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第30話 分からないことを抱える班

 翌日の第一班は、少し静かだった。


 理由は明確である。


 昨日、セフィナ先生の小論講評があった。


 ミナの言葉が教室で読まれた。


 ――知らないまま憎むより、分からないことを分からないと書ける方がいい。


 その一文は、私だけでなく、第一班全員の中に残ったらしい。


 朝の教室で、ティナはいつもより少し落ち着いていた。


 ポルカは手帳を開いていたが、逃走経路ではなく、昨日の授業の内容を書き写している。


 クロードは公式記録の写しを読み返している。


 ミナは窓側の席で、自分の小論を鞄にしまったり、また出したりしていた。


 アレンは後ろの席で、眠そうな顔をしている。


 だが、目だけはいつも通り起きていた。


 私は、自分の木板を前にして固まっていた。


 昨日の図書室で見つけた記述。


 黒角谷北口、破損碑。


 ――命に背きし黒角。


 ――火をもって村を。


 ――王も魔王も知らぬ。


 ミナの村の事件と関係があるかもしれない。


 しかし、欠損が多すぎる。


 断定はできない。


 セフィナ先生の言葉を思い出す。


 結論を急がないこと。


 分からないところを残す勇気。


 そして、アレンの言葉。


 一人で抱えるな。


 問題は、どう共有するかだった。


 情報には、出す順番がある。


 魔王城の軍議でも、未確認情報を扱う時は慎重にする。


 確定情報、推定、仮説、感情的影響。


 それらを混ぜると判断を誤る。


 特に今回は、ミナの過去に関わる。


 扱いを間違えれば、彼女を傷つける。


 だが、隠し続けるのも違う。


「ルシェラ」


 ティナが隣から小声で呼んだ。


「今日、ずっと考えてる顔してる」


「はい。考えています」


「ミナのこと?」


 私はティナを見た。


 ティナは明るい。


 だが、こういう時の彼女は鈍くない。


 むしろ、とても鋭い。


「はい」


「昨日、図書室で何か見つけた?」


 私は一瞬、答えに迷った。


 見つけた。


 だが、まだ線ではない。


 点である。


「未確認の情報を見つけました」


「そっか」


 ティナは少しだけ表情を引き締めた。


「ミナに関係ある?」


「可能性があります」


「じゃあ、言い方考えないとね」


「はい」


「一人で考える?」


 私は黙った。


 ティナは、少しだけ困ったように笑った。


「ルシェラ、すぐ一人で考えるよね」


「癖です」


「知ってる。だから、一緒に考えよう」


 その言葉は、簡単だった。


 一緒に考えよう。


 魔王城では、あまり聞かない言葉だ。


 軍議なら「協議する」。


 命令なら「検討せよ」。


 教育なら「自分で答えを出しなさい」。


 だが、ティナは一緒に考えようと言う。


 私は少しだけ息を吐いた。


「お願いします」


「うん」


 昼休み。


 私は第一班の全員を中庭の木陰へ集めた。


 ティナが「お昼も一緒に食べながらでいいよね」と言ったため、机上会議ではなく昼食会に近い形になった。


 ポルカは地図と手帳を持っている。


 クロードは背筋を伸ばして座っている。


 ミナは静かにこちらを見ている。


 アレンは購買のパンを持っていた。


 またパン。


 だが、今日はその横に昨日私が渡した果物が置かれている。


 少し改善した。


「何か話があるんだろ」


 アレンが言った。


「はい」


 私は全員を見る。


「昨日、図書室で追加資料を確認しました。黒角谷に関する古い石碑記録です」


 ミナの目が少し細くなる。


 ティナがそっと彼女の方を見る。


 私は続けた。


「ただし、最初に言っておきます。これは確定情報ではありません。碑文は破損しており、読める部分も限られています。ミナの村の事件と関係があるかどうかも、まだ分かりません」


「うん」


 ミナが短く頷いた。


 その声は硬いが、聞く姿勢はある。


 私は写しを取り出した。


「読める部分は三つです。『命に背きし黒角』。『火をもって村を』。『王も魔王も知らぬ』」


 空気が止まった。


 ティナが息を呑む。


 ポルカは手帳を握りしめる。


 クロードは眉を寄せた。


 アレンは黙ってミナを見ている。


 ミナは、写しを見つめていた。


「王も、魔王も知らぬ」


 彼女は小さく繰り返した。


「はい。ただし、断定はできません」


 私は慎重に言った。


「この碑文が何の事件について書かれたものか、いつ建てられたのか、誰が建てたのか、欠損部分に何が書かれていたのか。まだ不明です」


 クロードが口を開く。


「仮に事件と関係があるなら、王国の命令でも魔王の命令でもない、という意味になるのか」


「そう読める可能性はあります」


 私は答えた。


「ですが、そう読みたいからそう読む、というのは危険です」


 セフィナ先生の言葉を思い出しながら言う。


「私たちは、結論を急いではいけません」


 ミナはしばらく黙っていた。


 それから、私を見た。


「ルシェラは、これを見つけて、すぐ私に言わなかったんだ」


 責める声ではない。


 確認する声だった。


「はい」


「どうして?」


「言い方を間違えると、ミナを傷つけると思いました」


 私は正直に答えた。


「それと、私が一人で結論を作ってしまいそうだったからです」


「一人で?」


「はい。点を線にするのが早すぎると、セフィナ先生に指摘されました」


 アレンが小さく言う。


「俺も言った」


「はい。アレンにも、一人で抱えるなと言われました」


 ミナはアレンを見た。


 アレンは少し居心地悪そうにパンをかじる。


「まあ、こいつ放っておくと、全部自分で背負いそうだから」


「そうだね」


 ミナは短く言った。


 即答だった。


 私は少し反論したくなったが、ティナもポルカもクロードも頷いていた。


 多数決なら負けである。


「でも」


 ミナは写しに視線を戻した。


「教えてくれて、ありがとう」


 胸の奥が、少しだけ緩んだ。


「怖くないですか」


「怖い」


 ミナはすぐに答えた。


「でも、知らない方が怖い」


 ポルカが小さく頷く。


「分かります。知らない怖さは、逃げ道が見えません」


 ミナはポルカを見る。


「うん。そういう感じ」


 ポルカは自分の言葉が届いたことに驚いたようだった。


 クロードが写しを見ながら言う。


「この石碑については、建立年と建立者を調べる必要があるな。王国側の記録に残っている可能性がある」


「石碑の場所も確認した方がいい」


 アレンが言った。


「黒角谷北口って書いてあるけど、今の地図だと道が変わってる。どこにあるか分からない」


「北境の地形なら、少し分かる」


 ミナが言う。


「でも、今すぐ行ける場所じゃない」


「当然だ」


 クロードが頷く。


「学生だけで北境へ行くなど論外だ」


「誰も今すぐ行くとは言ってないだろ」


 アレンが返す。


「君は時々、先に逃げ道を探しすぎる」


「お前は時々、先に正論で塞ぎすぎる」


 二人が睨み合う。


 だが、以前のような険悪さではない。


 ティナが間に入る。


「はいはい。今は調べるだけね」


「調べるだけでも、計画は必要です」


 私は木板を出した。


 アレンがすぐに言う。


「出た」


「必要です」


「知ってる」


 私は項目を書いた。


 一、石碑の建立年。


 二、建立者。


 三、黒角谷北口の正確な位置。


 四、碑文の欠損部分の写しが他にないか。


 五、王国側記録との照合。


 六、魔族研究資料との照合。


 ここで手が止まった。


 魔族側記録。


 本当は、それが一番欲しい。


 魔王城の書庫にある黒角隊の記録。


 だが、私はそれをここで言えない。


 言えば、なぜ魔族側記録に詳しいのかと問われる。


 アレンが私の手の止まりに気づいた。


 だが、何も言わなかった。


 今は、言わないでいてくれた。


「魔族側の記録も、どこかに残ってるのかな」


 ティナが言った。


 無邪気な疑問。


 だが、重い。


 クロードが難しい顔をする。


「勇者学校の図書室には、人間側が収集した魔族研究資料はある。だが、魔族側の一次記録はほとんどないだろう」


「もしあったら、何か分かるかもね」


 ティナはミナを見る。


 ミナは静かに頷く。


「うん」


 私は、胸元のお守りを意識した。


 魔族側の記録。


 父上なら、知っているかもしれない。


 ノノなら、調べられるかもしれない。


 だが、それを頼むことは、任務報告を超える。


 私は人間側の生徒のために、魔王城の記録を求めることになる。


 それは、許されるのか。


 分からない。


 分からないことがまた増えた。


「ルシェラ」


 ミナの声。


「はい」


「無理しなくていい」


 私は顔を上げた。


「何がでしょう」


「今、何か考えすぎてる顔だった」


 また顔。


 最近、本当に顔が情報を漏らしすぎる。


 ミナは続けた。


「これは、私のことだから」


 その言葉は、私を遠ざけるものに聞こえた。


 だが、次の言葉は違った。


「でも、一緒に調べてくれるなら、嬉しい」


 私は少しだけ息を止めた。


 一緒に。


 また、その言葉。


「はい」


 私は頷いた。


「一緒に調べます」


 ティナが嬉しそうに笑った。


「じゃあ、第一班の調査任務だね!」


「任務」


 私は反射的に反応した。


 ティナがすぐに指を立てる。


「楽しい意味の任務ね」


「楽しい任務」


「そう!」


 楽しい任務。


 変な言葉だ。


 だが、少しだけ分かる気がした。


 その日の放課後、私たちは再び図書室へ向かった。


 今回は最初から全員で。


 ポルカは北境郷土史会の印がある本を集めた。


 クロードは王国側の石碑管理記録を探した。


 ミナは古地図と現在の地図を見比べた。


 アレンは碑文写しの文字の癖を見た。


 ティナは、難しい言葉を一つずつ聞いて、全員が説明を曖昧にしている箇所を見つけた。


 私は、それを整理した。


 成果は小さかった。


 石碑の建立年は不明。


 建立者も不明。


 ただし、北境郷土史会の古いメモに、破損碑は「戦後すぐ、誰かが弔いのために建てたものらしい」とある。


 誰を弔ったのかは分からない。


 村人か。


 魔族か。


 両方か。


 碑文の欠損部分も、今の資料では分からなかった。


 だが、一つだけ新しい記述があった。


 ――黒角谷の破損碑には、かつて赤黒い石片がはめ込まれていたという証言あり。現在は失われている。


 赤黒い石片。


 私はその語に、また胸がざわついた。


 魔族の血晶石。


 戦死者の名を刻む時に使われることがある。


 ただし、これも断定できない。


 私は口に出さなかった。


 アレンがこちらを見る。


 今度も、何も言わなかった。


 図書室を出る頃、ミナは疲れているようだった。


 ティナが言う。


「今日はここまでにしよ。お茶飲もう」


「うん」


 ミナは素直に頷いた。


 談話室でのお茶は、昨日より静かだった。


 だが、悪い静けさではない。


 ポルカは「分からないことが多いと怖いですが、一人で怖がるよりはましです」と言った。


 クロードは「分からないことを放置しないために、手順を決めるべきだ」と言った。


 ティナは「分からない時は、お茶飲んでから考えよう」と言った。


 アレンは「それ、意外と正しいかもな」と言った。


 ミナは、しばらくお茶の湯気を見ていた。


 そして、小さく言った。


「一人で考えてた時より、息がしやすい」


 その言葉で、私は今日の答えを少し得た気がした。


 分からないことは、なくならない。


 答えは出ない。


 真相もまだ遠い。


 だが、分からないことを一人で抱えなければ、少し息がしやすくなる。


 それが、班というものなのかもしれない。


 夜。


 私は記録を書いた。


 ――黒角谷破損碑の情報を第一班へ共有。確定情報ではないことを明示。

 ――ミナ、怖いが知らない方が怖いと発言。

 ――第一班として追加調査を開始。

 ――新情報。破損碑には赤黒い石片がはめ込まれていた証言あり。現在は失われている。血晶石の可能性。ただし断定不可。

 ――石碑は戦後すぐ、弔いのために建てられたとの古いメモあり。弔い対象は不明。

 ――ミナ「一人で考えてた時より、息がしやすい」と発言。重要。


 最後に一行。


 ――分からないことを抱える時、一人でなくてもいい。


 私はその一文を見つめた。


 これは、ミナだけの話ではない。


 私にも必要な言葉だ。


 魔王の娘として抱える秘密。


 勇者学校で見つけた人間の強さ。


 アレンに疑われていること。


 ミナの村の真相。


 全部を一人で抱えようとすると、息が詰まる。


 だが、まだ全部は話せない。


 それでも、少しずつ任せることはできる。


 分からないことを、一緒に見つめることはできる。


 私は胸元のお守りに触れた。


 父上。


 人間は、分からないことを共有しても強くなるようです。


 答えがなくても。


 真相がまだ見えなくても。


 同じ机を囲み、お茶を飲みながら、息をしやすくする。


 それもまた、強さなのかもしれません。

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