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一振りの剣にまつわる挿話  作者: 井出有紀
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エピローグ

エピローグ


 剣士は雲一つない蒼穹を見上げた。強い夏の陽が、一つしかない翠の目を射る。眩しげに瞳を細め、彼は視線を下に移した。カゼールに入る前に広がっていたのは爽やかな緑だった。今度は変化に富んだ深い青が広がっている。

 剣士は甲板で風を受けていた。海に出るのは、あの大きな島国を出て大陸へ渡ったとき以来である。二頭の馬も船倉にいる。ライファは軽い船酔いを起こし、サルジュはのんびりと飼葉桶に鼻面を突っ込んでいる。

 彼は、足元に座り込む灰色の獣に気付いた。

「もう良いのか」

『すっかり治ったようだ』

 海を眺めたまま狼が答える。再び彼の姿は、剣士とごく少数の者にしか見えなくなっていた。何故見える者と見えない者に別れるのか、狼は深く説明しようとしない。あと数百年もすればより多くの者に見えるようになるだろうと述べただけだった。

 金色の目に懐かしげなものが宿っている。海に何か思い出でもあるのだろうかと剣士は思ったが、あえて口に出して尋ねなかった。人間の何千倍も生きてきた狼である。何もない訳がない。

 少々無理をしてベリスの中に居座ったのでな、と一段落した後で狼は二人に言った。

『電磁波と論理の両方に乱れが生じてしまった。消滅する前にどうにか抜け出して雨の中に避難したので、ことなきを得たのだ』

 その際、剣士の内部が以前と微妙に異なっているのに気付いた狼は「失礼を承知の上で」意識を失っていた間の彼の記憶を調べたのだという。そこで狼は、剣士と剣の契約を見つけた。

 狼に言わせると、中に住まわせてもらうのに剣士ほど向いた人物はいないのだそうである。どれだけ彼が気に入られたかは、彼が剣士の中に入り込んだままカゼールを出てしまったことからも窺える。剣士の方も特に不自由を感じない。この拘りのなさが狼に好まれている一因でもあることに、彼は全く気付いていない。

「おい」

 と魔法使い。彼はクロミスを肩に乗せ、両手を後ろにつき両脚も投げ出して甲板に座り込んでいた。衣服は黒ずくめに戻っている。アラクへ渡った日に、市中を走り回って買い揃えたのである。この暑い中でも黒衣に拘る理由が、剣士には分からない。

「あれから剣は何も言わねえのか」

「何度か呼びかけてはみたのだが」

 剣士は腰に手をやった。当の剣をそこに刷いている。今抜けば、刃は鈍い鉛色をしていることだろう。剣士の両の前腕には包帯が巻かれている。

「反応がない」

 魔法使いはごろりと甲板に寝転がった。鍛冶の精が、友人の頭の横で自分も腹這いになる。

「くそ。じゃ、もう片方の大剣を探すしかねえか」

 彼は剣士と狼から剣の話を聞いていた。青銀の剣は生命力を吸い取るが、それは所有者には渡されず、もう片方の青銅の大剣へ蓄積されるらしい。しかもその際、生命という属性を失い、純粋な力へと変換されてしまうのだ。

「過程を調べれば、生命力をそのまま取り出せるかもしれねえんだがな」

「その大剣がどこにあるのかという、手掛かりはあるのか」

「それがあり過ぎるっつうか。伝承だけはやたらと聞くんだが、具体的なことになるとな……まあ」

 空色の目が、同じ色の空間を睨む。額の目はもちろん隠されていた。

「俺が行った地域なんてたかが知れてるからな。片方があると分かった以上、もう片方もどこかにある筈だ。それよりおまえ、あの女を引っ張って来なくても良かったのかよ」

「……」

 隻眼が瞬いた。頬の削げた褐色の貌が、不思議そうに連れを見下ろす。

「何故、今頃そのようなことを訊くのだ」

「別に」

「ナウシズ殿には、カゼールでやらなければならないことがある」

 ギルドの長はやはり殺されていた。崩れたギルドの家の下から遺体が見つかったのだ。ナウシズはその跡を継いだ。亡くした者を思って悲しみに暮れる時間は、当分の間は彼女に訪れそうにない。孫も宿もなくしたあの口の悪い老婆はナウシズと共に暮らし始め、まだ本調子でない彼女の世話を甲斐甲斐しく焼いていた。

 魔法使いがデイを消したので直接の脅威はなくなったものの、依然として魔術師ギルドに対する疑惑は晴れない。実際魔神を呼び出したのがギルドに所属する人物だったのだ、当然である。真相が世間に知れたら、カゼールの魔術師たちは弾圧を受けるだろう。ただ、今は都市全体が立ち直れるかどうかの瀬戸際である。大学も責任追及している場合ではない。校舎や宿舎どころか、肝心要の神殿まで一切合財を吹き飛ばされてしまったのである。

 魔法使いはデイの殺害を認めたものの――それを聞いた剣士は僅かに眉をひそめた――ナウシズと貿易商の関係は、剣士には話さなかった。必要がないからだと何度も心中で理屈をこねる所有者を、杖が嘲笑する。ナルバも元通り布に包まれ、船室に放り込まれていた。

 何年かかるか分かりませんが、とナウシズは猫の瞳を細めて言った。ここが落ち着いて必要とされなくなったら、私もあなた方を追って東へ行ってみようと思います。一度郷に戻ってからトゥールス山脈を越えて、陸路を行くのも良いでしょう。ご縁があれば、またお会いできるかもしれません。

「んな訳ねえだろ、そう簡単にお会いできるもんかよ」

 魔法使いが悪態をつく。

 剣士は連れが誰について言っているのか分かっていた。

「会う機会があればいつか会うだろうし、そうでなければ二度と会うまい。それで良いではないか」

 あまりにもあっさりとした言葉に、魔法使いはしばし呆気に取られる。

「……おまえ、あの女に惚れてんだろ」

 翠の目が魔法使いを見る。明るい翠は全く感情を映し出していなかった。森の民を胸に抱き不安も露わにこちらを見上げたときの感情を、魔法使いはもう剣士のどこにも見出すことができない。一体どこで割り切ったものか、魔法使いでさえ理解不能だった。

 二人揃って同じようなことを考えているのも妙な話である。剣士のいない場所で、ナウシズは先の彼と似た発言をしたのだ。

 雨様には、これからしなければならないことがあります。雷様、貴方の力が必要とされるときがきっと来ますから、どうか助けになってください。

 てめえが助けろ、と魔法使いが返したのは言わずもがなである。

「よく分からん」

 剣士は言って、視線を水平線に戻した。

 もしこの男が妻子を亡くしてからもっと時を経ていれば、と魔法使いは空を睨んだまま想像しかけたが、すぐに放り出した。人のことなど、どうでも良い。

 ――。

 またもナルバが嘲笑する。

「うるせえ」

 頭痛に苛まれながら魔法使いは罵った。こころなし前よりも苦痛の度合いが小さいが、気のせいに違いない。

 狼は横目でその様子見て、また金色を海に戻した。断じて魔法使いの気のせいではない。杖は、狼に協力するつもりらしかった。

 こればかりは気長にやるしかない。

 狼は秋の風を浴びに、剣士の中へ潜り込んだ。

「おい、あんたら」

 顎鬚を生やした船長が甲板に顔を出した。デイの友人は船主、すなわち船の所有者である。この雇われ船長とは別人で、船長はデイと全く面識のない人物だった。船に関しては魔法使いの杞憂だったらしい。

 船長の態度は、年下の若者に対するものではなかった。同世代の、別の船長にでも話しかけるような口振りである。確かに紹介状はあるが、二人がどこからどう見ても胡散くさい若者であることには変わりがない。いきなり押しかけた身に船室まで提供され、剣士は面食らっていた。彼は知らなかったが、魔神と戦った異様に目立つ男の二人の噂は、早くも海峡を越え、この船長の耳にまで届いていたのである。

「どこまで乗ってくかまだ聞いてなかったな。カンザまで行っちまうのか」

「サイヴァル」

 剣士が短く答える。道を踏み誤り無残な死を遂げた青年、彼の行く筈だった都市はどんなところなのだろう。

「分かった」

 船長が頷く。

「キオーレ神の機嫌が良けりゃ、着くのは三日後だな」

 風神に祈りを捧げた船長が顔を引っ込めた後で、魔法使いが口を開いた。

「それからどうする。サイヴァルなんか、すぐだぜ」

「お主の希望はどうなのだ」

「阿呆か、てめえは」

 魔法使いが呆れた。

「俺はおまえにつきまとってんだぞ。希望もクソも……そうだな」

 彼は考えた。すぐにどうでも良さそうな顔になる。

「俺が行ったことのない場所なら、どこでも構わんぜ。大剣に関する情報が見つかるかもしれん」

 剣士の隻眼が金色になった。

「遥か東方に、我と同類の翼蛇がいる筈だが……」

 魔法使いが、へえ、と頷いた。

「そいつも信号なのか」

「そうだ。しばらく会っておらぬが、今頃どうしているやら」

「しばらくというのは」

 剣士が尋ねる。一人で二人分を話しているので、知らぬ者が見ればさぞ奇妙な遣り取りだろう。

「三千年ほどか」

 剣士と魔法使いは顔を見合わせた。

「どこにいるかは分かるんかよ」

「それはすぐに分かる」

 剣士が金色の瞳で虚空を見つめる。魔法使いは気付いていた。狼は、何か考えるときに決まって上空を見つめるのだ。まるで、空にいる何かと相談するように。

 一体、上に何があるのか。

「……今いるのは、この大陸の東先端か。南には飛竜もおるぞ。仲間はこの二頭だけだが」

「もう東に向かっていることだし」

 と剣士。

「私は、その翼の生えた蛇に会ってみたい」

「決まりだな」

 魔法使いが同意した。銀の妖精が宙へ羽ばたき、鮮やかな青を背景にくるりと一回転する。


 旅は、再び始まっていた。



〈了〉

最後までお読みいただきありがとうございました。

「園丁の王」よりもっと昔に書いた本作ですが、謎を提起したまま答えを回収していないので、続編を書く機会に恵まれれば良いなと思っております。

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