閑話「The Dark Side of The Moon」 26
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中倉由紀子が北高に体育教師として赴任した最初の秋。
のちに「北高と南校の運命を分けた二日間」とも呼ばれることになるあの文化祭から二週間が過ぎたこの日の放課後、由紀子と彼女のライバルともいえる元祖ストーカー教師赤瀬美紀が並んで駅に向かって歩いていた。
もちろん、最初に顔を合わせてからの三か月の間にふたりの関係が良好になったということはなく、顔を合わせたとたんにいつものように盛大にお互いをディスりながら歩いていたのだが、そのふたりの目の前にチンピラ風の若者ふたりが立ち塞がった。
さらに、もうひとりが退路を断つように後ろから現れる。
「ねえ、おばさんたちは北高の先生だよね」
「おばさん?今おばさんと言った?」
「言いました。まったく失礼な若者ですね」
「まったくだよ。それについては激しく同意」
おばさん。
それはいうまでもなく、麻里奈たち創作料理研究会の顧問である強欲守銭奴教師こと上村恵理子の唯一……ではないが、ここは勢いで唯一無二のNGワードとして話を進めることにする。
その恵理子のNGワードであるが、どうやらこのふたりにとってもそれは同様らしく、ふたりのその声に男たちは一瞬たじろぐ。
「……とにかく、あんたたちは北高の先生だよね」
「そうよ。ということは、これは北高教師狙いの新たなナンパ?」
「なるほど。とりあえず私を狙うというセンスの良さは褒めてあげますが、ナンパなら他をあたりなさい。ついでに言うならば、私はともかく隣にいる喋る肉塊を恋愛の対象にするなど愚の骨頂というものです」
当然、もう一方も負けてはいない。
「それを言うなら、この脳筋ゴリラをナンパするなど人間をやめてからにしたほうがいいわよ」
「言ったわね」
「そっちこそ」
目の前で開始された予定外の舌戦に男たちの戸惑いの表情が深まり、緊張が緩みつい口が滑ったひとりから隠しておくべき秘密が漏れ出てしまう。
「いやいや、別にナンパというわけじゃない。これはちょっとしたアルバイト。まあ、やることは変わらないが」
「お、おい」
どうやら、この男たちは誰かに何かを頼まれたようであるが、口止めをされているらしく口の軽いひとりを仲間が止めにかかる。
だが、これで彼らの目的はあきらかになった。
「……ねえ、中倉先生。なんかまずい状況ぽくない?どうする?」
普通の教師である美紀は自分たちの身にこれから起こりそうなことを想像しライバルに対して休戦を申し込む。
だが、まったく普通ではないもうひとりはまったく動じない。
「あなたたちは学校を出た時から後をつけてきていましたよね」
「そうなの?」
もちろん気がつくはずのない美紀は驚いたが、それは男たちも同様だった。
「驚いた。かなり距離を取っていたのに気がついていたのか?」
「まったくだ」
「あなたたちに一応確認しますが、あなたたちのターゲットは私だけということではないのですか?」
「大した自信だな。だが、残念だが違う。北高の女教師なら誰でもよかったのさ」
「たまたまだよ。どっちにしてもついてなかったね」
「わかりました。では、ここで……」
「ここで?」
「私が特別に相手をしてあげましょう」
「はあ?さすがにここではまずいだろう」
「愚かですね。何を勘違いしているのですか?私が言っているのはこういうことです」
「何……うわっ」
「何だコイツ……オェっ」
「くそっ。ぶっ殺す。絶対ぶっ殺す」
「ナイフですか。いいですね。でも、私も得意です。ナイフ戦。それから私とやるならもう少し上等な獲物を用意してください。そのような安物で私を刺せると思いましたか」
「グハッ」
「終わりですか。この私を狙うのに素人三人とはずいぶん甘く見られたものです」
「……す、すごいね。中倉先生。武術の達人だったの?」
美紀の言葉通り、それはまさしく瞬殺だった。
うめき声を上げる男たちを彼ら自身のベルトで手際よく後ろ手に縛りあげながら由紀子が美紀に声をかける。
「さて、赤瀬先生」
「は、はい」
先ほどまでは快調だった美紀の毒舌もさすがに男三人相手にした一方的な暴力を見せられた後では何も出て来ず思わず素直な返事を返してしまう。
「私は事後処理をしますので、先にお帰りください。この後は何も起きないとは思いますが、念のためになるべく人通りのよい道を通ってどこにも寄らず帰宅したほうがいいでしょう」
「そうするよ。ありがとう、中倉先生」
「いえいえ。では、おやすみなさい。赤瀬先生」
親切そうに美紀を先に帰した由紀子だったが、彼女がそうしたのには美紀に語った言葉とは別の理由があった。
「さて、邪魔者がいなくなったところで始めましょうか。まずはあなたたちのアルバイトとやらについて教えてもらえますか?」
「……バカか。簡単に話すか」
「というか、話すわけにはいかない」
「なるほど。あなたたちにもそれなりのプライドがあることは認めます」
由紀子はわざとらしく大きなため息をついた。
「しかし、あなたたちが置かれた状況ではおとなしく話すことが一番いい選択だと思うのですが……そうすれば苦痛なくいけるのに……」
由紀子は男たちを優しく脅していたのだが、どうやらそれをすぐに諦めたらしくスマートフォンを取り出した。
「仕方ありませんね。私はそのようなことが専門ではないので、このようなことの専門家に任せることにしましょうか」
「……警察か?まあ、それがいいだろう」
薄ら笑いを浮かべる彼らにはそうなっても切り抜ける自信があった。
そして、もしここで由紀子が警察を呼んでいたら彼らの思惑通りにことは進んでいたのかもしれないのだが、実際はそうはならなかった。
「おかしなことを言いますね。私が警察を呼ぶといつ言いましたか」
「何?では、どこに電話をしている?」
「それはすぐにわかります……中倉です。帰宅中に男三人に襲撃されました。怪我?いいえ。それはありえません。ただ、この襲撃者には依頼者がいるようなのであなたたちにそれを聞きだしてもらいたいのですが。もちろん拘束は完了しています。場所は……」
彼女が連絡した相手。
それは警察よりもはるかに恐ろしい彼女の同僚であった。
もちろん由紀子を襲い返り討ちに遭った男たちは知るはずはないのだが、彼女の同僚とはすなわちこの春からこの界隈で頻繁に起こっている多数の失踪事件だけでなく、あの「伯山企画主撃事件」にも関わっていた者たちのことである。
ほどなく、彼らは姿を現した。
「お疲れ様です」
「ご苦労様。では、あとは任せます」
「承知いたしました」
「それにしても、君たちは狙う相手を間違えたようだね」
「まったくだ。お前たち程度ならこの百倍の数は必要だろう」
「とにかく、ここは目立つから向こうで詳しく話を聞こうか。一応警告しておく。騒いだら……この場で殺す」
「それから村崎。必要ことを聞きだした後に、この無礼な若者たちには私を襲った罰を与えてください」
「承知しました。由紀子様、その方法は私たちに任せてもらってよろしいですか?」
「もちろん」
連れられて行く前に、由紀子は若者の一人の耳元でこう囁いていた。
「……では、さようなら。永遠に」
その日から数日後、ある人物のもとに音声データが記録された媒体が届けられた。
もちろん、書かれていた送り主には思い当たらない。
……おそらく偽名だろう。この手のものを送ってくる輩が実名を使うはずがない。
念のために調べてみると、案の定書かれていた住所にはそのような人物など住んでいなかった。
だが、送られてきた媒体には、そのようなことなど些細なことに思えるような驚愕の内容が記録されていた。
媒体に記録されていたもの。
それはつい最近ある仕事を依頼するためにひそかに会ったばかりの三人の男たちの悲鳴から始まっていた。
許しを哀願する言葉の端々から彼らが生命の危機に瀕するような常軌を逸した激しい拷問を受けているのはあきらかだった。
耳を塞ぎたくなるようなその悲鳴に続くのは彼らの咆哮のような証言だった。
それは彼らが依頼されたアルバイトの全容を語ったものであり、その最後に残された言葉がこれだった。
「そして、俺たちの雇い主は……」




