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天空寒気団

作者: 回天 要人

 苦笑しか浮かばない。そう言って青の少女は笑う。嫌われ者の少年は、青の少女に笑われる度、身を竦めて怯えるのだが、彼は青の少女が好きだった。どんなに貶されても、少年は青の少女を追い求め続けた。

「まーじで…、アンタって奴はさぁ…。」

 青の少女の乾いた笑いが空を飛ぶ。太陽は白い大地を照らしていた。そこはとにかく寒くて寒くて、誰も近づけない場所だった。ここに居られるのはただの二人だけ。嫌われ者の少年と、青の少女だ。

 少女は縋るような悲しい目をする少年を見た。誰からも嫌われて、嫌われ続けている少年を見た。悲しい顔をされると、自分が彼を苛めてしまったのではないかと、妙な気分に襲われるのだが、青の少女に、少年を苛めた記憶は無かった。二人はただ、誰も居ない白い大地で、太陽に照らされながら他愛も無い話をするだけだ。好きなものや嫌いなものの話に始まり、どうして少年は無口なのか、どうしてこの白い大地には、二人の他誰も居ないのか…時には深い話もする。何度話しかけても、少年は一言二言返事を返すか、頷きを返すだけで、話が弾むことはない。それでも青の少女は、嫌われ者の少年を見捨てるわけにはいかなかった。それは少年が、密かに青の少女を好いていることを知っている為でもあるのだが、彼女が少年を見捨てれば、世界中から悲鳴が上がると知っていた為でもある。

 青の少女は半分義務的な気持ちで、嫌われ者の少年と対話し続けた。寡黙な少年が声を発することはほとんど皆無だったが、互いの他には誰も居ない地だ。彼と話すしか術が無い。

「たまにはさ、わたしの気を惹くような、いい感じの話はできないわけ?。」

 青の少女はいつものように苦笑した後、嫌われ者の少年の、悲しそうな目を見て言った。少年は少女の言葉を受けて少しだけ唇を開いたが、何も言葉を発しないうちに、また口を閉じた。寒さに負けないように、首の周りにグルグル巻いた灰色のマフラーを、少年は真っ赤になった冷たい手で巻きなおす。黒のコートのチャックも、直す必要は無いのだが、沈黙に耐えかねたのか、何度も上げ下げを繰り返す。そのうちに直すものが無くなって、少年は白い大地にただへたり込むように座っていた。その様を眺めていた少女は、再び苦笑する。

「話題は無いわけ?わ・だ・い。いつも、わたしが話してばっかりじゃない。」

 少年は空を見上げた。そこには青い青い空が、延々と続いていた。空に浮かんでいるのは、唯一つある太陽だけだった。

 青の少女は、青い髪を風になびかせる。少女は黄色のマフラーを、口元が覆われるくらいに引き上げて、白い息を吐いた。少年の悲しそうな瞳が、ずっと空を見上げているので、少女も彼に倣って、空を見上げることにした。少女が首を上に向けると、マフラーの隙間から、冷たい空気が入り込んだ。少女はコートの襟元と、マフラーの境目を握り締め、少しでも冷たい空気の侵入を防いだ。

「………てつの、」

 二人はしばらく空を見上げていた。沈黙が流れ、このまま話題もないまま時が過ぎるのだと思われたが、珍しいことに、少年が沈黙を破って声を出した。掠れていて、酷く聞き取りにくい声だったが、二人のほか誰も居ない白い大地だ。青の少女の耳へ、確実に届いた。

 少女は声に気がついて、首を少年の方へ向けた。少年の瞳は相変わらず空を見上げていた。少年の白い髪の毛が重力に従って流れ落ち、額が露出している。少年の額は白く、傷一つ無い。太陽に照らされ、加減によってはキラリと光った。白い髪と同じく白い眉毛と、涙がこぼれそうな黒目がちの瞳が見える。少女は少年の横顔に、ドキリとした。

「…てつのかたまりが、空をとんでいたんだ。」

 少年はそう告げると、見上げることをやめて、少女の方を向いた。悲しそうな少年の瞳は、少女の青い瞳を射抜いた。少女は青い瞳で、じっと少年を見つめ返す。しばらくして、頬に血が集まるのを感じ、少女は黄色のマフラーを頬の位置まで引き上げた。

「ひとがたくさん、居た…この世界に、ぼくと君以外の、だれかが居たんだ。」

「わたしとアンタ以外の、誰か……?」

 少女は少年の両肩に自分の手を置いて、少年の身体を前後に揺らす。少年は一瞬迷惑そうな顔をしたが、真っ赤になった手で、少女の腕を押さえただけで、彼女の手を振り払う素振りは見せなかった。

「どうしてそれを早く言わないわけ!?アンタとわたし以外の誰かが居たなんて、ビッグニュースじゃない!」

 少年の口は再び貝になったようで、詰め寄る少女に困った顔をするだけだった。

「何べんも何べんも、話したよね!?ここはどこなんだろう、なんで、わたしとアンタは二人だけなんだろうって。そのなぞが、解けるかもしれないじゃない!」

 少女はだんまり続ける少年の、鼻先に顔を近づけた。睫毛同士がくっつきそうな距離だ。少年の白い頬にも、少女の薄桃色の頬にも赤みが差す。間近で見た少年の瞳は、涙が零れ落ちそうだった。

「それで、どうなったわけ?鉄の塊は。」

 少女は少年に問う。少年は真っ赤な指で、白い大地を示した。

「……どういうこと?地下に潜り込んだの?」

 少年は顎を引いて頷こうとした。けれど少女との距離があまりに近いので、このまま頷けば彼の額が少女の額にぶつかると思い、

「…うん。」

 小さく、そう、返事をした。

 少女は眉を寄せて難しい顔をした。唇を尖がらせて、鼻の頭に皺を寄せて。少年はそれでも尚少女の顔は美しいと思ったが、口には出さなかった。

「どういうこと?地下には人が住んでるってこと?」

 少女はマフラーと同じ色の、同じ素材の黄色い手袋に覆われた手で、白い大地を撫でた。少年は、少女が自分の鼻先から顔を逸らしたので、ホッと息を吐いた。

「ねぇ、掘ってみようか。」

 少女は少年の返事も待たずに、黄色い手袋に覆われた手で、白い大地を掘り始めた。けれども、少女の手は空を掻くばかりで、白い大地を掘ることが出来ない。

「冷たい…地面って、冷たいんだ。」

 少女は自分の手のひらを見つめた。黄色い手袋が、水滴で濡れていた。手袋についた水滴は、布の網目を通って少女の指を濡らした。冷たい空気がサァっと流れ、少女の指は一瞬で凍えたように冷たくなった。手袋の上から、両手を刷り合わせる少女を、少年はじっと見つめていた。

「何ぼーっとしてんのよ!アンタも掘りなさいよ!」

 少女はそう言って、濡れた手袋で白い大地を再び掘り始めた。と言っても、白い大地はすぐそこにあるくせに、掴むことが出来ない。少女はそれでも、がむしゃらに手を動かし続けた。

 少年は少女に倣って、白い大地に手を触れた。真っ赤になった指が濡れ、水滴が滴った。

「…アンタ、前から思ってたけど、手袋もなしで寒くないわけ?真っ赤じゃない、手。」

 少年は無言で濡れた手をコートで拭った。口元に両手をあて、白い息を吹きかけて、寒さをしのぐ。言葉を発しはしないが、やはり少年も寒いのだろう。少女はまた苦笑して、自分の左手の手袋を外そうとする。

「片方、貸してあげるわ。」

 そういって、少女は黄色い手袋を手から外した。すると、手袋から覗いた少女の手が、黄金色に輝いた。まばゆい光は白い大地と少年と、少女を照らした。

「なにこれ……!?」

 少女は光に目をやられ、周りの状況がわからなかった。

「ダメだ……!!」

 急に、少年の叫び声が聞こえた。普段発する掠れたような声ではなく、はっきりとした力強い声だ。少年は、少女の左手を真っ赤な両手で押さえ込んだ。ジュウっと何かが焼けるような音がして、少年が悲鳴を上げた。

「てぶくろを外しちゃだめだよ…!」

 少女は光の中で薄目を開いた。目蓋の裏が赤く見え、赤と赤の隙間から光が見えた。光の向こうには、かろうじて少年の黒いコートが見えた。

「どういうこと!?」

 少女は叫んだ。自分の手を押さえている、少年の手の平の感覚がだんだんと弱まっていた。

「君がぼくに触れたら、ぼくは消えてしまう…!」

 手の平の感覚が薄れると同時に、少年の力強い声がどんどん掠れていく。

「それって、どういうこと!?どうしてそんなこと知ってるの!?アンタはわたしの知らない何を知ってるの!?」

 光に照らされた部分が、熱を帯びていた。冷たいはずの少年の手の平の感覚は、もうすっかり無くなっていた。少女は今の状況が、とても恐ろしい気がして、叫び続けた。力いっぱい叫べば、元通りに戻るのではないかと思った。けれど、光はどんどん強さを増して、少年の声は、とうとう老人の声のようにしわがれた。

「ぼくが消えたら、全部わかるよ。ここがどこなのか、君は誰なのか。」

 少年の声は、それきり聞こえなくなった。少女は空を掻き分けて、少年の身体を探した。すぐ側に居たはずなのに、どこを掻いても、少年の身体に手がぶつからない。

「待って!おいていかないで!」

 少年が居なくなれば、この世界にわたしは一人になってしまう…!

 青の少女は泣き叫んだ。白い大地に蹲って、わんわん泣いた。やがて、光輝く左手をマフラーで覆ってしまえば、光は見えなくなるのだと気がついた。少女は慌てて上体を起こし、マフラーを左手に巻きつけた。

 光の消えた周囲は、様変わりしていた。白い大地は姿を消し、青ばかりが広がっていた。少年の姿は、どこにも無かった。

「ねぇ!どこに行ったの!?」

 冷たい空気が、少女の青い髪をさらう。白い大地を失っても、少女はそこに居続けた。青が広がる空間に、ふわふわと浮いていたのだ。いつの間にか乾いた右手の手袋とは反対に、少女の青い瞳には涙が浮いていた。

 風が、少女の涙を撫でていく。乾いた空気に無音の世界が広がっていた。

「どこに行ったの!?」

 声はすうっと、青の空間に溶けていく。太陽だけが、少女を照らす。まぶしさに顔をしかめ、視線を落とすと、青い空の下に青い海と緑の大地が広がっていた。

「………。」

 大地に目を凝らすと、人が動いているのがわかった。建物を建て、道路をつくり、レールを敷いていた。船を浮かべ、人を乗せ、遠くへ運んでいる。ゆっくりと、ゆっくりと、人々は息をする。目まぐるしく動く乗り物に眩暈を覚えつつ、建物や車が吐き出す黒い煙に顔をしかめる。白い大地はあんなに綺麗だったのに、地下世界は酷く汚れている。

「白い、大地…。」

 そして、地下世界には雨が降っていた。水滴が全てのものを濡らして、人々は空を見上げながら、顔をしかめている。傘で覆った頭上に太陽が浮かぶことを願い、雨には憂鬱を覚えている。

 嫌われ者の少年が、なぜ嫌われ者なのか、少女には理解できなかった。彼はいつでも無口でつまらなくて、悲しそうな顔をしていたけれど、唯一わたしと話してくれた。誰も居ない青の世界で、一緒に過ごしてくれた。

 彼だけが、わたしに近づいてくれた。灼熱と冷気が入り混じる世界に、一人で近づいてくれたのに。

青の少女は、いつまでも泣き続けた。




 嫌われ者の少年は、少女の涙にほくそ笑む。

 彼はやっと、彼女の心を手に入れた。

 白い大地で彼女を閉じ込め、世界には二人だけ。

 世界中の誰からも嫌われて、けれど、代わりに、青の少女を手に入れた。


 少年は再び、少女の元へ帰るだろう。白い大地に乗って、彼女を独占するだろう。

 大地にへばりつく人間たちよ、お前たちは永遠に、

「青の少女を手にはできない…」

 暗い暗い海の底で、少年は微笑んだ。

 唯一つ、鉄の塊が彼女に近づくことだけが気がかりだった。

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