第41話 前と後ろをつなぐ訓練
次回班訓練の日が来た。
演習場には、いつもより多くの木箱と障害物が置かれていた。
低い壁。
倒木に見立てた丸太。
布で作られた簡易拠点。
罠札。
上級生が使う模擬魔物の木板。
そして、中央には赤い旗が三本立っている。
今回の訓練は、前衛と後衛の連携確認。
目的は、旗の回収ではない。
拠点の防衛だけでもない。
指定された経路を進み、途中で現れる模擬敵を避け、最後に旗を一本回収して戻る。
ただし、前衛だけで進むことは禁止。
後衛だけで判断することも禁止。
前と後ろが情報を渡し合いながら動く。
つまり、昨日までの説明会の結果を試す場である。
「今日は、役割希望を踏まえて班を組んだ」
グレイン先生が言った。
「前に出たい者、後ろに立ちたい者、支援に回る者、伝達を試す者。希望通りに入れた者もいれば、そうでない者もいる。だが、どの役でも訓練になる」
生徒たちが緊張した顔で並んでいる。
私は学級委員として、班編成表を持っていた。
クロードは隣で出欠と装備確認をしている。
副委員として、すでにかなり機能している。
ただし、少し厳しすぎる。
「訓練用手袋の未着用者が二名いる。装備不備だ」
「クロード、まず理由を聞きましょう」
「理由?」
「忘れたのか、破損したのか、サイズが合わないのかで対応が違います」
「……そうだな」
彼はすぐに向きを変えた。
「手袋がない者、理由を言え。予備が必要なら今渡す」
以前なら、「装備不備は自己責任」と切っていたかもしれない。
だが今は違う。
規則で人を潰さない。
グレイン先生に言われたことを、ちゃんと実行している。
私は小さく頷いた。
「何だ」
クロードが気づく。
「良い対応です」
「いちいち評価しなくていい」
「アレンのようなことを言いますね」
「それは嫌だな」
少し離れた場所で、アレンが振り返った。
「聞こえてるぞ」
「聞こえるように言った」
「貴族様が嫌味を覚えた」
「君ほどではない」
「言うようになったな」
二人のやり取りを見て、ティナが笑っている。
以前なら衝突しそうだった会話が、今は軽いやり取りになっている。
これも変化である。
今日の第一班は、いつもの六人ではない。
グレイン先生の方針で、役割訓練のために一部の生徒を入れ替えることになった。
第一班の中心は、私、アレン、ティナ。
そこへ、前衛希望のベルト・ガーランド、伝達補助希望のラウル・ヘイン、魔法陣補助希望のセシル・ノートが入る。
クロード、ミナ、ポルカは別班へ回った。
クロードは前衛希望者の多い班を補助。
ミナは後衛希望者の少ない班で射線管理の手本。
ポルカは経路確認役を試したい生徒のいる班に配置された。
いつもの第一班が分かれる。
少し不安がある。
だが、これは必要な訓練だ。
私たちだけが動けても、クラス全体は強くならない。
「ルシェラさん」
セシル・ノートが少し緊張した声で呼んだ。
薄茶色の髪を三つ編みにした女生徒で、手には魔法陣用の小さな札を持っている。
「私は本当に、この班でいいんでしょうか。攻撃魔法はあまり得意じゃなくて」
「問題ありません」
私は答える。
「今日は攻撃魔法の威力ではなく、補助魔法陣の配置を見ます。あなたの役割は、前衛が下がる位置と後衛の視界を補助することです」
「視界を補助?」
「はい。小さな光札や風札で、危険な方向や退避位置を示してください。魔力量が少なくても可能です」
セシルは少し目を見開いた。
「それなら、できるかもしれません」
「はい。できる可能性が高いです」
アレンが横から言う。
「ルシェラの『可能性が高い』は、かなり信用していい」
「そうなんですか?」
「少なくとも、何も考えずに言ってるわけじゃない」
「それは褒めていますか」
「たぶん」
「たぶんですか」
アレンは肩をすくめた。
ラウル・ヘインは軽く足踏みをしている。
走るのが速い生徒らしく、動きが軽い。
ただし、落ち着きはあまりない。
「俺、伝達って初めてだから、間違えたらどうすればいい?」
「訂正してください」
私は答えた。
「間違いを隠す方が危険です。『違った、右ではなく左』のように、短く訂正しましょう」
「それ、格好悪くない?」
アレンが即座に言った。
「黙って間違えるよりましだ」
「昨日も似たこと言ってたな」
「俺も練習中だからな」
ラウルは少し笑った。
「じゃあ、間違えたら言う」
「はい」
ベルト・ガーランドは木剣を持ち、正面に立っている。
今日も背筋は伸びている。
ただ、以前より少しだけ表情が硬い。
「ベルト」
私が呼ぶと、彼は振り返った。
「はい」
「今日のあなたの役割は、押し込む前衛ではなく、射線確保前衛です」
「分かっています」
声は硬い。
納得しきってはいない。
だが、受け入れようとしている。
「ミナはいませんが、後衛にはティナとセシルがいます。彼女たちの視界を塞がないように、半歩ずつ位置を調整してください」
「半歩」
「はい。大きく下がる必要はありません。半歩で十分な場合があります」
ベルトは少し考え、頷いた。
「やってみます」
ティナが明るく言う。
「よろしくね、ベルト。私もちゃんと見てるから、無理しそうだったら声かけるよ」
「……お願いします」
ベルトは少し戸惑ったように返事をした。
前衛として「見られる」ことに慣れていないのだろう。
前に立つ者は、自分が守る側だと思いやすい。
だが、前に立つ者も後ろから見られ、支えられる。
それを学ぶ訓練でもある。
訓練開始の鐘が鳴った。
私たちの班は、演習場左側の経路から進む。
先頭はベルト。
その少し後ろに私。
中央にティナとセシル。
最後尾寄りにアレン。
ラウルは左右を行き来する伝達役。
最初の障害物は、低い壁と罠札。
ポルカならすぐに見つけただろう。
だが、今日はポルカはいない。
ここでラウルとアレンの役割が重要になる。
「右の壁際、札」
アレンが短く言った。
ラウルがすぐに前へ走る。
「ベルト、右壁際に札!」
「見えた!」
ベルトは進路を少し左へずらす。
良い。
ラウルの伝達も短い。
「セシル、札の位置に光を」
「はい!」
セシルが小さな光札を投げる。
罠札の近くに淡い光が灯った。
後続の班員にも見えやすい。
「有効です」
私が言うと、セシルはほっとした顔をした。
「よかった……!」
次に、上級生が一人、模擬敵として前方に現れる。
ベルトが反射的に前へ出た。
速い。
だが、少し出すぎだ。
ティナの視界がベルトの背で遮られる。
「ベルト、半歩右!」
アレンが叫ぶ。
ベルトは一瞬遅れた。
だが、動いた。
半歩右。
それだけで、ティナの支援魔法の射線が通る。
「足元、滑らせるよ!」
ティナが風で砂を巻き、上級生の足元を乱す。
ベルトがその隙に木剣を合わせる。
接触判定は取られない。
突破成功。
ベルトは息を吐いた。
「今の、俺が右に動いたから?」
「はい」
私は答える。
「ティナの支援が通りました」
ティナも笑う。
「助かったよ、ベルト!」
ベルトは少し驚いた顔をした。
前に出た自分が、後ろの支援を助けた。
その感覚は新しかったのだろう。
「……なるほど」
小さく呟いた。
次の区域は、分かれ道だった。
正面は短いが、上級生の視線がある。
左は遠回り。
右は狭い。
ラウルがすぐに走って確認しようとする。
「待ってください」
私は止めた。
「一人で先に行きすぎない。伝達役は戻って情報を渡すまでが役目です」
「あ、そっか」
ラウルは少し照れたように戻る。
アレンが言う。
「まず右を見ろ。足跡が新しい。上級生が通ったかもしれない」
「了解!」
ラウルは右の入口まで走り、すぐ戻った。
「右、狭いけど罠札なし。足跡あり。たぶん上級生が通った後!」
「正面は?」
私が聞く。
アレンが見る。
「正面の上級生、こっちを見てる。誘ってるな」
「左は遠回りですが安全可能性が高い」
「時間は?」
ラウルが聞く。
「余裕はあります」
私は答えた。
「左から行きます」
ベルトが少し不満そうにした。
「正面を突破しないのですか」
「今回の目的は、前後連携と旗回収です。不要な接触は避けます」
「ですが、前衛訓練なら」
ベルトの声が強くなりかけた。
その時、ティナが言った。
「ベルトが正面で戦えるのは分かったよ。でも今日は、みんなで旗を持って帰る訓練だよね?」
ベルトはティナを見る。
少し困った顔をする。
責められたわけではない。
だから反発しにくい。
「……そうですね」
彼は剣を下げた。
「左へ行きます」
良い。
ティナの声かけは、衝突を避けつつ目的を戻す力がある。
記録したい。
だが、今は訓練中。
左の経路を進む。
遠回りだが、順調。
セシルが分岐点に光札を置く。
ラウルが後続確認に走る。
アレンが全体の音を聞く。
私は情報を整理する。
旗まであと少し。
だが、ここで想定外が起きた。
右側の障害物の陰から、上級生が二人同時に出た。
正面ではない。
側面。
ベルトが反射的に前へ出ようとする。
「待て!」
アレンの声。
ベルトは止まりきれなかった。
一歩出る。
上級生の一人がその動きに合わせて横へ回る。
ベルトの背中が、セシルの光札の射線を遮る。
ティナの支援も通りにくい。
危険。
「ベルト、下がって!」
ティナが叫ぶ。
ベルトは一瞬、動けなかった。
下がる。
彼にとって、それは難しい動きだ。
ガーランド家の者として、後ろに下がる選択はない。
その言葉が、彼の足を止めているのだろう。
「半歩!」
私は叫んだ。
「逃げるのではありません。射線を作る半歩です!」
ベルトの肩が動いた。
半歩。
彼は下がった。
ほんの半歩。
だが、その半歩でティナの支援が通った。
セシルの光札が上級生の足元を照らす。
ラウルが叫ぶ。
「左からもう一人来る!」
アレンが即座に言う。
「ベルト、正面の一人だけ止めろ。右は捨てる。ルシェラ、右!」
「はい」
私は右へ小さな風壁を張る。
平均より少し上。
上級生の進路がわずかにずれる。
その間に、ティナがセシルを後ろへ下げる。
ベルトは正面の一人を止めた。
下がったことで、逆に動きが安定している。
力で押し返すのではなく、相手を止め、後ろが動く時間を作る。
防衛前衛に近い。
「今です。旗へ向かいます」
私は指示した。
ラウルが走る。
「旗、左奥! 罠札なし!」
セシルが旗の近くに光札を置く。
ティナが周囲を見る。
ベルトが上級生を止める。
アレンが叫ぶ。
「右のやつ戻る。取ったらすぐ撤退!」
私が旗を取る。
すぐに戻る。
ラウルが前後をつなぐ。
ティナが疲れたセシルへ声をかける。
ベルトが半歩、また半歩と下がりながら相手を抑える。
そして、全員が開始地点へ帰還した。
鐘が鳴る。
「そこまで」
グレイン先生の声。
私たちの班は、旗回収成功。
接触なし。
罠札なし。
ただし、一度ベルトの突出で危険が発生。
評価としては、成功だが課題あり。
ベルトは肩で息をしていた。
悔しそうな顔をしている。
私は近づいた。
「ベルト」
「……すみません。途中で前に出すぎました」
「はい」
事実は認める。
「ですが、その後、半歩下がれました」
ベルトは顔を上げる。
「下がっただけです」
「違います。射線を作りました」
ティナも近づいてきた。
「うん。あれで支援が通ったよ」
セシルも頷く。
「光札も置けました。ベルトさんが少し動いてくれたから」
ベルトは二人を見た。
「……そうですか」
アレンが言う。
「下がったんじゃなくて、後ろを使ったんだろ」
ベルトは黙った。
その言葉は、彼にとって重要だったらしい。
下がる。
逃げる。
恥。
そうではなく、後ろを使う。
前衛として、班を使う。
「後ろを、使う」
ベルトは小さく繰り返した。
クロードが別班から戻ってきて、その言葉を聞いた。
「それができる前衛は強い」
ベルトがクロードを見る。
クロードは真面目に続けた。
「前に出るだけなら、勢いがあればできる。後ろを使い、後ろを守りながら前に立つのは、訓練がいる」
ベルトは少し悔しそうに、しかし確かに頷いた。
「次は、最初から意識します」
「はい」
私は頷いた。
「次があります」
次。
その言葉が言える訓練でよかった。
誰も壊れなかった。
失敗しかけた。
だが、修正した。
これが訓練の意味なのだろう。
他の班も、それぞれ課題があった。
クロードの班では、前衛希望者同士が前に出すぎて隊列が崩れたが、クロードが強く止めた。
ミナの班では、後衛希望者が射線を遠慮して撃てず、ミナが「撃たない理由も言って」と教えていた。
ポルカの班では、経路確認役の生徒が罠札を見落としかけたが、ポルカが「怖いと思った場所は二度見しましょう」と助言していた。
第一班の種が、少しずつ他の班にも広がっている。
私はそれを見て、胸の奥が熱くなるのを感じた。
放課後。
グレイン先生が全体講評をした。
「今日、うまくいった班は、前後が情報を渡していた。失敗した班は、前が勝手に突っ込み、後ろが黙っていた」
生徒たちが静かに聞く。
「前衛は後ろを使え。後衛は前に遠慮するな。伝達役は短く言え。支援役は倒れてから助けるのではなく、倒れる前に見ろ。撤退補助は、逃げる役ではない。次を作る役だ」
ポルカが感動したように手帳を握っている。
先生の言葉は、今日の訓練をよくまとめていた。
「そして、学級委員」
「はい」
私は背筋を伸ばす。
「今日の役割調整は悪くなかった。だが、次は各班の失敗をどう共有するか考えろ」
「失敗の共有」
「成功だけを褒めると、同じ失敗を他の班が繰り返す。失敗を晒し者にせず、学びに変えろ」
「承知しました」
また仕事が増えた。
だが、重要な仕事だ。
失敗を共有する。
しかし、失敗した者を潰さない。
難しい。
学級委員業務は、やはり戦場より難しい。
夕方。
談話室で第一班が集まった。
今日は、各自が別班で得た情報を持ち寄る。
クロードが言う。
「前衛希望者は、後ろを見る訓練が足りない」
ミナが続ける。
「後衛希望者は、撃つことより、言うことが苦手」
ポルカが手帳を見ながら言う。
「経路確認役は、危険を見つけても『たぶん大丈夫』と思って報告を迷います。怖いと思ったら報告してよいと伝える必要があります」
ティナが言う。
「支援役は、助けに行きすぎる子と、遠慮しすぎる子に分かれるね」
アレンが言う。
「伝達役は、情報を全部言おうとして遅れる。型を決めた方がいい」
私は全員の意見を書き取る。
「次回、失敗共有会を行いましょう」
「名前が硬い」
アレンが言う。
「では、何と呼べば」
ティナが手を挙げる。
「次はこうしよう会!」
「軽すぎませんか」
「失敗共有会よりは怖くないよ」
ポルカが真剣に頷いた。
「失敗共有会は、処刑前の響きがあります」
「処刑はしません」
「分かっていますが、響きが」
「では、次はこうしよう会にします」
私は木板に書いた。
――次はこうしよう会。
アレンが笑った。
「本当に書いた」
「採用したので」
ミナが小さく言う。
「その方がいい」
「ミナもそう思いますか」
「うん。失敗って言葉だけだと、怖い人もいる」
そうか。
言葉の選び方で、参加しやすさが変わる。
これも学級委員の仕事だ。
夜。
私は記録を書いた。
――前後連携訓練実施。第一班は一部入れ替え。ベルト・ガーランド、ラウル・ヘイン、セシル・ノート参加。
――ベルト、突出しかけるが、半歩下がり射線を作ることに成功。「後ろを使う」という言葉が有効。
――ラウル、伝達役として短い報告に成功。ただし先行しすぎる傾向あり。
――セシル、光札による罠・退避位置表示が有効。魔法陣補助適性あり。
――ティナ、支援役として前衛の無理を止める声かけが有効。
――アレン、全体の違和感と敵の初動を短く報告。伝達速度改善。
――グレイン先生より、失敗を晒し者にせず学びに変えるよう指示。
――「失敗共有会」は名称が硬く、ポルカにより処刑前の響きと指摘。ティナ案「次はこうしよう会」を採用。
最後に一行。
――前に出る者と後ろに立つ者は、互いを使い、互いを守ることで班になる。
私は羽ペンを置いた。
今日、ベルトが半歩下がった。
それは小さな動きだった。
だが、彼にとっては大きな一歩だったのだと思う。
下がることは、逃げではない。
後ろを使うための位置取り。
そう名前を変えるだけで、人は動けることがある。
やはり、名前は重要だ。
敵。
同級生。
前衛。
射線確保前衛。
逃げ道。
生存位置取り。
失敗共有会。
次はこうしよう会。
言葉が変わると、見えるものも変わる。
私は学級委員として、これからもっと言葉を選ばなければならないのだろう。
普通の学校生活は、言葉一つで戦場より難しくなる。
だが、少しだけ面白い。
そう思ってしまった私は、たぶんもう、かなりこのクラスに巻き込まれている。




