなく、毎年起こる大騒動やそれに伴うお門違いの非難にうんざりしていたのも事実である。
というわけで、大部分の男子と実は麻里奈本人も望んでいたその熱病の終息は今年三月の麻里奈の卒業によって達成されたかにみえたのだが、結局はその危険な病原菌がこの中学校の外に持ち出され県内各地に拡散しただけだったことはこの年の九月に開催されるある高校の文化祭会場での異様な光景であきらかとなるのである。




