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短編

 宵に包まれた町が、静寂に馴れていた。

 渇いた風が一颯、町中を吹きすぎ、青龍の着物の袂を捲った。

 町を横断する川沿いを歩いている。淙々と流れる川の水が耳を洗い、それがひとしお心を涼ませる。

 川を挟んでこちら側が町人街になっており、川の向こうに旅籠や商家が軒を連ねている。旅籠の軒先で煌々と照る灯の光が、川面に反射し、燃えるように拡がっている。

 いい気持ちで夜の町の雰囲気を愉しんでいると、その空気をぶち壊すかのように、殺気が湧きたった。

 無粋者め。

 青龍は悪態をついた。もっとも、それがどこの誰だかわからない。しかし、狙われる理由は数多思いつく。

 青龍はもともと、叡山の門徒だった。生まれは武家であったが、出家し、僧になった。が、ゆえあって禁門に触れ、叡山を降り、修験者のような恰好で全国を行脚している。食うために仕方がなく、用心棒や食客のようなこともした。自然、その過程で、ずいぶんと恨みも買う。だから、命を狙う輩も多く、また慣れてもいる。

 雲の流れが早く、月が見え隠れしている。しかし、対岸の殷賑のため、明かりには事かかない。その仄かな明かりの中、町家のわきから影がふたつ、眼前に跳び出してきた。

「破戒僧、青龍だな」

 低い、くぐもった声だった。

「いかにも」

青龍、答える。

「青龍とはわしのことだ。しかし、ひとつ違うのは、わしはもう還俗している。ゆえに、破戒僧というのは、正しい言い方ではないな」

「どちらでもいい。おまえが青龍であれば」

「どうする?」

「訊きたいことがある。われらとともに来てもらおう」

 いつの間にか、青龍の背後にも人の気配があった。そちらも、ふたり。四人の刺客に囲まれたことになる。

「いやだ、と言ったら?」

「やむを得ん。血を見ることになる」

「わしを連れ出す理由を言え。それによって考えたい」

「それは、自分で考えろ。心当たりがあるはずだ」

「それがなあ。心当たりがありすぎるから、訊いたんだよ」

 磊落に笑った。男の手元がギラリと光り、なにかが風を切った。躰を横に開き、躱す。遠くで金物の落ちる音がした。小刀。直感した。

「やる気かね」

 言いながら、川を背にした。右にふたり、左にふたり。相手は黒装束に黒頭巾。後ろ腰に、短刀をぶっ差している。心得がある者のなりだ。密偵か、と推察したが、さすがに青龍も公儀に狙われる覚えはない。

音もなく、ひとりが跳びかかってきた。人の背丈を大きく越える跳躍。宙で刀を抜き、そのまま青龍の頭上めがけて振り下ろしてきた。青龍は臆することなく、一歩前に出、刺客の手首と腰を両手でつかむと、落下する勢いのまま、力任せに地に叩きつけた。刺客は三度、大きく痙攣して動かなかくなった。

残る三人に戦慄が走るのが、手にとるようにわかった。

みな、氷を呑んだように固まってしまった。

「やめておけ。無駄に命を捨てるだけだぞ」

 大きな声で言うと、三人はことさらに硬直した。

「襲うならせめて、理由くらい言ったらどうだ。無礼であろう」

「藩に籍も置いていない者に、無礼もクソもない」

「ほう、おまえら、藩の遣いか?」

「さあな」

「強情なやつらだ」

 左のひとりが上体を屈めながら突っ込んできた。ひらりと白刃を抜き、一閃、突いてくる。横っ飛びに躱し、構えた。こちらは素手である。左手に川。正面にひとり、右にふたり。分が悪い。

 右のふたりは影のように、青龍が移動するとぴたりとついてくる。

 覇気。正面の刺客。剣尖から漲る妖気が薄もやのようにたちのぼり、空中で蒸発した。

 刺客が弾けるように飛んだ。間合い。避ける。突きを見舞う瞬間、突きを出さずに刺客が踏み込み、横へ跳んだ。青龍の着地に息を合わせ、巧みに剣先を放ってくる。青龍は咄嗟に上体を捻り、回転するようにして刃を躱した。紙一重である。着物の首元の部分が、裂かれた。

「見事」

 青龍は吼えた。

「しかし、足りぬ」

 言いながら、拳を握り固め、裏拳を右側面に向かって放った。態勢を崩した青龍の隙を衝いて、その首を掻こうとした右の刺客の顔面に拳がめり込んだ。火花のようにきらきらと白石が舞った。歯の欠片だった。

 これで、二対一。

 じり、と慎重に足を摺る音がした。

「どうだ、言う気になったか」

 問うたが、かえってくるのは静謐だけだった。風が木の葉を舞わせる音ですら、熾火の割れる音のように聞こえる。

「言えば、命は助けてやる」

「ふ、笑わせてくれる。もとよりわれら、命など冥府に預けている。見え透いた妄言で戸惑うわれらだとは思うてくれるな」

「そうではない。取引だ」

「とは?」

 刺客の呼吸すらも聞こえるほど、あたりは森閑としている。その吐く息、吸う息は荒々しく、よほど精神が緊迫していることがうかがえる。

「わしを襲う理由を言え。そうすれば、この場は身を退こう。悪くない取引だと思わんか。少なくともおぬしらと、その仲間は無事でいられるわけだ」

「飲むと思うか、その条件」

「飲む。飲まざるを得ないだろう。ぬしらの心境を慮れば、その斟酌は容易じゃ」

「いいだろう」

 刺客の放っていた、針のような殺気が消えた。と安堵した瞬間であった。

 ふたりの刺客が、倒れている仲間の首へ一突き、刃を抉り刺した。

「おい、ぬしら」

「これが答えだ」

 声高に刺客のひとりがそう言うと、今度は自らの首元へ白刃を翻した。もうひとりもためらうことなく、自らの首を掻っ切った。

 鮮血が、噴き出した。薄明りの中でもはっきりとわかるほど、そばに立っている樹木へ血は飛び散った。

 布きれのように突っ伏する刺客のとなりに膝をつき、脈を診た。即死である。どの刺客も寸尺も動かない。

 壮絶たる士だった。自分の中に存在するいかなる業が、この士をこのような凄絶な死に至らしむるのだろうかと考えると、心の臓を握られるような空恐ろしい心地がした。

 立ち上がり、青龍は躊躇することなく夜の闇へ溶け込んだ。間をおいて、提灯の灯りが闇の中に幻のように浮き上がり、その場に近づいてきた。


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