城塞都市『アイズ・ヘイブン』
それから二十分程で麻里は家に着いた。
親には適当な理由で、体育で転んだ時にお腹を痛めたと話したら早退を許してくれた。麻里は自分の部屋のベットに横になるが、制服にシワができるのは嫌なので立ち上がり脱ごうとする。今はこの制服ですら不快に思ってしまう。クラスメイト達との共通点が只々嫌で仕方なかったのだ。クローゼットから服を取ると、ラフな部屋着に着替える。薄着のTシャツとホットパンツだ。もう一度ベットに横になると仮想空間を認識する専用のゴーグルを装着し、枕の上に頭を乗せた。
「……ダイブ」
そう呟くと、その単語に反応した専用のゴーグルは『ピッ』と軽い起動音を鳴らし、視界は白に染まる。
ショートカット機能によりホーム画面を飛ばし、そのままオンラインゲームの『ナイト・オブ・バーバリアン・オンライン』にアクセスする。認証が終了し、キャラクターが表示された。もちろん表示されたのは凍死姫、それ以外は存在しない。他のキャラクターを作る余力も全て凍死姫に費やしたのだ。
彼女にとって凍死姫は自分自身。誇張ではなく、学校や日常生活で自分自身というのを曝け出していない変わりに、この『ナイト・オブ・バーバリアン・オンライン』では嘘偽り無く行動しているのだ。
その結果の『賞金首』世界順位一位であり。当然フレンドは一人も居ない。現実の碓氷麻里が凍死姫のように力強く、誰に対しても劣らない存在になる事を祈って、麻里は凍死姫を羨望の眼差しで眺めた。
髪の長さは自分と同じくらいに腰まで長く伸びている。違いは白髪であり、きめ細やかに整い妖艶さを放つ。瞳の色は浅葱色に染まっており、青空を彷彿とさせている。全身は白と金で鮮やかに色取られた布を着込み、しわなど一切見当たらない純白のマントを羽織っている。そして腕、腰、脚部には絢爛に輝く白銀のプレートを装備している事も踏まえれば、凍死姫という存在にどれだけの力を費やしているのかを充分に物語っていた。
そして首元には光を反射し、存在を強調するかのように眩い輝きを放つ金色のペンダント。これこそPVP十位以内のみが装備を許されたアイテム『グラウンド・ゼロ』彼女の努力の結晶であり、力の象徴だ。このペンダントはPVP十位以内の者達に運営から支給され、アイテムの名称は順位によって様々だ。
九位『クラウディ』八位『ダウンプーア』七位『ガスト』六位『フロースト』五位『フラッド』そして存在自体が震災とさえ呼ばれている者達、四位『アース・クウェイク』三位『サイクロン』二位『ボルキャニック・イラップション』そして一位の『エクリプスオフザムーン』だ。
ちなみに噂話によると十位以外の名称は何らかの気象現象や震災から命名されているのに対し、十位の名称だけ趣旨が異なっている。これは当時、凍死姫がPVP十位に決まった時にプレイヤーと運営から極めて危険な存在として畏怖の念を込められ『爆心地』という意味で命名されたのでは、などとまことしやかに囁かれている。
麻里は唯一のキャラクターである凍死姫を選択し、『ナイト・オブ・バーバリアン・オンライン』の世界へダイブする。視界が爽やかに広がる羽翼に抱かれるように次第に白へと変わってゆく。そして色が加わってくると共に親しみにも似た感覚が麻里を支配した。信号機のランプが青から赤に切り替わるように、麻里の精神も『わたし』から『あたし』に切り替わる。
現実という束縛はしばらく忘れてしまおう。ここは力が全ての世界、情欲と規律が陰鬱に引き合う大嫌いで大好きな世界。他の事はしばらく忘れて楽しもうじゃないか。麻里は思念を振り切るように眼前に広がる土煙が舞う白の廃墟を見渡した。辺りは砂塵が舞い、砂が地表の全てを覆っており、戦闘の痕跡か瓦礫が至る所に散乱していた。
昨日夜遅くまでPVPをしていた場所だ。腰に巻き付けたアイテムバックからマップを取り出すと、それを両手で広げる。
「予想通りなら都市付近か、あるいは負の森林エリアかな」
麻里は自分に問うように片方の眉を吊り上げると、深々と考えた。前者の理由はPKK専門のプレイヤーならばそれを雇うプレイヤーも居る。なので都市部付近で雇い主を募集している可能性。後者の理由は既に雇い主から依頼を受け、狩りに出かけているかもしれない。それならばPK専門に行動しているプレイヤーは負の森林エリアを好む。なぜならばあそこはプレイヤー探知スキルが一切使用できず、視界も悪い。それ幸いにとPKが頻発するのだ。
「まずは王都に向かって情報を収集するのが妥当だな」
麻里はマップをアイテムバックにしまうと、数個所持している場所移動の魔法が込められた魔法瓶を取り出す。この『ナイト・オブ・バーバリアン・オンライン』の世界では現実味を増す為に移動手段は基本的に徒歩か馬だ。高位の騎乗動物で代表的なのはグリフィン。しかし値は高く、なんと金貨二千五百枚。数人分の家が買えてしまう程だ。知性がある分飼いならすのも困難だが無事飼いならす事ができた時、達成感と共に新たな喜びを味わう事ができる。
グリフィンに騎乗し、この世界を上空から眺める事ができるのだ。実装された当初は感極まった高位職の魔法使いが上空から街にメテオを魔力が尽きるまで撃ち放ち、討伐される珍騒動もあった程だ。街に居る間、プレイヤーにダメージを与えるのは不可能だが、露骨な自慢が祟ったのか、討伐隊が編成されたのは六分にも満たなかった。
麻里は握った魔法瓶を眺める。騎乗動物を所持しない麻里にとっての移動手段はこれだけだ。しかしこの魔法瓶も実のところ値が高い。相場として一つ金貨百枚と安易な気持ちでは買えない代物なのだが、麻里にとっては関係ない。
なぜなら彼女の現在の財産は金貨五千枚、グリフィンが二匹買えてしまう程の財力を持っているからだ。理由は二つ、PKによる物資の奪取、売却、それと運営企画で開催された大会で見事優勝を飾り、報酬として金貨を二千枚頂いた事も要因の一つだ。異形とも思える程に麻里の強さは日増しに磨かれていき、気づいた頃には白の廃墟に通りかかるプレイヤーは居なくなる程の始末。
麻里はそれでもよかった。現実の自分は只の一人でしかない。しかし、この世界の自分は特別だ。自分を目視した相手は大抵恐怖で身体を固まるか、腰にかけた武器を抜き放つかで自分を凝視する。その首の懸賞金の額が上がるたびに麻里は自身の強さを実感してゆき、それと同調して伝説や話題も増えていった。もはやこの『ナイト・オブ・バーバリアン・オンライン』の世界で彼女を知らない人物を探す程、困難な事はない。世界的オンラインゲームで日本人の中で彼女以上に強いプレイヤーは居ないのだから。
麻里は目的の場所を念じると、握った魔法瓶を足下に叩き割る。破片と粉が当たりに飛散する中、光の粒子と共に魔方陣が瞬く間に麻里の足下に形を表した。地表がゆらりと歪むのを感じつつ視界も白に染まる。
徐々に白一色の視界に色が加わり始め、先程とは打って変わった景色が覆っている。麻里の背丈よりも遥かに高く、そびえ立つ山脈のような城門が姿を現した。場所移動の魔法が込められた魔法瓶は効果を発揮した様子だ。麻里は城門を潜り抜ける前に腰に巻き付けたアイテムバックから灰色のローブを取り出すと着込み、そして深くフードを被った。
都市に入るときには凍死姫はこのローブを必ず装備する。ローブ自体に魔法が込められており、外見変更の魔法を発揮し、プレイヤーから視認されても凍死姫だと気づかれないからだ。一度、うっかりローブを装備しないまま城門を潜ったときには、叫び声とともにすぐさまにプレイヤーに見つかり「も、もうこの都市は終わりだあぁぁ!!」などと叫ばれたものだ。
主都『アイズ・ヘイブン』は城塞都市としての名が高い。城壁内は兵士や騎士が利用できる駐屯地が六カ所に存在し、大型モンスターや攻城戦を想定された軍事系統が整っている。そして広大な敷地内には他にも各城壁内ごとに整われており、プレイヤーが移住など利用できるエリア『イエローエクリプス』は一番に利用者が多い街でもある。
常に活気が溢れ、白に塗装された城壁内は静けさを知らない。床に敷き詰められた石畳には人や馬が通った痕跡が傷として表われており、この世界が時折にゲームだと忘れてしまう事がある程にリアルを追求した完成度である。中央通りには屋台が隙間なく左右に広がっており、幾人ものプレイヤーが各々の目的の為に交渉を同じくプレイヤーである店主と繰り広げている。店頭に並べられている品は様々で、調理済みの食料や魔法が込められたクリスタルや瓶。フルートやタンボリンなどが売り出されてる露天商などで多種多様だ。
その街道を麻里は深く被ったフード付きのローブをなびかせて早々と石畳を踏み、歩く。商売に余念がない威勢の良い店主の呼び声が行く手を阻むように左右から聞こえるが、麻里は早歩きを緩めない。目的地は既に決まっている。余念のない足取りで三度目の中央通りを右に抜け、石段を下ると徐々に先程の活気に満ちた声は遠くなってゆく。人の通りが少ない全体的に陰に覆われたような場所に行き着いた。
先程の賑やかさが嘘のように人は余り居ない。ここは『アイズ・ヘイブン』の裏の顔、地下都市『ダンバ』の入り口なのだ。麻里はそのまま黒々とした深みのある陰に突き進む。進んだ先には赤黒い両扉に黒に同化した男が二人立ち塞いでいた。
「ここは一般人立ち入り禁止区域だ。通行書を出しな」
そう、『ダンバ』は一般プレイヤーは立ち入りが禁止されている犯罪者、賞金首などが利用する裏の街である。もちろん通行証を所持している麻里は無愛想にアイテムバックから取り出すと右手に一枚の紙を突き出す。
「おぉ、凍死姫様でしたか。フードを被っておりましたゆえ、ご無礼を失礼致しました」
「気にしてねぇよ。情報屋は居るか? 教えて欲しい情報が一つと、あとは予備の武器を買いに来た」
「情報屋はいつもの場所に居ます。凍死姫様のお持ちになられる大剣と同等の武器は現在売り出されてはいないと思いますが……」
男の一人が様子を伺うように返事をする。この門番二人が麻里に敬語を使う理由は一つ、絶大な力による存在だ。地下都市『ダンバ』は他の街などと違い、運営が造った街ではない。プレイヤー一人が作り、敷地を広げてきたギルドのような場所なのだ。
ギルドを現在回してる人数は六人。武器屋に防具屋、情報屋に宿屋と雑貨屋、そして全てを管理する最初にして創設者の統治者だ。
先程門番に突き出した通行証は自らの賞金首が載った紙にここ『ダンバ』の統治者の印鑑を押してもらう事で作る事ができる。これで身元が分かるという事だ。犯罪歴のない一般プレイヤーは賞金首にはならないので立ち入る事はできない。そしてこの街は賞金首が高い程に序列も高くなる。つまり現在、麻里がこの『ダンバ』の序列で最上位を飾っているのだ。本意であるかは別としてだが。
今回でさっそくストックが切れました……ここから戦闘などなど、執筆頑張ります。
ちなみに作者は名称を考えるのがとても苦手な人で、毎回苦悩します。