閑話「闇が知る より深き闇」
「すばらしいわね」
「それは目の前に広がる私の城についてのことかしら。それとも私自身のこと?」
「あなたのわけがないでしょう。それに何よ?私の城って。お嬢様の城の間違いではないの?そもそも、あなたがあそこでやらせてもらえるのは古本屋の店番でしょう。店番ごときでよくそこまで威張れるものね」
「言ったわね。あなたには泣いて頼まれても本は売ってあげないから」
「いらないわよ。……それにしても遅いわね、由紀子さんは」
「外国暮らしが長いから仕方がないとはいえあの娘は本当に時間にルーズよね。まあ、そのうち来るでしょうから始めていましょう」
「そうね。では乾杯。三人の再会に」
「乾杯。お嬢さまの城と私の領域に」
直後、ふたりの待ち人が絶妙なタイミングで現れる。
「あらあら、主賓を待たずに宴会を始めるとは相変わらずふたりとも礼儀知らずね」
自分を待たずにシャンパンを飲み始めている友達がないふたりを見つけると、その人物はわざとらしく頬を膨らませ盛大に自分を美化しながら苦情を申し立てたわけだが、この程度の嫌味を痛痒と思うほどふたりの面の皮は薄くない。
仕事柄このようなことを言われることに慣れているひとりは聞こえないふりをして済ませたが、もうひとりは律儀にも熨斗を付けた言葉を返す。
「それは全部遅刻して私を待たせた由紀子が悪い。それにあなたが主賓だったなど今初めて知ったわよ。いつからそのようなものになったの?」
「今よ」
「それなら……」
「ふたりともそれくらいにしなさい。お疲れ様、由紀子さん。明日の準備は終わったの?」
「完璧よ。博子様からの命令さえあれば、五分もかからずこの国に巣食う蛆虫どもを腰ぬけSPともども一掃する素晴らしいショー見せられるわよ。式典の余興には最高じゃないかしら」
「それはいいわね。あなたに貸すために世界中から呼び戻した選りすぐりの蒐書官が政府要人の首を次々と切り落とす様を生で見られるなんてこれに勝る喜びはないわ」
「その辺にしておきなさい。明日本当に何かあったらどうするの?」
「その時は晶がなんとかしてくれるのでしょう」
「そのとおり。何しろ誰かさんは昔から口から出まかせを言って人を丸め込むのがうまいことが唯一の取柄なのだから。そういうことでひとしきり暴れたら私たちはさっさと逃げるから後はよろしく頼むわ」
「ひどっ」
「実に的確な表現でしょう?」
「うん」
「ひどいわよ。夜見子だけでなく由紀子さんまで」
女子高校生の仲良し三人組の会話のようなそれは竣工式を翌日に控えた夕方、完成したばかりのその施設の全貌を眺めることができる隣に建つ高校の屋上での一コマであり、警備のためその場に立ち会った部下のひとりが彼女たち三人の価値からつけたと言われる伝説の一夜「一千万ドルの女子会」の始まりだった。
「随分警備が厳重ですね」
若い男が囁いた相手はこの国の首相であった。
秘書官待遇で随行させた自分の長男が口にしたその言葉に少々気分を害した彼は投げやりな言葉を返す。
「当然だろう」
だが、どうやらそこには触れられたくないという彼の思いは通じなかったようで、彼の息子は目に映る光景を眺め直して常識的にはまちがっていないものの父の意にはまったく沿わぬ言葉で父親を再び不機嫌にさせた。
「そうですね。与野党問わず県内選出の国会議員が全員集まっただけでなく主だった閣僚までここにいるわけですから警備が厳重になるのは当然ですね。それにしても、献金もできない名も知らない貧乏会社が無理してつくった施設の竣工式にわざわざ来てやったというのに、どこの馬の骨ともわからぬ者を主賓である一国の総理大臣よりも上席に置くとはあまりにも常識のない者たちです。あの非常識な田舎者たちには後で厳重に抗議しておきます」
「いや。……そうだな。そのとおりだ。だが、たいしたことではないので放っておけ。抗議など絶対にするなよ。絶対だぞ」
無邪気に親の権力を振りかざす息子を諫める自分の言葉にさらに不機嫌になった男だったが、思わず出かかったその言葉だけはなんとか飲み込んだ。
……生きて帰りたければ。
彼は見知った顔が並ぶ周囲をゆっくりと見渡す。
……たしかに壮観だな。
……それにしても、その無名の企業グループとやらが運営する千葉の田舎にできた小さなショッピングモールの竣工式ごときに私が政府要人を連れてやってきたことに何か意味があるのではないかと考えられないとは、我が息子ながら情けない。
……いや、裏の事情を……この世の真の理を知らなければそれも仕方がないことなのかもしれない。現に同じように理由もわからず私に顔を売るためだけにやってきた議員どもも我が愚息と同じ顔をしているのだからな。
……もちろんこの物々しい警備は我々に対してのものではない。ことが起これば、ここを警備しているものすべてが我々など放置して駆けつけるのは……。
そう心の中でつぶやいた男は彼らの警備の対象である本当の主賓と彼の随行者たちを改めて眺める。
……この施設の本当の所有者とはいえ、用心深いあれらが巣穴から這い出してこのように公の場で一堂に会すなどそうそうあるものではない。しかも、普段はお互い顔を合わせることなどない橘花の主要メンバーである日野、一の谷、墓下まで引き連れて。ん?あれはたしか世界中の本を買い漁り国会図書館以上の蔵書を持つといわれる天野川夜見子。余程のことがないかぎり外に出歩かないあの引きこもり女までやってきているのか……。ここはあれらにとってそれほど大切な場所なのか?
そして、気がつく。
ひとりの少女に。
「あのかわいいお嬢さんが誰かわかるか」
もちろん、訊ねた相手は息子ではなく本物の秘書官である。
「当主の孫のようです。名前は博子。それから……」
だが、秘書官の報告を聞いていた彼はそこにはなかった驚愕の事実を発見する。
……娘の席次が父親よりも上だと。
……まさか。
……しかし、それしか考えられない。
「どうかされましたか」
「この田舎まで来た甲斐があった。予定よりも長く滞在する。パーティーにも参加するのでこの後の時間を調整してくれ」
……あの歳で父親を飛び超えて次期当主に選ばれた少女。あれらに限って次期当主になる人材を見誤ることはない。ということは、あの娘はとんでもない逸材。これはぜひとも会って話をしなければならないだろう。いや、ツバをつけておくと言ったほうがいいか。ようやくあれらの支配から解放されるいい風が吹き始めたようだ。
「どうしたのだ。さっきから黙り込んで」
その式典が終わり、乗り込んだ車の中で黙り込む父親に息子が声をかける。
「どこか具合が悪いのでしょうか?」
「そうではないと思うのだが、さっぱりわからん。とりあえず、この後の行事はキャンセルにするしかないな」
息子と秘書の会話を聞き流しながら男はなおも沈黙する。
……不公平だ。
男の頭の中では運命を呪うその言葉が渦巻いていた。
……なぜ、あのような者があれらの一族に現れ、自分には父の才を引き継ぐことさえできぬものが与えられたのだ。
……現当主でさえ足元に及ばぬあの洞察力と冷徹さ。かわいらしい容姿に騙されていけない。あれはまちがいなくこの世に存在してはいけないバケモノ。しかも、直属の部下たちだけでなく長年現当主に仕える橘花の主要幹部でさえ皆あの娘に酔心している。ということは、この時点でもあの娘が命じれば私は地位を失うどころか消されることだって十分考えられる。
……あの娘の目には私はどう映っていただろうか?
……いうまでもない。あの表情からは一ミリグラムも好意的なものは感じなかった。
……なんとかしなければならない。
……だが、どうしたらいい?
……こちらから仕掛けるか?いや、それこそあれらの思うつぼだ。あれらに手出ししてすべての悪行を暴露され汚辱に塗れながら惨めな最期を遂げた大井戸の二の舞は御免被る。
……そうなると懐柔か。それしかない。もちろん、それもあの娘相手では無理だろうが、少なくても私には敵愾心など微塵もないことは一刻も早く伝えなければならない。いったいあの娘の歓心を買うにはどうしたらいいのだろうか?
「先ほどの娘が好きなものを調べてくれ。大至急だ。表面的なものでいい。もちろん相手に疑われるような調べ方は絶対するな」
「おい、親父。もしかしてあの娘に惚れたのか?たしかに美人ではあったが、さすがに愛人にするには歳が離れすぎているだろう」
「失礼なことを言うな。殺されるぞ」
「……親父」
「とにかく、おまえは黙っていろ。これしかない。私が生き残るにはもうこれしかないのだ」
「おまえはどう思う?」
「というと」
「予定を変更してまで向こうからわざわざ博子に会いたいと言ってきたのだ。おそらく博子の地位に気づいたのだろう。当然博子にはその地位に見合うだけの才があるくらいのことはわかっていたはず。それでも会いたいと言ってきたやつの狙いはどこにあると思うか」
「それなりのものはあるとは思っていても、経験の差で丸め込めるとでも思ったのでないか。今のうちから首相という権威を見せびらかしながら手なずけておけば、代替わりしたときには橘花も自分の手中に収められるなどと考えたのかもしれない」
「まあ、そんなところだろうな。ところが、やつの魂胆を見破った博子がチラリと本気を出したので慌てた」
「いや、あれは慌てたどころではないだろう。予想の範囲をはるかに超えていたどころか、自分がその足元にも及ばぬ存在だとわかり打ちのめされた。あのときのやつの顔にはその書いてあったぞ」
「だが、それでもそれがわかるとはさすがは一国の長になるだけのことはある。後ろにいてふたりの会話を聞いていたあの男の息子や取り巻きの大臣どもはそれすらわからなかったのだからな」
「それで、その首相様はどのような手を打ってくるだろうな。俺としては力任せに挑んでくるというのが一番望ましいのだが」
「それはないな。あれもそこまでバカではない。そうなれば滅ぶのは自分だとわかっているだろうし。いつぞやのバカ議員の一件の真相を知っているあの男だ。よもや同じ目に遭いたいとは思うまい」
「残念ながら実は俺もそう思っているし、博子も同じことを言っていた。それでやつは何をしてくる?」
「やれることは少ない。せいぜい博子の歓心を買うことくらいだろう。一国の首相が田舎の女子高校生に媚びを売るなどなんとも情けない話ではあるが、やつはいざとなれば見栄も外聞も平気で捨てられる男であり、ここまで昇りつめたのも数々の不祥事を起こしながら今まで生き残ってこられたのもそれがなの理由だからな。ところで、博子が別れ際に口にしたラテン語はわかるか?」
「いや。あれはラテン語だったのか」
「私もわからなかったのだが、博子が教えてくれた」
「博子はラテン語で何と言ったのだ」
「汝、その咎に相応しき報いを受けん」




