記憶の彼方にあるものは
まみの入部が決まった日の放課後。
麻里奈はチョコ味の、博子は小豆味のアイスキャンディーを咥えてノロノロと歩きながらこのような会話をしていた。
「……あの悪徳教師が始業式直前にクビになったそうだよ」
麻里奈の言う悪徳教師とは彼女たちの中学最終学年時の担任のことで、新年度に入る直前に突然退職したのだが、半月ほど遅れてようやく麻里奈の耳にもそのニュースが届いたようである。
麻里奈はその教師をひどく嫌っており必然的に事実とはやや異なる過激な表現が使用されたのだが、麻里奈と同じくこの教師を好きになる理由などまったく持ち合わせていなかった博子の言葉も負けてはいない。
「横山先生の場合は自業自得といえるでしょう。それに賭けに負けたのだから、払わなければならないものは払ってもらわなければならないのが世の理というものです。まあ、払う気などまったくなかった横山先生に強制的にそれを払わせたのは私ですが」
「なるほどね。さすがヒロリン。あの悪徳教師もまさか自分を狙う剣が天から降ってくるとは思わなかっただろうね」
「いい表現です」
中学校を卒業してから元担任の話題についてふたりが話をするのはこの短い会話が最初ではあるが、最後でもあり、創作料理研究会の活動が始まると彼女たちは自分たちの元担任でもあるこの教師にかかわるほぼすべての記憶を驚くべきスピードで風化させていくことになる。
もっとも、教師にとっては残念なことではあろうが、教師に特別な感情を持っていない大部分の生徒にとっては担任教師の記憶などその程度のものであり、麻里奈たちが特別に冷淡というわけではない。
だが、麻里奈たちが忘れたからといって相手もそうであるとは限らない。
横山という名のこの教師は事実上の解雇に等しい突然の退職勧告の話を聞いた時に真っ先に思い浮かべたのが忌々しい麻里奈の顔だった。
彼は「これは小野寺麻里奈による陰謀である」と、この日から人生最後の日となる三十二年後のその日まで信じ続け、ついには「お前たちも小野寺麻里奈には気をつけろ」という言葉を自らの口から発する最後のものとして選び、本来は涙するはずだった家族たちが思わず「誰だ。そいつは」と失笑してしまうという喜劇が起きたことがその場にいた親族の口から漏れ伝わってきている。
もちろん、麻里奈がそれを知ることはなかったのだが、もし彼女がこの事実を知った場合には黒い笑みを浮かべてこう言ったことだろう。
「惜しい。ニアピンだ」
サブタイトルは、アニメ「LAST EXILE」でキーになるミュステリオンより。




