32.
頬に風を受けて僕は目を覚ました。
いや、まだ微睡んでいる。
ここはいったいどこだ。
すぐそばで水の流れる音がする。
土の匂い……?
地球に戻ってきたんだっけ?
体の下敷きになっている右腕が痺れてきたので寝返りをうつ。
仰向けになると目を開いた。
「えっ。」
そこは地球なんかじゃなくて、巨大宇宙船の栽培区画だった。
「気を失っていた?ヘルメットはどこだ?」
突然の出来事に慌てたあたりを見回すが、人影はなかった。
「リュウ君?」
一緒にいたはずの彼は忽然と姿を消していた。
イヤホン型の無線は相変わらず嫌な音を立てている。第三部隊船との交信はヘルメットに内蔵されている無線機から行うから今はどうしようもなかった。
その時、コツコツと固いものが当たる音が聞こえた。
音につられて天井を見上げる。
それは、一筋の光。第二部隊戦闘機のサーチライトが見えた。
「こちら第三部隊副隊長ライ・ナビルグ!返答願う!」
いくつかの周波数で送るも、聞こえるのはブツブツと泡のはじけるような音だけだった。
はなから返事は期待していないが、メッセージが送信できていて受信を妨害されている可能性もあるためひたすら喋り続ける。
「私は現在、栽培区画にいます。一緒にいた第一部隊副隊長リュウ・ゾーラタとははぐれました。ヘルメットを紛失しましたが呼吸はできています。とりあえずの酸素はあるようです。」
屋内を流れる小川をのぞき込む。僕の影に驚いた小魚がサッと岩の隙間に逃げていった。
「重力発生装置も作動しています。」
木の陰からこちらを伺うように殺した呼吸音が聞こえた。
「生存者の気配あり。」
振り向かずに声をかけてみる。
「リュウ君ではないですよね。生存者ですか?」
返事はない。
「はじめまして、ではないですよね。先ほど置いていったごはん食べましたか?」
きっと言葉は通じていないんだろうな、と思う。
案の定、警戒を強めたようで藪の奥へと消えてしまった。
「作戦変更ですね。」
あたりを見回し、少し高いところを探す。
しかし、屋内はそんなに起伏に富んでいなかった。
仕方なく、川の横の大きな岩の上に立つ。
ゆっくりと息を吐いてから一気に吸う。
そして、僕がナビルグの一員として認められる特技、歌を歌った。
口から出る歌は木の葉を揺らし、水面を泡立てる。
飛んでいた鳥は皆羽を休め、走る獣はジッとこちらを見ている。
偵察の後、日本の民謡をいくつか覚えたのが無駄にならなくてよかった。
奥に消えた足音が戻ってきた。
僕に何かを問いかけるが、生憎言葉がわからない。
翻訳機がついているヘルメットはどこかに行ってしまったし。
あわよくば、隊長に聞こえるんじゃないかと大きな声で歌う。
栽培区画の壁が、天井が、歌に合わせて振動している。
少ないレパートリーだが、繰り返し歌っているうちにすぐそばまで女の子が来てくれた。
「あめ……。」
「えっ?」
女の子の呟きに歌が遮られると、突然雨が降り出した。
ザーザーと天井のスプリンクラーから放水されているのが見える。
「あめあめふれふれ」
女の子は嬉しそうに歌いだした。
同じフレーズを何回か聴いた後、僕も一緒に歌う。
「あめあめふれふれ母さんが蛇の目でお迎え嬉しいな」
意味までは分からないがアップテンポな曲調にこちらも楽しくなってくる。
傘に見立てたのだろう。大きな木の葉を女の子が差し出した。
恐る恐る受け取るとぱっと笑顔になる。僕もそれにつられ、ほほ笑んだ。
その時だった。
「ライ!リュウ!無事か!!!」
激しい音と共に栽培区画の扉が開け放たれた。
「!!!!!」
女の子は一瞬にして笑顔を消し、藪の中へ消えてしまった。
「隊長!それにルイさんとソニヤさんも!」
「お前の無線は聞こえていた。リュウはまだ合流できていないのか。生存者はここにいるんだな?」
隊長は制止する間もなくヘルメットを脱ぎ、腰にぶら下げた。
「ちょ、危ないですよ。万一有毒ガスが……。」
「そん時はそん時だ。ヘルメットで顔を隠していたら、いつまでたっても警戒されたままだろ。」
スタスタと僕の正面まで歩いてくる。
『一理あるわね。』
ルイさんもヘルメットを外すと太もものフックにぶら下げた。
それを見たソニヤさんも慌ててヘルメットを脱ぐ。
「ライ、無事で何よりだ。で、生存者はどこだ。」
「隊長の大声に驚いて奥のほうに逃げてしまいました。」
「そうか。」
そこでルイさんとソニヤさんを振り返る。
「ここは女性が行くべきだろう。これ以上驚かせたくない。」
「いい考えだと思うわ。あなたたち二人はリュウを探して。あの子、変に気張っていたから何かへましていないといいんだけど。」
心配そうに言うルイさんはお母さんの顔だった。口に出していったら、斜めにかけたRPGで木っ端微塵にされるだろうから黙っていよう。
「わかった。任せておけ。」
「じゃあ、ソニヤさん、行きましょう。」
そういうとルイさんは何の迷いもなく藪の中へ入っていった。
「間違えても撃つなよ。」
それを隊長が茶化す。
「約束はできないわ。」
「えっと、私もついていけばいいんですよね。」
不安そうな顔のソニヤさんに二人で頷く。
「通訳のつもりで行ってくれ。頼んだぞ。」
かしこまった表情のソニヤさんを見送ると僕は隊長と二人きりになった。
「まずはレイに報告しよう。」
「えっ。無線通じるんですか?」
「ああ。俺のはつながっているぞ。」
ほら、と隊長は片耳のイヤホンを僕の耳に挿した。
「本当だ。」
クリアな音で第二部隊の指示が聞こえていた。
「どうやら、私のイヤホンか受信機が壊れてしまったみたいですね。ご迷惑おかけしました。」
「帰ったら技術班の奴らに原因を調べてもらおう。」
怪訝な顔の隊長に僕はイヤホンを返すと草原に寝そべった。
「レイさん、なんて言ってます?」
「さっきお前、歌ってただろ。なんだか、えらく感動しているぞ。」
こちらの音声は外に待機する第二部隊にも聞こえていたのか。
「女の子も気に入ってくれていましたからね。光栄です。」
「さて、リュウを探しに行こうか。」




