Dreamtime 5 しかけ絵本
北高の初優勝で幕を閉じたこの年の選抜高校野球大会。
当然、決勝戦にはプロ野球のスカウトが多数集まっていた。
もちろん彼らの一番の目当ては前年の夏の大会覇者京葉大学付属高校のエース五良隼人だった。
だが……。
「ちょっとこれは考え直す必要があるかな」
「さすがにこれだけ打たれてはね」
それが多くの声だった。
もちろん彼も。
「相性の問題があるのかもしれないが、同じ高校生にこれだけ打たれては高校生ナンバーワン左腕の称号は取り消しだな」
だが、彼はあることに気がつく。
「いや、待て。そもそも相性とは何だ」
彼はスコアブックを見直す。
「今日の試合を除けば、五良は完璧だった。いや、俺の目には今日も球は走っていたし、どの球もそれほど甘く入ったわけではないので、コントロールが悪かったというわけではなかったように見えた。それなのになぜこれだけ打たれたのだ?これを相性などという実態のないもので片付けていいはずはない」
……まず、なぜあれだけ打たれたのだ。
……もちろん北高が狙い球を絞っていたと言うのは簡単だ。
……だが、五良の球威や球の切れを考えたらそれだけでは打てないことは同じく狙い球を絞った他チームが五良に完璧に抑え込まれ敗退していることからあきらかだ。
……それに、狙い球と言ってもストレート、スライダー、そしてカーブを万遍なく打ち返していた。とても、球種を絞っていたようには見えなかった。
「……ということは、やはりアレなのか?」
彼の言うアレ。
それは昨年秋、県大会につづき関東大会決勝でも北高に大敗した直後の京葉大学付属高校関係者が口にした北高によるサイン盗み疑惑だった。
曰く、「あきらかに五良が次に投げる球のコースだけではなく球種まで知っているような打ち方だった。あれはまちがいなくサインを盗んでいる」
「だが……」
その噂は多くの場所で話題になっていたため、彼もそれを注視していた。
「これだけ注目された中でランナーができるのはせいぜい捕手の位置を軽く知らせるくらいだが、北高の選手はそれすらやる様子がなかった」
……それに、ランナーがいなければそれはできないのだから、多くの得点のきっかけになった先頭打者の長打についてはそれでは説明できない。
……では、遠くから誰かが捕手のサインを盗み、ベンチに知らせていたのか?
「いや、それもない。複数の関係者はセンター付近の不審者を探したがそれらしい者はいなかったと聞く」
……ということは、別の方法か。
……そもそも、本当に予想もしない方法で完璧なサイン盗みができるのであればあれはないだろう。
彼にはこのサイン盗み疑惑が上がったときからひとつ気になっていたことがあった。
「……北高は京葉大学付属戦、しかも、相手投手が五良の時に圧倒的な打率と得点力を示す。それはまるで別チームのごとく。本当に巧妙なサイン盗みをおこなっているのであれば他の試合でもそうなっているはずだ」
彼の言葉は正しい。
事実北高は秋の地方大会、そして今回の甲子園大会でも他チームとの試合では常に偶然手に入れたわずかな点を諏訪野が抑え込みやっと勝ちあがるというまさに諏訪野の剛腕に頼り切った綱渡り的戦いを繰り返していたのだが、それが京葉大学付属戦になると毎回休火山の目覚めのごとく打線が火を噴き、五良を完膚なきまでに叩きのめしていたのだ。
特に今回の甲子園での決勝では、取られたアウトひとつに対して手にした得点は実に十七。
それはその試合で京葉大学付属高校が失った二十七点の半数以上であり、一試合で三回ノックアウトを食らうという屈辱まで五良に与えていた。
「もしかしたらプロである我々もみつけていない五良の小さな癖を見抜いているのかもしれない。いやその可能性が一番高い。だから、他チームとの試合ではあの体たらくの打線が京葉大学付属戦では活躍できる。守備ばかりに夢中になって攻撃には無関心と酷評されるあの監督もそう言う点では意外に優秀なのかもしれないな。そして他の試合のあれは……まあ、盛大に振り回していたバットにたまたまボールが当たったということだろう。そう。いわゆる偶然の産物」
それが彼の結論だった。
だが、彼がその結論を導くために丹念に見直したものとは、実は京葉大学付属高校とそのエース五良こそが北高が全国大会を制するための一番の障害であることを見抜いていた北高監督結城昴が五良を攻略するためにつくりだした誰の目にもそう見える「虚偽の真実」であり、結果的に彼はその罠に見事に引っ掛かっていたことになる。
もっとも、これを理由にスカウト歴十五年を誇る彼が無能であるということにはならない。
なにしろ他チームのスカウトや専門家もまた彼と同じく結城昴の巧妙なトリックに気づかぬまま同じ結論にまで導かれていたのだから。
こうしてそれは誰にも気がつかれないまま、さらに進化しその年の夏を迎えることになる。
……それは俺に対する最高の誉め言葉だな。
それが、その夏が終わり記者たちからの批判めいた厳しい質問に対する結城昴の答えだった。




