碓氷麻里は思う、現実はゲームほど優しくない。2
「もしかして……今日の体育でも思いましたけど、あまり体調が良くないんですか?」
佐々木は麻里を気遣うように聞いた。
「睡眠不足で、ちょっと辛いだけ」
麻里は素直に喋ると、はっとする。もしも返事でどうして睡眠不足なのかと聞かれてしまったら、ゲームを毎日深夜までやっていると言うしかないからだ。ゲーム好きと思われるのは構わない。けれどもクラスメイトに心配してもらったあげくに実はゲームをやってましたなんて言えるはずがなかった。
冷房の心地のいい風に全身を撫でられながらも表情は曇っていく。顔を顰めると、どう誤摩化そうか算段を組み立てる。しかし、幸いにも麻里の苦悩は入り口のドアが左に開けられる音と共に消え去った。
「あら? どうしたの」
年配の女性の声が聞こえた。声の方向に視線を移すと、保健の先生が戻って来たらしい。麻里は佐々木に悟られないように息を吐くと胸を撫で下ろした。
「先生、碓氷さんが体育の授業中に転んでしまって、不在の間に消毒と絆創膏をお借りしました」
佐々木は養護教諭に手短に内容を告げる。先程と打って変わって義務的な口調は麻里に話しかける可愛げな喋り方ではなく、真面目だ。
「碓氷さん。ちょっと足を見せてね」
養護教諭は麻里の右足の擦り傷の上に貼ってある絆創膏を観察すると、問題なしと思ったのだろう。佐々木に喋りかける。
「佐々木さん、百点よ。さすが保健委員ね。碓氷さんは捻挫もなさそうだし、体育に戻る? それとも念の為お休みしましょうか」
「先生、碓氷さんは普段から体調が悪いみたいです」
気を利かせてくれたのだろうか。佐々木は養護教諭に告げた。しかし麻里の心中はそれとは裏腹に穏やかではなかった。反って事実が一段と言えない状況になったと悟ると、嘘を貫き通す事に決める。
「体調がまだ良くないみたいなのでお休みします」
「分かったわ。そこのカーテンがかかっているベッドを使ってね。佐々木さんは体育の授業に戻りなさい」
若干の後ろめたさはあるが、こうなってしまったら寝てしまおう。麻里は迷いを振り切るとベットに横になる。
「はい、碓氷さんお大事にね」
そう言うと佐々木は引き戸のドアを左に開けると保健室を後にする。結局本当の事は言えずじまいだと麻里は後悔した。
麻里は保健室のベットで数回寝返りを打つと眠気がないと悟り、考え事に耽る。普段ならオンラインゲームのナイト・オブ・バーバリアン・オンラインの事で頭がいっぱいになるのだが今回は違った。本日二度も助けてくれたクラスメイト、佐々木の事を考えていたのだ。なぜ彼女に本当の事を言えなかったのかと。
麻里は怖かった。あんなにも優しくしてくれるクラスメイトが。いつか彼女の愛想がなくなり嫌われるのではないのかと。久しぶりのクラスメイトとの会話は本当に楽しかった。
しかし、その楽しさを裏打ちする消失感も感じていたのだ。佐々木が去った保健室はとても静まり返っており、冷房の機械音と養護教諭が音を立てる執筆の消音が聴こえる中、麻里は佐々木との会話を胸中で残り火のように繰り返し思い返していた。
気持ちを変える意味で今までの友人付き合いを振り返ってみると、後悔に顔は染まる。情けない思いが溢れそうになる。
なぜなら内気な性格や受け身な姿勢が今日まで悪影響になっていたが、一番の原因は自分自身が少しずつ人との関わり合いを減らしていったことなのだから。今こうして佐々木のことを考えている間も否定的な気持ちで満ちてくる。きっと今回もこれまでと同様に、嫌われる前に自分が嫌いになるだろう。まぶたが重くなるのと同調して結論は下へと徐々に重く下がってゆく。
友人関係というのは脆いもので、仲良くなっても些細な事で崩れ、無くなってしまう。そして一度壊れると綺麗に元に戻すこともできない。それならば、一人で毎日ファンタジーライフを楽しむのもありなのではないかと思ってしまうのだ。
自分は臆病なんだ。麻里は心にわだかまってくる重く激しい物憂いを感じた。自分自身が分からない。何をどうしたら良いのかさえ分からないのだ。弱い自分を納得させようと言い訳を膨らませ、そこに隠れようとする。
人は簡単に裏切る。裏切られたら悲しみ、痛みを感じる……痛みは痛覚であり、人は痛みから逃げようとする。それは本能であって仕方ないことだ。だから私は悪くない……悪くないんだ。自分でも笑ってしまうほど強引で独りよがりな言い訳を頭の中に充満させ、逃避行をする……そんな自分自身すらも客観的に見ている自分が大嫌いで仕方なかった。麻里の身体は自然とベットから起き上がった。
「あら、どうしたの? 碓氷さん」
「先生、具合が酷くなったので早退します」
ここから皆さんお待ちかねのVRMMOの開幕です。