第46話 班長は一人で決めない
班長という言葉には、妙な重さがある。
班の長。
つまり、班の先頭に立ち、判断し、指示し、責任を負う者。
魔王城で育った私にとって、「長」とは軽い言葉ではない。
小隊長。
部隊長。
城門守備隊長。
遠征軍団長。
それぞれの長には権限があり、責任があり、時に部下の命を左右する判断がある。
だから、長は迷ってはいけない。
部下の前で不安を見せてはいけない。
必要な時は、誰より早く決めなければならない。
そう教わってきた。
だが、勇者学校では少し違うらしい。
「今日の訓練は、班長交代制で行う」
朝の演習場で、グレイン先生がそう言った時、私は少しだけ嫌な予感がした。
班長交代制。
つまり、固定の班長がずっと指示するのではなく、状況に応じて班長役を交代するということだろう。
非常に重要な訓練である。
同時に、非常に不安である。
班長役を交代するということは、私がすべての判断を握らないということだ。
昨日、待つ力を学んだばかりである。
今日はさらに、決める役そのものを渡すらしい。
勇者学校の教師は、生徒の弱点を見つけると容赦なく次の課題を出してくる。
敵教育機関として優秀すぎる。
「ディア」
グレイン先生が私を見る。
「はい」
「今日はお前だけが班長をやるな」
「承知しました」
「顔が承知していない」
「……承知する努力をしています」
「ならよし」
よいのだろうか。
隣でアレンが小さく笑った。
「早速顔で読まれてるな」
「顔面管理は継続課題です」
「たぶん一生課題だな」
「不吉なことを言わないでください」
ティナが明るく手を挙げる。
「先生、班長って途中で交代するんですか?」
「そうだ。前衛判断が必要な時は前衛が主導しろ。後衛の射線判断が必要な時は後衛が主導しろ。撤退路なら撤退補助、負傷者対応なら支援役や搬送役だ」
先生は全員を見渡した。
「班長とは、常に一人の名札ではない。状況によって、最も見えている者が判断を出すべき時がある」
最も見えている者。
私はアレンを見た。
彼は気づいて、少し眉をひそめる。
「何だよ」
「あなたが班長になる可能性があります」
「やめろ」
「状況によります」
「やめろ」
返事が二回だった。
だが、今日ばかりは見逃す。
ポルカが震えながら手を挙げた。
「あの、先生。撤退路しか見えていない人間が班長になった場合、全員で逃げることになりませんか……?」
「お前が撤退路しか見ていないならそうなる。だが、お前が撤退路を見ている間、他の者は敵や負傷者を見る。班長役になったからといって、一人で全部見るな」
「一人で全部見なくていい班長……!」
ポルカが衝撃を受けた顔をした。
私も少し受けた。
一人で全部見なくていい班長。
それは、私にとっても新しい言葉だった。
グレイン先生は続ける。
「今日の目的は、指示権を渡す練習だ。自分が見えていないものは、見えている者に任せろ。任された者は、遠慮するな」
指示権を渡す。
重い。
だが、必要。
私は胸の奥でそう確認した。
今日の班は、第一班の六人。
ルシェラ・ディア。
アレン・フォルク。
ティナ・マール。
クロード・レインハルト。
ミナ・オルステッド。
ポルカ・リント。
久しぶりに、いつもの六人での訓練である。
ただし、今日は私が最初から班長ではない。
グレイン先生が状況ごとに札を出すらしい。
赤札は前衛主導。
青札は後衛主導。
緑札は支援主導。
黄札は撤退補助主導。
白札は観察役主導。
黒札は班全体で判断。
色で指示権が変わる。
非常に分かりやすい。
同時に、非常に心臓に悪い。
「最初は赤札」
先生が札を掲げる。
前衛主導。
つまり、クロード。
クロードは木剣を握り直した。
「僕が先導する。ディア、全体補助。ミナ、射線を確保。フォルク、側面確認。ティナ、支援位置。リント、退路」
迷いが少ない。
さすがクロードである。
以前なら命令口調が強すぎたかもしれないが、今は役割を簡潔に渡している。
「承知しました」
私は答えた。
自分が指示を受ける側になる。
少し不思議だ。
だが、悪くない。
開始の合図。
前方に上級生二人。
クロードが正面へ出る。
無理に押さず、相手の動きを見る。
「一人は速い。一人は重い。速い方をミナに止めてもらう。僕は重い方を受ける」
「射線取れる」
ミナが短く答える。
「ミナ、合図で」
「今」
矢が飛ぶ。
速い方の上級生が一拍止まる。
クロードが重い方を受け、半歩下がる。
私は支援魔法を出しそうになったが、止めた。
今はクロード主導。
彼の判断を待つ。
「ディア、足元補助。押し返すのではなく、滑らせないように」
「はい」
私は土を固める。
クロードの足場が安定する。
突破成功。
赤札訓練は良好だった。
先生が次に青札を掲げる。
後衛主導。
ミナ。
ミナは一瞬だけ目を伏せた。
だが、すぐに弓を構える。
「私が見る」
短い宣言。
私たちは頷く。
状況は、左右に障害物。
敵影は見えない。
しかし、奥に旗がある。
後衛の射線判断が重要な場面。
ミナは一歩前に出ず、少し後ろから全体を見る。
「左は射線なし。右は通る。でも右に寄ると、前衛が狭い」
クロードが聞く。
「僕はどこに立てばいい」
「中央より少し左。敵を止めるだけ。押さないで」
「分かった」
「ルシェラは右の補助。アレン、奥の影を見て。ティナは待って。ポルカは戻り道」
ミナの指示は短い。
だが、必要なことが入っている。
私に対しても普通に指示した。
それが少し嬉しかった。
敵影が動く。
奥の上級生が右から回り込もうとする。
「右、来る」
アレンが言う。
「待って」
ミナが言った。
全員が待つ。
ミナの弓が上がる。
「クロード、半歩下がって」
「了解」
クロードが下がる。
射線が開く。
「今」
矢が飛ぶ。
上級生の足元。
動きが止まる。
「ルシェラ、右へ風」
「はい」
私は風で進路をずらす。
ティナが支援に入る。
旗までの道が開いた。
青札も成功。
先生は何も言わず、次の札を掲げた。
黄札。
撤退補助主導。
ポルカ。
「ひゃい」
ポルカの声が裏返った。
だが、すぐに手帳を握りしめる。
「えっと、えっと、僕が撤退路を見ます。皆さんは、僕が怖いと言った場所には理由があると思ってください」
「了解」
アレンが即答した。
その返事が早かったおかげで、ポルカの顔が少し落ち着いた。
状況開始。
正面から上級生二人。
後方に罠札が増える。
さらに左側に障害物。
撤退判断が必要。
ポルカは後ろを見て、右を見て、左を見た。
「いつもの後ろは使えません! 理由は罠札です! 左は障害物で遅いです! 右が怖いけど一番ましです!」
「怖いけど一番まし」
アレンが繰り返す。
「理由は?」
「見通しが悪いです。でも足跡が少ないので、罠は少ない可能性!」
「採用」
私は言いかけて止めた。
今はポルカ主導。
ポルカが言うべきだ。
ポルカは私をちらっと見た。
私は黙って頷く。
彼は息を吸った。
「右へ撤退します! クロードさん最後! ミナさん、左牽制! ティナさん、真ん中! アレンさん、右の見えない場所を見てください! ルシェラさん、全体補助!」
言えた。
長い。
少し長い。
だが、言えた。
「了解」
全員が動く。
右側は確かに見通しが悪かった。
だが、罠札はない。
撤退成功。
ポルカは戻った瞬間、膝に手をついた。
「班長、怖い……!」
「怖さも報告してよいです」
私が言うと、ポルカは必死に頷いた。
「怖いです! 理由は、全員が僕の言葉で右へ行ったからです!」
アレンが軽く言う。
「でも合ってた」
「はい……!」
ポルカの顔に、少しだけ誇らしさが浮かんだ。
次は白札。
観察役主導。
アレン。
「……来たか」
彼は嫌そうに呟いた。
「アレン、お願いします」
「やめろ、重い」
「はい」
「軽くしても変だな」
アレンは頭をかいた。
状況は、三方向から不明な動き。
どこに敵がいて、どこが罠か分からない。
観察役が初動を決める。
アレンは全体を見る。
目つきが変わる。
「正面は誘い。右は罠っぽい。左、音がないのが変。たぶん人がいる」
彼は少し息を吸った。
「確証なし。でも、正面は行かない方がいい。左の人を先に動かす。ミナ、左に牽制。クロード、正面に立つだけ。ティナ、動かない。ポルカ、右の罠確認。ルシェラ……」
一瞬止まった。
私を見る。
「ルシェラは、俺が外した時の保険」
「承知しました」
「重いな」
「重要な役です」
「じゃあ頼む」
「はい」
ミナが左へ牽制する。
上級生が左の影から出る。
当たり。
正面の誘いは、近づけば左右から挟む構えだったらしい。
アレンの読みは正しかった。
だが、本人はほっとするより先に次を見ている。
「右、罠確認できたら左へ抜ける。クロード、正面のやつ止めすぎるな。ミナ、もう一射できるか」
「できる」
「ティナ、クロードの足元」
「うん!」
彼の指示は、少し粗い。
だが、見えているものを渡せている。
白札も成功。
アレンは終わった後、深く息を吐いた。
「班長役、向いてない」
「そんなことはありません」
「向いてない。見えるものが多いと、言う順番が面倒だ」
「それは課題です」
「評価するな」
「我慢します」
「もうした後だ」
少しだけ笑いが起きた。
次は緑札。
支援主導。
ティナ。
「えっ、あたし?」
ティナは自分を指差した。
「そうだ」
グレイン先生は言う。
「負傷者対応と支援判断が中心の場面だ。マールが主導しろ」
ティナは少し緊張した顔になった。
だが、すぐに頷いた。
「分かりました」
状況は、負傷者役が中央にいる。
敵影は少ないが、罠札が複数。
支援役が誰を動かし、誰を待たせるか判断する場面。
ティナは周囲を見た。
「まず負傷者確認。エミリオがいないから、クロード、運ぶ補助できる?」
「できる」
「ルシェラ、罠札を動かさずに印だけつけて。ミナは撃たないで見てて。アレン、見えない場所の報告。ポルカ、戻り道。私が負傷者を見る」
すごい。
明るい声なのに、役割が明確だった。
ティナは負傷者役へ近づく前に言う。
「みんな、見てて!」
支援移動時の合図。
昨日の改善点を使っている。
私は罠札の近くに小さな光を置く。
ミナは弓を構えず、視界を確保。
アレンが右を確認。
ポルカが戻り道を見る。
ティナは負傷者役に声をかける。
「大丈夫? どこが痛い? 動かしていい?」
優しい。
だが、手順も正確。
負傷者役を支える時、左から上級生が出る。
ミナが言う。
「左、来る」
ティナは振り返らずに言った。
「ミナ、止めて。クロード、負傷者運ぶ準備。ルシェラ、足元補助」
「はい」
支援主導とは、助けるだけではない。
助けるために周囲を動かすことだ。
ティナはそれを自然にやっていた。
緑札も成功。
ティナは終了後、ほっとした顔で笑った。
「班長って、頭使うね」
「非常に」
私は頷いた。
「でも、ティナの指示は分かりやすかったです」
「ほんと?」
「はい。支援の目的がはっきりしていました」
ティナは嬉しそうにした。
最後は黒札。
班全体で判断。
グレイン先生は少しだけ厳しい顔になった。
「黒札は、誰が主導するかも自分たちで決めろ」
状況は、複雑だった。
正面に敵影。
右に負傷者役。
左に罠札。
奥に旗。
後方にも上級生の気配。
どれを優先するかで、主導者が変わる。
私は反射的に全体を組み立てようとした。
だが、止める。
黒札は、班全体で判断。
一人で決めない。
「状況確認」
私は短く言った。
「正面、敵一人。奥の旗は見えるが、誘いかも」
アレン。
「左、罠札二枚」
ポルカ。
「右の負傷者、動けるか不明」
ティナ。
「後方、上級生の気配あり。確証なし」
ミナ。
「クロード、前衛維持は?」
「正面だけなら十秒。後方も来るなら五秒」
情報が出る。
私は決めようとする。
だが、まだだ。
「優先は何でしょう」
私は全員へ聞いた。
ティナが即答する。
「負傷者確認」
クロードが言う。
「正面を放置すると危険だ」
アレンが言う。
「旗は罠だと思う。今は捨てる」
ミナが言う。
「後方の確証が欲しい」
ポルカが言う。
「戻り道が危ないです。先に後方を見たいです」
意見が分かれた。
だが、対立ではない。
情報の優先順位が違う。
私は息を吸った。
「では、主導はティナ。負傷者確認を優先。ただし、クロードが正面を五秒維持。アレンとミナは後方確認。ポルカは戻り道。旗は捨てます」
ティナが頷く。
「分かった。私が負傷者を見る。みんな、見てて!」
黒札開始。
全員が動く。
旗は取らない。
目の前の成果を捨てる判断。
負傷者役を確認。
動ける。
だが遅い。
後方から上級生が出る。
アレンの報告。
「後方来る。一人」
ミナが牽制。
クロードが正面を五秒維持。
ポルカが戻り道を確保。
ティナが負傷者役を支える。
私は足りないところへ補助を入れる。
旗は残ったまま。
だが、全員帰還。
グレイン先生が手を上げた。
「そこまで」
黒札の結果は、旗未回収。
だが、負傷者搬送成功。
全員帰還。
接触なし。
先生は少しだけ口元を緩めた。
「旗を捨てたな」
「はい」
私は答える。
「負傷者確認と全員帰還を優先しました」
「誰が決めた」
「全員の情報を受け、主導をティナに渡しました」
「なぜティナだ」
「負傷者対応が最優先だったためです」
先生は頷いた。
「悪くない。班長は一人で決める者ではない。誰が決めるべきかを決めるのも、班長の仕事だ」
誰が決めるべきかを決める。
また重要な言葉が増えた。
私は胸の奥で、それを繰り返した。
放課後。
談話室で、第一班はぐったりしていた。
班長交代制は、全員の精神をかなり削ったらしい。
ポルカは机に突っ伏している。
「もう班長はしばらくいいです……」
アレンも椅子にもたれている。
「同意」
クロードは疲れているが、どこか充実した顔をしていた。
「だが、よい訓練だった」
ミナが頷く。
「誰が見えてるかで、決める人が変わる」
ティナが笑った。
「あたしが主導する場面もあるんだね」
「当然です」
私は答える。
「支援判断が中心なら、ティナが最も見えています」
「そう言われると、ちょっと照れる」
「事実です」
「事実って言われると、もっと照れる」
アレンがこちらを見る。
「お前、今日かなり我慢してたな」
「はい」
「自分で全部決めたそうだった」
「顔に出ていましたか」
「出てた」
「改善します」
「でも、決めなかっただろ」
「はい」
「なら、まあ、今日はそれでいいんじゃないか」
それでいい。
その言葉が少し嬉しかった。
夜。
私は記録を書いた。
――班長交代制訓練を実施。赤札=前衛主導、青札=後衛主導、黄札=撤退補助主導、白札=観察役主導、緑札=支援主導、黒札=班全体判断。
――クロード、前衛主導で足場補助を的確に要求。
――ミナ、後衛主導で射線確保と前衛位置を指示。
――ポルカ、撤退補助主導で右撤退を判断。怖いが言えた。
――アレン、観察役主導で断定と推測を分け、私を「外した時の保険」に指定。表現は雑だが有効。
――ティナ、支援主導で負傷者確認を中心に全体を動かす。支援役は助けるだけでなく、助けるために周囲を動かす役。
――黒札では、旗を捨て、負傷者確認と全員帰還を優先。主導をティナへ渡す。
――グレイン先生「誰が決めるべきかを決めるのも、班長の仕事」と講評。重要。
最後に一行。
――班長は、一人で決める者ではない。誰の目を使うべきかを選ぶ者である。
私は羽ペンを置いた。
また一つ、長の意味が変わった。
魔王城で教わった長は、強く、早く、迷わず決める者だった。
勇者学校で学ぶ長は、待ち、任せ、時に決める役を渡す者だった。
どちらが正しいのか。
たぶん、どちらも必要なのだろう。
父上は、どちらだったのだろう。
命に背いた黒角隊を止めきれなかった父上。
それでも、知らなかったことにはしないと言った父上。
上に立つ者は、すべてを一人で決められるわけではない。
だが、決められなかったことの責任から逃げることもできない。
私は胸元のお守りに触れた。
いつか、私ももっと大きな何かを決める日が来るのだろうか。
その時、今日の訓練を思い出したい。
誰が見えているか。
誰に任せるべきか。
何を捨て、何を守るべきか。
班長は一人で決めない。
たぶん、魔王も、勇者も、本当は一人で決めてはいけないのだ。




