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一振りの剣にまつわる挿話  作者: 井出有紀
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26.


 カゼールの被害状況は、未だに把握できていなかった。生き残った住民が船を出して海峡向かいへ様子を見に行かせたところ、目と鼻の先に位置しているにも関わらず、アラクには雷も地震も全くなかったという報告を携えて戻ってきた。しかし多くのアラク民が、恐ろしく巨大な光の柱が轟音と共に神殿の建つ辺りへ打ち下ろされたのを見たと証言した。

 朱の甲冑をまとった炎の魔神が現れ殺戮を行ったことは、誰もが知っている。が、不思議な地震と雷についての解釈は三通りに別れた。どちらも魔神の仕業だという意見、片方が魔神の、片方が人々に加護を与える神々の鉄槌だという意見、そして両方が神々によるものだという意見である。後者二説を取れば、その神々のおわす神殿が破壊された理由を説明できない。

 ついに結論は出ずじまいだったが、ただ、ごく少数の者が魔神と戦う二人の男を目撃していた。目立つ風体の若者だったため、彼らがセルブの宿の客だということはあっという間に市内に知れ渡った。

 落雷の衝撃波か地震のためかは不明だが、中央広場から離れた運河沿いの商館通りも、とにかく軒並み倒壊の運命を免れなかった。

 この辺りの住民は他の市民よりも富に恵まれていたため、所有している船が無事であれば自分のもので、そうでなければ報酬を握らせて知り合いの船に乗せ、あるいは馬で隊列を組ませ、女子どもを海峡向かいのアラクや、その他市外に住む親類縁者の元へと避難させていた。

 彼らの礼に漏れずベネット・デイも、妻と子ども、老いた両親らを商船で送り出した口だった。カゼールの本宅の他に、彼は何軒もの別宅や貿易拠点を持っている。一時避難させる場所に不自由はない。しかし、デイ自身はカゼールを出る訳にはいかなかった。貿易商として己が被った損害額を見極めなければならないというのもあるが、彼には、それに加え参議会会員という政治的肩書きも付随している。これを放棄する気などさらさらない。カゼールは混乱に陥っている。ここで上手く市政に食い込んでおけば、新しい秩序を構築する過程で市行政における己の領域を広げられるに違いない。つまりデイは、人気が切れた後もなお裏からカゼールを牛耳ることができるような強固な立場を欲していた。名士と言われているものの、デイ家が政治に参入したのは彼の代になってからであり、しかも彼は、参議会会員の中では最も年若い。他九名の古狸とやり合うには、デイの地盤はやや心許ない。

 広い敷地内を、慌ただしく人々が行き交っている。市内に家族がいる者は自宅へ戻っているが、他所から単身働きに来ている部下や人夫も多い。そのような者たちは故郷へ帰らずカゼールに留まり、商品の状態を確認したり、商館や船着き場の補修に当たったりしている。

 白髪頭の長身が、びっしりと並ぶ天幕の間を通り抜け歩いて行く。これらは仮住居が出来るまでの、そのまた仮の住まいである。人が寝起きするだけでなく、無事だった商品や帳簿が山積みにされているものもあった。

 デイは痛む目頭を指先で押さえながら、一張りだけ少し離れた位置にある天幕の入口を潜った。

「よう」

 金髪の大柄な若者が、片手を挙げてデイを出迎える。重要書類の山に腰を降ろした男は、足も行儀悪く同じ場所へ乗せていた。サンダルを履いた片足が、変色しかかった紙の束を踏みつけている。

 無作法な青年を見ても、ベネット・デイは驚かなかった。

いかずち様ですな」

「そう」

「カゼールを救ってくださった」

 魔法使いは唇の端を歪めた。

「壊滅状態だぜ」

 デイが穏やかな顔に笑みを浮かべる。黒い目も同様に穏やかだが、決して笑ってはいなかった。

「飲み物でも持って来させたいところですが」

「なに、用さえ済めばすぐに帰る」

「私に出来ることならば、何でもさせていただきましょう」

 その言葉を聞いた若者はにんまりと笑った。

「さすがに話が分かるな」

 デイは椅子に座って足を組み、笑顔のままで先を促した。

「俺もこんな廃墟からさっさとおさらばしたいんだが、実のところ先立つものがない」

 魔法使いが提示した金額を聞くと、貿易商は意外そうな表情を隠しもしなかった。

「それは欲のない」

「セルブに宿賃払って(剣士がそうするべきだと強硬に主張した)カゼールを出てからしばらく食えりゃ、後は何とでもなる。やたら持ち歩いても重いだけだろうが。それにな」

 空色の両眼が、一瞬冷たい光を帯びた。

「他に欲しいもんがある」

「……何でしょう」

 デイはあくまで静かに尋ねる。ウォーギスが口を割ったことはとうに知っていた。目の前の若者が、デイの命を要求しても何らおかしくはない。

 しかし、答えは予想したものと大幅に異なっていた。

「身分証明書」

「……は?」

 明らかに気抜けしたと分かる声で、貿易商が聞き返す。魔法使いは肩を竦めた。

「何でもいい。はっきりと身元を保証するもんがあれば、どこへ潜り込むにも便利には違いねえだろ。市承認の奴がいいな。歴史の古いカゼールなら、かなり遠くまで行っても通用する」

「そうは言いましても」

 デイは束の間考えた。

「役所は現在機能していません。私の一存で即時発行できるものといえば、通商許可証ぐらいですが」

 嘘はついていない。魔法使いも、諸々の知識をセルブから仕入れてあるのでそれは分かる。

 言うまでもなくセルブの宿も全壊した。デイと同じく彼ら父娘も使えそうな物を引っ張り出しては天幕で寝起きしている。宿の営業を再開するまでに、かなりの時間と労力を要するだろう。

 無論、何も持ち出せなかった者も大勢いる。夏なので凍死する者はいないが、これから餓死者が続出するだろう。通りには腐乱しかかった死体がまだ道端に重ねられている状況である。伝染病の発生も避けられまい。魔法使いが早くカゼールを発ちたがっているのも道理である。

 頬に紋様のある青年は再び肩を竦めた。

「必要がありゃ、何とか化けるさ。後は船か」

 魔神の鉾槍に殴り飛ばされた際、彼の肋骨が二本ほど折れている。剣士が負った怪我も、彼と同様かそれよりも少し重い。何食わぬ顔で歩き回っているものの、馬での長旅は無理である。ナウシズは治癒魔術を施せるまでに、まだ自身が回復していない。他の癒し手はまだカゼールに戻っていないか、住民を癒すのに忙殺されているか、あるいは魔神に殺された。

「乗船するのはお二人ですか」

「それと馬が二頭」

「私の船はもうありませんが、明日、海峡向かいの友人がカンザ方面へ出港します。私の名を出せば、おそらく乗せてくれると思いますが」

「じゃ、とっとと用意しろ」

 魔法使いは書類の向こう側へ引っくり返った。

「それだけすぐに確保できたら、永久にてめえの前から消えてやるよ」

 デイは使用人を呼びつけ、幾らかの金を持って来させた。使用人は二度天幕に入ったが、帳簿の山の向こうで寝そべっている魔法使いには全く気付かなかった。使用人だけではない。魔法使いは誰にも見咎められずにここまで入り込んでいた。ぼろぼろになった黒衣の代わりに仕方なく着ているのは、カゼールではごくありふれた平服である。遠く後姿を目撃されても、それが黒衣の若者と結びつくことはまずない。

「おい」

 魔法使いは寝転んだまま話しかけた。

「森の民の女を抱いた感想はどうだった?」

「おっしゃる意味がよく分かりませんが」

 白髪頭は振り向きもしない。定められた様式に従って、二枚の書類をしたためている。

「とぼけんなよ」

 と魔法使い。

「あの女なら、ガキを庇ってもらう代わりに自分の躰ぐらい差し出す筈だ」

 デイの口から、微かに苦笑が漏れた。

「私は、無理強いはしませんでしたよ」

「人間以外の女なんて、そうそうお目にかかりゃしないもんな。そりゃ興味も湧くだろ」

 天井を眺める魔法使いの顔にも笑みが浮かぶ。

「で、どうだったんだよ」

「特に変わったところもない、普通のご婦人でしたな」

 船主への紹介状を書き終えると、デイは二枚の許可証に参議会会員の印を押した。

「これで如何です」

 魔法使いが起き上がる。穴が空くほど完成した書類を睨んでから、彼はインクが渇いているのを確かめ、くるくると筒状に丸めた。

「どうやら、俺たちを嵌めようとは考えてないようだ」

「まさか」

 デイが首を振る。

「そこまで私も愚かではありません」

 これで真相を知る者が消えるのであれば、安いものだと思っているのだろうか。

 どちらにしろ、と魔法使いはちらりと考える。

 許可証はすぐに無効にする腹だろう。伝達するにしても日数がかかるので直ちに効力が消えることはないだろうが、魔法使いと剣士を早くカゼールから切り離したいのだけは間違いない。船にしろ、船主はデイの友人だという。海上で鱶の餌にされないとも限らない。

「――」

 魔法使いは例のフレーズを呟く。

「何……」

 振り向いたデイが口を動かした。声は出ない。代わりに、ひゅうひゅうと空気の漏れる音がした。すぐに液体の泡立つ音に変化する。

 喉が切り裂かれていた。

 溢れる鮮血を止めようとでもしているのか、喉を両手で押さえたデイが跪く。が、指の間から流れ出る赤いものは止まらなかった。声帯を切られ悲鳴も上げられないデイを見下ろし、魔法使いは口を開いた。

「俺は雨とは違うんでな」

 いつの間にか指輪から抜け出した銀細工の少女が青年の肩に座って、怯えるでもなく、喉から血を流し続ける男を眺めている。何か喋ったが、デイには聞こえなかった。

「そういうこった」

 魔法使いが頷く。

「自分を殺そうとした奴を見逃すほど、俺は甘くねえ。しかも俺は奴のついでだったっていうじゃねえか。頭にもくるぜ」

 デイに向かって、

「おまえもどうせ、このまま済ませるつもりじゃなかったんだろ。こっちがちょいと上手だったってだけのことさ……それから」

 無言でのたうち回る貿易商の腹を、魔法使いは一発蹴り上げた。

「こいつは、その雨の分だ。野郎、あの女にイカれてんだよ。全く、あんな知ったかぶり年増のどこがいいんだか」

 言いたいだけ言ってしまうと、魔法使いはフレーズの続きを唱えた。白髪頭が完全に胴体から離れ、地面に転がる。

 彼は自分の衣服が返り血で汚れていないことを確かめてから、来たときと同じように、誰にも見られずに通りへ出た。クロミスがひとこと言ってから指輪へ戻る。

「ああ、そういや、そうだな」

 青年はのんびりと歩きながら金髪の中へ手を突っ込んだ。脇腹だけでなく、頭も痛い。雷神の放射するものにはない、陰湿な意図がそれには含まれている。非常事態が終わったので、杖も嫌がらせを再開していた。

「消えるのは俺じゃなくて、デイの方だった」

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