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第33話 ノノからの二通目

 ノノからの二通目は、思っていたより早く届いた。


 黒角隊の名を人間側資料で見つけた翌朝。


 女子寮裏の物置小屋。


 床板の下。


 いつもの黒封筒。


 封蝋には、ノノの黒猫印。


 ただし、今回は封筒が少し厚かった。


 私はそれを見た瞬間、胸の奥が重くなった。


 厚いということは、情報があるということだ。


 情報があるということは、知らなかったままではいられなくなるということだ。


 私は周囲を確認し、封筒を胸元に隠して寮の部屋へ戻った。


 ティナはまだ寝ている。


 ミナは起きていた。


 弓の手入れをしている手が、こちらへ一瞬だけ向く。


「ルシェラ」


「はい」


「手紙?」


 私は少しだけ迷った。


 以前なら、ここで隠した。


 今は、全部は言えなくても、隠し方を変えるべきだと思った。


「はい。以前問い合わせた件の返事だと思います」


 ミナの手が止まった。


「赤黒い石の?」


「おそらく」


 ミナは静かに頷いた。


「一人で読む?」


 問いは短かった。


 責めてはいない。


 ただ確認している。


 私は封筒を握る指に力が入りすぎていることに気づいた。


 一人で読むべきか。


 まず内容を確認し、危険な部分を整理し、それから共有するべきか。


 それは合理的だ。


 だが、また抱え込むことになる。


 アレンに言われた。


 一人で抱えるな。


 父上にも、グレイン先生にも、任せろと言われた。


 ミナ自身も、一緒に調べてくれるなら嬉しいと言った。


「いいえ」


 私は答えた。


「第一班で共有します。ただし、内容によっては順番を考える必要があります」


「うん」


 ミナは弓を置いた。


「ありがとう」


 ありがとう。


 私はまだ何もしていない。


 ただ、一人で読まないと決めただけだ。


 だが、ミナにとっては、それも意味があるらしい。


 朝食後、私は第一班の全員へ声をかけた。


 ティナはすぐに真剣な顔になった。


 ポルカは「返事が来たんですね……心の避難経路を確保します……」と言って手帳を握った。


 クロードは「場所を選ぶべきだ」と言った。


 アレンは何も言わず、私の顔だけを見た。


 やはり、見ている。


 私たちは昼休み、図書室ではなく、寮の談話室を借りた。


 ティナの判断だ。


「重い話なら、図書室よりお茶がある場所の方がいいと思う」


 そう言った。


 正しい。


 情報の扱いには、場所も重要だ。


 硬い机と本棚の間では、心も硬くなる。


 お茶の湯気がある場所なら、少しだけ息がしやすい。


 談話室のテーブルに、黒封筒を置く。


 全員の視線が集まる。


「開けます」


 私は封を切った。


 中には、三枚の紙が入っていた。


 一枚目はノノの手紙。


 二枚目は資料の抜粋。


 三枚目は、父上の筆跡だった。


 父上まで。


 私は一瞬、指を止めた。


 アレンがすぐに気づく。


「どうした」


「父からの追記があります」


「養父から?」


「はい」


 嘘ではない。


 だが、胸が少し痛い。


 私はまずノノの手紙を開いた。


 いつもの几帳面な字。


 しかし、文面はいつもより少し硬かった。


 ――姫様。


 問い合わせの件、確認いたしました。


 まず結論から申し上げます。


 「黒角隊」は実在しました。


 空気が変わった。


 私が読み上げる声も、少し低くなった。


 ミナは何も言わない。


 ただ、手元のカップを見ている。


 私は続ける。


 ――黒角隊は、北境戦役後期に魔王軍内で確認された強硬派残党の通称です。正式な部隊名ではなく、黒い角飾りを身につけていたこと、また隊長格の魔族が黒角族の出身であったことから、人間側・魔族側双方でそう呼ばれた記録があります。


 ポルカが震える手で手帳に書き始めた。


 クロードの眉間に皺が寄る。


 アレンは静かに聞いている。


 ――黒角隊は、当時の魔王ヴァルガ様が進めていた停戦交渉に強く反発し、人間側への報復を継続しました。魔王軍中央は彼らを正式部隊とは認めず、複数回にわたり帰還命令を出しています。


 ティナが小さく息を呑んだ。


 ミナの指が、カップの縁を握る。


 私は一度、読むのを止めた。


「ミナ」


「続けて」


 声は静かだった。


 私は頷いた。


 ――記録上、黒角隊は北境の複数村落を襲撃した疑いがあります。ただし、戦後処理の混乱、人間側記録との食い違い、魔族側の内部粛清記録の欠落により、すべての襲撃先を確定することはできません。


 すべての襲撃先を確定できない。


 つまり、ミナの村が含まれるかどうかは。


 私は資料の抜粋を見た。


 そこには、ノノが整理した一覧があった。


 黒角隊関連疑いのある地点。


 日付。


 被害。


 人間側記録。


 魔族側記録。


 その中に、ミナの村の名があった。


 オルステッド村。


 推定襲撃日。


 黒い火の証言。


 黒角隊関与の可能性、高。


 確定ではない。


 だが、高い。


「……私の村、ある?」


 ミナが聞いた。


 私は答えたくなかった。


 だが、答えなければならない。


「あります」


 談話室が静まり返った。


 ティナがミナの隣に座り直した。


 手を伸ばしかけ、触れてよいか迷っている。


 ミナはそれに気づき、自分からほんの少し手を動かした。


 ティナがそっと握る。


「確定?」


 ミナの声。


「確定ではありません」


 私は言った。


「ですが、関与の可能性は高い、とあります」


「そっか」


 それだけだった。


 怒鳴らない。


 泣かない。


 ただ、受け取った。


 その方が、かえって胸に重い。


 私はノノの手紙へ戻る。


 ――赤黒い石片について。


 おそらく、姫様が推測した通り、血晶石である可能性があります。


 ミナが顔を上げた。


「血晶石?」


 私は説明する必要があった。


 できる範囲で。


「魔族の一部で使われる記録石です。血と魔力を染み込ませ、名や記録を残すものです。主に戦死者や、罪を記録する場合に用いられます」


 クロードが低く言う。


「罪を記録する」


「はい」


 私はノノの資料を見る。


 ――黒角谷北口の破損碑に血晶石がはめ込まれていたとすれば、魔族側の誰かが、黒角隊の行為を罪として残そうとした可能性があります。ただし、血晶石が現存しないため、内容の確認は不可能です。


 罪として残そうとした。


 ミナの目が揺れた。


「魔族が?」


「可能性です」


「私の村を焼いた魔族を、別の魔族が罪だと思ったかもしれない?」


「……はい」


 私は慎重に答えた。


「そういう可能性があります」


 ミナは黙った。


 ティナが手を握ったまま、何も言わない。


 ポルカは泣きそうな顔で、でも必死に手帳を取っている。


 クロードは唇を結んでいる。


 アレンは、私を見ていない。


 ミナを見ている。


 逃げずに。


 私は父上の紙を開いた。


 短い文だった。


 ――ルシェラ。


 黒角隊は、我が命に背いた者たちだ。


 私はその一文を読んだ瞬間、声が止まりそうになった。


 我が命。


 人間界では「養父」の文として読むしかない。


 だが、これは父上の、魔王としての言葉だった。


 私は言葉を選びながら読み上げる。


「父の記録では、黒角隊は命令に背いた者たちだとあります」


 ――だが、それで人間の傷が消えるわけではない。


 ――命に背いた者を止めきれなかった責任は、上に立つ者にもある。


 ――オルステッド村の名は、私も記憶している。


 私は息を止めた。


 父上は、覚えていた。


 ミナの村を。


 ミナが私を見る。


「ルシェラのお父さんが、私の村を知ってるの?」


「……はい」


 私は頷いた。


「北境の記録として、知っているようです」


 ミナは目を伏せた。


「そっか」


 父上の手紙は続く。


 ――もし、その生徒が知りたいと望むなら、伝えてよい。


 ――黒角隊は、魔王軍中央の命令ではなく、停戦を憎んだ強硬派の独断で動いた。


 ――だが、彼らは魔族であった。


 ――魔族が人間を傷つけた事実から逃げてはならない。


 私は読みながら、胸が痛くなった。


 父上の言葉は逃げない。


 魔王軍中央の命令ではない。


 だが、魔族だった。


 だから逃げるな。


 ミナは静かに聞いていた。


 私は最後の一文を読む。


 ――その生徒に伝えよ。お前の家族の死を、魔王城は知らなかったことにはしない。


 談話室の空気が止まった。


 ミナの目が大きく開いた。


 ティナが泣きそうな顔になる。


 ポルカはもう泣いていた。


 クロードは深く息を吸った。


 アレンは、下を向かずにミナを見ていた。


 ミナはしばらく何も言わなかった。


 そして、小さく、震える声で聞いた。


「魔王城が?」


 私は答える。


「はい」


「私の家族を、知らなかったことにはしないって?」


「はい」


 ミナの唇が震えた。


 涙は落ちなかった。


 でも、目は赤かった。


「……遅いよ」


 その言葉は、とても静かだった。


「そんなの、遅い」


 ティナが何も言えずに、ミナの手を強く握る。


 ミナは続けた。


「死んだ後に、知らなかったことにはしないって言われても、父さんも母さんも兄さんも帰ってこない」


「はい」


 私は頷いた。


「帰ってきません」


「黒角隊が独断でも、魔王の命令じゃなくても、私の家は燃えた」


「はい」


「でも」


 ミナは息を吸った。


「知らなかったことにしないって言われたのは……初めて」


 その言葉で、私は胸の奥が締めつけられた。


 王国側は、彼女の村を被害記録にした。


 魔族側は、敵としてまとめられていた。


 だが、彼女の家族を「知らなかったことにはしない」と言った者が、これまでいなかったのだ。


 ミナは顔を伏せた。


「どう思えばいいか、分からない」


「分からなくていいと思います」


 私は言った。


「今すぐ、何かを決める必要はありません」


 セフィナ先生の言葉。


 分からないことを、分からないまま抱える。


 ミナは小さく頷いた。


「うん」


 アレンが静かに言った。


「黒角隊がやった可能性が高い。魔王軍の命令じゃない。でも魔族だった。魔王城は知らなかったことにはしない」


 彼は一つずつ並べた。


「今分かってるのは、それだけだな」


「はい」


 私は頷いた。


「それだけです」


「でも、前よりは少し分かった」


 ミナが言った。


「はい」


「分かったけど、楽にはならない」


「はい」


「でも、何も分からなかった時より、息はできる」


 ティナが涙をこらえながら笑った。


「ミナ……」


「泣かないで。ティナが泣くと、私が困る」


「ごめん、でも無理」


 ティナは泣いた。


 ポルカも泣いている。


 クロードは目を伏せ、拳を握っていた。


「王国側の記録にも、この情報は必要だ」


 彼は低く言った。


「黒角隊が魔王軍本隊と違うなら、王国はそれを知るべきだ。だが、それで魔族への警戒を緩める理由にはならない」


「そうですね」


 私は答えた。


「両方必要です」


「両方」


 クロードは頷いた。


「また、両方か」


 アレンが小さく言う。


「どっちも本当、だろ」


 ミナがそれを聞いて、少しだけ目を閉じた。


「うん。どっちも本当」


 黒角隊は独断だったかもしれない。


 だが、魔族だった。


 魔王城は知らなかったことにはしない。


 だが、死者は戻らない。


 ミナは傷ついた。


 だが、知ることを選んだ。


 全部、本当。


 その後、しばらく誰も話さなかった。


 ティナが淹れたお茶は少し冷めていた。


 それでも、ミナはカップを手に取り、一口飲んだ。


「苦い」


「ごめん、淹れすぎたかも」


「でも、飲める」


「うん」


 それだけの会話。


 だが、ミナは飲んだ。


 私はそれを見て、少しだけ安心した。


 放課後の授業は、ほとんど頭に入らなかった。


 だが、ミナは最後まで教室にいた。


 ティナも隣にいた。


 アレンは何度かこちらを見たが、何も言わなかった。


 クロードはずっと考え込んでいた。


 ポルカは手帳に情報を整理し続けた。


 夜。


 私は机に向かった。


 記録を書くため。


 だが、羽ペンがなかなか進まなかった。


 ようやく書いた。


 ――ノノより返書。黒角隊は実在。北境戦役後期に魔王軍内で確認された強硬派残党の通称。正式部隊ではない。

 ――魔王軍中央の停戦方針に反発し、人間側への報復を継続。帰還命令に従わず。

 ――オルステッド村は黒角隊関与の可能性高。ただし確定ではない。

 ――赤黒い石片は血晶石の可能性。黒角隊の行為を罪として残そうとした者がいた可能性。現物なし。確認不可。

 ――父上の追記。「家族の死を、魔王城は知らなかったことにはしない」と伝える。

 ――ミナ、「遅い」「どう思えばいいか分からない」「分かったけど、楽にはならない」「何も分からなかった時より、息はできる」と発言。


 私はそこで手を止めた。


 次に何を書くべきか分からなかった。


 しばらくして、一行だけ加えた。


 ――真相は、人をすぐ救うわけではない。


 さらに。


 ――それでも、知らなかったことにはしないという言葉は、少しだけ誰かの息を助ける。


 私は羽ペンを置いた。


 ベッドでは、ティナが眠っている。


 ミナはまだ起きていた。


 彼女は窓の外を見ていた。


「ルシェラ」


「はい」


「手紙、ありがとう」


「私は運んだだけです」


「それでも」


 ミナは振り返らないまま言った。


「ありがとう」


 私は胸が痛くなった。


「はい」


 それしか言えなかった。


 ミナは続けた。


「魔族を嫌いな気持ちは、まだある」


「はい」


「消えないと思う」


「はい」


「でも、ルシェラのことは、嫌いじゃない」


 私は息を止めた。


 ミナは、まだ私の正体を知らない。


 その言葉は、今のルシェラ・ディアに向けられたものだ。


 魔王の娘だと知れば、変わるかもしれない。


 いや、変わるだろう。


 だからこそ、その言葉は痛かった。


「……ありがとうございます」


 私はようやく答えた。


 ミナは小さく頷き、ベッドへ入った。


 私は胸元のお守りに触れた。


 父上。


 あなたの言葉は届きました。


 でも、私は怖いです。


 いつか正体を知られた時、この子は私をどう見るのでしょう。


 その時、今日の「嫌いじゃない」は、裏切りに変わるのでしょうか。


 分からない。


 分からないことは、また増えた。


 だが、今日は逃げずに記録する。


 知らなかったことにはしないために。

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