Dreamtime 2 始まりの 終わり
変人代表天野川夜見子が言うところの稀代の変人結城昴が北高野球部の監督に就任して最初の夏。
北高野球部は夏の甲子園を目指す千葉県大会で快進撃を続け、学内だけではなく地元でもこの勢いで優勝できるのではないかという期待も高まっていた。
しかし、準決勝。
北高は私立の雄京葉大学付属高校の前に序盤に失った一点を追う展開のまま九回の裏を迎えていた。
もちろん逆転を信じベンチ前で円陣を組み気合を入れなおす北高ナイン。
だが、結局この回もなすすべなく終わり……試合終了。
それは猛打を誇る相手を三安打一失点で抑えたまでは結城の作戦通りであったものの、こちらも相手の左腕投手五良の前に幸運な内野安打一本だけに抑え込まれ、この試合唯一の好機をスクイズでものにした相手に逃げ切られて決勝進出まであと一歩というところで甲子園出場という部員全員の夢が断たれた瞬間だった。
試合終了のサイレンが鳴り響くと、いつもは傲慢が服を着ていると陰口を叩かれている結城が天を仰ぎ、選手たちはグラウンドで泣き崩れる。
それはスタンドのあちこちでも……。
やがて、結城、そして部長の内田に促され、応援に駆けつけた生徒、そして多くの卒業生たちが待つスタンドに向かった選手たちであったが、ここでのちに北高野球部員として絶対に心に刻まなければならない心構えとして先輩より入部してくる新入生たちに最初に教え込まれるあることのきっかけとなる有名な事件が起きる。
「悔しいのはわかる。だが、一番悔しいのは選手たちだ。ここは大きな拍手で迎えましょう」
応援団長のその声とともに、気を取り直した応援席の関係者たちの拍手と掛け声がやってくる選手たちを温かく迎え、敗者たちへ感謝を示す恒例行事のようなそのシーンの中で北高の制服であるあか抜けないセーラー服を身にまとう長身の女子生徒が立ち上がると、スタスタの最前席まで駆け降り、両手を腰にあてた仁王立ちの見本のような姿で選手たちを見下ろしこう言い放ったのだ。
「この程度の相手に負けたうえに公衆の面前で泣くなどという醜態を晒すとはどういう了見だ。どうやら見苦しいという言葉は今のお前たちのためにあるようだな」
慌てて制止に入った数人をけり倒し、少女による選手たちへの無礼極まる罵声は続く。
「私は負けることが大嫌いだ。そして負けないように努力をする。だから負けない。ハッキリ言ってやる。おまえたちは努力を怠ったから負けたのだ。負けて泣く暇があったら負けない努力をしろ」
さすがにこれにはスタンドのあっちこっちから非難の声が上がる。
「小野寺、それは言い過ぎだ」
「彼らは十分にやったではないか」
「そうだ。だいたい相手は優勝候補筆頭だぞ。負けたのは相手が強かっただけだ」
「ここまで来ただけで十分満足だ」
だが、各所からの非難の声と教師や上級生による物理的な包囲にも少女の言葉はまったく止まらない。
「ふん。さすがは負け犬の同類。クズどもが」
「な、なんだと」
「とにかく今は貴様たちには用はない。黙っていろ。おい、そこの負け犬。バカで無能なおまえたちに特別にもう一度言い聞かせてやるから私の言ったことを心に刻め。十分にやっただの、相手が強すぎたなどと思っているうちはお前たちが優勝することなどあり得ない。だいたい、おまえたちは今日の試合で自分たちがやれることをすべてやったのか。……戦いとは相手が誰であろうと絶対に負けない覚悟で臨まなければならない。そしていざ戦いになれば負けないためにはどのような努力も惜しんではいけないものだ……」
「興ざめしたな」
「まさか、あそこで罵声が浴びせられるとは思わなかった」
「いや、あれはもう説教、恥ずかしい公開説教だぞ」
「ちょっとへこんだ。というか、恥ずかしさのあまり出ていた涙が引っ込んだ」
「さすが小野寺麻里奈といったところか」
「まったくだ。だが……」
「やはり負けたのは悔しい。試合に負けてこれほど悔しいと思ったことはない」
「俺も同じだ。もしかしたら、このような気持ちを持てなかったから今まで勝てなかったのではないかとさえ思えてくる」
「それに小野寺の言うとおり、俺たちはもう少しやれたはずだ。負けたのは相手が強かったからではない。俺たちはやるべきことをやらなかったからだ」
「そのとおり。俺たちは勝てた。勝てたはずだ」
「そう。勝利を取りこぼしたのだ」
「このような気持ちを味わうのは二度と御免だ」
「だから次は絶対に勝つ」
「いや、次からはすべて勝つ」
「そうだ。俺たちはもう負けない」
「俺たちは永遠に勝ち続けられる者たちなのだ。そして、そのために最大限の努力をする。いや、努力しなければならない。おまえたち、今ここでそれを誓えるか」
「誓う」
「誓う。誓うぞ」
「そして、勝つ」
「そうだ。そのとおりだ。俺たちは勝者になる」
……今日の試合。俺も悔しい。
……だが、この一敗は大きい。もしかしたら、このまま甲子園に行くより何倍も価値があったかもしれない。
……こいつらは今日の試合に負けたことで、本当の負ける口惜しさとその意味を知り、勝利に対する飽くなき貪欲さを手に入れたのだから。
……それにしても、あの女子生徒。小野寺麻里奈というそうだが面白いな。生徒たちの話では、松本まみというのが彼らのいう勝利の女神だそうだが、案外あの小野寺麻里奈こそ本当の勝利の女神なのかもしれないな。
……だが、まさかあの場面で監督にまで説教を垂れるとは。
……「監督ならベンチにふんぞり返っていないでチームが勝つための芸のひとつでもみせてみろ」か。
……手厳しい。
……だが、小野寺麻里奈のあの言は正しい。
……うちのチームが正攻法であの五良を攻略するのは難しいことは最初からわかっていたのだから、俺があの剛腕攻略のために策を講じなければならなかったのだ。
……いや、ひとつだけあったのだ。絶好調の五良でも攻略できる可能性があった策が。
……だが、それまでの勝利に酔い名監督などと祭り上げられたことに惑わされた俺は躊躇した。相手の弱点を狙い続けたうえに失敗した惨めな敗者と言われたくないとなどいうつまらない感情をチームが勝つ可能性より優先させてしまったのだ。
……ありがとう、小野寺麻里奈。おまえの言葉で俺は目を醒まし、そしてすべてを思い出した。勝つため、いや負けないための心構えとはどのようなものかということを。俺がこれまでどのような手段を使って勝利をむしり取ってきたのかも。
……おまえが今日語った言葉のすべてを俺自身の教訓とさせてもらうぞ。そして、チャンスを無策で逃した愚か者のもとにはそれはもう二度とやってこないというおまえの言葉を覆し甲子園で活躍する俺のチームを間近で見せてその言葉を必ず撤回させてやる。待っていろ。小野寺麻里奈。
「おまえたち。帰ったらすぐ練習をするぞ。今日逃した栄光を次回必ずつかみ取るため。そして、甲子園で活躍するおまえたちの勇姿をあの忌々しい小野寺麻里奈に見せつけるために」
……まりんさん。随分気合の入ったアジ演説でしたね。言っておきますが、私は百戦百勝はないと思います。
……うむ。私もそれはわかっている。だが、もう少しで甲子園に行って名物のかち割り氷を食べられたのにと悔しくなり思わずやってしまった。まあ、とにかくこれで野球部のやつらに恨まれたのは確実だ。今度こそ果し合いを挑まれそうだ。
……ふふっ。実はそうでもなかったみたいですよ。
……本当に?
……はい。なんでも小野寺麻里奈の言うとおりだと口々に言い合っていたそうです。帰りの控室には敗戦を喫したチームとは思えぬ驚くべき気合と、とんでもないくらいの高揚感に満ちた異様な空気が充満していたそうです。
……それならいいけど。
……そして最後に小野寺麻里奈を見返すために次からは絶対負けないと全員で大合唱したそうで……。
……やっぱり最後はそこにいくのかい。
ふたりの会話はここで終わる。
だが、ふたりは知らない。
ここから県内屈指の弱小野球部が大きく変貌し次々に成功を手に入れ北高野球部の奇跡ともいわれるあの伝説が始まることを。




