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碓氷麻里は思う、現実はゲームほど優しくない。1

 猛暑という通過儀礼を受けた麻里は一汗かいた後、学校に着き自分のクラスの自席である窓側で一番うしろの席に座るなり机にうつ伏せになる。これが彼女の学校での通常姿勢であり、防御体制を高め、気配を限りなく低くした姿勢。そう……麻里は孤立していた。


 入学当初、多少は話はできていたが、内気な性格と受け身な姿勢が合わさり、蝋燭が火に少しずつ溶けていき小さくなっていくように、話しかける生徒は次第に数が減り、今は居ない。

これぞ今で言う学園カースト制度。最底辺とは何とも居心地が悪いんだか。麻里はそう考えると周りを見渡す。教室には三十人程の生徒が賑やかに談笑をしていて、勉強、部活、趣味などで話に花を咲かせている。


「……どいつもこいつも眩しいよ」


 静かな声で呟くと、麻里は両腕を囲むと影を作り、その影の中に顔を潜らせ、そして妄想をした。

妄想の中の麻里はファンタジー世界を自由に冒険し、ゲームと同じエルフで身の丈以上の大剣を振り回し、十二対一でも果敢と攻め込む。PVPランキング十位の凍死姫だった。最近はPK(プレイヤーキル)を過剰にやり過ぎて賞金首になってしまったのだが、賞金首になってしまったのは問題ではない。


 問題は賞金額が世界順位一位になってしまった事だ……ここ最近、昨日もだが討伐隊に狙われた。もはや他のプレイヤーにとっては凍死姫とエリアボスモンスターに違いはないのだろう。


 授業は三時間目。外の雲一つない青空がよく見える窓側の一番うしろの席で、国語の授業が始まってもノートにシャーペンの芯が触れる事はなかった。真っ白空白に染まったノートなど眼中になく、ファンタジーの妄想に考え耽っていたのだ。特に勉強に意欲もなく、友達というような存在も居ない彼女にとって学校というのは、養ってくれている親への最低限の礼で、それ以上はやる気も出ないのでただの妄想をする場でしかなかった。


 ただ、高校生の女の子が授業中にろくにノートも取らないのは学力的にこれから先の日本の未来がとても穏やかではないという事を告げているが、一人くらい不真面目でも社会とはとても大きい歯車だ。なんら不備は出ないだろう。


 というような何の役にも立たない事を麻里は考えていると、生徒と教師が国語という呪文でも唱え合っているかのような時間が終わり、一時間のお昼休みが始まる。お昼休みとは生徒にとってはとても幸福な時間だ。だがそれは真面目に授業を受けている生徒に限られた話であり、麻里みたいに常時休憩時間のような存在には有り難みなんてごく僅かであり、すずめの涙程度にしか感じられない。



 麻里は朝、学校に向かう途中にあるコンビニで買った菓子パンを左手に、右手には携帯を握り昨日も徹夜していたVRMMOの情報サイトを閲覧していると、自分の席の隣に座っている男子生徒とその友達の会話が聞こえた。


「昨日ナイト・オブ・バーバリアン・オンラインでPKKプレイヤーキラーキラー専門でプレイしている人と戦ったんだけどさ。なんかそいつチート使ってるんじゃないかってくらい強かったんだよね」


 胸が跳ね上がる。麻里は驚いた。プレイしているゲームの話をこんなにも身近に聞く事を、そしてクラスメイトもきっと年齢規制を何らかで誤摩化しているという事を。


「お前が弱かったんじゃなくて?」


 クラスメイトの男子は笑いながらバッサリと切り捨てるように言う。麻里は話の内容が気になるので聞き耳を立てた。


「いや、本当に強くてさ。攻撃しても当たらないし、その癖相手の攻撃はガードを貫通すんだよ」


 クラスメイトの男子の友人は弁解をするかのように、大げさに手をバタつかせると説明した。しかしそんな大素振りよりも麻里の意識は集中していた。それは彼女も知らないスキルだったからだ。


「なにそれ? チートじゃないの」

「だよな。でも今時チートなんて使ったら半日もしないうちにアカウント自体BAN(禁止)されるのにな」


「もしかしたら珍しいスキルか何かかな。外見は? やっぱり全身レジェンド装備とか、かなりお金つぎ込んでる感じだったの?」

「見た感じ地味というか、全身黒い布で被われててあんまり目立つ感じではなかったな」


「なら特殊能力特化系の防具の線もあるね。外見を見られると何の能力特化かバレたくない奴は、大方そういうような対処をするから」

「確かにその線あるね。そういえばそのプレイヤー、骸骨のマスクをしてたな。眼の辺りが妙に紅く発光してたのは覚えてる」


 聞き耳を立てていた麻里は自分の口元が少し吊り上った事に気がついた。

中々面白そうじゃねぇか。『わたし』でも知らないスキルとは随分と興味が湧く、それにPKK専門でプレイしているプレイヤー、賞金首のわたしにとってはいつか必ず戦う相手。ならば早いうちに潰してしまおう。麻里は拳を強く握ると決意した。


 しかし、決意とは裏腹に自分が聞き耳を立てているうちにクラスメイトの男子に少しずつ近づいており、目の前まで距離を詰めていた事に一切気づかなかった。当然、男子生徒は目の前で口元を吊り上げた表情で拳を強く握りしめた女子生徒に困惑しており、恐々と話しかける。


「えと、なんか悪いことした?」


 麻里は男子生徒に話しかけられた事と、自分を中心にして教室内の視線が集まっている事に気がつくと、一瞬にして沸騰したヤカンのように顔は赤色に染まる。そして早々と教室を後にした。



 時間とは本当に早いもので、聞き耳を立てた後、麻里は今だ頬は紅潮しているが普段の落ち着きを取り戻していた。携帯を少しばかりいじっていると時間調整をされたのではないかと疑う程に、瞬く間にお昼休みは終わり、次の授業――体育が始まる。


 麻里は内面の嫌気とともに心中穏やかではなかった。体育が苦手なのだ。食後すぐに運動なんて人道的に反している。もう後一時間休みがあってもいいんじゃないか、首相。などと麻里の不満は首相にまで転換していた。


「次の授業、体育ですよ。碓氷さん」


 そんな無茶苦茶な責任転換もとい、愚痴を内心でこぼしていた麻里には久方振りの女子からの言葉は心底驚いた。セミロングに黒髪よりも少しばかり明るい茶髪のその顔はとても整っており美形だ。男子はこういった子を好きになるんだろうなと漠然と考えていると、返事をしていない事に気がつく。


「……あっ、ありがとう」


 麻里は顔を俯かせながら返事をする。女が女の顔に心を奪われるなんて、と。その素振りは見事なまでの人見知りで『ナイト・オブ・バーバリアン・オンライン』の凍死姫とは対比にならない程だった。


「女子更衣室に早く行かないと体育遅れちゃいます。行きましょう」

「……うん」


 麻里は思う。なんとも自分自身裏表が激しいなと。けれども下手に素で会話をして不快感に感じられるのも嫌なので、極力喋らない無口キャラを演じねばと。


 そして更衣室で体育着に着替えを済ませた麻里は併せて意気沮喪する。原因はグラウンドの熱度。太陽がこんがりと熱したアスファルトと多目的用に加工を施されたグラウンドの上で準備運動をする麻里は、寝不足も含め身体がダルく、その上に加えて猛暑のおかげで湯気が立たんばかりに汗まみれで、にじみ出た汗が胸元を濡らすのが気持ち悪いと不満げな顔をする。


 それから汗を五分ほど垂れ流した後、ようやく今日のメイン種目、マラソンというこれまた苦行が始まった。もはや麻里の気分は低空飛行。そして炎天のもと、かれこれ六分くらいが経過した頃合いから体力の限界を感じていた。しかし無情にもあと一周残っている。


仮にこれが『ナイト・オブ・バーバリアン・オンライン』ならば凍死姫はレベルカンストキャラで、スピードにスキルポイントを振れるだけ振った後、スキルによって能力向上しているキャラクターなので一瞬だろうなと不服に思う。そんな能天気な事を考えてしまったばっかりに、彼女は自分の左足を自らの進行を妨げるように右足の上に思い切りに踏み込んでしまった。


 結果、麻里は奇天烈にエクセントリックな動きをした後、転んだ。気分は低空飛行ではなく墜落だ。


「熱っ……痛い」


 多目的用に加工を施されたグラウンドだが、長い間太陽が照らした分もあり、熱さで焦げたベーコンの一丁あがりである。そこに前を走っていたクラスメイトの女の子が駆け寄り、話しかけてくる。


「大丈夫ですか?」

「……あ、ありがとう」


 返事をする際に顔を見上げると、先程体育を知らせてくれたクラスメイトの女子と気づく。


「立てますか?」


 麻里は不安に顔を曇らせるクラスメイトの女子に心配させないよう、すぐさま立ち上がると返事をする。


「……見た目以上に頑丈だから、大丈夫。」


 麻里は眉を顰める、少しばかり右足に痛みを感じたのだ。どうやら膝を擦りむいている。しかしそんな事よりも他の人からのヘイト……いや注目がとても恥ずかしかった。


「おーい、碓氷。怪我はないか?」


 担任の教師が小走りで様子を見に来る。走るたびに右左とズボンのベルトに食い込んだ下腹部のたるんだ脂肪が踊るのを見た麻里は思う。至極、担任の教師も走るべきだと。


「すいません。少し擦り傷があるくらいです」

「念の為に保健の先生に診てもらうか」

「先生、わたし付き添いで行きます」


 そこに前方を走っていた先程のクラスメイトの生徒が言う。


「そうだな。すまないが佐々木、頼んだ。碓氷を保健室まで連れて行ってくれ」


 クラスメイトの生徒、佐々木は教師に愛想良く返事をする。


「はい、分かりました」


 麻里は自分の不注意で他人に迷惑をかけた事に顔を曇らせると申し訳ない気持ちで言う。


「ごめんなさい、佐々木さん」

「いえ、お気になさらないでください。わたし、保健委員なんですよ」


 そう言うと佐々木はくすりと笑った。


 傷口を水で洗った後、麻里は佐々木と共に保健室に着くと引き戸のドアを左に開ける。清潔感のある室内は薬品や消毒液の匂いが鼻先を漂っていく。備品や薬品などは丁寧に整理されたうえ棚にしまわれていた。カーテンの白は冷房のひんやりとした風に吹かれて波を打ち、心地のいい微風が肌を撫でる。この空間はまさに楽園と麻里は思った。


「保健の先生居ないみたいですね」


 辺りを見渡した佐々木は腕を組むと困り顔で言う。どうやら間が良くなかったか、保健の先生は不在らしい。


「このまま待つのもあれなので、自分たちで消毒しましょうか。碓氷さん、先生の机に椅子が二脚あるので座ってもらってもいいですか」


 麻里は佐々木に促されるままに養護教諭の机下にある丸椅子に座る。


「ちょっと痛いですけど我慢してくださいね」


 そう言うと佐々木はきれいな歯並びを見せてにっこりと笑う。消毒液をガーゼにつけると傷口に優しく触れる。ほのかに清潔綿が赤に染まると用意していた絆創膏を傷口にそっと貼る。麻里は消毒液の痛みよりも僅かな時間に終わらせる佐々木に感服した。麻里自身はそのまま絆創膏を貼って終わりでも良いと思っていたからだ。


「ありがとう。佐々木さん」

「先生を待っている間、少しお喋りでもしましょうか」


 佐々木は近くにある椅子に座ると、麻里をとても興味津々に見つめる。その瞳は好奇心に満ちた輝きを放っているかのように眩しい。視線に困った麻里は佐々木の瞳のやや下に視線を落とすと、何を話そうか思考する。


 麻里の趣味を端的に言うとするならば主にゲームだ。休日はより一層に偏りを見せる。朝に目を覚ますと寝間着の状態でパソコンの電源ボタンに触れ、起動を待つ間に洗面所に向かうと顔を洗い、歯を磨く。髪をとかす日もあれば、とかさない日もある。朝食はとても質素だ。トーストを二枚お皿にのせると少量のバターを空いているところに付け足す。これで完成。小食の麻里ではこれでも食べきれない時もある。


トーストののったお皿を自分の部屋に持っていくとパソコンは既に起動しており、いつでもネットという波を泳げる状態になっている。ここまでで三分、何日も何年も同じように繰り返して行くと自然と身動きは研ぎすまされていき、無駄はなくなった。もっとも、朝に起きてパソコンをするのを無駄と定義してしまったら、徒労になってしまうのだが。つまりゲームというジャンル以外の話は麻里には荷が重い。


 氷柱のように強張った表情の麻里はより一層に思考の渦に吸い込まれいく。ゲーム以外で好きな事、一番ではなく、二番三番で好きな事を考えていくと微かな光として答えが見えてきた。元々はゲームが好きではなく、ファンタジー小説が好きだった。その世界で活躍する主人公達や見たことのない街や森、煌びやかな宝石や武具、あの世界がとても好きで憧れていき、いつしかゲームにのめり込んでいったのだ。導き出した答えを嬉々と共に話す。


「小説が好きかな……ファンタジーのジャンルは昔よく読んでた」


 佐々木は相槌を入れると聞く。


「わたしも小説は好きでよく読むんだけど、おすすめの本はあるかな? あると本当に助かるよ」


 語尾の発音が少しばかり上がる佐々木の口調はどこか可愛さを秘めていて、今時の女子高生は口調までもが女子高生として成し得ているのかと、同じ分類に含まれる麻里は舌を巻いた。女子高生としてあるまじき果敢ない日々を貪ってきた麻里はただただ久方振りのクラスメイトとのおしゃべりに両者の差を漠然と感じたのだ。


「それなら騎士と僧侶の新世界ってタイトルの、ライトノベルがあって、タイトルで内容分かるんだけど、騎士と僧侶が旅をすりゅっ話が」


 舌を噛んだ。麻里は差がまたしても広がったな、と悟ると口が重くなる。そこに佐々木が何事もなかったかのように相槌をはさんで言う。


「うん、その小説がおすすめなんだね。今度本屋さんで探してみる。ありがとう碓氷さん」


 曇りのない青空を彷彿とさせる表情で感謝する佐々木にかえって困惑した麻里は聞く。


「佐々木さんは普段……何してるの? 趣味とか」

「うーん、本や雑誌を読んだり音楽を聴いたりかな」

「雑誌は何を読むの?」


 雑誌というと『ナイト・オブ・バーバリアン・オンライン』の記事が含まれたゲーム攻略本くらいしか読まない麻里は素直に疑問に思うと聞いた。


「今なら、夏向けの洋服や、アクセサリーとかが載っているファッション誌かな」


 女子力。女子力である。麻里は佐々木に女子力という武器で殴打されたような感覚に一瞬だが陥った。麻里になく、佐々木にあるもの。両者の差を広げていたのは女子力という魔物だったのだ。麻里は落胆する。なぜならば、この魔物は聖水や魔法、剣やバリスタでは倒せない存在だからだ。倒すのは無理、倒すのではなく吸収する。毒を盛って毒を制すると先人が語ったように、自らも女子力を纏い、他人が提示する女子力と戦わなければ敗北は必死なのだ。


「碓氷さんって普段静かだから意外ですね。違う印象を持ってました」


 佐々木は穏やかな声音で言うと麻里を見つめる。


「違う印象?」

「いつも一人で机で静かに考え事に耽ってますよね。だからクールな人なのかなって」


 麻里が返事に困っていると沈黙を答えと受け取ったのか、佐々木は申し訳なさそうに口を開く。


「もしかして……今日の体育でも思いましたけど、あまり体調が良くないんですか?」

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