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一振りの剣にまつわる挿話  作者: 井出有紀
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5、6

5.


 魔法使いたちは北の草原側からカゼールに入ったが、南面した海峡を渡れば、そこは砂漠が広がるカッシーナ大陸への入口、アラク市である。東側には険しいトゥールス山脈が迫っており、冬になると雪こそ降らないものの、そちらから冷たい季節風が吹きすさぶ。

 魔法使いが向かっているのはそのどちらの方向でもない。カゼールの西の外れ、三刻も馬を走らせたところに学会の支部がある。彼は育ての親とも言うべき学会本部の導師に、各地に点在する支部を巡り、研究成果を見定めてくるように命じられていた。導師を始め学会の者は全て、魔法使いこそが古の文明を蘇らせ得る唯一の人物だと信じ込んでいる。根拠といえば、ある肉体的特徴と彼の出生に他ならない。修学の旅など、彼の「家出」を言い繕う名目でしかない。

「どいつもこいつもふざけてやがる」

 魔法使いは毒づいた。

『ならば何故貴方は学徒をやめないのか』

 鞍に括りつけられた杖が、剣士と同じ問いを発した。

「だから学徒じゃねえって言ってんだろうが。うるせえな、ふざけた奴にはテメエも入るんだよ」

 何かにつけて反抗的な杖も気に食わない。数ある杖族の中でもナルバは、飛び抜けて高い知能と異世界への通路開閉という、他の杖にはない特殊な能力を持っている。それだけに誇りも高いこの個体は、詐欺同然で所有者になった魔法使いに対して敵意を抱いている。強靭な意志をある面で認めていても、気紛れで感情の起伏が激しい魔法使いを、ナルバは蔑んでいる。ましてや杖族の中で最も優秀だと自他共に認めていた自分までもが、その軽蔑している相手に欺かれたのだ。つまり魔法使いは、人間はもとより感情を読む杖たちにさえ、彼が人が変わったかのように落ち着いたと思い込ませ、まんまと契約に漕ぎ着けたのである。契約した途端彼は手始めに、居合わせた三十人の学徒といくつかの重要な研究成果を、どことも知れない異次元へ消し飛ばした。その後の経過を述べるまでもない。

 人間ごときに欺かれないと自負していたナルバにしてみれば、これは屈辱である。そのような訳で、杖は隙さえあれば新しい所有者を自らの支配下に収めようと企んでいる。夢にまで入り込み操作しようとするこの個体のおかげで、魔法使いは安らかな眠りを失い、絶え間ない激しい頭痛に襲われるようになった。

『では契約を解除するが良い』

 ははは! と魔法使いが大声で嘲笑う。

「それができりゃ、お互いすっきりするよなあ、おい? できもしねえ願望を言う辺り、おまえも現実的な理論家様だよ」

 理論家という部分を嫌味に強調する。

 杖は不機嫌に黙り込んだ。契約を結ぶも解除するも、学会本部以外の場所では不可能である。魔法使いが、おまえはお払い箱だと宣言して杖を置き去りにしても、契約を解除しなければ意味がない。どんなに離れていようと互いの思考は筒抜けであり、依然として杖は所有者の命を食い続ける以外に生きる術はない。

 ナルバだけではない。相手を嫌っているのは魔法使いとて同様だが、彼は本部へ戻るつもりなど毛頭ない。出てくる為に杖を手に入れたのだ、用済みになったからといって戻っては本末転倒である。いっそ殺してやろうと両者が実行に移したが、何度か試み、それと同じだけ揃って死にかけた後、ようやく彼らは諦めた。

 徒歩で行くには遠いが、馬で駆ければ半日である。日が中天に差しかかる頃に、魔法使いは草原の果てへ辿り着いた。

 崖っぷちまで馬を歩ませる。サルジュは怯える様子もなく主人に従った。気性の激しい主人とは対照的に、この馬は至って穏やかで呑気な性質を備えている。馬は繊細な動物であるという大原則を覆す、その見本だ。

 眼下に海が広がっていた。砂浜は狭い。両側には険しい崖がそそり立ち、岩肌に波がぶつかってはまた引いて行くのを繰り返している。

 砂浜に接する、岩肌の一部がぽっかりと黒い口を開いていた。支部への入口である。定期的にここを訪れる商人によれば、洞窟の奥に遺跡があるらしい。学会の建物はそのまま古代遺跡でもある。その遺跡は大抵の場合、この洞窟のように一目見ただけでは分からないところにある。自然、学会も人目につかないところに拠点を置くことになる。

 魔法使いは砂浜に通じる道を探した。ほどなく見つけ、波打ち際へ降り立つ。崖に開いた穴は大きい。馬に跨ったまま楽々と入れる。横幅はそれ以上ある。洞窟は緩やかな曲線を描き続いていた。広いので、入口からでも奥まで見渡せる。

 妙なものだ、と洞窟内で馬を歩ませながら魔法使いは物思いに耽る。

 カゼールもアラクも「神の怒り」以前からある都市として、この辺りでは有名である。しかし、都市自体の記録は継続していない。「神の怒り」が単なる自然災害なのか、文字通り人間に下された天誅なのかは分からないが、それが起こり後に残ったのは、僅かな数の人間と都市の名だけであった。建築物の破片や一冊の本、その他それまで営まれていた文化を忍ばせるものは何一つ残されていない。人が生き残ったからには記憶もあった筈だが、それも薄れゆき消滅した。人々が覚えているのは、この二つの都市が「神の怒り」以前から続いている、ただその一点である。

 それにも関わらず、近くにあるこの遺跡は依然として残っている。「神の怒り」以前のカゼールやアラクと同一の文明なのか。いや、そうではない。遺跡は甚大な自然災害に耐えうる建築構造をしていた為に残り、カゼールやアラクはそうでなかった為に歴史が中断した。

 その優れた文明の復興を目指しているのが学会である。導師によれば、古代神が与えたもうたこの文明を蘇らせれば、神々は再び彼らの傍らに現れるという。あるいは神々が現れて知性に溢れた古代人もこの世界に復活し、失われた文明をあまねくこの世界に行き渡らせる。どちらにせよ魔法使いにとっては笑止千万な話である。

 巨大な金属の壁が行く手を阻んでいた。中心に筋が入っている。扉らしい。

 魔法使いは馬から降りて扉を蹴った。

「開けやがれ!」

 音もなく扉が開いた。ただし目の前の壁のようなそれではなく、脇にある人が一人通れる程の、やはり金属製の扉である。それでも人力で開けられるとは思えない、重そうなものだった。

「ふうん」

 魔法使いが声を漏らす。

「復元できたのか」

 遺跡が完全な形で残っていることは、ほとんどない。長い年月を経る間に盗掘屋が値打ちのありそうなものを洗いざらい運び去ってしまうからだ。学徒たちは、極めて少ない手がかりから古代文明を復元しようと試みている。魔法使いの目にはそれは、無謀を通り越して空しい努力にしか映らない。例えばこの扉ひとつにしても、仕組みが分かったところで建築素材を加工する技術がなければどうしようもない。加工する技術が分かったところで加工する道具を入手しなければならない。他の支部から入手できなければ、自力でその道具を復元しなければならない。そうなると道具の仕組みを解明しなければならない。連鎖は果てしなく続く。

「いえ」

 現れた女が魔法使いに応えた。

「幸いここは人目につくこともなかったようで、比較的多くのものが遺されております。記録によれば、先達が電気を流しただけで大方のものは生き返ったと」

 学徒だからといって、特に変わったいでたちをしているでもない。外見の怪しさから言えば、この暑い中黒ずくめに装飾品をじゃらじゃらとぶら下げた魔法使いの方が遥か上をいくだろう。

「ようこそお立ち寄りくださいました、ハデューン様。エニサと申します」

「出迎えご苦労」

 魔法使いが嫌な笑みを浮かべる。己の貌を見た一瞬、女の顔色が変わったのを彼は見逃さなかった。

「研究の邪魔しちゃ悪いからよ、俺なんぞに構うこたねえぞ。用さえ済めばとっとと消えてやる」

「いいえ」

 刺々しい口調にも、もう女は穏やかな表情を崩すことはなかった。

「我々はいつでも貴方を歓迎します。どうぞこちらへ」

 先に立って洞窟の中へ導く。魔法使いは肩を竦めて後に続いた。平面的で無機質な廊下を進む。明かりを点す必要はない。天井自体が光っているからだ。ただし太陽や炎のような熱を全く感じられない、冷たい光である。

 途中で何人かの人間とすれ違う。誰もが、黒衣に派手な装飾品をぶら下げた来客に控えめかつ怪訝そうな視線を投げてきたが、その胡散くさいなりをした長身の男の左頬にあるものを見るが早いか否や、あきらかにぎょっとした様子で目を見開き、次いで歓迎の意を表して足早に去って行った。魔法使いとしてはもとより返事をする気もない。

 いくつめかの扉の前で女が立ち止まった。

「ハデューン様をお連れいたしました」

 扉が開く。やはり自動だ。

 部屋は青い光に満ちていた。壁に埋め込まれた数々の機械、床一面を這いまわる管の束。三人の男が机に向かって紙の束に何ごとかを書きつけている。もう一人、男が立って魔法使いを出迎えた。

 この男に限らないが、学徒は年齢が判然としない。外界に背を向け自分たちの世界に閉じこもり続けている、その影響かもしれない。寿命自体は外界の人間と変わりないからだ。

「ようこそいらっしゃいました。ここの学師を務めております、ウシュブと申します」

「おう」

 投げやりに魔法使いが挨拶を返す。それを見てからエニサは姿を消した。

 小さな水槽がいくつか並んでいる。それを見て、魔法使いの貌が一瞬微かに歪んだ。中身を確認してすぐに普段の不遜な表情に戻る。

 二基を除いて水槽は空だった。一基には透明な液体のみが満たされ、もう一基の中では草が一株、水中花のように液体の中で揺らめいている。

『私と同様、貴方にとっても懐かしい光景ではないのか』

「黙れ」

「は?」

 ウシュブがいささか怯んで聞き返す。机に向かっていた三人も振り向いたが、慌てて机に向き直ると作業を続けた。

「杖がうるさいんでな」

 魔法使いが面倒そうに説明する。

「まあ、俺が何をやらかそうとおまえらは驚きもせんだろうが」

 すぐに唇の端をつり上げた。

「おまえを含めたここの連中も、かの有名な次期導師様が気違い同然に育っちまったってこた、よく知ってんだろ? なんせ本部の人口を半分に減らしてやったんだからな」

 周囲にあったものを消し飛ばしたのは、ほんの始まりでしかなかった。北の本部には千を超す人間が住んでいたのだ。魔法使いはいちいち数えてなどいなかったが、後に杖が、最終的には五百人以上の人々をこの世から消し去ったと所有者に報告した。異世界に飛ばされた者もいれば、魔法使い自身が手にかけた者もかなりの人数にのぼる。

「ハデューン様は重い使命を背負っておられるのです。我々には想像もつかないご葛藤がお心に生じるのも当然ではないかと存じ上げますが」

 通常、学会で生まれた子どもは一定の年齢に達すれば、そこに留まるも外界に出るも自由である。そして、学会に身を置きたいと外からやって来る者の受け入れも拒まない。学会内と外の常識がいささか異なるので内外の移動など稀にしかないが、原則的には入脱自由な集団なのだ。しかし魔法使いに限って言えばそうではない。ハデューンという名は「導き」を意味する。生まれる以前から決まっていたこの名と共に、学会の指導者となる義務が、やはり生まれる以前から魔法使いには課せられていた。それに逆らって飛び出した青年が、自分の名を受け入れる筈もない。

 何か気に食わんことがあって俺が何人殺しても、構わねえって訳か。

 魔法使いは声に出さずに内心で毒づいた。相手に遠慮したのではない。口に出したところで皮肉にも嫌味にもならないのだ。ウシュブが真面目な顔でその通りですと答えるのが、火を見るよりも明白だった。

「それでも、俺が悔い改めてお偉い導師様の言うことを聞いてお勉強しに来たとは、いくらなんでも思っちゃいねえだろうが」

 棘のある口調で喋る魔法使いの眉がしかめられた。目障りな水槽が、視界に鎮座している。

『――』

 魔法使いの肩に担がれている杖が、再び軋んだ笑い声をあげた。

「……」

 青年は険悪な表情で、布にくるまれた杖を水槽に向けて投げつけた。水槽は割れずに、鈍い音をたてて長い包みを跳ね返す。運悪く傍らにいた学徒が杖の直撃を受けて悲鳴をあげた。他の二人は呆気に取られて乱行に及んだ青年を見つめていたが、自分に相手の視線が当てられると我に返り、矛先が向けられるのを恐れて何も見なかった風を装った。魔法使いの方も視線を学師へ戻した時点で、学徒の存在など念頭から消え去っている。彼は尋ねた。

「ここで造ったのか」

「は?」

「そいつだよ」

 水中で揺れる植物を指す。ウシュブがまさかというような微笑を浮かべた。

「それができるのは本部をおいてまず他にはありません」

「そうだな」

 面白くもなさそうに魔法使いが同意する。打ち捨てた杖に目をやりながら、

「しかもできるもんっつったら、目玉お化けばかりときた。古代人がそんな趣味の悪いもんを造ってたとは思えんがね」

 そう言う若者の額も幅広の布で覆われている。宿屋の娘に話したことは真実なのだ。

 ウシュブは自嘲の響きを察知した。

「そのようなことを」

 いたましげに首を振る。

「その為に御目を隠しておられるのならば、我々は誓ってハデューン様をそのように見ておりません。外界の野蛮人が如き……」

「カゼールじゃ、でかい獣の姿をした化け物が出て新月の晩に人間を食っちまうそうだ」

 魔法使いが学師の言葉を遮った。

「そいつ、おまえらが操ってるに違いないって噂が広がってんだが」

 机の三人はもう振り返らなかった。外がどうなろうと、彼らの知ったことではない。学会に起きる出来事だけが彼らの全てである。

「現在は食用も含めて大型動物は飼育しておりませんし、先にも申し上げた通り、ここで生命を創造するのは不可能です」

「生体実験は」

「行われていれば、ここでは必ず公表されます」

 研究の過程や成果の隠匿は、学会内では重罪である。だが、外から人間を拉致して実験台にしても、それが必要であると学議で判断されれば罪にならない――例えそれが生きたままの人体解剖であろうと。宿屋の主人セルブは学徒が人畜無害だと思っているようだが、そう決めつけられることでもない。倫理観が違う。学徒の念頭にはあらゆるものを差し置いて、まず研究の一言が念頭に浮かぶ。

「今じゃなくてもいい。隠匿事件もなかったのか」

「ここ七十年ありません」

「じゃ、カゼールの住民を使って集団幻覚の実験をしたってこともないんだな。そいつだって生体実験に入る」

「はい」

 明快な返事である。剣士ならいざ知らず、だからといって魔法使いはそれを信用するほどお人好しではない。

「研究記録を見たい」

「承知いたしました」

 学徒の一人に声をかけてから、学師自らが案内に立った。


「……気になるだろ」

「は?」

 軽く振り向いた学師を、魔法使いがニヤニヤと笑みを浮かべて見下ろしている。二人とも、長い廊下を歩く足は止めない。

「そいつだよ」

 青年は、学師の手にした布の包みを顎で指した。魔法使いが拾おうとしなかった杖を、ウシュブが代わりに運んでいるのだ。

 現存する三十一体の杖族は、全て北の本部で造り出された。自力移動が事実上不可能なので、所有者のいない七体は本部で養われている。残り二十五体に満たない杖を目にする機会などほとんどない。

「杖を拝むことなんざ、ここじゃそうそうないだろう。見たけりゃ構わんぜ」

 杖族は学会の生きた研究成果である。ウシュブは束の間躊躇したが、魔法使いの顔に特にこれといった悪意が表れていないのを認め、では、と断り包みを解いた。

 奇妙なものが現れた。銀色の長い金属棒に、ねじれた木の枝らしきものが絡みついている。狂った者が捏ね上げた茶色の泥細工に見えないこともない。奇怪に盛り上がった瘤のそれぞれに一つ、あるいは二つの眼球が埋め込まれている。あるものは人間のそれであり、またあるものは猫のそれのように瞳孔が鋭く細い。昆虫の複眼もある。それぞれの生き物の眼球を抉り出してそこへ嵌めこんだのではないことは一目瞭然だった。目玉は全て、女の掌ほどもあろうかという巨大なものである。これが杖の本体である。

 金属の長い棒は電池だ。所有者に埋め込んだ極小の珠から生体反応が消えると自動的に電源が点き、杖は中の電気を食い繋いで次の所有者が現れるか、あるいは研究所へ運ばれ、きちんとした世話を受けるまで待つことになる。

 いくつかの目玉が、ぎょろりとウシュブを見据えた。ガラス玉ではない、本物の目玉である。時折瞬きするそれは表面が潤い、よく見ると毛細血管のようなものまで見て取れる。

 杖の視線に射竦められ、ウシュブの足が止まった。形状を予め知っていたものの、実物の不気味さは予想を遥かに上回ったらしい。魔法使いよりおそらく一回りは年上の端整な顔に、微かにたじろぎの色が表れる。

 魔法使いは肩を竦めた。学徒でさえこの有様である。街中で堂々と見せびらかして歩こうものなら、悪魔呼ばわりされた上に石もて追われるのは目に見えている。幼い頃より杖を見慣れている魔法使いにとって、彼らはいささか奇妙な生き物に過ぎない。だが他の者にとっては、杖族は悪ふざけの道具にしてはあまりに刺激が強過ぎる代物らしいのだ。

「どうだ、学会の最高傑作を見たご感想は」

 魔法使いの言葉を合図に、目玉が淡い光を放ち始めた。

 ウシュブはしばらく無言で杖を見つめていたが、やがて顔を上げると、今度は魔法使いを振り返ろうともせずにゆっくりと歩き始めた。足取りがぎこちない。

「この男の神経回路を支配下に置いた」

 抑揚のない声が廊下に響く。魔法使いがにこりともせずに応えた。

「今は無理に喋るこたねえぜ。いくらちんけな僻地の支部だっつっても、俺一人でクソ多い研究記録を引っ掻き回せるもんか。おまえに手伝わせようと思って、頁をめくる手を提供してやっただけだ。それより、この男が何か隠してないか調べろ」

『脳内走査は対象の人格を破壊する恐れがある』

「んなこと分かってら。おまえだって何百人も異世界へ吹っ飛ばしたんだろ、今さら一人や二人、廃人にしたって構うこたねえだろうが」

 乱暴な主張だが、ナルバは異論を唱えなかった。彼あるいは彼女に限らず、杖族は人間に対し例外的に敬意を表しても、自分の創造主たる人間全般には好意を持っていない。

「覚えとけ」

 魔法使いは唇の端を歪めた。笑みに見えないこともない。

「一定数さえ残しとけば、人間なんぞいくらでも増える」




6.


 剣士が閲覧記録を調べ終わったときには、日も暮れかけていた。窓から橙色の光が差し込んでいる。

「すっかり長居をしてしまったな」

「気にしないでください」

 アルベルトが人の良さそうな顔をにっこりと綻ばせる。容貌通り至って性格も健やかな青年は、剣士の調べ物に付き合っていた。

「本の続きは今晩にでも読みますから。でも、手掛かりはありませんでしたね」

「ああ」

 人気がないのに何故記録だけがこんなにあるのかと剣士は訝しんだが、それは昼間の話らしい。大抵の者は一日の仕事を終えてからここに来て本を読むのだという。終日を勉強に充てられる経済的に恵まれた者は皆、大学に入る。

 部屋の人口密度が増し始めていた。剣士を手伝う間にも、アルベルトは登って来た人間の名と貸し出す本の表題を控えている。

「あと二刻もすれば家の中が人で埋まりますよ。遅い人は夜半までここにいます。ときどき徹夜する人もいるなあ」

「人が多ければ、それに紛れて無断で持ち出す者もいるのではないか?」

「それをしたら次からはここへの出入りは禁止されます……ナウシズに会いに行かれるんですか?」

「そのつもりだが」

「彼女は違いますよ。化け物に人を襲わせるような人じゃありません。頭が良いだけじゃなくて思慮深いですし、優しい人です。僕、ナウシズのおかげで学ぶ楽しさを知りました。母親がいないので、祖母と彼女に面倒を見てもらっていたんです」

 予想外の熱弁に剣士は少なからず面食らう。が、それは表へ出るには至らず静かに彼は応えた。

「犯人と決め付けた訳ではない。話を聞きに行くだけだ」

「ああ」

 アルベルトが我に返る。明るい茶の髪に手を突っ込んでかき混ぜた。

「そうですね、もちろんです。ただこの間、役人と少し揉めたんで……変なことを言って済みません。僕にとって彼女は……」

 突然アルベルトは口ごもった。

「その、姉のような存在なんです」

 その手のことにはてんで疎い剣士だが、それでも青年がむきになる理由に遅まきながら気付いた。迷惑は掛けないようにすると言い置き、階段を降りる。

「お帰りかの」

「邪魔をした」

 老人が振り向いた。微笑んでいる。

「アルベルトが何やら言っておったようだが」

「森の民の夫人は彼の信望も厚いようだ」

「まるで子どもだが、ああ見えてあやつ、大学の単位も取得した秀才じゃ。家は貧乏だが奨学金の審査を見事に通りよった。それもこれも子どもの頃ナウシズに面倒を見てもらったおかげだそうじゃ。無論、消魔術も彼女に習ったものでな。ばあさんと父親だけでは今頃読み書きもできんだろうと言うておる。まあ、崇拝の的が何に変わっても不思議はあるまいが、相手の方は依然としてアルベルトを弟ぐらいにしか思っとらん。無理もないがの。それに、人間と森の民が結ばれて幸せに終わる話なぞ、古今東西耳にしたことがない。これでいいんじゃ」

 他人の恋路に意見を挟むような剣士でもない。暇だけを告げて彼はギルドの家を出た。


 翌日、剣士は長に教わった道順を辿り、ナウシズの家を訪れた。

 城壁がすぐ背後にまで迫った日当たりの悪い、風通しも良くない所に女魔術師の住まいはあった。この都市の建物の例に漏れず、壁が漆喰で塗られた小さな住居である。

 その扉がばたんと開いた。

 中から出てきた人物を見て、剣士は翠の隻眼を微かに見開いた。

 彼がカゼールに入って最初に入って追い出された安宿の、老いた女主人である。

 その後に、髪を短く切った女が顔を出した。女にしては上背があるので少年のようにも見える。

 老女を見送って家に戻ろうと向きを変えたところで、彼女は剣士に気付いた。

 長身の剣士を見上げたそばかす顔が驚きに彩られる。穴が空くほど剣士の貌を見つめた。

「何か」

 剣士が戸惑い気味に口を開く。女は我に返った。

「いえ、失礼いたしました」

 家に戻ろうとする。剣士は自分の用事を思い出した。線の細い少年のような後ろ姿に声をかける。

「ナウシズ殿がここに住んでいると、ギルドの長に聞いて参ったのだが」

「どうぞ」

 女は疑いの色すら見せずに剣士を招き入れた。この都市の魔術師は警戒心がないのだろうかと訝しみながら、剣士は後に続いた。

 貧民が居住するような小屋である、当然一間しかない。床は地面が剥き出しのまま、中央に炉が掘り下げられている。あらゆる生活道具が詰め込まれ、ただでさえ狭い内部がさらに狭く感じられるが、それでも部屋はきちんと整頓され、それなりに住み心地の良さそうな空間が造り出されていた。

「ご覧の通りあずまやですので、床にお座りください」

 炉の周りに藁が敷かれ、季節柄であろう、その上に木の皮を編んで作られたクッションのようなものが置かれている。

 剣士の向かい側に女が腰を降ろした。微かな緑の香りが、ふわりと漂ってくる。

「ナウシズは私です」

 名乗るまでもなかった。

 瞳孔が猫の瞳のように細い。癖のない、柔らかな草色の髪に隠されて先の尖った耳は見えない。

 森の民はいつまでも年を取らないという言い伝えはどうやら迷信らしい。確かに女性らしくない少年のようななりをしており顔立ちも若いが、それでも少し注意すれば、彼女が剣士と同じかそれ以上の歳月を生きているのは誰の目にも明らかである。透明感のある低い声も、成長を終えた女のそれである。息を呑むほどに美しいという訳ではないが、それでも目の前の女はどこか人を惹きつける雰囲気を漂わせていた。ろくに風も入らない夏の小屋の中だというのに、さほど蒸し暑く感じられない。木陰にいるような感覚さえ覚える。剣士は数瞬、森が人の形をとって座っているような錯覚に捕らわれた。

 彼がかいつまんで事情を説明すると、ナウシズは微かに口元を綻ばせた。木漏れ日が差し込んだように、さっと周囲が明るくなったように剣士には感じられる。

「そうですか」

 猫の瞳が優しげに細められる。瞳の土色は、草色の髪や黄色味を帯びた肌と実に調和していた。視線からして鋭角的に過ぎる、色彩の強い剣士とは正反対である。

「長も、貴方に対しては良い印象を抱いたのですね」

「珍しいことがあるものだ」

 良く外見で怯まれる剣士が苦笑する。

「大抵の者は、私が通れば身を退けて道を譲ってくれるのだが」

「……私をお疑いでいらっしゃるのですか?」

 穏やかな笑顔のまま、ナウシズは自ら切り出した。

「それを決めに参った」

「そうですね」

 ナウシズの笑みが深くなった。

「貴方がここへ来たお役人のような方でなくて助かりました。彼らの間では、私が最も疑われていたようですから……いえ、今もそのようですけれど、近所の皆に助けてもらえました。この区画の人々は貧しいですが、皆さん私によくしてくれます」

 調書にもその騒ぎの顛末が記されていた。嫌疑を掛けられても連行されなかったのは、近所の住民たちがこぞって彼女を庇った為である。事情聴取あるいは連行しに来た自警団の中には、以前ナウシズに薬を調合してもらった者もいた。そのような者は積極的に彼女を庇わずとも、その日だけは職務に甚だ怠慢だった。ほとんどの医者は金持ちしか診察、治療しない。ただ同然で病を癒してくれる存在は、下町の庶民にとっては極めて貴重な存在である。

「森の民が殺生を嫌うという通説ぐらいはここの役人も知っている筈だが、まだ嫌疑は解けないのか」

「通説はあくまで通説です。貴方にとっても」

 自分について話しているとは思えない冷静さである。

「殺生好きな同族など見たこともありません。私にとっては自明の理でも、カゼールのほとんどの人々は、実際に森の民に会ったことがありません。何か起こればその原因が未知の者――私にあると人々が考えるのは無理からぬことです。事実、私は召喚魔術を心得ているので、人を殺す程度のものなら使役できます」

 ナウシズが「お役人」ではなく「人々」と言ったのを、剣士は聞き逃さなかった。彼女を敵視しているのは役所だけではないのだ。

「では、いつ、誰に捕えられるのか分からないのに、ここにいるのか」

「行き場はあります」

 ナウシズは静かに返した。

「故郷は東のトゥールス山脈の麓ですから、さして遠くありません。カゼールを抜け出す手配を申し出てくれた人もいます。でも、お役所も参議会も半年前から事件を追っているのに手掛かりがなく焦っています。今ここを去っては、私は否応なく怪物を呼び出した犯人にされてしまうでしょう。幸い私を信じてくれる人は大勢いますから、まだ大丈夫。危険が近づけば誰かが知らせてくれます」

「公に身の潔白が証明されるまでは残ると」

「解決してからも残るつもりですし、しなくても留まりたいものです。私はここの人たちが好きですし、出て行ってしまっては信じてくれている人たちに申し訳ありませんもの」

 確かに、剣士が過去に置かれた状況よりはましかもしれない。

 そのような思いが剣士の心を掠めた。

 ナウシズは連れ合いや子どもと住んでいる様子もなく、味方も多いようだ。それでも先に言ったように、悪意を持つ者がいつ彼女を害するか分からない。剣士の受けた印象が間違っていなければ、ナウシズがどれほど優秀な魔術師で身を守る術に長けているとしても、自衛の為にさえ人を攻撃する人物には見えない。たとえ命が危険に晒されようと。その点、剣士は違う。

「……貴方に起きたことと比べることなど、できませんわ」

 沈痛な響きを伴った呟きが剣士の耳に入った。

 翠色の目に警戒が浮かぶ。彼の心を見透かしたとしか思えないナウシズの言葉だった。

「自分の過去を語った覚えはない」

「ごめんなさい」

 即座にナウシズが謝る。

「私は貴方に初めて会いますし、噂を聞いたこともありません。でもときどき、人の背負っているものがぼんやりと垣間見えるのです。

「森の民の特質か」

「ええ」

 ナウシズは頷いた。

「でもそれを口にするのは礼に反していました」

「なに」

 あまり気持ちの良いものではないが、と声に出さずに思った剣士だったが、次に口を開いたときには話は本筋に戻っていた。

「貴女以外に獣を操って人を殺し得る人物の心当たりがあれば聞かせて欲しい」

 ナウシズは剣士の名を呼ぼうとし、詰まった。剣士もまだ自分が名乗っていないことに気付く。

「失礼した。私は雨」

「雨?」

 ナウシズは小首を傾げたが、すぐに頷いて答えた。

「ご存じかもしれませんが、召喚魔術の難しさは使役にあります。呼び出したものを上手く自分に従わせなけれななりません。高等な存在であれば相手も呼び手の資質を見抜きますから、術師も相応に自身を鍛え、高めなくては」

 忘れていた。魔法使いが面白半分に召喚したイフリートに向かって暴言を吐いた為、二人揃って焼き殺されそうになったことがあった。イフリートは火蜥蜴よりも遥かに上位の、ほとんど最高位に位置するとされる火の精霊である。剣士は髪を、魔法使いは服を焦がしたところで、イフリートは何とかもといた時空へ送り返された。

「引き換え、呼び出すのは使役するよりも容易です。儀式をきちんと理解し定められた手順に従えば、あと必要なのは多少の運だけ。極端な話、召喚するだけなら誰にでも可能なのです」

 呼び出すだけなら誰にでもできると長が口にしなかったのは、ギルドの者に疑いがかかるのを恐れたのだろうか。剣士はなるほどと内心で頷いた。長は嘘をつかないと言ったのであって、何でも包み隠さず打ち明けるとは言わなかった。どこの馬の骨とも知れぬ余所者を信用しろというのが、どだい無理な話である。

 ナウシズが再び沈黙した。剣士が眉を寄せる。

「いかがした」

「いえ」

 彼女は首を振った。茶色の考え深そうな瞳が剣士に向けられる。

 木漏れ日が翳っていた。

「あとは召喚書を持っている人や読む機会のある人を探すしかないと思います。でも、魔術に関する本のほとんどは、こことギルドの家にあります。富に恵まれた人が高値で買い取ることもあるでしょうけど、この都市で魔術は重んじられていませんから、興味を持つ大学生がいるかどうか」

 要するに誰も思いつかないらしい。

「長からは、ウォーギスという男がベネット・デイ会員の下にいると聞いたが」

「……」

 ナウシズが困ったような笑みを浮かべた。

「知り合いでおられるのか」

「一度か二度、お会いしましたけれど」

「どちらに」

「お二人に」

 今度は剣士が首をひねる番だった。

「参議会の会員がそれほど魔術に関心があると?」

「森の民に会ってみたかったのだと言われました。デイ会員はあまり先入観に惑わされない方ですから」

「ウォーギス殿は魔術を扱うのだろう」

 参議会会員となれば敵も多いだろう。デイが懐刀として擁しているのかもしれない。

「彼とはそのような話をしませんでしたから」

 分からないとナウシズは答えた。

「では、デイ殿と魔術の話を?」

「ええ、まあ」

 歯切れの悪い返答である。剣士はそれを頭の隅に書き留めた。

「貴女の他に疑われているのが、学会だということは」

「知っています」

 でも、とナウシズは続けた。

「おそらく違います」

「学会出身だろう連れも同じ意見だったが」

「生命を創り出す段階まで研究が進んでいるのは、遠く北にある本部だけです。何年か前、長について私も海辺の遺跡へ行きましたが、あそこは保存状態の良いものを保護しているだけの所でした。それに、一度それが近くを通ったのですが」

 そばかす顔が曇った。嫌悪感による表情だった。

「どんなに恐ろしいものでも、この世界で生じていればあのような匂いはしない筈です」

「匂い?」

 魔術を学ぶ者は鍛錬により「気」や「マナ」といったものを知覚し操る。その感覚で彼らは異世界の証を感じ取るようになるが、森の民は匂いと触覚で明確にそれを感知できるのだとナウシズは説明した。語るにつれ、彼女の恐れも色濃くなる。

 その様子に剣士は困惑していた。無実が明らかになるまで動かないという先の言葉は去勢だったのか。そこまで覚悟を決めた者が、相手が怪物にしろここまでの不安を表わすのは妙である。この疑念のおかげで、同時に感じたものを彼はきれいに忘れ去った。

 怯える森の民の女を見て一瞬、剣士は柄にもなく手を差し伸べてやりたい衝動に駆られたのだった。

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